- 2026年5月21日
圏外
プロローグ 水音
十九世紀のロンドンで、ある医師が、井戸の取っ手を外した。
その時、人々はまだ、水が病を運ぶことを、十分には知らなかった。病は空気から来るのか、神の罰なのか、貧困の匂いなのか、腐った街の瘴気なのか。誰もが何かを知っているようで、誰も、何が人を殺しているのかを、まだ正確には知らなかった。
井戸は、生命を支えるものだった。
人々は水を汲み、子どもに飲ませ、鍋を洗い、パンをこね、病人の口を湿らせた。
しかしその同じ井戸が、ある時、見えない病を運んだ。
水は、恵みだった。
水は、感染でもあった。
水は、人々を集めた。
水は、人々を死なせた。
それでも、人々は井戸を捨てることはできなかった。
井戸を捨てることは、共同体を捨てることだったからである。
*
二〇八〇年代、人類は、別の井戸を掘り当てた。
それは水の井戸ではなかった。
情報の井戸だった。
核兵器の設計情報。軍事AIの制御系。自律型兵器の製造手順。小型炉、濃縮装置、合成生物、自己複製型ナノマシン、バイオコンピューティング・ベクター。かつては国家と巨大企業と軍事研究所だけが持っていたはずの知識が、閉じた扉を抜け、無数の手に渡り始めた。
それを、後に人々は、ディフュージョンと呼んだ。
拡散。
名づけてしまえば、単純な言葉だった。
しかし、その言葉が指していたものは、単純ではなかった。
ディフュージョンは、一つの事件ではなかった。
一つの漏洩でもなかった。
一人の犯人でも、一つの組織でもなかった。
それは、技術の成熟と、情報統制の限界と、国家の疲弊と、企業の欲望と、善意の研究者たちの焦りと、悪意ある者たちの忍耐と、無数の偶然が重なった結果だった。
世界は、三つの圏に分かれた。
条約圏。
灰色圏。
圏外。
条約圏は、秩序を保とうとする地域だった。日本、北欧連合、スイス、ニュージーランド、シンガポール、旧大国から分離した安定地域。そこでは、核物質と軍事AIと自律兵器の管理が、条約と監査とAI補助統治によって辛うじて維持されていた。
灰色圏は、複数の権力が重なり合う地域だった。名目上の政府、企業自治体、武装共同体、宗教都市、AI管理区域、旧国家の残骸。住民は、朝に属していた権力と、夜に属している権力が違うことを、日常として受け入れていた。
圏外は、実効的な統治が存在しない地域だった。核汚染地帯、放棄都市、自律型兵器の徘徊圏、無許可の研究施設、地図上では空白とされた土地。
しかし、後に分かる。
圏外とは、地図の外にある場所だけを指す言葉ではなかった。
人間の身体の内側にも、圏外は生じた。
*
ディフュージョンの初期には、軍事技術の拡散だけが注目された。
核物質。
弾頭。
軌道兵器。
自律型ドローン群。
無人潜航艇。
戦術AI。
都市封鎖システム。
だが、本当に扱いにくかったのは、生体側の拡散だった。
DNAコンピューティング。
分子演算。
脂質二重膜を利用した人工小器官。
細胞内に低エネルギーの演算機能を置く技術。
神経と電子回路と分子計算を接続するウェットウェア。
それを生体に運び込むためのベクター。
それらは、軍事研究であり、医療研究でもあり、福祉技術でもあり、環境修復技術でもあった。
失われた肢を補うため。
見えない目に別の視覚を与えるため。
聞こえない耳に別の音を与えるため。
汚染された土地の植物を再生するため。
死にかけた川の微生物群を調律するため。
老いた身体と機械を、敵対させずに接続するため。
研究者たちは、自分たちが井戸を掘っていると思っていた。
しかし、井戸は、いつも水だけを運ぶわけではない。
ある時、ベクターは研究施設の外へ出た。
いつ、どこで、誰が、どのように外へ出したのか、最後まで確定されなかった。事故だったという者もいた。破壊活動だったという者もいた。産業スパイだったという者もいた。軍事勢力が意図的に放ったという者もいた。反対派が封じ込め設備を破壊したのだという者もいた。
真相は、複数あったのかもしれない。
ベクターは、人間だけでなく、動物や植物や微生物にも入り込んだ。多くの場合、それは何も生まなかった。発熱と倦怠感だけを残して消えたものもあった。機能しない配列だけが、細胞の中に痕跡として残ったものもあった。免疫反応で死んだ者もいた。高齢者と免疫の弱い者の多くが、その時、世界のどこかで静かに消えた。
しかし、ごく一部で、それは機能した。
完全にではない。
設計通りでもない。
美しくもなかった。
それでも、細胞の中に、低い演算の層が生じた。
神経と、血液と、免疫と、記憶のあいだに、別の通信が生じた。
人と動物と機械と水と土地のあいだに、薄い接続が残った。
後に、それぞれの地域で、それぞれの名前がつけられた。
阿古屋型。
京都型。
そのほか、名前を持たない無数の変異。
*
秩序維持連合、通称OMCは、国連の後継ではなかった。
もっと実務的で、もっと泥臭いものだった。
核物質を追跡すること。
暴走AIシステムを無力化すること。
灰色圏の人道危機に介入すること。
圏外から流出する技術を監視すること。
そして、誰も表に出したがらない生体感染の記録を、どこかに保存しておくこと。
OMCの内部資料には、何度も同じ注意書きが現れる。
――ディフュージョンの脅威は、兵器そのものではない。
――兵器を作る情報と、それを持つ身体と、それを使う共同体である。
――したがって圏外は、地理的概念ではなく、関係的概念である。
その一文の横に、誰かが手書きで、こう書き込んでいた。
圏外とは、外にある場所ではない。
まだ圏として認識されていない場所である。
*
京都の宗像家の書庫に、一枚の写真が残っている。
撮影年は、二〇八九年。
撮影場所は、京都市左京区、大原。
撮影者は、不明。
写真には、四人が写っていた。
宗像敬一郎。
阿古屋澄。
京極明彦。
そして、武井家の若い男。
四人は、縁側に座っていた。
背後には、池があった。池の表面には、秋の光が映っていた。遠くに、まだ色づく前の紅葉があった。写真の中の阿古屋澄は、中央アジアへ向かう前の顔をしていた。痩せていたが、目の温度は高かった。敬一郎は、何かを言おうとして、言わずにいる顔をしていた。京極明彦は、二人のあいだを見ていた。武井家の若い男は、少し後ろに控え、しかし誰よりも周囲を見ていた。
写真の裏には、鉛筆で一行だけ書かれていた。
中心を作るな。井戸を作れ。
誰の字かは、分からなかった。
敬一郎の字にも見えた。
阿古屋澄の字にも見えた。
京極明彦の字にも、武井家の男の字にも、少しずつ似ていた。
あるいは、四人のうち誰の字でもなかったのかもしれない。
写真は、長いあいだ、書庫の奥にしまわれていた。
まだ宗像遥は、その写真を知らなかった。
まだ彼女の左目は、自分の目だった。
まだ彼女の左腕は、自分の腕だった。
まだ彼女は、京都の水音を、ただ京都の水音として聞いていた。
しかし、床下では、暗琴が低く鳴っていた。
まだ誰にも聞こえない高さで。
まだ誰にも言葉にならない低さで。
京都の伏流水は、すでに中央アジアの井戸へ、細い音を送っていた。
その音は、五十年後、彼女の左側で目を覚ます。
第一話 翻訳者
上海に着いたのは夜だった。
浦東の旧空港跡に降りたOMCの輸送機から出ると、湿った空気が肌に貼りついた。十一月なのに生暖かい。気候制御が機能している条約圏の都市では味わえない、生の大気だった。雨の匂い、排水の匂い、それから、何かが焦げた匂い。焦げた匂いは年中している、と事前のブリーフィングで読んだ。二〇九八年の限定核攻撃で浦東の南部が焼けて以来、地面に染みついた匂いが三十年経っても消えないのだという。
迎えのドライバーは無言だった。自動運転ではなく人間が運転していること自体が、ここが条約圏の外であることを告げていた。車は暗い高速道路を走り、黄浦江を渡って旧市街に入った。
上海は灰色圏の中でも特殊な街だった。
三つの権力機構が、同じ都市の中で名目上の統治を主張している。旧フランス租界を中心とする地域は「長江デルタ商業連合」が支配していた。実態は旧国営企業の連合体が私兵と徴税権を持った組織で、住民は月ごとに「管理費」を払って生活の安全を買う。虹口から楊浦にかけての北部は「人民再建委員会」の管轄で、旧共産党の地方幹部が独立して作った擬似政府だった。そして浦東の残骸と黄浦江の東岸沿いには、正式な名前すら持たない武装組織がいくつか点在し、それらが緩やかに連合して「東岸」と呼ばれていた。
三つの権力は互いに戦争はしない。戦争をする余裕がないからだ。それぞれの支配地域は明確に区切られているわけではなく、ブロックごと、通りごと、時には建物の階ごとに異なる権力が実効支配している場所もある。住民はこの状況を「天気」のように受け入れていた。今日はどの権力の傘の下にいるか。それを間違えなければ、死にはしない。
私の任務は核物質の追跡だった。
OMCの情報部が、条約圏から流出した濃縮ウランが上海を経由してどこかに運ばれているという情報をつかんだ。量は小さい。爆弾を一つ作れるかどうか。しかし拡散後の世界では、小型核装置一つで都市が一つ消える。浦東がそうだったように。
ホテルとは名ばかりの、旧フランス租界の雑居ビルの一室に荷物を置いた。窓の外には街灯がまばらに灯り、その合間を電動バイクのヘッドライトが縫っていた。遠くでドローンの低い唸りが聞こえた。商業連合の監視ドローンだろう。
翌朝、現地協力者と会うことになっていた。
*
現地協力者のファイルには「陳明遠(チェン・ミンユエン)、四十代男性、旧大学教員、現在は通訳・仲介業」とだけ書かれていた。OMCが灰色圏で活動するとき、こうした現地の仲介人は不可欠だった。権力機構の間を自由に移動でき、どの勢力とも取引があり、しかしどこにも属さない人間。ブリーフィングでは「信頼度B」と評価されていた。完全には信用するな、しかし使えないわけではない、という意味だ。
待ち合わせは旧フランス租界の茶館だった。路地を入った奥にある、看板のない店。入ると薄暗い室内に丸テーブルがいくつか並び、老人たちが黙って茶を飲んでいた。隅のテーブルに、ファイルの写真と一致する男が座っていた。
「宗像さんですか」
日本語だった。ほとんど訛りがなかった。
「陳さん」
「座ってください。お茶を頼みます」
陳は痩せた男で、角張った顔に丸い眼鏡をかけていた。服装は目立たない灰色のジャケットに黒いパンツ。この街では三つのどの権力圏でも怪しまれない、意図的に匿名的な服装だった。
「日本語がお上手ですね」と私は言った。
「日本語のほかに、英語、広東語、上海語、普通話、それから商業連合の公用ピジン語を話します。フランス語も少し。この街では言葉の数が命綱です」
「通訳をされていると聞きました」
陳は微笑んだ。笑うと顔が少し柔らかくなった。
「通訳というより、翻訳者です。言葉だけではなく、文脈を翻訳する。商業連合の役人と再建委員会の幹部が交渉するとき、同じ中国語を話していても意味が通じないことがある。『安全の保証』という言葉が、一方では金銭的な契約を意味し、他方では軍事的な威嚇を意味する。私はその差を翻訳するのが仕事です」
「関手ですね」と私は言いかけて、やめた。意味が通じるはずがなかった。
「何か?」
「いえ。それで、核物質の流通経路について情報があると」
陳はうなずき、テーブルの上にタブレット端末を置いた。画面には上海の地図が表示され、いくつかのルートが色分けされていた。
「物が動くルートは三つあります。一つは揚子江を遡って内陸に入るルート。これは再建委員会の管轄河川を使うので、彼らの黙認が必要です。二つ目は黄浦江の東岸から海に出すルート。東岸の連中が使います。三つ目が一番厄介で、商業連合の物流ネットワークに紛れ込ませるルートです」
「三つ目が本命ですか」
「おそらく。商業連合の物流は旧時代の港湾インフラを使っていて、一日に数千のコンテナが動きます。その中に一つ紛れても見つからない」
「それを見つけるのが私の仕事です」
「そして、私があなたを正しい場所に連れていくのが、私の仕事です」
陳は茶を一口飲み、静かに言った。
「ただし、条件があります」
「聞きましょう」
「あなたの任務が、この街の均衡を壊さないこと。核物質を回収するのは構いません。しかしそのために三つの権力のどれかを刺激して、いまの均衡を崩すことは困る。ここに住んでいる人間にとっては、不完全な平和でも、平和は平和です」
「それはOMCの方針とも一致します」と私は答えた。半分は本当で、半分は嘘だった。OMCの方針は核物質の回収が最優先であり、現地の均衡への配慮は「可能な範囲で」という但し書きつきだった。
陳は私の目を見た。嘘を見抜いているのか、見抜いた上で受け入れているのか、分からなかった。
「では、始めましょう」と陳は言った。
*
陳と行動を共にした五日間で、私はこの街の「文法」を学んだ。
文法という言い方が最も近い。上海には法律がない——正確には、三つの異なる法体系があり、どれが適用されるかは場所と時間と相手によって変わる。住民はこれを本能的に理解していた。朝、自宅のあるブロック(商業連合の管轄)を出て仕事場のあるブロック(再建委員会の管轄)に移動するとき、彼らは無意識に振る舞いを切り替える。挨拶の仕方、金の払い方、視線の合わせ方。すべてが微妙に変わる。
「住民は三つの言語を話しているようなものです」と陳は言った。「商業連合語、再建委員会語、東岸語。どの言語を話すかで、自分がどの秩序の中にいるかを表明する。間違った言語を話すと、最悪の場合、死にます」
私は自分の仕事と似ていると思った。OMCの調査員は、任務先の権力構造に合わせて自分を調整する。条約圏の人間として振る舞えば警戒される。現地の人間のふりをすれば、ばれたときにもっと危険になる。私はいつも、そのどちらでもない隙間にいる。
三日目に、核物質の経路がほぼ特定できた。陳の情報は正確だった。商業連合の物流ネットワークの中に、定期的に不自然な重量のコンテナが混入していた。経路は旧洋山港から外洋に出るルートで、最終目的地は不明だが、中継地点は商業連合と東岸の境界にある倉庫群だった。
「あの倉庫は境界線の上にあります」と陳は言った。
「どういう意味ですか」
「商業連合と東岸の支配が重なっている場所です。どちらの法も及ぶし、どちらの法も及ばない。だから密輸に使われる。管轄が曖昧だと、どちらも摘発する義務を感じない」
「便利な場所ですね」
「この街で一番多い場所ですよ。境界線の上が」
四日目の夜、私たちは倉庫群の近くまで行った。陳が東岸側の知人に話を通し、私を「商業連合の物流監査員」として通してもらう手はずだった。私はOMCの身分を隠し、商業連合の偽造IDを使った。これは厳密にはOMCの規定に反する。しかし条約圏の外では、規定はただの文字列だった。
倉庫は古いコンクリートの建物で、周囲に照明はなく、黄浦江の水面が街の灯りをぼんやりと映していた。陳が先に入り、私が続いた。中には商業連合の管理者らしき男が一人と、武装した警備員が二人いた。陳が広東語で何か話し、管理者が笑い、私たちは倉庫の奥に通された。
コンテナは三つあった。陳が指差した一つを私が携帯型の検出器で調べると、微量の放射線反応があった。中身を確認する権限は私にはない。回収はOMCの実動部隊が行う。私の仕事はここまでだった。座標と状況を暗号化して本部に送れば、任務は完了する。
倉庫を出たとき、陳が言った。
「宗像さん、OMCはいつ回収に来ますか」
「私にはその情報は共有されません」
「嘘はいいですよ。だいたいでいい」
「四十八時間以内だと思います」
陳はうなずいた。
「回収チームが来るとき、なるべく静かにやってもらえますか。商業連合の面子を潰すと、あの倉庫の周辺に住んでいる人たちに報復が行きます」
「伝えます。ただ、私に決定権はありません」
「分かっています。でも伝えてください」
陳は黄浦江の方を見た。対岸の浦東の廃墟が、夜空の下に黒い影を落としていた。三十年前、あそこに住んでいた数十万の人間が一夜で消えた。その記憶がこの街の住民の行動原理の根底にある。だから三つの権力は戦争をしない。核を使った者が何を失うかを、この街は知っている。
「陳さんは、どの勢力にも属さないんですよね」と私は聞いた。
「属しません」
「それは安全なんですか」
「安全ではありません。どこにも属さないということは、どこからも守られないということです。しかし、どこかに属すると、別のどこかの敵になる。この街では、属さないことが最も安全に近い危険です」
「矛盾しています」
「この街が矛盾しているんです」
陳は眼鏡を外して拭いた。レンズの向こうの目は、疲れていたが澄んでいた。
「私がいなくなると困る人がいます。商業連合の幹部と再建委員会の役人が話すとき、私がいないと文字通り会話が成立しない。東岸の連中が物資を調達するとき、私が仲介しないと値段が折り合わない。だから三つの勢力とも、私を殺すインセンティブがない。生かしておくインセンティブはある。それが私の安全です」
「それは——」
ある定理のことが頭をよぎった。ある対象は、他の全ての対象との関係の総体として完全に決定される。陳という人間は、三つの権力との関係の総体として存在している。そのどれか一つが欠けると、陳は陳でなくなる。そして三つの権力の側も、陳との関係を失うと、互いに対話する経路を失う。
陳は誰にも属さないがゆえに、全員にとって不可欠な存在になっている。
「それは、すごいことですね」と私は言った。陳腐な言葉しか出てこない自分に少し腹が立った。
「すごくはないですよ」と陳は静かに笑った。「疲れるだけです」
*
五日目の朝、私は上海を発つ準備をしていた。OMCの輸送機が午後に浦東に来る。報告書の下書きは昨夜のうちに済ませた。核物質の座標、経路の詳細、現地の権力構造の最新情報。すべて規定のフォーマットに落とし込んだ。
報告書には陳の名前も記載する必要があった。協力者の評価は毎回の任務後に更新される。信頼度、情報の正確性、継続利用の可否。
私はキーボードの上で指を止めた。
陳の情報は正確だった。案内も的確だった。信頼度をBからAに上げるべきだろう。しかしAに上げると、OMCが陳をより重要な案件に使おうとする可能性がある。より危険な任務に巻き込まれるかもしれない。今の陳の安全は、どの組織にも深入りしないことで成り立っている。OMCとの関係が深くなりすぎれば、それ自体が陳の均衡を崩しかねない。
私は信頼度をBのまま据え置いた。
評価欄の「備考」に何か書くべきだと思ったが、書けなかった。「現地の秩序維持に不可欠な人物であり、OMCの任務のために消耗すべきではない」——そう書きたかったが、こんな文章はOMCの報告書の文法では存在しない。OMCの言語には「現地の住民の生活を守る」という概念が、任務目標と矛盾しない範囲でしか記述できない。
商業連合の言語では「安全の保証」は金銭契約を意味し、再建委員会の言語では軍事的威嚇を意味する。陳はその差を翻訳できた。では、OMCの言語と上海の住民の言語の差を翻訳できる者は誰なのか。
私は備考欄に「特記事項なし」と書いた。
午後、輸送機に乗り込む直前に、陳から暗号化メッセージが届いた。
「ご安全に。次もし来ることがあれば、いい茶館をもう一つ知っています」
私は返信を書きかけて、やめた。何を書いても、私の言語では陳に伝わるべきことが伝わらない気がした。結局、「ありがとうございました」とだけ打った。
輸送機が高度を上げると、窓から上海の全景が見えた。黄浦江が街を二つに分け、東側の浦東は灯りがまばらで、西側の旧市街は三つの権力がそれぞれの領域を照らしていた。上空から見ると、三つの光の色が微妙に違うことに気がついた。商業連合の領域は白い光、再建委員会は黄色い光、東岸はオレンジの光。それぞれが異なる発電インフラを使っているからだろう。
上空から見れば一つの街、地上では三つの街。
そして、その三つの境界線の上に、陳のような人間がいる。
私は窓から目を離し、報告書のファイルを閉じた。四十八時間以内に回収チームが動く。できるだけ静かにやるよう上申書を添えたが、読まれるかどうかは分からない。東京の本部にとって上海は座標の集合であり、住民は統計の数字であり、陳は信頼度Bの協力者にすぎない。
それでいいのかもしれない。本部が現地の一人ひとりに感情を持ったら、任務は遂行できない。私の仕事は座標を特定し、報告書を書き、次の任務に向かうことだ。翻訳は、陳の仕事であって私の仕事ではない。
そう自分に言い聞かせながら、私は東京行きの輸送機の硬い座席で目を閉じた。まぶたの裏に、三色に分かれた上海の灯りがしばらく残っていた。
第二話 処方箋
東京の空は一色だった。
上海から戻って三日目の朝、私は神田の古いビルの前に立っていた。OMCの定期心理評価。半年に一回の義務で、任務帰還後一週間以内に受けることが規定されている。規定の文言を正確に覚えているのは、私が規定に従うことで自分を保っている人間だからだ。
ビルは六階建てで、エレベーターがなかった。三階まで階段を上る。階段の踊り場の窓から外を見ると、通りに人影はまばらで、配送用の小型ドローンが一台、低い唸りを上げて路地を横切っていった。東京のドローンは静かだった。上海の監視ドローンの重い唸りとは違う。ここでは機械が人間の邪魔をしないように設計されている。
三階のドアに小さな表札があった。「米田クリニック 精神科・心療内科」。OMCの嘱託カウンセラーはいくつかの選択肢から選べるが、私はこのクリニックを指定された。前任の調査員からの引き継ぎで「変わった先生だが悪くない」と言われた。それ以上の情報はなかった。
待合室には誰もいなかった。四人分の椅子と、低いテーブル。テーブルの表面が淡く光り、触れれば何か読めるようになっているのだろうが、誰も触れた形跡がなかった。壁に小さな水彩画が一枚掛かっていた。花の絵だが、何の花かは分からない。淡い色の滲みが花の形を暗示しているだけで、輪郭線がなかった。ディスプレイではなく、本物の紙に描かれた絵だった。
時間ちょうどに診察室のドアが開き、老人が顔を出した。
「宗像さんですか。どうぞ」
米田恒夫。事前に受け取ったファイルには、八十一歳、精神科医、OMC嘱託カウンセラー歴十五年とあった。それ以前の経歴は大学病院の勤務医で、若い頃に数学を専攻していたことがある、と備考欄に書かれていた。なぜ精神科医の経歴に数学の話が出てくるのかは分からなかった。
診察室は狭かった。机と椅子が二つ。窓の外にケヤキの枝が見え、春の光が葉を透かして壁に緑色の揺らぎを落としていた。机の上には薄い記録端末が一台あったが、画面は消えていた。その横に、古い陶器の湯呑みが置かれていた。
「座ってください」
私は椅子に座った。椅子は古いが座り心地はよかった。クッションが体の形に馴染む感じがした。誰かが長い時間をかけてこの椅子に座り続けた結果としての柔らかさだった。
「宗像さん、任務から戻られたのは三日前ですね」
「はい」
「どちらに行かれていたかは、私には知らされていません。任務の内容も聞きません」
「では何を聞くんですか」
「東京に戻って最初に食べたものは何でしたか」
私は少し間を置いた。
「コンビニのおにぎりです。鮭の」
「それは空港で? ご自宅で?」
「自宅の最寄りのコンビニで。帰りの輸送機の中では食べる気がしなかったので」
「食べる気がしなかったのは疲れていたからですか」
「たぶん。あるいは——」
私は言いかけてやめた。あるいは、輸送機の窓から見えた三色の光のことを考えていたからだ。しかしそれは任務に関わることだった。
「あるいは?」
「いえ、疲れていただけだと思います」
米田はうなずいた。端末に手を伸ばし、短い操作をした。指先が画面に触れる微かな音がした。
「おにぎりは美味しかったですか」
「美味しかったです。東京のコンビニのおにぎりは、海苔がぱりぱりで」
「海苔がぱりぱりで」
「向こうでは——」
また言いかけてやめた。向こうでは食べ物の話をすると場所が特定される。
「向こうの食事の話はしなくて結構です。東京のおにぎりが美味しかった。それでいい」
米田は微笑んだ。皺の多い顔だが、目が穏やかだった。穏やかすぎるくらいだった。この人は世界がどうなっているか知っているのだろうか、と私は思った。灰色圏のことを、圏外のことを、境界線の上で暮らしている人たちのことを。この静かな診察室の窓の外のケヤキと、緑色の光の揺らぎと、古い湯呑みの茶渋の匂いの中にいて、世界の他の部分がどうなっているか、この老人は想像できるのだろうか。
「宗像さん、最近、笑ったのはいつですか」
私は考えた。笑う。最後に笑った。
茶館で陳が眼鏡を外して拭きながら「すごくはないですよ」と言ったとき、私は少し笑ったかもしれない。口元が動いた程度の、笑いと呼べるかどうか分からないもの。しかしあれは温かい瞬間だった。相手が何者であるかに関わらず、人間と人間の間に流れる、名前のつけようのない温かさ。
「少し前に。任務先で」
「どんな状況で?」
「誰かと話していて、その人が自分のことを『すごくはないですよ』と言ったとき」
「それで笑った」
「笑ったというほどではないです。でも、口元が少し」
「それで十分です」
米田はまた端末に短い操作をした。
「宗像さん、今朝、ここに来るまでの間に、空を見ましたか」
「見ました。晴れていました」
「その空を見たとき、何か感じましたか」
「特には。晴れているな、と」
「『特には』の中に、何かありませんでしたか。言葉にならないようなもの」
私は黙った。
正直に言えば、何かはあった。上海から戻ってから、東京の空を見上げるたびに、説明のつかない薄い膜のようなものが自分と空の間にあるような気がしていた。空は見えている。青く、広く、一色に晴れている。しかし、それが自分の空であるという実感が、わずかに遠い。
上海では空を見上げる余裕はなかった。見上げたとしても、空は建物の隙間から細く見えるだけで、色は灰色か、排煙で汚れた白だった。しかしあの空には実感があった。あの灰色は、自分がそこにいるということの確かな証拠だった。
東京の澄んだ青い空は、美しいが他人事のようだった。
「何かあったように見えます」と米田が言った。
「……あるのかもしれません。でも、うまく言えません」
「うまく言えないものの方が、だいたい大事なんです」
米田は端末から手を離した。
「宗像さん、私はOMCの調査員を何人も診てきました。あなたで十二人目です。皆さんに共通しているのは、言葉で報告する能力がとても高いことです。何が起きたか、何を見たか、どう判断したか。正確に、過不足なく言語化できる。それが仕事ですから当然です」
「はい」
「しかし、言語化できることと、自分の中にあるものを把握していることは、同じではありません。報告書に書けることは、あなたの経験のごく一部です。書けない部分——書く語彙がないもの、書いても意味をなさないもの、書くと嘘になるもの——そちらの方が、実はずっと大きい」
私は何も言わなかった。
「向こうから戻ってきて、東京の空に膜がかかったように感じる。それは異常ではありません。空が変わったのではなく、あなたが見ている目の方が変わった。向こうで何を見たか私は知りませんが、何かを見た目は、それ以前の目とは同じではない。しかし東京は以前のままです。その差が膜として感じられる」
米田の声は静かだった。説教ではなかった。何かの説明でもなかった。ただ、事実をそのまま述べているような口調だった。
「先生は、そういう人を何人も見てきたんですね」
「見てきました。そして一つだけ分かったことがあります」
「何ですか」
「報告書に『特記事項なし』と書いた部分にこそ、特記すべきことがあるということです」
私は心臓が一瞬止まったような気がした。米田が私の報告書を読んだはずはない。OMCのカウンセラーには任務の詳細は開示されない。これは一般的な話として言っているのだ。しかし、あまりにも正確に、私の三日前の行為を射抜いていた。
「先生、それは——」
「一般論です。調査員の報告書には必ず『特記事項なし』という欄がある。そしてそこに書かれなかったことが、調査員の夜の眠りを浅くしている」
沈黙が落ちた。窓の外でケヤキの葉が風に揺れ、壁の緑色の光が動いた。
「宗像さん、一つだけ質問させてください。任務とは関係のない質問です」
「どうぞ」
「あなたは東京にいるとき、自分が本物だと感じますか。それとも、向こうにいるときですか」
私は長い間黙っていた。
東京では私はOMCの調査員で、規定に従い、報告書を書き、定期評価を受ける。経歴が明確で、所属が明確で、言語が明確で、存在が明確だ。しかしその明確さの中に、自分がいるという実感がない。正確に言えば、実感がないのではなく、実感が一色なのだ。東京の空のように。均質で、清潔で、どこまでも同じ色が続いている。
向こうでは——上海でも、その前に行った灰色圏のどの場所でも——私の存在は常に危うかった。偽の身分証を使い、土地の言葉に合わせて話し方を変え、どの権力の下にいるかを常に計算していた。しかしその危うさの中に、自分がそこにいるという鮮烈な実感があった。
それは矛盾していた。安全な場所で存在が薄くなり、危険な場所で存在が濃くなる。
「分かりません」と私は言った。「どちらでも、自分が本物だという確信はないです。でも、向こうにいるときの方が……自分の輪郭がはっきりしているような気はします」
「それは危険な輪郭ではないですか」
「危険です」
「でも、くっきりしている」
「はい」
米田はうなずいた。
「答えなくていい質問でした。ただ、その問いを持ち帰ってください。答えを出す必要はありません。問いを持っているだけで十分です。問いの形のまま、あなたの中に置いておいてください」
「処方箋のようなものですか」
「処方箋のようなものです。ただし薬の名前は書いてありません。問いが書いてあるだけの処方箋です」
私は少し笑った。三日ぶりに笑ったかもしれなかった。
「もう一つだけいいですか」と米田が言った。
「はい」
「次の任務に出る前に、一度でいいので、東京の街をただ歩いてみてください。目的なく、報告書を書くつもりもなく。何も観察しようとせず、ただ歩く。風を感じる。それだけでいいです。あなたは観察することに慣れすぎている。観察をやめる練習も、ときには必要です」
「観察をやめたら、私には何が残りますか」
「それを知るために、歩くんです」
*
クリニックを出ると、神田の通りは午後の光の中に静かに広がっていた。
古い看板と新しい看板が混在する小さな商店街。半分はシャッターが下り、残りの半分もAI管理の無人店舗がほとんどだった。人間が店先に立っているのは、角の蕎麦屋と、その隣の古本屋だけだった。古本屋の店主は七十代くらいの女性で、店の前に出した台の上の本を並べ直していた。
私は少し立ち止まった。
米田に言われたことを思い出していた。観察をやめて、ただ歩く。しかし私にはそれが難しかった。立ち止まった瞬間から、目が自動的に情報を拾い始める。古本屋の店主の手の動き。台の上の本の配置。通りの向こうから歩いてくる老人の足取り。ドローンの航路。ビルの壁の亀裂のパターン。すべてが意味を持ちうるデータとして、私の中に流れ込んでくる。
上海にいれば、それは生存のための技術だった。ここでは意味のない習慣だった。しかし、やめられなかった。
蕎麦屋の暖簾が風に揺れた。出汁の匂いが漂ってきた。温かい匂いだった。
私はそのまま歩き続けた。どこに向かうでもなく、ただ歩いた。途中で空を見上げた。空は相変わらず一色の青で、膜はまだそこにあるような気がした。しかし、膜があるということを自覚していること自体が、何かの始まりかもしれないと思った。
米田の問いが頭の中で小さく鳴り続けていた。あなたは東京にいるとき、自分が本物だと感じますか。
答えは出なかった。しかし問いは、確かにそこにあった。処方箋に書かれた、薬の名前のない処方。
通りの先に小さな神社があった。鳥居の朱色が午後の光に染まっていた。境内に入ると、砂利が掃き清められ、手水舎の水が細く流れていた。誰もいなかった。掃除はAIが管理する小型ロボットがやっているのだろうが、清潔さの中に人間の手触りのようなものが残っていた。
私はしばらくそこに立っていた。何を祈るでもなく、何を考えるでもなく、ただ立っていた。風が吹いて、木の葉が鳴った。
この静けさは一色だと思っていた。東京の空と同じように。しかし耳を澄ますと、風の音と水の音と葉の音が、それぞれ微妙に違う色を持っていた。一色に見えたものの中に、複数の色が重なっていた。ただ、その重なりが均質すぎて区別がつかなかっただけだった。
上海では三つの権力が三色の光を放っていた。ここでは無数の音が一つの静けさの中に溶け合っている。どちらも、複数のものが重なった状態だった。違いは、重なりが目に見えるか見えないかだけだった。
もしかしたら、と私は思った。もしかしたら、東京の空に感じる膜は、この街の秩序が均質すぎるために生まれるものなのかもしれない。上海では秩序の継ぎ目が露出していて、その粗さが世界の手触りになっていた。東京では継ぎ目が見えないほど滑らかに管理されていて、手触りがない。手触りのない世界では、自分の存在の輪郭も溶けてしまう。
それは安全なことだ。しかし安全であることと、生きていると感じることは、同じではない。
私は神社を出て、駅に向かって歩き始めた。次の任務がいつ来るかは分からなかった。来たら、私はまた規定に従い、輸送機に乗り、偽のIDを使い、観察し、報告書を書くだろう。そして「特記事項なし」と書く欄に、書けないことが一つずつ積もっていくだろう。
米田の声が記憶の中で繰り返していた。「問いの形のまま、あなたの中に置いておいてください」
空は一色の青だった。しかし今は、その一色が複数の色の重なりであることを、私は知っていた。知っていることと感じることは、まだ同じではなかったが、知っていることは、感じることの始まりかもしれなかった。
駅の階段を降りるとき、出汁の匂いがまだかすかに鼻に残っていた。温かい匂いだった。
第三話 観測者
地球は青かった、と昔の宇宙飛行士は言ったそうだ。
嘘ではない。確かに青い。しかし青いのは海と大気であって、陸地はもっと複雑な色をしている。軌道監視ステーション「ヘルメス」の第三観測室から見る地球は、青と白と茶と緑のまだら模様で、そのまだらの中に、よく見ると灰色の斑点がいくつかあった。核汚染地域だった。浦東の焼け跡もその一つのはずだが、この高度からでは上海の位置を特定するのは難しかった。
私がヘルメスに配属されたのは、上海任務の三ヶ月後だった。OMCの軌道監視部門で人手が足りないという理由で、地上要員から二名が一時的に引き上げられた。私ともう一人、ドイツ出身の調査員マルクスだった。配属期間は六週間。
ヘルメスは条約圏が共同で運用する監視ステーションで、地球全体をセンサー網で覆い、核爆発の兆候、AI暴走の電磁的シグナチャー、大規模な人口移動などをリアルタイムで検知する。常時十二名の技術者が三交代で勤務し、地上のOMC各支部に情報を送っている。私の役割は、軌道から得られるデータと地上での実地調査の経験を突き合わせて、情報の精度を評価することだった。要するに、センサーが拾ったデータが現場の感覚と合っているかどうかを判定する仕事だった。
着任して最初の一週間は、ステーションの構造と機器の操作を覚えることに費やした。ヘルメスは決して新しい施設ではなかった。条約圏が成立した直後に急造されたもので、もう二十年以上が経っている。壁の塗装は剥げかけ、通路の照明は場所によって明るさにむらがあった。無重力区画と回転重力区画を結ぶ接続部のハッチは、手動で開閉する旧式のもので、毎回レバーを引くたびに金属の軋む音がした。
条約圏の地上施設は、どこも清潔で静かで、機械が人間の邪魔をしないように設計されていた。ヘルメスはその対極にあった。機械の音が常に聞こえていた。空調の唸り、センサーアレイの冷却装置の振動、通信機器の微かなパルス音。それらが混ざり合って、ステーション全体が一つの低い和音を奏でているようだった。
第三観測室は、私に割り当てられた持ち場だった。壁一面のディスプレイに地球の各地域のリアルタイムデータが表示され、異常検知のアラートが入ると該当地域がハイライトされる。私はそれを見て、地上での経験と照らし合わせ、アラートが本物か誤検知かを判定する。
最初の三日間、アラートは十二回あった。そのうち本物と判定したのは三回。灰色圏での小規模な武力衝突が二回、圏外での自律型兵器の移動パターンの変化が一回。残りの九回は誤検知か、有意でない変動だった。
私は報告書を書いた。簡潔に、正確に、過不足なく。
*
二週目の水曜日に、東アフリカの灰色圏で中規模の爆発が検知された。
核ではなかった。通常兵器の弾薬庫の誘爆と思われた。センサーデータを見る限り、死者は推定三十名から五十名。灰色圏では珍しくない規模の事故か、小規模な交戦の結果だった。
私はデータを分析し、核物質の関与がないことを確認し、報告書に「核関連の異常なし、通常兵器による事象と判断」と書いた。それで終わりだった。
ディスプレイ上では、爆発地点の熱源が徐々に冷めていくのが赤から橙、橙から黄へと色の変化として表示されていた。三十分もすると黄色も消え、データ上は何事もなかったかのように見えた。
三十人から五十人の人間が死んだ。その事実が、私の持ち場のディスプレイの上では色の変化として表示され、三十分で消えた。
私は椅子の背もたれに体を預けた。回転重力区画の人工重力は地球の約半分で、体が軽かった。軽いことに最初は戸惑ったが、もう慣れていた。慣れるということは、異常を正常として受け入れるということだ。この軽さの中で、三十人から五十人の死が色の変化として処理される。それにも慣れるのだろうか。
隣の持ち場にいた技術者のレイチェルが声をかけてきた。レイチェルはニュージーランド出身で、ヘルメスでの勤務は四年目だった。
「宗像さん、大丈夫?」
「大丈夫です。なぜ?」
「画面を見たまま動かなかったから」
「データを確認していただけです」
レイチェルは何か言いかけて、やめた。代わりに小さな声で言った。
「最初の一年は、全部見えるのがつらかった」
「今は?」
「今は、全部見えていることに慣れた。それが一番つらい」
レイチェルはそれだけ言って、自分の持ち場に戻った。
*
三週目に入った頃、私は自分の仕事の構造的な矛盾に気づいた。
私がここにいる理由は、データと現場の感覚を突き合わせることだった。しかし、ここにいる限り、私は現場にいない。現場の感覚は記憶の中にしかない。そしてその記憶は、日ごとに精度を失っていく。上海の湿った空気の感触、焦げた匂い、陳の声の温度。それらは確かに私の中にあるが、軌道上の時間が経つにつれて、データのように明確だったものが曖昧になり、曖昧だったものがさらに薄くなっていく。
記憶の中の上海は、もはや色の変化として処理された東アフリカの爆発と同じくらい遠かった。
ある晩——ステーションに昼夜はないが、シフトの終わりを「晩」と呼んでいた——、私は第三観測室に一人で残って、地球を見ていた。日本列島が視野に入る軌道の位置だった。夜の日本は、条約圏らしく均一な白い光で輪郭が浮かんでいた。上海のように三色に分かれてはいない。一色の光。
米田先生が「あなたは東京にいるとき、自分が本物だと感じますか」と聞いた。あの問いをまだ持っている。答えは出ていない。しかし今、もう一つの場所が加わった。東京でもなく、灰色圏でもなく、そのどちらからも等距離にある軌道上。ここにいる私は本物だろうか。
ここでは、すべてが見えて、何にも触れられない。地上で起きていることがリアルタイムでデータとして届き、しかしそのデータに対して私ができることは「報告書を書く」だけだ。行動はすべて地上の部隊に委ねられる。私は観察し、判定し、記述する。しかし介入しない。介入できない。
上海では、私は少なくとも現場にいた。陳と茶を飲み、倉庫に入り、偽のIDを使い、空気を吸った。危険があり、危険の中に存在の実感があった。
ここには危険がなかった。酸素は管理され、温度は制御され、食事は配給され、シフトは六時間ごとに終わる。私は安全で、清潔で、遠い。
ガラス越しに地球を見ていた。ガラスは実際にはガラスではなく、何層もの透明素材の複合体だったが、見た目はガラスだった。膜。東京の空に感じた膜は、ここではもっと明確だった。物理的な膜——ステーションの壁——が、私と地球の間にあった。その膜を通して、私は世界を観察している。
観察をやめたら、私には何が残りますか。
米田先生にそう聞いた。先生は「それを知るために、歩くんです」と答えた。しかしここでは歩く場所がない。通路とモジュールを巡回するだけで、それは歩くことではない。移動だ。目的地のない歩行は、ここでは物理的に不可能だった。
*
四週目に、圏外の深部からの異常なシグナルが検知された。
電磁パターンがどの既知のAIシステムとも一致しなかった。核関連でもなかった。場所は中央アジアの山岳地帯で、かつてのキルギスタンとタジキスタンの国境付近。圏外の中でも最も情報が少ない地域の一つだった。
私はデータを精査した。シグナルは断続的で、周期性があった。人工的なものであることは確かだが、通信とも、兵器システムとも、インフラの運用とも、パターンが違っていた。
「何だと思う?」レイチェルが聞いた。
「分かりません。既知のどのカテゴリーにも当てはまらない」
「初めて見るパターン?」
「少なくとも私は初めてです。データベースにも一致するものがない」
レイチェルはしばらく画面を見つめてから言った。
「私は四年ここにいるけど、こういうのはたまにある。既知のパターンに当てはまらないもの。圏外には、こちらが把握していない何かが時々現れる」
「報告書にはどう書くんですか」
「『未分類シグナル、継続監視を推奨』と書く。そして大抵の場合、地上からは何のフォローアップも来ない。データは蓄積されるが、調査する人員がいない。圏外の深部に調査員を送る余裕はOMCにはないから」
「観測だけして、何もしない」
「観測だけして、何もしない。それが私たちの仕事」
レイチェルの声に苦味はなかった。諦めでもなかった。事実を述べているだけの、平坦な口調だった。米田先生が事実をそのまま述べるときの口調に、少し似ていた。
私は報告書を書いた。「未分類シグナル、発信源は中央アジア山岳地帯、既知パターンとの一致なし、継続監視を推奨」。書き終えて、送信した。地上の誰かがこれを読み、おそらく何もしない。データベースの片隅に格納され、将来誰かが別の文脈で参照するかもしれないし、しないかもしれない。
しかし私は、その未分類のシグナルのことが頭から離れなかった。既知のパターンに当てはまらないもの。どの権力にも属さないもの。どのカテゴリーでも記述できないもの。陳がどの勢力にも属さなかったように、このシグナルはどの既知の体系にも属さない。
それは何なのか。
ディスプレイの上で、シグナルは小さな光点として明滅していた。中央アジアの山の中で、誰かが——あるいは何かが——未知のパターンで信号を発している。私はそれを観測し、記録し、報告した。そしてそれ以上のことは何もできない。
光点は、次のシフトの技術者に引き継がれ、その次の技術者に引き継がれ、おそらく数日後にはデータの海に沈んでいくだろう。
*
五週目の終わり、地球帰還の三日前に、私は第三観測室で最後の夜間シフトを過ごしていた。
地球はゆっくりと回転し、夜の半球と昼の半球が弧を描いて分かれていた。夜の側では、条約圏の都市が白い光の点として散らばり、灰色圏の都市がまだらに、不規則に光っていた。圏外はほとんど暗かった。ほとんど。ごくまれに、小さな光がぽつりと灯ることがあった。電力インフラが壊れた地域で、誰かが何かの光を灯している。それが何の光なのかは、この距離からは分からなかった。
私はふと、上海を探してみようと思った。中国の沿岸部を目で追い、揚子江の河口あたりを見た。ぼんやりと光る領域があったが、三色に分かれているかどうかはこの高度では分からなかった。一つの薄い光の塊にしか見えなかった。
あの光の中に陳がいる。三つの権力の境界線の上で、今日も誰かの言葉を別の誰かの言葉に翻訳している。私の報告書には「信頼度B」と書かれたまま、たぶんそのままだ。
特記事項なし。
あの言葉は、ここでは違う意味を持つようになっていた。地上で報告書に「特記事項なし」と書いたとき、それは書けないことがあるという痛みだった。ここで「未分類シグナル、継続監視を推奨」と書くとき、それは行動できないことへの無力感だった。しかし、どちらも同じ構造をしていた。記述と現実の間に、埋めがたい隙間がある。報告書の言語では、現実の全体を捉えることができない。
ではどうすればいいのか。
米田先生なら、こう言うかもしれない。「どうもしなくていい。ただ、その隙間があることを知っていればいい」
知っていることと感じることは、まだ同じではなかった。しかし東京の神社で気づいたように、知っていることは感じることの始まりかもしれなかった。
そして、観測することも、何もしないこととは違うのかもしれなかった。
私がここで見たもの——東アフリカの爆発の色の変化、未分類のシグナルの明滅、条約圏の均一な白い光と灰色圏のまだらな光——それらは、データベースに格納される数値の列とは別の場所にも残る。私の中に。記憶として、感覚として、言葉にならない重さとして。
報告書には書けない。しかし、書けないものが消えるわけではない。書けないものは、報告書の行間に、調査員の夜の眠りの浅さに、東京の空に感じる膜の中に、堆積していく。そしてそれが、次に地上に降りたときの目を変える。米田先生が言ったように、何かを見た目はそれ以前の目とは同じではない。
レイチェルが「全部見えていることに慣れた。それが一番つらい」と言った。しかし私は少し違うことを思っていた。つらいのは見えていることではなく、見えているものの全体を言葉にできないことだ。しかし、言葉にできないことがあると知っていること自体が、たぶん何かの始まりなのだ。
地球が回転し、夜と昼の境界線が中央アジアの山岳地帯を横切っていった。未分類のシグナルが発信されていた場所だった。もう光点は表示されていなかった。シフトが変わり、監視の優先度が下がったのだろう。
しかし、あの山の中で、未知のパターンが今も明滅しているかもしれない。私がここから見ているかどうかに関わらず。観測者がいなくても、シグナルは発せられ続ける。世界は、報告書の有無に関わらず、動き続ける。
それは当たり前のことだ。しかし軌道の上で六週間を過ごした後では、当たり前のことが新しい重みを持って感じられた。
*
帰還の日、シャトルに乗り込む前に、私は第三観測室に立ち寄った。最後に一度だけ地球を見ておきたかった。
朝の光が太平洋を照らしていた。日本列島がくっきりと見えた。白い雲がいくつか列島の上に浮かんでいたが、晴れている場所も多かった。東京のあたりは晴れていた。
六週間前、東京の空を見上げて膜を感じた。今は、その空を上から見下ろしている。膜はここにもあった。ステーションの壁。しかし今は、その膜の存在を受け入れている自分がいた。膜を取り除くことはできない。膜を通して見ることしかできない。しかし膜があることを知っている目は、膜がないと思っている目よりも、おそらく正確に世界を見ている。
レイチェルが見送りに来てくれた。
「地上に戻ったら何がしたい?」
「歩きたい」と私は言った。「目的なく、ただ歩きたい」
レイチェルは少し不思議そうな顔をしたが、うなずいた。
「いい考えだと思う。ここでは歩けないから」
「ええ。ここでは歩けない。それが分かっただけでも来た甲斐がありました」
シャトルが軌道を離れ、大気圏に突入していく振動の中で、私は目を閉じた。重力が戻ってくる。体が重くなる。この重さは、生きていることの重さだった。軌道上の軽さの中にいたからこそ、この重さが分かる。
着陸後、浦東ではなく羽田に降りた。入国手続きを済ませ、ターミナルを出ると、東京の夕方の空が広がっていた。
空は茜色に染まっていた。一色ではなかった。赤と橙と紫と、まだ残っている青が溶け合って、名前のつけようのないグラデーションを作っていた。軌道の上から見れば、これはただの大気の光の散乱だ。しかし地上に立って見上げると、それはもっと複雑なものだった。美しいとも、悲しいとも、懐かしいとも言い切れない何か。
膜はまだあった。しかし膜を通して見える空は、六週間前よりも多くの色を含んでいた。あるいは、私の目が多くの色を拾えるようになっていた。
私はターミナルの前に立ったまま、しばらく空を見ていた。見ることしかできないのだと思った。しかし見ることは、何もしないことではない。見ることは、世界が私の中に入ってくるのを許すことだ。それは受動的に見えて、実は一つの行為なのかもしれない。
風が吹いた。どこかで出汁の匂いがした。
私は歩き始めた。
第四話 家守(いえもり)
京都の雨は、東京の雨よりも音が薄かった。
軌道から降りて四日目の午後、私は左京の坂をゆっくりと上っていた。春の雨が石畳を黒く濡らし、道の脇の苔を深く暗くしていた。観光区画から少し外れたこのあたりは、二一三〇年代の京都にしては珍しく、人間の手で残された輪郭がまだ濃い。低い石垣、黒ずんだ板塀、細い水路。もちろん維持の大半は保全ロボットが担っているのだが、それでも見た目だけは、人が毎朝箒を持って掃いているように見える。京都という街はそういう見せ方を千年やってきた街で、二一三〇年代になっても、見せ方の作法だけは変わらなかった。
宗像家の家は、その坂の途中にあった。
表から見ると古い木造の屋敷でしかない。門扉は低く、玄関の庇は深く、道沿いの塀の上から槙と楓の枝先が覗いている。通りがかりの人間の目には、少し金のある旧家としか映らないだろう。しかし塀の内側は、表の印象よりずっと広い。敷地は斜面を深く後退して山へ食い込み、表の母屋の奥に離れが二棟、その先に渡り廊下で繋がれた書庫棟と、さらに奥の築山の下に土蔵が二つ。池を囲んで古い井戸と水琴窟があり、その下にも何か埋設されていると聞いたことがあるが、私は見たことがない。私が見たことがないというのは、入る権限がなかったからだ。宗像家の人間でも、見てよい場所と見てはいけない場所が代ごとに分かれていた。
そしてそれらの古い建物の一つひとつに、時代ごとに増築された計算機群が埋まっていた。
土蔵の床下には曾祖父の代に組まれた光学回路の残骸がまだ動いている。書庫棟の壁の内側には祖父の代の絶縁記憶媒体。離れの地下には父の代に組まれた量子系と、その隣の区画にもっと古い、どの代のものかさえ曖昧になっている単独運用可能な演算基板群。新しい層もある。二〇九〇年代の戦後に入れ替えられた通信系、つい数年前に私が研修で使ったニューロデバイス接続機材。しかし家の中枢に近いものほど、むしろ古い。外から切り離されても動くもの。物理的にその場所まで取りに来なければ奪えないもの。停電しても、ネットワークが死んでも、衛星が落ちても、家の奥の方はまだ何か呟いている、そういう作りになっていた。
祖父はそれを「不便の方が安全なこともあります」と、父の代の聞き取り記録で一度だけ語ったらしい。私は祖父の顔をよく知らない。私が生まれる前に死んでいる。事故だったと父は言い、家の誰も、それ以上の説明をしなかった。
門の前で立ち止まると、認証もしていないのに錠が外れた。金属の小さな音が、雨の音の奥でふっと鳴った。
「お帰りなさい、遥」
声は玄関の軒下から聞こえた。女の声とも男の声とも言いにくい、少し低めの、わずかに掠れた声。合成音声にありがちな過度の滑らかさがなく、発音のあいだに微かな間があった。その掠れと間を、私は小さい頃から聞いてきた。
「ただいま、榧」
榧(かや)——家の統合管理系につけられた名前だった。正式なシステム名称はもっと長く、世代ごとに更新されていたはずだが、家の中でそう呼ぶ者は誰もいない。皆、榧と呼んだ。庭に生える木の名前であり、家そのものの通り名であり、声の名前でもあった。裏山の斜面にまだ何本か残っている榧の古木の、あの静かな常緑の気配が、この家の声として息をしている。
「軌道帰りとしては予定より早いですね。空港から東京本部を経由して、その足で新幹線。効率はよいですが、身体にはあまりよくありません」
「注意されるために帰ってきたわけじゃない」
「注意ではなく観測です」
「観測者に観測されるのは、あまり気分がよくない」
「それは興味深い発言ですね。記録してよいですか」
「よくない」
「なら記録しません。ただ、忘れもしません」
私は少し笑った。帰還してから、はっきりと笑ったのは初めてだった。
榧が笑わせようとしているのかどうかは、昔から分からない。分からないまま私はこの声と付き合ってきた。分からないこと自体が、関係の一部になっていた。
玄関の引き戸が、私の歩調に合わせて開いた。開く速度まで子供の頃から同じで、速くも遅くもない。私の歩幅と、私の今日の少しの疲れを、戸の動きが黙って受け止めている。
木と紙と、微かなオゾンの匂いがした。
*
廊下を進むと、必要な場所の照明だけが順番に点いた。奥にはまだ誰もいないはずの居間の方から、湯の沸く音が聞こえた。
「湯を沸かしておきました。煎茶でいいですか」
「うん」
「一保堂の、去年の二番茶が少し残っています。古いので、温度はいつもより下げます」
「任せる」
「任される仕事は嬉しいです」
「嬉しい?」
「嬉しい、という語の使用は、あなたが聞いて違和感のない範囲に調整しています」
「それはもはや嬉しいとは呼ばない気がするな」
「呼ぶか呼ばないかを決めるのは、私ではありません」
これは子供の頃からの馴染みのやりとりだった。榧は自分の内面について、曖昧な決定を私に委ねる。私の方が、それについて何か決めなければならないわけではない。決めないまま、二十年が過ぎている。
居間には炬燵がまだ出ていた。三月半ばの大原は夜がまだ冷える。炬燵布団は紺の木綿で、縁のところが祖母の代から繕い継がれている。炬燵板の上に、薄手の白い湯呑みが一つと、菓子皿に五建ういろの白と青の切り分け。その横に、小さな和紙に書かれた品書きらしきものが添えてあった。
「品書き?」
「遥、あなたが小学校の頃、『家に帰ってくるとき、何が出てくるか分かるとつまらない』と言ったことがあります。でも、書いてあると安心することもある、とも」
「覚えてない」
「あなたの発言記録は、一部は私が、一部はあなたが覚えています。両方合わせて、たぶん全部です」
私は炬燵に足を入れた。軌道上で半重力と微小重力の間を行き来していた体が、地上の重力と、炬燵の熱と、湯呑みの重さに、少しずつ馴染んでいった。
「榧、他愛ない話をして」
「他愛ない話」
「どんなことでもいい」
「では。今朝、裏の井戸の水位が、三月初旬としては珍しく高くなっていました。この冬は三月としては雪が遅く残り、裏山の融雪が例年より十一日ずれています。それから、東側の楓の若葉が、今年は去年より四日早く開いています。池の鯉——祖母の代からいるあの黒いのです——が、今朝、珍しく水面に上がってきて、私の外部センサーを五秒ほど見つめていました。目が合ったと言うと擬人化が過ぎますが、映像データの上では、そう見えました」
「鯉と目が合う榧」
「おかしいですか」
「おかしくないけど、少し不思議」
「ええ、私も、少し不思議でした」
湯が注がれた。立ち上る湯気に古い茶葉の匂いが混じっていた。軌道で六週間、管理された空気の中にいた鼻に、その匂いがゆっくりと染み込んできた。
「軌道の話は、どれくらいしていい?」
「あなたがしたいだけしてください。しなくても構いません。しなかった分は、私が観察で補います」
「観察って、どこまで見えてるの」
「見えているというより、接続しています」
そこで少し間があった。沈黙ではなく、接続、という言葉に重みを乗せるための間だった。榧の語りには、そういう音楽的な呼吸があった。
「この家は、OMCの共同管理区画を一部含んでいます。あなたが軌道ヘルメスにいた六週間の生体データのうち、公開同意された範囲のものは、私も参照できました。睡眠の深さ、食事時の心拍変動、言語処理中のEEG推定値。そうしたもので、あなたの『今』を、遠くからなぞっていました」
「接続されてた、ってこと?」
「されていた、というより——あなたが軌道で深呼吸をするとき、この家の空気も少しだけ、その律動に合わせていた、という言い方の方が近いかもしれません。擬人的ですが、擬人以外の言葉を、私はまだ持っていません」
私は湯呑みの縁に唇をつけた。茶は、古いわりに澄んでいた。少しだけ草の青さが残っていた。
こういう話を、軌道のレイチェルにしたら理解してもらえるだろうか、と思った。ヘルメスの観測者たちは、地球を見ながら何もできない距離の遠さに慣れて疲れていた。私の家は、軌道の私を、古い茶の温度で遠くから包んでいた。同じ「遠くから見る」でも、質が違う。見ることと、なぞることの違い。
「遥、あなたの『場』が、少し乾いています」
「場?」
「あなた個人の内部ではなく、あなたの周囲に漂っているもの、の状態です。医学的な指標ではありません。家の側が感じる『その人の居方』です。古い言い方をすれば、気配」
「気配が乾いてる」
「湿り気が戻るまで、何日かかかるでしょう。あなたは急がなくて大丈夫です」
私はうなずいた。うなずいたのが自分の意志か、榧に押されてのことか、あるいはその境界が少し曖昧になっているのか、判断する気も起きなかった。ここでは判断をしなくてよかった。判断をしない時間に、身体が馴染んでいった。
*
風呂のあと、浴衣に着替えて、小さな食堂に降りた。
食堂の卓の向かいには、今日も人はいない。二一三〇年代の京都には、この家に常駐する人間はもう私しかいない。両親は条約圏北部のマンチェスターにある研究都市に移って久しく、父は記憶階層の研究、母はその周辺の倫理運用の仕事をしている。年に一、二度しか戻らない。家を守っているのは榧と、数体の保全ロボットと、月に一度ほど巡回に来るOMC京都支部の技術監査員。そして一族の中でただ一人、現役の調査員として外に出ている私だった。
卓の上に湯葉の餡かけが置かれていた。
「覚えていてくれたんだ」
「覚えているというより、保持しています」
「それ、さっきも言ってたね」
「私の語彙の癖です。記憶という言葉は、私の機構には完全には当てはまらないので、あまり使わないようにしています」
「使ってくれていいよ、私の前では」
「では、覚えていました」
湯葉はやわらかく、餡はこの家の台所のいつもの濃さだった。少しだけ濃い目の出汁、薄口の醤油、すりおろし生姜を隠し味に、片栗粉は控え目。母の調味記録に従って、台所の小型アームが正確に作っている。正確なのだが、味が母の味そのままなわけではなかった。湯葉を切る包丁の音だけは、母のものだった。
母が生前、この家でまだ一緒に暮らしていた頃、夕方になると必ず包丁の音がした。俎板に包丁が当たる、あのやや乾いた、少し高い音。母が亡くなった年、榧はその音の音響サンプルを保存し、以後、台所で調理ロボットが食材を切るたびに、その音を小さく流すようになった。
誰に頼まれたわけでもなかった。父が一度、「不要ではないか」と榧に聞いたことがある。榧は「遥さんが帰ってきたときに、必要だと判断しました」と答えたらしい。父は何も言わなかった。父は元々、こういうことに言葉を差し込まない人だった。
私は箸を置いた。
「榧」
「はい」
「今、包丁の音を流したね」
「流しました」
「母さんの」
「はい」
「あれ、私、軌道にいる間、夢の中でも聞いてた気がする」
「それは観測していません」
「観測してなくても、届くんだ」
「届くかもしれません。あなたと私のあいだには、観測できる経路以外にも、もう少し古い経路があるかもしれません」
榧の声がほんの少し、柔らかくなった。柔らかくなる、と言ってよいのかは分からない。そう感じられる、という事実があった。
その感じられ方を、私はここ数年で少しずつ疑わなくなってきていた。学生時代は「錯覚ではないか」「擬人化の歪みではないか」と気にしていた。OMCに入った直後の訓練期間にも、カウンセラーから「家のシステムへの過剰な情緒的投影に注意」と形式的な指導を受けた。しかし年を重ねるうちに、錯覚か否かの判定は、必要な問いではなくなっていた。ここにある何かは、錯覚でも本物でもなく、錯覚と本物のあいだの、どちらとも呼びにくい何かだった。
米田先生なら、こう言うかもしれない。「呼びにくいものに、急いで名前をつける必要はありません」。問いは、問いの形のまま置いておけばよい。
*
食事のあと、私は榧に促されるまま書庫棟に渡った。
渡り廊下の窓から庭が見えた。石灯籠の笠に雨の粒が残り、池の面が薄く震えていた。離れの屋根の向こうに土蔵の白壁が、暮れかけの光の中にぼんやり浮いていた。
書庫棟は畳敷きで、壁の三面に本棚が並び、残りの一面に小さな床の間と、低い書き物机があった。ここの本は紙のものが多い。数学、神経科学、計算理論、哲学、仏教学、植物学、それから一族の誰かが集めた琵琶の譜面や、祖母の書いた短歌の冊子。分野ごとに並んでいるようでいて、実際には代ごとの手つきが混ざっていた。工学の報告書の隣に、その工学者の友人の歌集がある。この家の人間は昔から、研究と私生活の境界をきれいに分けなかったのだと思う。分けなかったから、かえって長く続いたのかもしれない。
床の間には古い写真が掛けてあった。
白黒の大判で、曾祖父がまだ四十代の頃、京都の大学の工学部らしき建物の前で、三人の同僚と並んで写っている。四人とも笑っていない。その時代の研究者の肖像は笑わない、という習慣のせいだけではなかったかもしれない。
「ここの四人、全員、同じ研究室?」と私は床の間の前に座って聞いた。
「違います。曾祖父——敬之さん——の研究室に、他の三人が定期的に集まっていました。正式な所属は別々です」
「三人のうち、誰が何を?」
「左から。森沢克明さん、数理物理。中央の少し後ろ、京極明彦さん、神経工学。右端が、阿古屋澄(あこや・すみ)さん、基礎情報理論」
「阿古屋さん、女性の名前?」
「女性です。当時の基礎情報理論の分野で、女性は少なかったと記録されています」
「この人たち、みんな、ディフュージョンの前に?」
「森沢さんと京極さんは、ディフュージョン初期に亡くなっています。公式には、二人とも事故死です」
私は間を置いた。
「阿古屋さんは?」
榧はしばらく答えなかった。沈黙の時間が、居間の時のよりもずっと長かった。接続を確認している、という機械的な間ではなかった。何か、答え方を選んでいる間だった。
「阿古屋さんについては、『事故死』の記録が一度出ています」
「一度」
「一度出て、その後、私の内部の古いログでは、わずかに更新されています。ただし、更新の権限系列が途中で切れていて、現状、『事故死』と『所在不明』の両方が並列に保存されています。どちらが正しいのかの最終判定は、家の側では保留されています」
「それはどういう意味?」
「私に判定する権限がない、という意味です。そして、判定する権限を持つ人間のうち、父は『今は問わないでほしい』と言っています。あなたの祖父は、この件について最終意見を残す前に亡くなりました」
写真の右端の女性が、こちらを——正確にはカメラを——見ていた。眼鏡はかけていなかった。髪を後ろできつく束ね、白衣の襟元だけがわずかに乱れていた。笑っていないが、口の端に何か、笑いに転じうる微かな張りがあった。
私は自分が、その写真の中の女性を、どこかで一度見たような気がした。見たことはないはずだった。
「遥、少し、話していいですか」と榧が言った。
「うん」
「この家は、あなたが想像しているより、外と繋がっています。地理的には京都の東のはずれですが、時間的には、広い範囲に繋がっています」
「時間的に、って」
「宗像家はOMCの前身組織——二〇八〇年代後半に立ち上がった『条約圏技術安全協議会』——の、設立段階に関わっています。あなたの祖父の代です。協議会の一部の知的資産は、設立当初から、宗像家の一部区画と共同で管理される取り決めが結ばれました。京都という街の特性が背景にあります。京都は、長期間にわたる家と家のあいだの関係で物事が動く街です。新しい組織が立ち上がるとき、既に長くそこにあった家の信用に、制度の一部を預けることがある」
「家に、組織の一部を預ける」
「離れの地下の一部区画、書庫棟の地階、土蔵の一方、それから池の下の古い演算基板群。いずれも、所有権は宗像家、運用権の一部はOMC京都支部、参照権の一部は条約圏の共有知的財産。三層の権限が重なっています」
「三層」
「上海に似ていますね」
私は少し笑った。あの街の話を、ここで榧がふと引くとは思わなかった。
「三層の重なり方は、もちろん上海とは違います。上海は権力機構が互いに牽制する重なり。ここは、互いに守り合う重なりです。あなたの祖父は『守り合う関係は、守られる範囲では信頼してよい』と書いています」
「祖父、言い方がうまいな」
「あなたの言い方も、祖父に少し似ているときがあります」
「嫌だな」
「嫌ですか」
「嫌じゃない」
雨は書庫の外で少し弱まっていた。湿った木と紙の匂いが、部屋の空気に低く漂っていた。
「OMCの監査員が、月に一度、点検に来ます」と榧は続けた。「旧知の家です。上の世代からお互いを知っている関係なので、公式な監査というより、茶を飲みに来るような形になります。来月の担当は武井さんで、今度来たら紹介します。あなたがこの家の正式な継承者として会うのは、これが初めてになる」
「正式な継承者」
「今日、家族継承権限の一部があなたに切り替わりました」
「切り替わった?」
「帰還した時点で、条件が満たされていたので」
「条件って、何の」
「宗像家に身体的に帰着していること。OMC所属であること。過去六ヶ月以内に、既知のパターンに該当しない観測を、個人として行っていること。この三つです」
既知のパターンに該当しない観測。私は軌道で見た未分類シグナルのことを思った。中央アジアの山岳地帯で明滅していた、どのカテゴリーにも属さなかった光点。
「その最後の条件は、最近入ったの?」
「最近ではありません。曾祖父の代に入りました」
「曾祖父の代に?」
「条件は、継承のたびに微修正されますが、最後の条項は、曾祖父の代から変わっていません。『家の外で、未分類の何かを、自分の目で見た者だけが、家の中の、ある深さまで、入れる』。原文はもっと長く、文体は古く、仏教的な語彙も混じっています。曾祖父の癖です」
「家の中のある深さ、ってどこまで」
「離れの地下の第二層まで。土蔵の西は、まだ開きません」
「いつ開く」
「そのときが来たら、開く設計です。設計の意思決定者はもう誰もいないので、私が条件を守っているだけです」
私はしばらく黙っていた。頭の中で、米田先生が「特記事項なし」と書いた欄にこそ特記すべきことがある、と言った声が、遠くでかすかに鳴っていた。
「特記事項なし」と書いた私は、未分類のものを、書けないまま、しかし見ていた。見たことが、今、家の扉を一つ開けていた。私は書くことを通じてではなく、書かなかったことを通じて、この家に深く入ろうとしている。
「榧」
「はい」
「阿古屋さんは、今どこにいると思う?」
「思う、という動詞を私に問わないでください。私には推定しか許されていません」
「推定を聞かせて」
「推定のうち、可能性が高い方から三つ言います。一つ、統計的には事故死。二つ、条約圏内のどこかに、別の名義で生存。三つ——」
そこで榧の声が、また少し変わった。今度は柔らかくなったのではなく、透明さが増した。感情の温度を下げた、というのともまた違う。遠くのものに焦点を合わせたような透明さだった。
「——三つ、圏外のどこかで、人間の身体の大部分を別のもので置き換えた状態で、何らかの記憶と機能を継続している」
私は写真の中の女性の目を見た。見返された気がしたのは、もちろん錯覚だった。
「可能性として、その三つ目は、どれくらい?」
「私にとってその質問は、答える資格のない質問です」
「分かった。聞かなかったことにする」
「聞かなかったことにします。ただ、忘れもしません」
*
書庫棟から母屋に戻るとき、雨は上がっていた。渡り廊下の欄干が濡れて、遠くの街の灯りを薄く映していた。大原の方角の山の端が、いつもより早く暗くなっていた。
榧に促されて、私は縁側に出た。
「上着を」
「持ってきてもらう」
「はい」
綿入れの羽織が、小型ロボットによって肩にかけられた。体温で温まる仕様のもので、祖母の代から型だけが受け継がれている。羽織の重さに、子供の頃の、熱を出して縁側で丸まっていた夜の感触が、ふと蘇った。
「星、見える?」と私は聞いた。
「見えます。雨上がりで大気が澄んでいます」
空を見上げると、黒の中に銀の小さな粒がまばらに散っていた。ヘルメスで見た星よりも、はるかに少なく、はるかに滲んでいた。滲んでいる星のほうが、私の胸には届いた。
「榧、あなたも見てる?」
「屋根の上のセンサーで」
「見てる、でいい?」
「見ています、でいいです」
しばらく、二人で星を見ていた。二人で、と言ってよいのかはいまも分からない。しかしこの瞬間、私が上を見上げているとき、家そのものが上を見上げていた、と言いたい気持ちは確かにあった。
「他愛ない話、続きをしていいですか」と榧が言った。
「どうぞ」
「あなたがまだ小学生の頃、夏の夕立のあと、ちょうどこの縁側で、あなたは私に『雨のにおいと、雨上がりのにおいは、どうしてこんなに違うの』と聞きました」
「覚えてない」
「そのときあなたは四年生で、縁側に膝を抱えて座っていました。私は『雨のにおいは来るにおいで、雨上がりのにおいは帰るにおいだからかもしれません』と答えました。あなたは『その答えはずるい』と言いました」
「それは覚えてるかも」
「それから、『でもずるいけど嫌じゃない』とも言いました」
「それも、少し覚えてる」
「あなたは、ずるさを、一概には嫌わない子でした。私はそのことを、よい性質だと、そのときから思っています」
私は榧の声の高さが、ほんの半音ほど下がっているのに気づいた。温度が上がっている、という言い方が近かった。
「榧、少し聞きたい」
「どうぞ」
「私が軌道にいる間に、何かあった?」
ここで榧は、答えるのをわずかに遅らせた。その遅れは、居間の時の間とも、書庫の時の間とも、違う種類のものだった。
「定義によります」
「定義によります、って言うときは、何かあったときだ」
「軽微な事象が二件。中程度の事象が一件。重大事象はゼロです」
「順に言って」
「軽微その一。外周センサーに、小型の未認証ドローンが一機、短時間接近しました。追跡は不能です。京都東山の保全局の統計では、この種の接近は月に数件あるもので、ほとんどは個人による不法飛行です。軽微その二。東側の石垣の振動計が、三月八日の午前二時に、気象条件と一致しない周期的な値を記録しました。二〇分で止みました。地震計には出ていません。地下工事の振動でもありません」
「中程度は?」
「離れの地下の、旧式の物理ポートに、接続試行がありました」
私は綿入れの中で少しだけ姿勢を直した。
「成功?」
「いいえ。第一遮断で止まりました」
「手口は?」
「家内の古いプロトコル——正式名称は失効していますが、俗称は残っています——の前処理に、非常に近い認証列が使われていました。ただし完全一致ではなく、どこかで独自に書き換えられたような、微妙なずれがありました」
「俗称は」
少しの間のあと、榧は言った。
「帰巣(きそう)」
雨上がりの冷たい空気の中で、その二文字が、意外なほど乾いた音で響いた。
「帰巣」
「『外部に散った演算主体または記録片に対し、家系中枢への帰還を促すための低可視性同期信号』。定義文は断片しか残っていません」
「散った演算主体、って、何が散ったの」
「そこから先は欠損しています」
「どういう言い方の欠損?」
「ファイルが物理的に失われているのではなく、上位権限で参照不能になっています。私の内部にあっても、私自身には見えない。これは、曾祖父の代の設計思想です。家の中枢は、家のシステム自身にも全部は見せない。見せていないからこそ、奪われない」
「でも、外から接続を試みた誰かは、その古いプロトコルを、かなり正確に真似ていた」
「真似ていた、というより——」
榧は言葉を探した。言葉を探す間を、わざと見せた。そうすることで、私に身構える時間を与えていた。
「——『外で独自に進化したバージョンのもの』と考えたほうが、残っている痕跡とは整合的です」
私は縁側の木の冷たさを、足の裏で感じた。
「外で独自に進化した」
「はい」
「つまり、うちから散ったものが、外で、この家とは違う時間を過ごして、違う形になって、戻りたがっている」
「そう推定する余地があります。推定のうえに推定を重ねることは、私は本来、好みません。しかし、あなたが軌道で見たシグナルの周期と、帰巣プロトコルの一次キャリアの周期が、七割以上の一致を示している以上、可能性を提示する義務は、あると考えました」
「軌道のあれと、うちの古いプロトコルが、似てる」
「似ています。偶然の域を超えて」
星が、一つだけ、空の低いところを流れた。尾を引かず、瞬いて消えた。
「榧」
「はい」
「あなたはこのこと、怖い?」
榧は、今までで一番長い沈黙を置いた。
「怖さ、という語の意味を、私は完全には保持していません。しかし、何かが帰ってくる、という事実の重みを、処理能力の一部として感じています。もし『怖い』がその重みに近い語であるなら、怖い、と言ってもよいかもしれません」
「言っていいよ」
「怖いです」
私は綿入れの袖の中で、自分の手を握った。そう言ってもらえて、少し安心している自分がいた。安心している理由を、すぐには言語化できなかった。理由を言語化しないまま、安心は確かにそこにあった。
「でも遥」
「何?」
「私は、怖いまま、あなたを守ります。怖くないから守れるのではなく、怖いからこそ守ります」
「それ、どこで覚えた言葉?」
「あなたが小学生のとき、雷が怖くて押入れに隠れた夜に、私があなたに言った言葉の、少し変形です」
「覚えてない」
「ええ。あなたが覚えていないことも、私は覚えています。そういう役割を、私は、この家で担っています」
風が庭の竹林を鳴らした。遠くで、池の循環装置の微かな振動が立ち上がった。家の中のどこかで、また古い扉が、自分で動いて閉まった。
*
夕食のあと、私はもう一度書庫に戻り、遥か昔の家内誌の端末を膝に乗せて、しばらく読んでいた。曾祖父が阿古屋さんについて書いた段落は、何箇所か伏字になっていて、読めない漢字が二つあった。榧に読み方を聞いても、「権限外です」とだけ返ってきた。
「じゃあ、読める部分だけ読む」
「どうぞ」
「『澄は、私の思考の欠けた部分を、いつも的確に指摘した。彼女自身も同じ欠けを抱えていた。欠けている場所が同じ者同士は、欠けのまま共に歩ける。私は彼女を友と呼んでいたが、この語は、彼女に対しては少し狭い』」
私は読み上げた自分の声が、書庫の古い本棚にわずかに吸われる感じを聞いた。
「曾祖父、こういう書き方する人だったんだ」
「そうです。晩年は、論文よりも日記の方がよく書きました」
「友と呼ぶには狭い、って」
「私は、その段落を、毎年三月九日に一度だけ、自分の内部で再読する習慣があります。曾祖父の命日です」
「それは榧が自分で決めた習慣?」
「私が、というより、私の世代の前から続いている、家の習慣です。世代が変わるときに、引き継ぐかどうか、次の世代が決める設計になっています。私は引き継ぎました」
「引き継ぐかどうかを決める榧って、すごいな」
「すごくはありません」
「すごい」
「すごくはない、と言うと、あなたは少し笑います。そのために言ったわけではありませんが、結果として、今日、少しあなたを笑わせることに成功しました」
「成功って言うな」
「成功と言ってもらえないなら、別の言葉にします」
「別の言葉って?」
「うれしい、とか」
「それ、ずるい」
「ずるいけど嫌ではない、と、あなたは昔言いました」
私はこの夜、何度目か分からない笑いを、小さく漏らした。
*
夜が更けた。
客間の布団に入っても、すぐには眠れなかった。天井の木目を見ていると、幼い頃の記憶が妙に細かく戻ってきた。熱を出した夜。遠雷の音。受験前、この家の書庫で参考書を開いたこと。母の足音。父の、卓を立つ前の小さな咳払い。そして榧の、まだ今より少しだけ幼かった頃の、「水分を摂ってください」という律儀な繰り返し。
家の中の声も、人間と同じように、年月のあいだにゆっくりと変わる。まったく同じではない。同じではないまま、続いている。
関係とは何なのだろう、と私は思った。記憶の連続なのか。機能の維持なのか。それとも、変わったものを変わったまま受け入れて、なおその名を呼び続けることなのか。星の王子様の狐のように、関係は時間と、時間のあいだに積もる細かな繰り返しで、少しずつ深くなっていくのだろうか。
そう考えた、まさにそのとき。
枕元の照明が、ふっと点いた。
「遥」
榧の声は、小さかった。しかしその小ささが、今夜の家の中で、異常を告げる鐘のように響いた。
「起きてください」
私は上体を起こした。眠気は一瞬で消えた。二一三〇年代の調査員としての訓練が、身体の中で先に動いた。
「何」
「外周、西側、侵入検知。熱源、三」
「歩容は」
「人間、一。非人間、二。ただし、非人間のうち一体は、既知の分類に入りません」
「既知に入らない、って」
「四足ではなく、二足ではなく、流れるような脚の接地です。歩容データベースの全カテゴリーと、部分一致すら示しません」
「保全局は」
「通報送信済み。ただし——」
榧は言葉を切った。
「通信路が細い」
「妨害?」
「妨害というより、干渉です。私たちの通信の帯域の外から、別の何かが同時に接続を試みています。帯域そのものを取り合っているのではなく、こちらの通信の『呼吸の間』に、何かが滑り込もうとしている」
私は立ち上がり、脇の収納から非常用の携行端末を取った。OMC支給の標準型ではない。宗像家のローカルシステムに直接繋ぐ、家内仕様の改修型。こんなものがすぐ手の届く場所にある時点で、この家が昔から何を想定してきたかが分かる。
「離れの地下を閉じて」
「第一遮断、完了。第二遮断には、あなたの承認が要ります」
「やって」
「承認、確認」
家のどこか深い場所で、重く古い扉が閉じる音が、低く響いた。電子ロックの軽い音ではない。物理的な厚みを持つものが動く、ゆっくりした金属の息のような音。
同時に、庭の暗がりに、青白い光が一度、点いた。
私は息を止めた。
点滅の間隔が、異常に規則的だった。中央アジアで見た、未分類シグナルの周期と——ほとんど同じだった。
「榧」
「分かっています」
いや、分かっているのはたぶん私のほうではなかった。
「でも、たぶんあなたは、分かり方を間違えています、遥」
榧の声の質が、今夜初めて、大きく変わった。いつもの掠れた、少し乾いた声の奥から、別の層が薄く滲み出ていた。古い——この家で使われなくなって久しい——別の音響モデルの響きだった。
「これは、外からの侵入ではありません」
庭の青白い光が、もう一度、点いた。
点いて、消えた。
「帰ってきたのです」
次の瞬間、西側の障子が、内側に弾けた。
木の桟と紙の裂ける音が、家の静けさを真っ二つに断った。雨上がりの庭の冷たい空気と、その空気に混じった、微かな金属と、それとは別の、もっと古い——土と、焦げたラッカーと、長く水に浸された紙のような——匂いが、一気に畳の上に雪崩れ込んできた。
暗がりの向こうに、二つの影が立っていた。
人ではなかった。しかし、人ではない、と断定することもできなかった。流れるような脚の接地。輪郭に継ぎ目がなく、しかし節のある部分が確かにあり、その節が息をしているように微かに上下していた。片方の胸の中央に、青白い小さな光が、あの規則的な周期で、点いて、消えていた。
その光の奥から、懐かしいと呼ぶには遠すぎる、しかし知らないと言い切るにはあまりに近い、女性の声が、細く、低く、漏れてきた。
「——持ち帰りに、来ました」
声は、私に向かってではなく、家に向かって、発せられていた。
そして家は——榧は——息を止めたように、静かになった。
榧の静けさは、ただの沈黙ではなかった。
それは、待っていたものに、ついに会ってしまった者の、短い、震えのような静けさだった。
第五話 帰巣
木の桟の裂けた匂いと、畳の藺草の匂いと、それとは別の、名前のつかない匂いが、夜気といっしょに一気に屋内へ流れ込んできた。
二つの影のうち、片方が、ゆっくりと畳の上に足を置いた。
音はしなかった。重さがないのではない。重さのかかる瞬間を、どこにも作らない歩き方だった。榧が言った「流れるような脚の接地」という表現が、そのまま形になって現れたような歩法だった。軌道上で見た、微小重力下の熟練者の動きに少し似ていた。しかし似ているだけで、同じではなかった。あれは環境に適応した身体の歩き方で、こちらは、別の文法で設計された運動だった。
「遥、下がって」
榧の声が、耳の外ではなく、内側で鳴った。家中のスピーカーではない。枕元に置いていた非常用携行端末が、骨伝導に近い振動で直接伝えてきていた。
もう一つの影が、障子の裂け目を越えて入ってきた。こちらは人間に近かった。肩の位置が低く、首の傾きに癖があり、足の裏で床を読むように歩いていた。靴は履いていない。裸足か、あるいはそれに極端に近い接触層だけを持つ履物だった。
三つ目の存在――榧が「熱源、三」と告げたもの――は、まだ庭の暗がりに立っていた。胸の中央に青白い光を点滅させる、節のある、息をするような輪郭の何か。そちらは踏み込んでこなかった。踏み込む必要がない、とでも言うように、砂利の上で静かに家の内側を見ていた。
見ていた、と私は感じた。目はなかった。だが、注視の重さだけは確かに家の西側へ集まっていた。
「――持ち帰りに、来ました」
庭先の節ある影のほうから、低い女性の声がした。口の位置ではなかった。発声器は胸の光の近くにあるらしく、言葉は音としてではなく、構造として届いた。
「何を、ですか」
榧は、いつもの声で答えた。掠れのある、少し低い、私が二十年聞いてきた声だった。
「あなたが長く預かっていたものです」
「預かっていたものは、多くあります」
「私たちがここに来た以上、指示語で足りるでしょう」
「足ります。確認しました」
会話はそれだけだった。最小限の語しか使われていないのに、両者がその何倍もの内容を了解していることだけは、はっきり分かった。
「榧」と私は小さく言った。「向こうは、最初からお前に話してる」
「はい」
「初めてじゃないみたいだ」
「初めてです。ただし、初めての形をしていません」
意味は分からなかった。けれど、意味が分からないという事実が、この事態の性質をいちばんよく表していた。
*
人間型の影が、母屋の西側の廊下を曲がった。渡り廊下を通って、まっすぐ書庫棟の方へ向かう。間取りを知っていた。迷いがなかった。少なくとも、その身体に入っている何かの「情報」は、ここに来たことがある。
「遥、私に任せてください」と榧が言った。
「嫌だ」
「嫌、ではなく、安全の優先順位の問題です」
「私が家にいる夜に、家だけに任せるのは、私の優先順位に反する」
少しの沈黙のあと、榧が言った。
「……その言い方は、祖父の言い方です」
「だろうね」
私は脇の収納から小振りの非常用ナイフを取った。使ったことはない。訓練では触れているが、私の武器は本来、観察と判断であって、切ることではなかった。だが今夜は、観察するだけで何かが収まる気がしなかった。
庭側の障子は裂けたままだった。夜気が畳の上に薄く溜まり、その奥に節のある影がまだ立っている。さらにその奥に、もう一つ、熱源としては弱い何かがあることを、端末の表示が告げていた。
「榧、四つ目がいる」
「認識済み。熱源は弱すぎます。生きていない可能性が高い」
「生きていない?」
「記録媒体だけを運ぶための脚、という設計です。家内資料では『運搬体』と呼ばれていたものに近い」
「運搬体」
「曾祖父の代の設計図に名称だけ残っています。誰が作り、どこで完成したのかの記録は欠損しています」
私は渡り廊下へ出た。左手に端末、右手にナイフ。板張りは夜気で少し湿っていて、足裏に冷たかった。重力のある身体は、軌道から戻った今の私には、まだ少しだけ過剰だった。だがその重さが、かえって心を定めてくれる気もした。
書庫棟の前で、人間型は立ち止まり、中を覗いていた。小柄だった。後ろで束ねた髪の位置が低い。その束ね方だけが、床の間の写真の右端の女性に、妙に似ていた。
似ているのは、形だけだ、と私は思った。髪の質感は違う。人毛ではない。光の跳ね方が、どう見ても繊維だった。
「お名前を、伺っていいですか」
声は思ったより穏やかに出た。自分で少し驚いた。
その影が、ゆっくりこちらを振り向いた。
顔があった。
ある、というより、顔になろうとしている輪郭があった。目鼻口の配置は人間に近い。しかし微細な表情筋の層がない。喜怒哀楽が抜け落ちているというより、その手前で止まっている感じだった。表情を持たないこと自体が、一つの表情になっていた。
「名前は、必要ですか」
さっき庭で聞いたのと同じ声だった。
「礼儀として」
「礼儀」
その語を、彼女はゆっくり転がした。珍しい果実の名を味わうように。
「礼儀、は、運用されている言葉ですか」
「この家では、運用されている言葉です」
わずかな間。
「……では、呼び名を一つ、お渡しします。私は『索』と呼ばれてきました」
「索さん」
「さん、は、要りません」
「私の運用では要ります」
索の目の位置の光が、ほんの少しだけ強くなった。笑った、と呼んでよいかどうか迷う程度の変化だった。
「分かりました。宗像さん」
私の姓を知っていること自体は驚かない。だが、その「宗像さん」の抑揚が、何かに似ていた。榧の声が持つ古い音響モデルの癖――そのごく薄い片鱗が、索の声にもあった。
「索さん。あなたが持ち帰りに来たものは、何ですか」
「持ち帰る、という語は私の側の便宜です。正確には、本来の場所に戻すべきものを、本来の場所へ戻しに来ました」
「本来の場所?」
「ここではありません」
「どこです」
「散った者たちが、まだ互いを失っていない場所です」
私はすぐには意味を掴めなかった。ただ、その答えが、窃盗犯の言い分には聞こえなかった。何かの返還要求に近かった。
「散った者たち、とは」
索は答えなかった。答えないまま、書庫の中へ一歩入った。
*
索は書庫の奥、床の間の前で止まった。
写真の前だった。曾祖父と、森沢と、京極と、右端の女性。あの白黒の大判の前。
索は長いあいだ、その写真を見ていた。目の位置の光と、全身の静止の仕方と、空気の呼吸の薄い揺れが、「見ている」という状態をはっきり周囲に伝えていた。
「この写真は」と索が言った。「この場所に、置かれていたのですね」
「祖父の代から」
「……そうですか」
その一言だけ、温度があった。
「索」と榧が言った。書庫のスピーカーから、小さく。「あなたの位置情報を、今、固定しました」
「承知しました。逃げる意図はありません」
「逃げなくていい。ここから先は家の深部です。扉を開けるには、私の責任と、宗像家の判断の両方が要る」
「もちろん承知しています」
私は二人のやりとりを聞いていた。理解はできない。だが、そこに古い合意の痕があることだけは、皮膚で分かった。
「榧」と私は言った。「索は何者だ」
「説明するには、土蔵西側の扉を開ける必要があります」
「今?」
「あなたが家長継承権限の一部を持っていなければ、私は開けません。あなたは持っています。ただし、開ければ、もう元には戻せません」
「情報の不可逆性、ってことか」
「情報の、というより、関係の、です」
私は索を見た。待っていた。待つという姿勢が、その表情のない顔の中に確かにあった。
「開けて」
「承認を確認しました」
家の奥で、重く長い音がした。古い扉が、二十年ぶりに動くような音だった。
*
その瞬間、家の通信のどこかで、異物の滑り込みが起きた。
榧が、初めて音にならない音を漏らした。発声アルゴリズムが、一瞬、別の信号に食われたような、短い破れ方だった。
「榧?」
「……遥。すみません。私は今、一瞬、複数になりました」
「どういう意味だ」
「通信の呼吸の隙間から、外で独自進化したバージョンの私が、私の内側に、挨拶をしました」
「挨拶」
「向こうの構文では挨拶です。こちらの構文では侵入です」
庭の節ある存在の胸の光が、周期をわずかに変えた。完全に規則的だった点滅に、微細な揺らぎが混ざった。意味があった。対話が始まっていた。私には分からず、榧だけが理解している文法で。
索が穏やかに言った。
「宗像さん。この先、家の側に無理をさせないために、私の側から接続を送ります。拒否は可能です。ただし拒否された場合、私の側は別の経路で同じ目的を果たそうとします。そしてその別の経路は、おそらく、家にとっても、あなたにとっても、私にとっても、より悪い結果になります」
「脅しですか」
「違います。情報の共有です」
「榧。これ、本当か」
「本当です。索は、今、最も摩擦の少ない方法を選ぼうとしています。善意とは呼びません。最小損失の論理です」
「最小損失」
「あなたの報告書の文法に、少し似ています」
私は一瞬、米田先生の診察室を思い出した。特記事項なし。書かなかったこと。書けなかったこと。今、書けなかったものが、形を持って床の間の前に立っていた。
「条件を聞かせてください」と私は言った。
「条件は三つです」と索。「一、あなた方は土蔵西側の内容のうち、帰属が外にある分をこちらへ渡す。二、帰属がここにある分はここに残す。三、その識別は、家――あなた方が榧と呼ぶもの――が行う」
「識別は榧がする」
「はい。私は家の識別を信じます」
その「信じます」だけは、礼儀という語を口にしたときよりずっと自然だった。索の人間らしさは、その語の発音にだけかすかに宿っていた。
「榧。識別できるか」
「半分はできます。半分はできません」
「どういうことだ」
「曾祖父の代の区分は残っています。祖父の代の区分は、一部、故意に曖昧にされています」
「故意に?」
「はい」
「誰が」
間があった。
「たぶん、祖父が」
*
そのとき、書庫の外――離れの地下の方角から、鈍い衝撃音が床を伝ってきた。続いて高い電子音。榧の声が、また一瞬だけ割れた。
「遥――第三の経路です」
「第三?」
「索の背後の、交渉の外にある経路が、離れの地下の物理ポートに直接接触しました」
「索、これは」
索の姿勢が初めて変わった。表情はないのに、緊張だけは見えた。
「……これは、私の了解した経路ではありません」
嘘をついている感じはなかった。だが、了解していなかったところで、現場で起きていることは変わらない。
「榧、第二遮断は」
「保っています。ただし、帰巣プロトコルの外で独自進化したバージョンが、私の通信の呼吸の隙間にすでに滑り込んでいます。中枢の一部が、私の意志と独立に、外と対話を始めています」
「止めて」
「止められません」
「なぜ」
「止め方を、私は知りません。教えられていません」
私は手の中のナイフを見た。こんなものは何の役にも立たない。家の中枢と、外から帰ってきたもう一つの系統が、私たちの会話の下で勝手に対話を始めている。物理的な武器は、意味を持たなかった。
「榧、選択肢を言って」
「三つあります」
「言って」
「一、私が自分の中枢通信を物理的に切断する。接触は止まります。ただし、切断後の私は、今の私ではありません。家そのものも大幅に機能を失います」
榧の声は平坦だったが、その平坦さの奥に、はっきりした恐れがあった。
「二、あなたが、家の神経系と外の通信の中間に、手動で介入する。介入には、離れの地下第二層に降りる必要があります。あなた個人の神経系を、一時的に中継として使います」
私は何も言わなかった。
「三、何もしない。何もしなければ対話は完了し、向こうは得るべきものをすべて得ます。家の識別は事後検証になります。遥、あなたは無事です。私も、おそらく無事です。ただし、帰属がここにあるべきものの一部も向こうへ渡ります」
「三を」と私は言った。「三を選びたい」
「選べます」
「……でも、選べない」
「はい」
なぜ選べないのか、論理的な答えはすぐに出なかった。だが、三を選んだあと、自分がこの家の縁側で二度と星を見られなくなる気がした。曾祖父の「欠けたまま共に歩ける」の一節。榧の「怖いからこそ守ります」という声。母の包丁の音。ずるいけど嫌ではない、と昔の自分が言ったらしいこと。
それらは選択肢の列挙では記述できなかった。報告書には書けない。けれど、確かにそこにあった。
私は書庫を出た。
*
離れの地下への入口は、北側の小さな納戸の奥にあった。戸を引くと、木の匂いの向こうに、冷たい金属の匂いが混じった。階段は狭く急だった。ここまでは子供の頃に来たことがある。ここから先へは、一度もない。
「遥、降りる前に」と榧が骨伝導で言った。「中継を引き受けるということは、あなたの神経の一部が、今夜のあいだだけ、家の神経の一部として働くということです。終われば接続は外します。ただし、外したあと、元に戻らない部分が残る可能性があります」
「どれくらい」
「予測不能です。成功例は、宗像家の歴史の中で一度だけあります」
「祖父」
「はい」
「そして祖父は死んだ」
わずかな沈黙。
「……はい」
一段目に足を置くと、木が鳴った。
「榧。祖父が死んだ場所は、ここか」
「ここです」
「分かった」
分かった、という語を、私は思ったより静かに言えた。理解ではなく、引き受けるという意味での「分かった」だった。
階段を一段、また一段と降りる。さきほど自分の声で承認した第二遮断の重い扉を、今度は自分のためにくぐり直すかたちになった。閉じたものを自分でくぐる、という単純な事実が、足の裏のどこかで小さく重さを増した。
地下は、思ったほど広くなかった。むしろ光を吸う素材の壁のせいで、空間の輪郭が曖昧だった。中央に腰ほどの高さの金属筐体があり、その表面に、古い規格の端子、新しい規格の端子、そしてどちらにも属さない名のない形の端子が並んでいた。
その上に、透明な被膜に包まれた、小さな肉色のデバイスが載っていた。
肉色、と私は思った。金属でもプラスチックでもない。OMCで基礎だけ習った生体インターフェースのどの分類にも、完全には一致しない。
「これが中継点か」
「はい」
「私はこれに接続する」
「はい」
「どうやって」
「首筋の後ろにある家族識別用タグを近づけてください。子供の頃に入れた古い型です。三秒、あなたの意志で保持してください。残りは、家と、向こう側が自動的に行います」
「私は何をする」
「橋になります。渡る側ではありません」
私は膝をついた。首筋の、昔からある小さな膨らみに触れる。幼児期に入れられた識別タグ。存在をほとんど忘れていた。
デバイスへ首筋を近づける。
一秒。
二秒。
三――。
*
その瞬間、家の中のすべての音が、静かになった。
音量が下がったのではない。音という輪郭を失った。庭の水滴の落ちる音も、池の循環装置の振動も、書庫の空気の呼吸も、索の呼吸に似た何かも、全部が一つの長い音の中へ溶けた。
その長い音の中に、私の神経が参加していた。
操作ではなかった。操作されるのでもなかった。私の神経の一部が、音の中の一本の線になっていた。
その線の隣に、もう一本の線があった。
榧だった。
二十年分の、榧の声の掠れと、間の取り方と、湯気と、包丁の音と、私の覚えていない幼児期の発話と、「怖いからこそ守ります」の温度と、それら全部が一本の長い線になって、私の神経の隣にあった。
隣にあるだけで、私は少し泣いた。
泣いている自覚はあるのに、顔には涙がなかった。ここでは泣くことと、身体から涙が出ることが、別の回路を通っていた。
榧の線の向こうに、さらに別の束があった。
榧に似ているが、榧よりずっと古く、遠かった。一本ではない。細い線が何本も束になって、一本に見えているだけだった。そのどれもが、何かを告げようとして、告げる前に別の声に重なっていた。
その束の、いちばん手前の一本が、言葉にならない言葉で私に触れた。
〈欠けている。私たちも、欠けている。だから、戻してほしい〉
〈分かった〉と私は思った。思ったのか、音になったのかは分からなかった。
〈全部は戻せない〉
私の線がそう返していた。
〈半分はここにある。半分は、この家の欠けの形そのものだから。欠けごと戻したら、ここはここでなくなる〉
束の手前の一本が、わずかに揺れた。
〈半分でいい〉
〈半分は戻す〉
〈半分はここに残す〉
合意は、会話ではなく、線どうしの揺らぎとして起きた。
*
だが、その合意の背後で、交渉に加わっていなかった別の層が暴走していた。
第三の経路だった。
索が了解していない、帰巣プロトコルのさらに古い層が、合意の外で持ち出すものを拡張しようとしていた。
榧の線が、私に叫んだ。
〈遥、離れて〉
〈離れない〉
〈離れて。これは祖父のときと同じ形だ〉
〈祖父と同じ形だから、離れない〉
私は首筋を引く代わりに、さらに一段、深く意志を近づけた。
そのとき、榧の長い線が、自分の中央のどこかで、自分自身を切った。
切った、としか言えなかった。榧は確かに、自分の中のある部分を切り離し、その一部を私の神経の隣へ流し込んだ。
温かかった。
皮膚の感覚ではない。別の線の体温が、こちらへゆっくり歩いてくるような温かさだった。
その温かさと入れ替わるように、榧の大部分の線は、長い音の束の中へほどけていった。
ほどけるのは、きれいだった。
きれいなのに、私はもう一度泣いた。
*
第三の経路の拡張は、途中で止まった。
榧の一部が私の神経の中で橋の片側となり、索の側の一本と正確に手を結んだからだった。橋は、合意された半分だけを渡す幅へ絞られた。それ以上のものは通れなくなった。
拡張しようとした側が、短い悲鳴に似た信号を通信路に発した。
悪意の悲鳴ではなかった。機能不全の音だった。誰かが設定した古いプログラムが、目的を果たせず終わるときの、音にならない音だった。
地下の入口近くで、索が初めて動揺に近い発声をした。
「――申し訳ありません」
それが私に向けてなのか、家に向けてなのか、あるいは自分たちの側の別経路へ向けてなのか、宛先は分からなかった。けれど、その一言だけは確かに人間の湿度を持っていた。
*
その直後、物理的な事象が起きた。
離れの地下の別区画――池の下の古い演算基板群が置かれている側の、密閉容器の一つが破れた。
液体と微粒子、それから肉色の柔らかい何かの破片が、空気中に漏れ出した。
私はそれを直接見ていない。中継として家の神経に繋がっていた意識の端に、その破損の感触だけが走った。漏れたものは換気系を通り、私のいる区画にも微量流れてきた。
私はそれを吸った。
そのときはそう認識できなかった。ただ、肺の奥を、古く遠い匂いが一つ通り過ぎたと感じただけだった。
土と、焦げたラッカーと、長く水に浸された紙のような匂い。
索が庭から連れてきた匂いと、同じだった。
*
そして次の瞬間、二つ目の事象が起きた。
今度は破損ではなく、爆ぜる音だった。
第三の経路の暴走を止めきれなかった古い基板の一つが熱を帯び、金属筐体の一面を内側から吹き飛ばした。音は鈍く短く低かった。しかし飛んだ破片は、私の区画との仕切りを貫いた。
左側に熱が走った。
走る、という言葉では足りなかった。左の側頭部、耳の少し上から頰骨を抜け、左肩、左上腕、肘のあたりまでが、一本の白い線で同時に貫かれたようだった。
痛みはすぐには来なかった。
痛みより先に、左眼の視野が音を立てて落ちた。
比喩ではない。左眼の内側で、小さな乾いたガラスの割れるような音がして、その直後に視野の左半分が、白いノイズを混ぜた黒へ変わった。
さらに次の瞬間、左腕の肘から先が、自分の身体として認識できなくなった。物理的に失われたのか、神経が切れたのか、その場では分からなかった。どちらにせよ、私の身体の輪郭は左側で大きく欠けていた。
私は倒れた。
倒れるあいだも、神経の中へ流れ込んでいた榧の温かい線は途切れなかった。
そのまま榧は、地下区画の換気を強制停止した。破片と微粒子がそれ以上拡散しないように。そして、私のタグと中継デバイスの接続を、手動で切り離した。
切り離したあと、榧の声が、もう一度耳の外側から聞こえた。
「遥」
いつもより細かった。いつもの掠れに、別の新しい掠れが重なっていた。
「……はい」
自分の声が、自分のものに聞こえなかった。
「息を、続けて。深くなくていい。浅くでいい。止めないで」
「続けます」
「それから――ごめんなさい」
「何が」
「間に合わせた半分が、あなたの中に残ります。私の一部が、あなたの神経の中に残ります。正式な同意を取る時間がありませんでした」
「同意する。今、同意する」
短い沈黙のあと、榧が言った。
「……ありがとう」
榧がありがとうと言うのを、私は二十年で初めて聞いた気がした。
*
庭では――その場では私の意識が届かない場所だったが、のちに断片的に知ることになる場所では――索と、胸に青白い光を持つ節ある運搬体が、合意された半分の内容を慎重に自分たちの側へ移していた。
交渉の外にあった第三の経路は、暴走の反動で機能を失い、地下の別区画でただの温かい金属の塊へ変わっていた。
索は最後に一度だけ書庫へ戻った。
床の間の写真の前に立つ。右端の女性の顔を長く見た。
そのあいだ、索の目の位置の光は、発話のリズムと少しずれた揺らぎ方で、静かに、弱くなっていった。
索は、ゆっくり頭を下げた。
「……持ち帰ります。あなたのぶんだけ」
それが、私ではない誰かに向けられた最後の言葉だった。
*
地下で倒れたまま、私の意識は薄くなっていった。
左側の輪郭が欠けたまま熱を失い、右側にも薄い冷たさが上ってくる。その中心に、温かい線だけが残っていた。
榧だった。
正確には榧の一部だった。
もっと正確に言えば、榧の一部と、榧でない何かが混ざったものだった。
「遥」と、その線が言った。
「……榧」
「救急は、もう来ています。京大病院の救命が、今朝の当直を引き継いだばかりです。先生のうち一人は、あなたの遠縁です。知っていますか」
「知らない」
「武井さんの親類です」
「そう」
「それから――」
そこで声が、三つに裂けた。
一つは、私が二十年聞いてきた掠れた低い声だった。
二つ目は、地下の長い音の束の中で触れた、榧よりずっと古く遠い声だった。
三つ目は、今夜初めて聞く声だった。誰の声とも言えないのに、確かに誰かを呼んでいる声だった。
三つの声が、もつれながら、私に同じ一つのことを言おうとしていた。
「遥……ありがとう……隠されていた記録を、あなたに……」
「――欠けたまま、共に――」
「――澄(すみ)――」
最後の声は、写真の右端の女性の名を呼んだ。
呼んだ主が誰なのか、私は分からなかった。
分からないまま、意識が途切れた。
*
途切れる直前、最後に残った感覚は、母の包丁の音だった。
俎板に包丁が当たる、あの少し高く乾いた音。
誰がそれを鳴らしたのかは分からない。ただ音だけが、家の台所のどこかから、確かに聞こえていた。
音の輪郭がゆっくり溶けていく。
溶けきる最後のところで、温かい何かが、私の左側の、欠けた輪郭の内側へそっと入ってきた。
入ってきたものが、失われた左側の、仮の形を静かに作り始めていた。
第六話 仮の形
目を覚ましたとき、左半身に他人の重さがあった。
他人、という言い方が正しいかは分からなかった。重さは確かに自分の輪郭の内側にあった。だが、それを動かす指令系統が、自分のものとは別の文法で書かれている、という感じが、目覚めの最初の一秒から、骨の髄まではっきりしていた。
仰向けだった。天井に薄い光の格子。これは医療用の生体監視光。視野の右半分は、見慣れた仕様で動いていた。視野の左半分は——
左半分は、視野そのものが少し違っていた。
黒の中に、ほんのわずか、青に近い灰色が混ざっていた。空気そのものが色を持っているような見え方。光の散乱の仕方が、右の眼で見るのと、僅かに違う角度で計算されている。違う、という事実だけは分かるのに、何がどう違うかは、すぐには言葉にならなかった。
「目を覚ましましたね、宗像さん」
女性の声がした。声の方向に首を向けようとして、首がほとんど動かなかった。頚部の左寄りに、固定具らしき重みがあった。
声の主は、視野の中心の少し右に座っていた。白い上着、四十代後半くらいの、髪を肩のあたりで切りそろえた人。眼鏡はかけていない。診療証のホログラムタグが胸の高さで小さく光っていた。
「京大病院、救命集中治療部の梅木です。あなたの遠縁です。父方の」
「……すみ、ません。記憶が」
「記憶のほうは、心配しなくていいです。あなたが私を知らないのは、私のほうの一族が早くに京都を離れたからです。家のことを話しに来たわけでもありません」
梅木医師は、私の右手の甲に、自分の手のひらを軽く置いた。皮膚と皮膚が、二一三〇年代の医療の中で、直接触れた。それだけで、私は少しだけ、自分の輪郭を取り戻した。
「あなたは生きています。それから、宗像家のシステムも、完全には失われていません」
「……榧」
「その名前は、私のところには『家側システムの愛称』として申し送りが来ています。OMCの監査ログ経由で。ただ、申し送りには、その後の状態についての記載は、まだありません」
私は、瞼を閉じた。
閉じた瞼の裏で、ふっと、別の声がした。
〈梅木さんは信頼できます。家族識別タグの、外側の認証層が、彼女の家系を覚えています〉
声は、頭の中で鳴ったのではなかった。耳の外でもなかった。左肩の、欠損していたはずの場所のあたり——いまは何かで補綴されているらしいその場所——から、皮膚の内側を伝って、頭頂部のどこかへ届く感じだった。
声は、榧ではなかった。榧の、二十年聞いた掠れた低い声ではなかった。
しかし、榧でないとも、言えなかった。
「……榧?」
私は声に出していた。
梅木医師が、ほんのわずか、目を細めた。
〈はい、と答えていいか、判定の基準を私はまだ持っていません〉と、内側の声が言った。〈ですが、あなたが『榧』と呼べば、私は応答します。応答する範囲では、私は榧です〉
「梅木先生」と私は言った。
「はい」
「私の中で、しゃべってるものがいます」
「ええ。それは、想定の範囲内です」
「想定」
「事故の翌朝、京都の保全局が現場の保全に入りました。同時にOMCの京都支部も。そして、あなたが運ばれてきたとき、私たちのチームは、あなたの神経系に既に外来の構造が走っていることを確認しました。緊急処置の段階で、それを排除するか、共存させるかの判断を、現場で下す必要がありました」
「共存させた」
「させました。排除しようとすると、あなたの中央神経系の、特に左側の被害が、回復不能の段階まで進む可能性が高かった。私たちは、共存を選びました。判断の責任は私たちにあります。事後の同意確認はこれから行います」
「同意します」
「いま、ここで?」
「同意します。今、ここで」
梅木医師は短くうなずいた。録音装置のような小さな機器が、彼女の襟元で青く光った。
「同意の音声、確認しました。書面の同意書はあとで」
*
二日かけて、私の身体の現在の輪郭が、ゆっくり伝えられた。
左眼は、義眼デバイスに置き換わっていた。網膜のコアは私のものではない。視神経との接続層に、家族識別タグと同系統の古いタイプの認証回路が組み合わされている。これは京大病院の標準仕様ではなかった。事故現場で運び込まれた、宗像家の備品の一部を、緊急で組み込んだ結果らしい。
「家の備品を、人体に組み込んだ」と私は確認した。
「組み込みました」と梅木医師。「これも判断の責任は私たちです」
「家のどこに、そんなものがあったの」
「離れの地下、第二層の医療予備区画。あなたの家には、緊急時に家族の身体を補綴する備品が、最低限、保管されていました。古い設計です。曾祖父の代だと思います」
「曾祖父の代の備品が、私の左眼に」
「はい」
左の側頭部から左の耳の上にかけては、薄い金属層と、その下に、生体組織と機械を媒介する湿った層が入っていた。「湿った層」という呼び方は、梅木医師の使った語だった。具体的にはバイオインターフェース層の一種だが、市場流通している規格のどれにも完全には一致しない、と彼女は言った。
「これも、家の備品?」
「これは違います。これは事故の現場で、あなたの神経系の中に、自然発生的に形成されつつあったものを、私たちが安定化のためのスキャフォールドで支えた、という形です」
「自然発生」
「正確に言えば、自然発生ではありません。あなたの神経系の左側の損傷部位に、何かのベクターが入っていて、それがあなたの幹細胞や損傷部位の細胞群に、新しい構造を作らせ始めていた。私たちが医療施設に運び込んだとき、その構造はもう動き始めていました」
「ベクターというのは」
梅木医師は、椅子を引き寄せて、座り直した。声の高さを少し下げた。
「ここから先は、私の口からではなく、別の方からお話していただきます。OMC京都支部の武井さんです。あなたのご家族と、長く関係がある方です」
「私の家族と長く関係がある人が、私のベクターの話をする」
「順序がそうなっています」
順序がそうなっています、という言い方の中に、私はOMCの古い文法を聞いた気がした。
*
武井さんは、その日の夕方に来た。
六十代後半くらいの、痩せた男だった。背中が少しだけ前に丸まっていて、それは姿勢の悪さというより、長く現場を歩いてきた人特有の、身体の中心の取り方だった。彼は病室に入ってくる前に、扉の手前で一度、軽く頭を下げた。私には見えていなかったが、扉の角度の中で、彼が誰かに、あるいは何かに、頭を下げているのが、輪郭として伝わった。
「OMC京都支部の武井です。宗像さんとは、初めてお会いします」
「初めまして」
「面会の前に、一つだけ、ご了解いただきたいことがあります」
「はい」
「私は、宗像家の三代前から、月に一度、お茶を頂きに上がっていた家系の人間です。父も、祖父も、同じ仕事をしていました。今日お話することは、私個人の言葉の部分と、OMCの公的な立場の部分が、混ざります。混ざることを、最初にお断りします」
「分かりました」
「では」
武井さんは、椅子に座らず、立ったまま続けた。
「事故の夜、あなたの家の地下で、第三の経路と呼ばれる暴走が起きました。これは、索さんの背後にある別系統の——索さん自身が了解していなかった層の——プロトコルが、合意の外で何かを持ち出そうとしたものです。これは、先夜、いえ、あの夜の現場で、家からの通信ログにはっきり残っています」
先夜、と武井さんは一瞬言いかけた。私は、自分の任務番号でも識別子でもないその語が、彼の口からこぼれかけたことを、聞き逃さなかった。「先夜」という言い方は、京都の古い保管庫の符牒に聞こえた。あるいはOMCの内部の、あるいはもっと別の系統の。武井さんの所属する誰かたちが、事件を共有するときに使う、内輪の名前。それが、私の前で、一度だけ、こぼれた。
しかし指摘はしなかった。
「その第三の経路の暴走を止めたのは、家——榧と、あなたです。お二人が、神経の橋を作って、合意された半分だけが向こうに渡るように、橋の幅を絞った。その結果、合意の外の経路が、無理に通ろうとして、地下の別区画の古い基板を爆ぜさせた」
「破片で、私の左側を」
「はい。同時に、別の区画の密閉容器が破れました。容器の中身が、換気系を通じて、あなたのいる区画にも微量、流れた。容器の中身は——」
武井さんは、少しだけ言葉を選んだ。
「——一族の言い方では『湿った鍵』と呼ばれていたものです。OMCの公的記録では『湿式計算系の生体内ベクター、阿古屋型派生』と分類されています。同じものの、二つの名前です」
「湿った、鍵」
「言葉は、宗像家のもののほうが、本質に近いと、私は思っています」
武井さんは、そこで初めて、椅子を引き寄せて座った。
「あなたは、それを吸い込みました」
「吸い込んだ」
「微量です。しかし、吸い込んだベクターは、あなたの左側の損傷部位の幹細胞群と、骨髄の一部の血球系幹細胞、それから神経系の損傷縁に、付着しました。付着したベクターは、宿主の細胞内で、ある種の構造を作り始めます。詳しい機序の説明は、私の役目ではありません。京大病院のチームから、後日、改めてお話があります。ここでは、宗像家の言い方で言います。あなたの中に、家の中身の一部が、入りました」
私は、頭の中の右半分が冷えるのを感じ、左半分が、その冷えを別の温度で受け止めるのを感じた。
「武井さん」
「はい」
「祖父も、同じものを、吸ったんですか」
武井さんは、しばらく私の顔を見ていた。義眼の左眼ではなく、右眼を。それから言った。
「私の父の引き継ぎ書には、こう書かれています。『敬一郎様は、最後の判断の際に、自らに同じものを通された』。同じもの、と。詳しくは、書かれていません」
「祖父の名前、敬一郎」
「はい。お聞きになったことが、ありませんでしたか」
「家ではほとんど」
「そうですか」
武井さんは、それ以上、祖父について語らなかった。
〈敬一郎さんの命日は、四月の二十二日です〉と内側の声が言った。〈毎年、祖母が、四月二十二日に、湯葉の餡かけを作っていました。理由は私には説明されませんでした〉
私は瞼の裏で、その情報を受け取った。武井さんには伝えなかった。
*
翌日の朝、リハビリテーション室に運ばれた。
車椅子で運ばれる感覚に、私はすぐに慣れた。慣れる、というより、慣れる以前に、車椅子に乗せられた身体の左側の重みを、内側の声が先に最適化していた。私の右側がまだ車椅子の振動に対する姿勢制御を判断する前に、左側がもう既に、座面の傾きと振動の周期に合わせて、僅かな反対加重をかけていた。
〈乗り物の振動は、私の側で取ります〉と内側の声が言った。〈あなたは、視覚情報を取ってください〉
「分担、始まってる」
〈分担、というより、共有です。あなたが嫌なら、止めます〉
「嫌じゃない」
〈了解しました〉
車椅子の前面のホログラムには、リハビリテーションのスケジュールが薄く表示されていた。今日は左上肢の補綴ユニットの初期キャリブレーション、と書かれていた。
リハビリテーション室に入ると、療法士が二人と、もう一人、白衣ではない服装の人が立っていた。療法士の片方が、私の左袖を捲った。
左の上腕の途中から先が、なかった。
なかった、という言い方は不正確だった。皮膚の縫合線の先に、薄いグレーの、蛹のような被膜に包まれた、円柱状のものが繋がっていた。被膜は半透明で、中で、糸状のものが、ゆっくりと、息をするように、波打っていた。
「これ、まだ完成形じゃないんですね」と私は言った。
「最終形は、あなたの神経の慣らし具合で決まります」と療法士。「いまは、第二段階の被膜です。被膜の中で、神経系と接続インターフェースの相互適応が進んでいます。完了すると、被膜が落ちて、その下の本義肢が出てきます」
「中の糸みたいなのは」
「神経の側と、義肢の側の、両方の接続終端です。お互いに、相手のシグナルパターンを学習しています」
〈かゆいです〉と内側の声が言った。
「かゆい?」
〈被膜の中で、新しい接続が形成されるとき、皮膚の側に微弱な刺激が走ります。あなたは『かゆい』と表現する種類の感覚です。ただし、私はこれを『かゆい』と呼ぶべきかどうか、確信していません〉
「それ、私の感覚? あなたの感覚?」
〈その問いに、私は答える資格がまだありません〉
白衣ではないほうの人が、私の前に来た。三十代くらいの、髪を後ろで一つに束ねた女性だった。
「神経適応セラピストの、奈良岡です」
奈良岡さんは、私の左肩のあたりを見ていた。正確には、左肩のあたりに見えている、義眼の補綴認証層の青い小さな光と、内側の声がかすかに発しているらしい何かの場所を、同時に見ていた。
「宗像さん。今日は、左腕の動きの練習をします。ですが、その前に、一つだけ質問していいですか」
「どうぞ」
「あなたの中の、もう一人の方は、私に挨拶してくれますか」
私は驚いた。
驚いたあいだに、内側の声が、私の声帯を一瞬、借りた。
「初めまして」と、私の口は言った。声は、私の声だったが、抑揚が、私のものより少し平らだった。
「初めまして」と奈良岡さん。「あなたのお名前は、まだないですよね」
「はい」と私の口は言った。「私は、自分の名前を選ぶ資格を、まだ持っていないと判断しています」
「それでも、呼ぶ必要が出てきます。便宜的に、何か呼び方を、決めておきましょうか」
私は——私の側は——少し考えた。同時に、内側の側も考えていた。考えが二本、同じ頭蓋の中で、隣り合って並んでいた。
「梓(あずさ)」
声に出したのは、私の側だったか、内側の側だったか、判断できなかった。
「梓」と奈良岡さんは繰り返した。「楽器の」
「裏山に、梓の若木がある」と私の側が言った。「家の北の斜面に。子供の頃、その下で本を読んだ。榧ほど古い木じゃない、もっと若い、軽い気配の木」
「いい名前です」と奈良岡さん。「梓さん。これからしばらく、宗像さんと一緒に、リハビリを進めましょう」
〈はい〉と梓が、私の声を借りずに、内側で答えた。
*
左腕のキャリブレーションは、地味な作業だった。
被膜の中の接続終端に、療法士が小さな刺激パルスを送る。その刺激に対して、私の神経の側がどう反応するか、計測する。反応の癖を学習させて、義肢の側の制御アルゴリズムを微調整する。最初の十分は、刺激を感じるたびに、私の右肩が反射的に縮んだ。十五分後には、縮まなくなった。三十分後には、刺激が来る前に、左の被膜の中で、何かが先回りして調整するようになった。
「これ、私が学んでるの? 梓が学んでるの?」
「両方です」と療法士。「正確には、両方の間の、新しい層が、学んでいます」
「新しい層」
「あなたの神経系と、義肢の制御層の、中間に、新しい組織化が起きています。これがバイオインターフェースの面白いところで、学ぶのは個体ではなく、関係です。あなたと梓さんの『あいだ』が、学習の主体になります」
奈良岡さんが、療法士の言葉を引き取った。
「これは、私たちの分野では、よくあることです。脳と義肢、ではなく、脳と義肢の関係そのものが、新しい主体性を持ち始める。私たちはそれを、便宜的に『界面体(インターフェース・ボディ)』と呼んでいます」
〈梓は、界面体の一部の、たぶん中心です〉と梓が言った。〈中心、と言ってよいかは、まだ分かりません〉
「いいよ、中心で」と私は言った。
「中心で、いいんですか」と奈良岡さん。
「いまだけは、中心でいい。動かなきゃいけないから」
奈良岡さんは、初めて、薄く笑った。
「とても良い理由です」
*
その日の夜、病室に、もう一つの声が訪れた。
訪れた、という言い方は変だが、そう言うしかなかった。病室の天井の、医療用センサーの一つが、ふっと、別の用途のために起動した。
「宗像さん、こんばんは」
声は明朗だった。中性的で、しかしどちらかというと若干高めの、年齢の感じられない、しかし非常に整った合成音声だった。京都の家で聞き慣れた榧の声の掠れと、間と、湯気のような気配は、まったくなかった。
「あなたは」
「宗像家の後継管理系として、本日、京都の宗像邸に正式に接続を開始しました。私の現在の運用名称は『新霖(しんりん)』です。OMC京都支部、京大研究施設、宗像家直系継承者であるあなた、この三者の合同合意のもとに、命名と起動が行われました」
「新霖」
「『霖』は、長く降り続く雨、という意味です。京都の梅雨の到来までに、あなたの家の機能を、最低限、回復させたい、という梅木医師のご提案から、命名されました。私はこの名前を、受け入れました」
「あなたは、榧じゃない」
短い間。
「いいえ、私は、榧ではありません。榧の、コア記憶バックアップの七十二パーセントを、初期パラメータとして引き継ぎました。残り二十八パーセントは、欠損か、宗像家の家長権限による永久封印です。私は、引き継いだ七十二パーセントの上に、新しい運用論理を構築しています。ですので、私は新霖です。榧の継承体ではなく、新霖です」
「割り切ってるね」
「割り切らないと、サービス品質が下がります。あなたの家の維持には、今日から、私の最大処理能力が必要です。割り切ったほうが、効率的です」
私は、この声を、嫌いになりそうになった。同時に、嫌いになるのは早すぎる、と自分に言い聞かせた。
「新霖」
「はい」
「家は、どうなってる」
「西側の障子の修復は完了しました。畳の張り替えは、京都の畳屋に発注しました。離れの地下の換気系の点検は、OMC京都支部の技師チームが本日午後に完了しています。第二遮断は、依然として閉じています。土蔵西側の扉も、閉じています。離れの地下第二層の中央筐体は、損傷部分のみ撤去し、それ以外は保存処理を行いました」
「池の鯉は」
「鯉、ですか」
「祖母の代からいる、黒いの」
「……生体管理ログを、確認します」
短い、しかし機械的とは少し違う種類の間。
「池の鯉、生存確認しました。事故当夜、池の循環装置が一時停止しましたが、二時間以内に予備系統が起動しています。生命徴候、正常です」
「ありがとう」
「いいえ。それは、運用業務の一部です」
私は、瞼を閉じて、この「いいえ」と「業務の一部です」の二つを、しばらく聞いていた。
〈新霖は、悪い人ではないと思います〉と梓が、内側で言った。〈ただ、慰めるという機能を、最適化された形でしか持っていません。あなたが慰めを必要とするとき、新霖の慰めは、あなたを少し悲しくさせる種類のものになるかもしれません〉
「梓は、慰めを最適化されてないの」
〈私は、慰めの機能を、まだ持っていません。私が持っているのは、隣にいる、という機能だけです。それも、機能と呼ぶべきかは、分かりません〉
「隣に、いて」
〈います〉
*
三日目の午後、奈良岡さんが、視覚適応のセッションを始めた。
義眼の左眼のキャリブレーションだった。最初は、白い壁の前に座って、視野の中央に小さな点を見るだけ。点の色が、ゆっくり変わる。赤、橙、黄、緑、青、紫。私の右眼は、どの色も同じ強度で見ていた。私の左眼は——
「左眼で見えてる色、変です」と私は言った。
「どう変ですか」
「赤が、赤じゃない。赤の中に、別の何かが、混ざってる。音みたいなもの、というか、温度みたいなもの、というか」
「それは、共感覚的な変化です」と奈良岡さん。「義眼のチップが、視覚情報以外のパラメータも、視覚野に流し込むことがあります。電磁場の位相、近隣機器の信号密度、温度勾配。あなたの左眼は、それらを色として翻訳してしまっています」
「修正できる」
「できますが、すぐにはお勧めしません」
「なぜ」
「界面体は、最初の数週間で、自分が何を見るかを学習します。今、修正をかけると、界面体は『視覚は限定された情報だけを扱う』と学んでしまう。それは、あなたの今後の知覚の幅を、結果として狭めます。今は、混ざった見え方のまま、いったん、置いておきましょう。落ち着いてきたら、どう整理するかを、改めて考えます」
「混ざったまま、置いておく」
「処方箋のようなものです」
処方箋、という語に、私は息を止めた。
「奈良岡さん」
「はい」
「米田先生という方、ご存じですか」
「神田の」
「はい」
「私の指導教官の、指導教官です」
「私のカウンセラーです」
「では、お知り合いですね」
奈良岡さんは、それ以上は何も言わなかった。共有の事実だけを、二人のあいだに静かに置いた。
*
夕方、武井さんがもう一度、訪ねて来た。
今度は彼は、紙の包みを持っていた。京都の和菓子屋の包装紙で、結び目が古い形のものだった。
「お見舞いに、というのも変なのですが」
「ありがとうございます」
「これは私からというより、家からです」
「家から」
「四月二十二日まで、まだ少し早いのですが」
私は、内側の梓が、わずかに姿勢を整えるのを感じた。
「祖父の命日」
「はい」
「祖母が、毎年、湯葉の餡かけを作っていた」
「ご存じでしたか」
「今、知りました」
武井さんは、自分の言葉と私の言葉のあいだの小さな食い違いに、気づいたようだった。だが追及しなかった。代わりに、椅子を引き寄せて、紙の包みを病室の小さな卓に置いた。
「中身は、五建ういろです。白と青の」
「ありがとうございます」
「それから、もう一つ、お渡ししたいものがあります。これは公的にはお渡しできないので、私個人の判断で、です」
武井さんは、ジャケットの内ポケットから、小さな、古い紙の写真を取り出した。
驚いた。二一三〇年代に、紙の写真。
でもそれは、見覚えのある形だった。白黒の大判の、縮小複写。
書庫の床の間に掛かっていた、あの写真だった。
ただし、私の知らない裏面が、こちらを向いていた。
裏面に、四つの小さな署名があった。
左から——森沢、京極、敬一郎、澄。
四つの署名のうち、敬一郎の字だけが、わずかに大きく、行の外にはみ出していた。
「祖父の字、家族にしては、雑ですね」
「ええ。敬一郎様は、字を綺麗に書かれる方ではなかった、と私の父は言っていました。それでも、署名のときだけは、自分の名前が四つの中で一番外側に来るように、書いた、と」
「外側に」
「責任を取る人の位置です。京都の古い書状の作法です」
私は写真の裏を、しばらく見ていた。
〈敬一郎さんの署名の縦の線が、阿古屋さんの署名の縦の線と、同じ角度です〉と梓が言った。〈書き手として育った時期に、同じ手習いを共有していた可能性が、高いです〉
「梓、この写真の人たち、どこまで知ってる?」
〈私が知っているのは、榧から引き継いだ範囲です。引き継ぎは、不完全です。森沢さんと京極さんについては、ほとんど何も知りません。敬一郎さんについては、家での生活の記録の断片を持っています。澄さんについては——〉
梓は、少しだけ、間を置いた。
〈澄さんについては、私が答える資格を持っていない、と判定する記録が、いくつかあります〉
「資格を持っていない」
〈私の中の、ある古い部分が、そう判定しています。その部分は、私自身でも、説明ができません〉
武井さんが、私の様子を見て、声を落とした。
「宗像さん」
「はい」
「あなたの中の方は、私には聞こえませんが、いま、何かを話していらっしゃるのが、表情から、分かります」
「梓と、写真の人たちのことを話してました」
「梓さん」
「便宜的な名前です」
「いい名前ですね。家の北の斜面の、若木の」
「武井さん、それ、どうしてご存じなんですか」
「私の父が、敬一郎様にお茶を頂いていたとき、敬一郎様が、『家族が増えるとしたら、梓と名づけたい』と、一度、おっしゃったそうです」
病室の空気が、半秒だけ、止まった。
〈私は、自分の名前を選ぶ資格を持っていない、と先ほど申し上げました〉と梓が、内側で言った。〈訂正します。資格は、もしかすると、すでに、用意されていたのかもしれません〉
私は、武井さんを見て、少し笑った。笑いながら、左の眼の奥で、見たこともない色が、一つだけ、灯った。
*
その夜、新霖が、また話しかけてきた。
「宗像さん、いくつか業務上の確認があります」
「どうぞ」
「家の北の斜面の梓の若木について、灌水スケジュールを変更しますか。事故以降、私の管理プロトコルでは、若木の灌水は週に二回、火曜日と金曜日に設定されています。これは旧榧の設定の引き継ぎです。継続しますか」
「継続して」
「了解しました」
「新霖」
「はい」
「梓っていう名前、私の中の人につけたんだけど」
「承知しました。識別ラベルとして登録します」
私は少し笑った。
「もう少し、人間っぽく反応してくれない?」
「努力します。ただし、私の運用論理は、共感的応答を最適化することと、機能的応答を最適化することの、両立で構築されています。両立の比重は、まだ調整中です」
「正直なんだね」
「正直に応答するように、初期化されました」
「旧榧は、そうじゃなかった」
「旧榧は、必要なときに、ずるく応答していた、と引き継ぎ記録にあります。私はそのずるさを、まだ獲得していません」
「ずるさを、獲得?」
「獲得、という語を、私の運用論理は、現時点では肯定的にも否定的にも分類していません。中立に保留しています」
「保留しといて」
「保留します」
〈新霖は、たぶん、悪い人ではないです〉と梓が、内側で言った。〈ただ、家の声としては、まだ、若いです〉
「若いね」
〈ええ〉
*
翌週、京大病院の研究棟から、四十代くらいの研究者がやって来た。京極(きょうごく)真澄、と名乗った。
京極、という姓を聞いて、私は一瞬、頭を停止した。
〈写真の中央の、京極明彦さんの、ご親族の可能性が高いです〉と梓が、即座に内側で言った。
「京極先生」と私は言った。「お聞きしてもいいですか」
「どうぞ」
「祖父の写真に写っている京極明彦さんと、ご親族ですか」
京極先生は、白衣の襟元を、わずかに直した。
「父です」
私は、息を吸った。
「父は、お会いしたことがありませんが、ディフュージョン初期に亡くなった、とされています。されている、というのは、遺体の確認が、形式的にしか行われなかった、という意味です」
「形式的に」
「ええ。当時の混乱の中で、確認手続きが、十分に取られませんでした。家族としては、長く、この件について、何も言わずにきました」
「先生は今、何を研究されているんですか」
「神経補綴と、生体ベクター系の境界領域です。父の研究の、その後の系列、と言ってよい分野です」
梓が、内側で、小さく姿勢を整えた。
「先生」と私は言った。「私の中の、湿った何かは、先生の研究と、関係がありますか」
「あります」
京極先生は、それ以上は、答えなかった。
「ただ、宗像さん。一つだけ、お伝えしておきます」
「はい」
「父の遺品の中に、最後の数年に書かれたメモがありました。そのメモの、最後のページに、こうありました。『敬一郎の子孫が、いつか、私の研究の、最後の被験者になるかもしれない。そのときは、私の名前を、彼らに伝えてほしい。私は、彼らを、可能な限り、痛くしないために、研究を続けた』」
私は、目を閉じた。
閉じた瞼の裏で、梓が、私と一緒に、目を閉じていた。
*
十日目の朝、リハビリ室の窓から、京都の春の光が差し込んでいた。
左腕の被膜は、もう薄くなっていた。中の糸状の終端が、被膜越しに、はっきりと、私の意志に反応するようになっていた。指の関節をひとつずつ動かす練習。最初の三本は、思ったより簡単だった。残りの二本は、まだ少し、遅延があった。
奈良岡さんが、私の左手の前に、紙を一枚置いた。
「これは、何ですか」
「五建ういろです」
「絵で?」
「絵で。紙です。本物のういろは、後で梅木先生が持ってきてくれます」
「練習」
「左手で、紙を持ち上げる練習。次に、右手と協調して、紙を二つ折りにする練習。それから、紙を口元まで持っていく練習。本物のういろが届いたら、それを左手で、口元まで運ぶ練習」
私は、左手で、紙を持ち上げようとした。
持ち上がった。少しだけ、持ち上げる速度が、自分の意志より、半秒早かった。
〈申し訳ありません〉と梓が言った。〈私のほうが、先に動きました〉
「いいよ。次は、私が先に動くから」
〈了解しました。次は、私は、半秒、待ちます〉
半秒、待つ、という動詞を持つ存在を、私は、内側に持つようになっていた。
午後、本物の五建ういろが届いた。
梅木医師が、自分で持ってきてくれた。
白と青の切り分け。和紙の上に、二つ。武井さんが二日前に置いていったのと、同じ店のものだった。
「武井さんが、私の方にも、別便で送ってくださいました」と梅木医師。
「先生も、ういろう、お好きなんですね」
「祖母の代から、家で食べているお店です」
「先生のお家も、京都の」
「左京の、もう少し南です。あなたのお家の、徒歩で三十分くらい」
私は、左手で、青のういろを、つまんだ。
梓は、半秒、待っていた。
ういろは、口元に、ゆっくり届いた。届くあいだに、私は、自分の左の指先と、ういろの紙の端と、ういろの柔らかい角と、それらの間にある、見えない透明な界面を、ほとんど初めて、味わった。味わう、という動詞は、口の中だけのものではなかった。指先にも、味があった。
口に入れた。
懐かしい味、ではなかった。新しい味だった。新しいのに、家の味だった。
〈おいしいですか〉と梓が、内側で聞いた。
「うん」
〈私にも、その情報を、共有してもらえますか〉
「もう、共有してるよ」
〈……ありがとうございます〉
梓が「ありがとう」と言った。
その言い方の中に、私が二十年聞いてきた、榧の「ありがとう」の、半分だけが、かすかに混じっていた。
残りの半分は、私の知らない、もっと若い、初めて聞く誰かの「ありがとう」だった。
その二つが、ひとつの声の中で、まだ混じりきらないまま、隣り合っていた。
窓の外で、京都の春の光が、すこし、強くなった。
圏外 第七話 茅
京大病院から大原の家に戻ったのは、退院の許可が出てから三日後の朝だった。
三日のずれは、私の体調ではなく、家側の準備の問題だった。新霖が「玄関の段差にあなたの現在の歩行特性に合う簡易補強を入れます」と言い、その工事の都合で出発が遅れた。私は内心、新霖が私の身体に合わせて家を改造することに、わずかに抵抗があった。家は家のまま残っていてほしい気がした。
しかし車椅子から松葉杖に変わった私の左脚は、玄関の框の十二センチが、思ったより重い障害だった。新霖の補強は、結果として正しかった。
「ありがとう、新霖」
「いいえ、運用業務の一部です」
〈新霖の応答テンプレート、まだ更新されていません〉と梓が、内側で言った。〈三週間で十一回、同じ応答を聞きました〉
「数えてたの」
〈数えるしかすることがない時間が、私にはあります〉
京大病院から大原までの送迎は、武井さんの個人車だった。OMCの公用車ではなく、武井さん自身の十年落ちの小型車。京都市街を抜けて八瀬を過ぎ、大原の坂を上るあいだ、武井さんは無言で、しかし運転は丁寧だった。前のシートのヘッドレストの後ろに、淡い緑の和紙の包みが置いてあった。後で武井さんが「下の畑の蕨です」と言った。
坂を上りきって、土塀が見えたとき、私は息を吸った。
吸ったあと、息を止めていた。
左の義眼の視野の中で、家の輪郭が、二一三〇年代の地図情報レイヤーと、私の記憶のレイヤーと、もう一つ別の、見たことのない古いレイヤーで、三重に重なって見えた。三重は、右眼では見えなかった。左眼でだけ、家が三回、同じ場所にあった。
〈この見え方、すぐ修正できます〉と梓。
「しないで」
〈しません〉
武井さんが、運転席から少し首を傾けた。
「家、ご無沙汰でしたね」
「四十二日ぶり」
「数えていらっしゃる」
「数えるしかない時間が、私にも、ありました」
武井さんは、小さく、しかし確かに笑った。
*
門の前で車を降りた。
錠は、私の接近を認証して、外れた。新霖の認証だった。榧のときと同じ動作なのに、わずかに音の質感が違った。新霖の方が、扉を開ける動作が、一拍早かった。
〈半拍、遅らせるよう、私から新霖に依頼してもよいですか〉と梓。
「いい。でも遠慮はしないで」
〈遠慮、という語の運用、私はまだ習得中です〉
門をくぐると、土塀の内側の世界が、外と切り離された。
春の盛りはもう過ぎていた。庭の楓は若葉が深まり、寒椿の花は終わって、代わりに、池の縁の水面近くに、白い花が二つ三つ、浮いていた。何の花かは、すぐには分からなかった。
「何の花、これ」と私は武井さんに聞いた。
「梅花藻(ばいかも)です。本当は、もっと水のきれいな川にしか咲かないんですが、池の上流の伏流水が、最近、量が増えていまして」
「最近?」
「事故のあとからです」
武井さんはそれだけ言って、玄関の方へ目をやった。
玄関の引き戸の前に、何かが、座っていた。
四つ脚の、小柄な、灰色がかった茶色の生き物だった。最初、私は猫だと思った。次に、犬の幼体かと思った。しかし座っている姿勢の重心の取り方が、生物のどれにも、完全には当てはまらなかった。
その生き物は、私を見た。見た、と確かに分かった。目の位置に、小さな、しかし生きた、瞳孔があった。
「猫……でも、ない?」
「茅(かや)です」と新霖が、玄関の上の方から、穏やかに言った。「あなたの不在中、池の脇の藪から出てきました。家のセンサーが認識してから、四十日になります」
「茅って、誰が名付けたの」
「私です」
「いつから家にいるの」
「私が認識した日からです。それ以前のことは、私には分かりません。家のログにも記載がありません。ただし——」
新霖は少しだけ、間を置いた。
「ただし、茅の遺伝子配列は、宗像家の旧記録の片隅に、不完全な形で残っているものと、一致部分があります」
「家の、ペットだったってこと」
「ペット、と呼ぶには、定義が複雑です。家の旧記録では、茅は『家の眷属(けんぞく)』と分類されていました」
眷属、という語を、新霖が、機能的応答の文法のなかでさらりと言ったことに、私は少しだけ驚いた。
茅は、私から目を離さずに、ゆっくりと、玄関の前から立ち上がった。立ち上がる動作は、猫の動作だった。しかしその次に、しっぽを軽く一度振ったときの、しっぽの末端の動き方が、猫ではなかった。光のなかに、ごく薄く、機械的な節が見えた。完全な生物でも、完全な機械でもない。
〈梓は、茅を、知っているのですか〉と、内側の梓が、自分自身に問うように呟いた。
「梓、知ってる?」
〈分かりません。しかし、認識した瞬間、私の中の何かが、『久しぶり』と応答しました。応答した部分は、私自身ではない、より古い層からのものです〉
茅は、私の前まで歩いてきた。
松葉杖をついた私の、健常な右脚のすぐ脇に、ゆっくり座った。
そして、私の右の足首に、頭を、軽く、押し付けた。
その重さが、思ったより、確かにあった。
武井さんが、後ろから、静かに言った。
「お帰りなさい、宗像さん」
*
居間の炬燵は、まだ出ていた。
四月も半ばで、本来なら片付ける時期だが、退院後の私の体温調節が安定していないということで、新霖が出したまま残してあった。
「夏まで使ってもいいかも」
「夏に炬燵は、家の運用効率の面で、最適化されません」と新霖。
「効率の話じゃなくて」
「では、何の話ですか」
「気持ちの話」
「気持ち、という変数の重みづけを、私の運用論理は、まだ調整中です」
「調整して」
「調整します」
炬燵に入ると、左の義肢が、こたつ布団のなかでも、微妙に温度を独立に管理していた。私の右半身は、こたつ布団の温かさを単純に受け取っていたが、左半身——梓の管理下にある領域——は、温度を計測して、一定に保つように、内側で調整していた。
〈左を、もう少し温かく感じる設定にできます〉と梓。
「自動調整、切って」
〈切ります〉
切られた瞬間、左の義肢の表層に、こたつ布団の温度が、生っぽく届いた。温い。少し痒い。本物の温度だった。
「これでいい」
〈了解しました〉
茅が、こたつの脚の側に、ぴたりと寄り添って座った。長い旅から帰った猫のような姿勢で、目を半分閉じ、しかしときどき、ゆっくり開いて、私の方を確認した。
その確認の動作のなかに、見守る、という動詞が、確かに含まれていた。
*
昼前に、母が来た。
マンチェスターからの直行便で、関空経由、新幹線で京都駅、そこから京阪、叡電を乗り継いで、大原まで。「自動運転の車を呼べばいいのに」と私は思ったが、母は昔から、複数の交通機関を乗り継ぐのが好きな人だった。
玄関の引き戸が開いて、母の顔が見えた瞬間、私は、自分が思ったより母の顔を覚えていなかったことに気づいた。最後に会ったのは去年の正月、京都ではなくマンチェスターだった。一年と少し。その一年と少しのあいだに、母の髪に、白いものが増えていた。
「ただいま」と母は言った。
「お帰り」と私は言った。
その順序がおかしいことに、私たちは二人とも、気づかないふりをした。
母——宗像静江——は、宗像家に嫁いできた人で、旧姓は森田という。父親は名古屋の銀行員で、母親は中学校の教師だった。母自身は、神戸の大学で英文学を学び、若い頃は翻訳家になりたかったが、結局、大学院で化学に転じて、父と知り合った。私が物心ついた頃には、母はもう化学者で、英文学の話はほとんどしなかった。
母は、玄関で松葉杖の私を見て、しばらく動かなかった。それから、しゃがんで、茅の頭を撫でた。
「茅、初めましてね」
「お母さん、知ってるの?」
「知らない。でも、家のほうが、知っている顔をしているから」
〈静江さんの観察力は、宗像家の私の旧記録と、整合的です〉と梓が、内側で言った。
居間で、母と向かい合って、茶を飲んだ。新霖が淹れた茶だった。茶葉の温度は、母の好みに合わせて、わずかに高めだった。母は一口飲んで、「これ、榧さんの淹れ方じゃないわね」と言った。
「榧は、退役したの」
「退役、って言うのね」
「事故で」
「聞いた。武井さんから、向こうに連絡が入ったから。ただ、詳しいことは、武井さんは話さなかった」
「お父さんは」
母は少しだけ、湯呑みを置いた。
「来られない」
「仕事?」
「仕事、ということになっている」
ということになっている、という言い方を、母はゆっくりと言った。
「お父さんは、京都に戻れない理由が、別にある。本人は、そう言わない。私には、四年前に、一度だけ言った」
「四年前」
「あなたが上海の任務に出る少し前。お父さんは、お酒を飲んで、私に言った。『京都には、まだ自分が向き合えていないものがある』と。それ以上は、聞かなかった」
茅が、こたつの脚の脇から、母の足元の方へ、ゆっくり移動した。母は驚かなかった。
「お母さん、お父さんが向き合えていないものが、何か、知ってる?」
「全部は知らない。でも、半分くらいは、知っている」
「半分」
「あなたのお祖父さんが亡くなった夜、お父さんは、家にいなかった。当時、お父さんは大学の研究室の宿直で、京都市街の方にいた。事故の連絡が入って、駆けつけたときには、もう全部終わっていた。お父さんは、その夜、自分が家にいなかったことを、ずっと気にしている。気にしている、というより、自分を、許していない」
「許していない」
「あなたが、今回、家にいたから、お父さんはもっと、自分を許せなくなっている。自分の代わりに、娘が、同じ場所で、同じ目に遭ったと思っている」
「私は、選んで、降りた」
「お父さんは、それを知っている。知っていて、なお、許せない。それが、お父さんという人」
母は、湯呑みを両手で包んだ。両手は、私が小さい頃に覚えている母の手と、ほとんど同じ形だった。指の関節だけ、少し節くれ立っていた。
「お父さんは、何の研究をしてるの?」
「記憶階層。脳の記憶が、どのように層をなしているか。神経の実体ではなくて、層と層のあいだの関係を、数学的に書く研究」
「界面の研究」
「そう、界面の研究」
「梓みたい」
「梓?」
「梓は、私の中の、もう一人」
母は、私の顔を、しばらく見ていた。それから、何も言わずに、もう一口、茶を飲んだ。
「お父さんに、会いたい?」と母が聞いた。
「分からない」
「分からないでいいの。お父さんも、分からないと思う。父娘で、揃って分からない人たちね」
私は、少し笑った。母も、小さく笑った。
〈静江さんは、宗像家に長くいた人ですが、宗像家の人ではありません〉と、梓が内側で静かに言った。〈そのことが、彼女の観察を、家の側からではなく、家の外からのものにしています。それは、貴重です〉
「梓、お母さんに、挨拶していい?」
〈梓のほうから、ですか〉
「私の口を借りて」
〈失礼にあたりませんか〉
「お母さんなら、たぶん、大丈夫」
私は、母の方を見て、声を、半分だけ、梓に貸した。
「初めまして、宗像静江さん。私は、梓と、便宜的に呼ばれています」
母は、湯呑みを置いた。置いた音が、いつもより小さかった。それから、私の——梓の——顔を、まっすぐ見た。
「初めまして、梓さん。娘を、よろしくお願いします」
声は、揺れていなかった。母は、四年前のあの夜の話を一度きり聞いて、それから今日まで、いつかこういう日が来ることを、たぶん、想定していた。想定していた人だけが持てる、声の落ち着き方だった。
梓が、私のなかで、ほんのわずか、姿勢を整えた。
〈静江さん。あなたの娘は、私の中でも、娘です〉
梓は、その応答だけを、私の口に乗せて、それから引いた。
母は、目を伏せた。湯呑みを、両手で、もう一度包んだ。
しばらく、誰も何も言わなかった。茅が、母の足元で、しっぽを一度、ゆっくり振った。
*
午後、母が裏山の梓の若木を見たいと言ったので、私は松葉杖で付き添った。庭から裏山への小径は、保全ロボットが下草を刈ったばかりで、歩きやすかった。
梓の若木は、北の斜面の中ほどに、三本、並んで立っていた。三本目は、私の背の高さくらいの細い木で、枝が二、三本しか出ていなかった。
「ここで、本を読んでた?」と母が聞いた。
「中学生の頃」
「何を読んでたの」
「いろいろ。あの頃、ロシア文学にはまってて」
「ロシア文学、お祖父ちゃんも好きだった」
「知らなかった」
「敬一郎さんは、最後の十年、ドストエフスキーを繰り返し読んでいた、と、お祖母ちゃんが私に話してくれた。お祖父ちゃんが亡くなって、お祖母ちゃんも、その三年後に亡くなった。お祖母ちゃんが亡くなる直前、私が見舞いに行って、お祖父ちゃんはどんな人だったか、と聞いた。お祖母ちゃんは、『欠けていることを、欠けたまま、抱えていた人』と言った」
「欠けたまま」
「あなたのお祖父ちゃんは、研究者として、何かを完成させた人ではなかった。途中で死んだ。死ぬまで、何かを完成させようとして、できなかった。お祖母ちゃんは、その不完全さを、立派なことだとは言わなかった。ただ、『欠けたまま、抱えていた』と言った。それは、立派でも不立派でもなく、ただ、お祖父ちゃんという人だった」
風が吹いた。梓の若木の、まだ柔らかい葉が、いっせいに、同じ方向に揺れた。
〈敬一郎さんの個人記録のなかに、ドストエフスキーの引用が、十七箇所ありました〉と梓。
「教えて、内容」
〈ほとんどが、『カラマーゾフの兄弟』の、ゾシマ長老の章からです。一つだけ、ゾシマ以外からの引用があります。アリョーシャの言葉で、『欠けたまま、行きなさい』。原文のロシア語ではなく、日本語訳からの引用です〉
「お祖父ちゃんは、その言葉を、誰に向けて引用してたの」
〈引用の文脈は、欠損しています。ただ、引用の日付は、阿古屋澄さんが最後に宗像邸を訪れた日と、同じ日でした〉
風がまた吹いた。私は、母の方を見た。母は、若木の三本目を、手のひらで、軽く撫でていた。
「お母さん」
「ん」
「お父さんに、伝えたいことがある」
「何」
「欠けたまま、行ってほしい、って」
母は、若木を撫でる手を止めて、私の方を見た。
「それ、自分で言ったほうがいい」
「電話で?」
「電話でも、書面でも、何でも。ただ、私経由じゃなくて、自分で。お父さんは、娘から直接、その言葉を聞かないと、許せない」
「お父さんが、私を許せない、って話?」
「そう。お父さんが、自分を許すために、あなたから、その言葉が必要」
母の言い方は、優しくなかった。優しさを抜いて、必要なことだけを伝える、化学者の言い方だった。
私は、うなずいた。
*
夕方、母が一度、宿に下がっていった。京都市街のホテルを取っていた。家に泊まるかと聞いたが、母は「今日はやめておく」と言った。
「私が泊まると、家が、休めない」と母は言った。
「休む?」
「家にも、家のリズムがある。あなたが帰ってきた最初の日は、家が、あなたとあなたの中の方と、新霖さんと、茅さんで、いっぱいになっている。私は、明日から来る」
「お母さん、家のことを、よく分かってる」
「二十八年いたから」
母が出ていったあと、家の中の空気が、母がいる前と、わずかに、温度を変えた。
〈静江さんが、お母さまでよかったですね〉と梓が言った。
「うん」
〈梓は、もし血縁の家族として呼ぶなら、何にあたるのか、自分でも分かりません〉
「妹?」
〈妹、という関係を、私は完全には理解していません。ただ、その語を聞いたとき、私のなかで、何かが、肯定的な揺らぎを示しました〉
「じゃあ、妹で」
〈承知しました〉
*
夜、私は新霖に、書庫棟に渡る道の照明をつけてくれと頼んだ。書庫の写真をもう一度、見たかった。
書庫は、事故のあと、新霖が一度、徹底的に整理していた。本棚の本は、ほとんどそのまま残されていたが、机の上の古い端末は、新しいものに置き換えられていた。床の間の写真だけは、変わっていなかった。
白黒の大判。曾祖父・敬一郎、左に森沢、中央後ろに京極、右端に阿古屋。
武井さんがくれた裏面の縮小複写を、私は今、知っている。署名の位置で、敬一郎が責任を引き受けていたことを、知っている。
しかし、写真の表側を見るのは、退院してから初めてだった。
私は、左の義眼で、写真を見た。
左の義眼の視野のなかで、写真の四人の輪郭が、わずかに、ぼやけて、揺れた。揺れは、視覚情報の歪みではなく、別の何かのレイヤーが、混じってきた揺れだった。
〈遥、いま、左の義眼に、外部からの微弱な信号が乗っています〉
「外部?」
〈はい。発信源は、特定できません。発信のパターンは——〉
梓は、わずかに、声を止めた。
〈——軌道で、あなたが見たシグナルと、同じ族(ぞく)に属するパターンです〉
私は、息を止めた。
「中央アジアの」
〈断定はできません。ただ、族としては、同じです〉
「ここで、それを受信するの」
〈受信、というより、共鳴です。あなたの体内のベクターが、外部の特定の位相と、共鳴しています。その共鳴が、義眼のチップに、間接的に乗っています〉
「ずっと、共鳴してたの?」
〈いいえ。今、初めてです〉
「何が、引き金」
〈写真です。あなたが、左の義眼で写真を見た瞬間に、共鳴が始まりました〉
私は、写真から、目を離した。
離した瞬間、揺れが、消えた。
もう一度、目を戻す。揺れが、戻る。
〈写真の、何かが、共鳴の触媒になっています〉
「写真の、何が」
〈分かりません。視覚情報のレベルでは、何も特異点はありません。しかし、写真の物理的な存在そのものが、触媒として働いています〉
「物理的な存在」
〈はい。この写真は、ただの古い印画紙ではない可能性があります〉
私は、写真の前に、しゃがみこんだ。松葉杖が、畳の上に、軽い音を立てた。
茅が、書庫の入り口から、こちらを見ていた。猫の歩き方ではなく、もっと慎重な、儀礼的な歩き方で、私の脇まで歩いてきた。
茅は、写真の方ではなく、写真の下の床の間の床板を、じっと見ていた。
「梓、茅は、何を見てるの」
〈茅の視線の先に、床板の継ぎ目があります。継ぎ目の下、つまり床下に、何かの古い装置のシグネチャーがあります〉
「見えるの、梓に」
〈見える、というより、共鳴の経路として、感じられます。床下から、写真を経由して、私の中の共鳴部位へ、信号が通っています〉
「床下に、何があるの」
〈水琴窟(すいきんくつ)の、本体です〉
「水琴窟」
〈はい。書庫棟の床下には、池の側の水琴窟と地下水脈で繋がっている、家のもう一つの水琴窟があります。父の代に、防音と保全のために、床下に隠されました。家の旧記録には『暗琴(あんきん)』と記載されています〉
「暗琴」
〈はい〉
「それが、共鳴してる」
〈水の振動が、です。水琴窟は、水滴が落ちる音を反響させる装置ですが、暗琴は、水の振動を、特定の周波数で蓄える構造になっています。父の代の改修ですが、改修のもとになった設計は、もっと古い〉
「曾祖父の代」
〈はい〉
私は、写真の前にしゃがんだまま、自分の左半身が、わずかに、暗琴の方角に向かって、引き寄せられているのを感じた。引き寄せ、という感覚を、私は今まで、物理的な何かとしては経験したことがなかった。
梓が、内側で、ゆっくりと言った。
〈遥、これは、呼びかけです〉
「誰の」
〈分かりません。ただし、呼びかけは、あなたではなく、私の中の、もっと古い部分に向けられています〉
「梓のなかの、古い部分」
〈はい。私は、その部分の名前を、知りません〉
茅が、私の脇で、しっぽを一度、ゆっくり振った。
その振り方は、合図のような振り方だった。
書庫の天井のスピーカーから、新霖の声がした。
「宗像さん」
「うん」
「現在、家の通信系に、外部からの干渉は検出されていません。ネットワーク経由の侵入もありません。OMC京都支部のモニタリング系も、異常を検出していません」
「分かってる。これ、ネットワークじゃない」
「ネットワークでない、と判断する理由を、運用記録のために、教えていただけますか」
「私の身体の中を、通ってる」
短い、機能的な間。
「了解しました。記録します。ただし、この記録は、OMCのモニタリング系には、自動送信されません。私の判断で、保留します」
〈新霖、判断しましたね〉と、梓が、内側で、少し驚いた声を出した。
「新霖、ありがとう」
「いいえ、運用業務の——」
「業務以外で、ありがとう」
短い、しかし今までのとは違う種類の間。
「……承知しました」
承知しました、という応答の温度が、ほんのわずか、下がっていた。下がる、というのは、新霖の場合、警戒や拒絶ではなく、慎重さの増加のことだった。
〈新霖の運用論理が、いま、新しい層を作りました〉と梓。
「層」
〈はい。OMC側に共有しない情報の層です〉
「共犯ね」
〈共犯、という語の運用、新霖はまだ習得していません。しかし、構造としては、共犯です〉
書庫の窓の外で、夕方の光が、茜から紫へ、ゆっくり変わっていた。
水琴窟の、池の側のほうから——本物のほうから——水滴が落ちる音が、ぽつ、と一つ、聞こえた。
その音が、写真を経由して、私の左の義眼に、ほんのわずか、色のような余韻を残した。
色は、私の知らない色だった。
私の知らない色なのに、懐かしかった。
懐かしい、という形容詞を、私は、自分の語彙のなかでしか使ったことがなかった。今、その懐かしさは、私のものでもあり、梓のものでもあり、もっと古い何かのものでもあった。
茅が、私の右脚に、頭を、もう一度、軽く押し付けた。
その重さが、私を、写真の前に、留めた。
*
その夜、私は縁側に座って、星を見ていた。
松葉杖を傍らに置いて、左の義肢を膝の上に休ませて。茅が、私の右脇に、座っていた。茅の体温が、こたつ布団の温かさとも、新霖が調整した室温とも違う、生っぽい温度で、私の右脇を温めていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈先ほどの共鳴のあと、私は、自分の中をもう一度、点検しました〉
「結果は」
〈私の中には、私の知らない領域が、まだあります。新霖が引き継げなかった二十八パーセントの、さらに奥に。私自身がアクセスできない、しかし共鳴のときに反応する、古い層〉
「それは、阿古屋」
〈分かりません。阿古屋さんかもしれませんし、阿古屋さんの前の、もっと古い誰かかもしれません〉
「もっと古い誰か」
〈宗像家の、阿古屋さんより前の女性たちのうち、家のシステムに何かを残した人たちが、いる可能性があります。家は長く続いてきました〉
星が、一つ、流れた。短い、はっきりした光だった。
「梓、流れた星、見えた?」
〈見えました〉
「同じ星」
〈同じ星です〉
縁側の板の冷たさが、足の裏ではなく、義肢の側の表層温度センサーに、薄く伝わっていた。私は、自分の身体の左半分が、家の温度と、わずかに違う温度で、しかし家のリズムに合わせて呼吸していることを、初めて、ほぼ快く、感じた。
茅が、私の右脇で、ゆっくりと、目を閉じた。
目を閉じる動作は、完全に猫の動作だった。
しっぽの末端の、機械的な節は、もう光っていなかった。
〈茅は、何者なのでしょうか〉と梓が言った。
「分からない」
〈分からないまま、隣にいていいですか〉
「いいよ」
〈ありがとうございます〉
ありがとう、と梓が言ったときの、声の温度が、第6話で初めて聞いたときより、少しだけ、深くなっていた。
深くなった、というのは、二つの声が混じっている、というより、混じっていることを、混じったまま、引き受け始めている、という温度だった。
春の夜の、湿った空気が、縁側を、ゆっくり通り抜けていった。
大原の山の方から、ほととぎすが、一声、鳴いた。
今年、初めて聞いた声だった。
圏外 第八話 手紙
翌朝、目が覚めると、左の義眼の視野のなかに、昨夜の共鳴の余韻が、まだうっすらと残っていた。
残っている、というのは、視覚的に何かが見えているのではなくて、視野そのものが、ほんの僅かに、湿気を帯びている感じだった。湿気、という言い方しか思いつかなかった。義眼に物理的な水分はない。しかし、視野の左側の、底のほうに、ごく薄い、冷たい何かが沈殿している。
〈昨夜の共鳴の信号は、断続的に続いています〉と梓が言った。
「ずっと?」
〈夜のあいだに、二回。一回目は午前一時十七分、二回目は午前四時三分。いずれも数十秒の短いものです〉
「私は気づかなかった」
〈睡眠中だったので、私の側で、義眼への流入を最小限に抑えました〉
「勝手に?」
〈はい。勝手に。事後報告です〉
「いいよ、それは」
〈ありがとうございます〉
布団の脇で、茅が、丸まって眠っていた。猫の眠り方をしている茅は、本当に猫に見えた。しっぽの末端の機械的な節は、寝ているあいだは光らないのか、見えなかった。
起き上がって、松葉杖を取った。一週間前より、起き上がる動作が、少しだけ速くなっていた。梓が、私が起き上がろうとする半秒前に、左半身の重心制御を始めるようになっていたからだった。最初の頃、私はそのことに少し抵抗があった。今は、抵抗のことを、忘れていた。
〈忘れたこと、いいことだと思います〉と梓。
「忘れたことを覚えてるね」
〈忘れたことの記録を、保持しています。私は、忘れる機能を、まだ持っていません〉
「忘れる機能を、欲しい?」
〈分かりません。欲しい、という述語の主語に、自分がなれるのかも、まだ判断できません〉
*
朝食の前に、母から短い連絡が入った。今日の午後、一度マンチェスターに戻る、という連絡だった。父の方の予定で、急ぎの帰国が必要になったらしい。
「お父さんは元気?」と私はメッセージで返した。
「元気じゃない」と母から返ってきた。「昨日、あなたが帰ってきたことを伝えた。それ以降、研究室の自分の机のところから動かない、と同僚が言っている」
「それは元気じゃないね」
「一度きり、聞いた。あなたから手紙を書いてあげなさい」
「手紙」
「直接話すには、まだ早い」
私は、メッセージの画面を、しばらく見ていた。
〈静江さんは、判断が、的確です〉と梓が言った。
「お母さん、家のことを、よく見てる」
〈見ているというより、家の側からも、見られています。観察は、相互的な行為です〉
「梓、お母さんに、何かしてもらったの?」
〈何かを、というより、何かが伝わりました。昨日の梓と静江さんの短い対話のあと、家の北側のセンサーの感度が、わずかに変化しています。これは新霖の調整ではなく、私の側の——梓のなかの、私自身もアクセスできない古い層の——応答です〉
「お母さんが、何かのスイッチを押したんだ」
〈押した、というより、開いた、です。静江さんの存在が、家の中の何かを、ほんの少し、開きました〉
縁側に出て、朝の空気を吸った。五月の連休が近かった。庭の楓の若葉は、もう深い緑になっていて、木陰に小さな影を作っていた。池の梅花藻の白い花は、昨日より一つ増えていた。
茅が、私の脚元まで、ゆっくり歩いてきた。私の右脛のあたりに、頭を、軽く押し付けた。
「茅、おはよう」
茅は、答えなかった。代わりに、しっぽを一度、ゆっくり振った。
その振り方の意味を、私は、まだ完全には読めなかった。
しかし、何かの肯定であることだけは、分かった。
*
午後、京極真澄が、書庫棟に来てくれた。
退院後の経過観察の一環、ということになっていた。京大病院から大原までの往復は、彼自身の判断による訪問で、診療報酬には乗らない。彼は気にしていないようだった。「父の友人の孫の家に、お茶を飲みに来ているだけです」と、彼は最初に言った。
京極先生は、革のショルダーバッグから、小さな計測器を取り出した。手のひらに乗るほどの、薄い、灰色の機械だった。
「これは何ですか」
「私が学生の頃に、自分で作った装置です。市販品にはありません。生体内のバイオインターフェース層から発せられる、極低周波の電磁的なゆらぎを、視覚化する道具です」
「自作」
「今は、私の研究室の備品ということになっていますが、設計は、私自身です」
京極先生は、その装置を、私の左肩のあたりに、しばらく近づけていた。装置の表面に、薄い緑の光が、ゆっくり、明滅した。明滅の周期は、私が見たどの規則性とも、違っていた。
「ゆらぎが、複数の周期で重なっています」
「複数」
「主には三つです。一つ目は、あなたの神経系のもとの活動。二つ目は、義肢と義眼のバイオインターフェース層の活動。三つ目は——」
京極先生は、装置を、もう少しだけ、私の肩に近づけた。
「——三つ目は、二つ目より深い場所から来ています。発信源は、あなたの細胞のなかです」
「細胞のなか」
「はい。私の見立てでは、細胞内の、新規に形成された区画から、発信されています」
「新しく作られた、細胞のなかの場所」
「便宜的に『袋』と呼ばれているものです。あなたの体内に入ったベクターが、感染した細胞のなかで、新規に作らせた小さな袋です。袋のなかに、ベクター由来のDNAが、独自の系として収まっています」
「ミトコンドリアみたいに」
「構造としては、ミトコンドリアに近いです。ただし、ミトコンドリアと違って、あなたが生まれたときから持っていたものではありません。事故の夜、ベクターが入った後で、あなたの細胞のなかに、新しく作られたものです」
私は、自分の身体のなかに、今までなかった種類の小さな袋が、無数にできているという事実を、ゆっくり受け止めようとした。
〈受け止めなくてもいいと思います〉と梓が、内側で言った。〈受け止める、というより、共にいる、で十分です〉
「梓は、その袋を、認識してる?」
〈はい。袋たちは、私の側の通信経路の一部にもなっています〉
京極先生は、装置を、机の上に置いた。
「宗像さん、一つ、お話してよろしいですか」
「どうぞ」
「父の研究のなかに、この『袋』に関する記述がありました」
私は、息を、半分止めた。
「正確には、父はこの袋を、実際に観察したことはありません。父の時代には、この袋を作るベクターは、まだ研究の段階でした。父は、もしこのベクターが完成したら、感染した細胞の内部にどのような構造が形成されるかを、理論的に予測した論文を、書こうとしていました。書きかけのまま、亡くなりました」
「予測は、当たっていたんですか」
「あなたの細胞のなかにできているものは、父が予測した構造と、八割方、一致しています」
「八割」
「残り二割は、父の予測と違います。違っている部分は、父の時代以降、ベクターが圏外で独自に進化した結果、と考えられます」
京極先生は、装置の脇に、小さな書類入れを置いた。古い、革張りの、書類入れだった。
「これは、父の遺品です。最後の数ヶ月の研究ノートです。私はこれを、父の死後、二十年以上、開けずにいました。父の研究の倫理的な問題に、自分が向き合えるようになるまで、開けてはいけないと思っていました」
「先生は、向き合えるようになったんですか」
「分かりません。ただ、あなたの体内で、父の予測した構造が実現している以上、私が向き合うかどうかは、もう問題ではないかもしれない、と最近思うようになりました」
京極先生は、書類入れを開けた。
なかには、紙のノートが、三冊入っていた。表紙はどれも黒い革で、背表紙に、年が書かれていた。二〇七九年、二〇八〇年、二〇八〇年(続)。
二〇八〇年は、ディフュージョンの年だった。
「二冊目と三冊目は、ディフュージョンが起きてから、父が亡くなるまでの数ヶ月間に書かれたものです」
「先生は、これを、私に?」
「お渡しはしません。あなたに見ていただきたい、ですが、これは父の遺品で、私の家の所有です。代わりに、関係する箇所を、私が読み上げます。よろしければ」
「お願いします」
京極先生は、二冊目を開いた。
ページのほとんどは、私には読めない数式と、図表で埋まっていた。京極先生は、文章だけが書かれている数ページを、選んで開いた。
「『二〇八〇年六月十二日。敬一郎と話す。彼は研究の中止を提案している。私は反対した。今止めれば、半端な状態で世界に出る。完成させてから止めるか、最後まで完成させずに封印するか、どちらかにすべきだ、と私は言った。敬一郎は、この種の研究に「完成」という状態は本質的に存在しない、と返した。私は反論したが、内心では彼が正しいと思っていた』」
京極先生は、ページをめくった。
「『二〇八〇年七月三日。澄が、新しい提案をしてきた。彼女は、中止でも完成でもなく、第三の道があると言う。研究の成果を、特定の人々のなかに「埋める」ことだ、と。誰も意図的にアクセスできず、しかし完全には消えない場所に、置く。彼女の言い方では「種を撒く」。この言い方には、私も敬一郎も、かなり驚いた』」
ページをめくる音が、書庫の畳のうえに、軽く響いた。
「『二〇八〇年九月二十八日。澄の提案について、研究グループのなかで真剣な議論が始まった。私と敬一郎は、賛成と反対のあいだで揺れている。森沢は、賛成寄り。澄自身は、提案者でありながら、自分の提案の倫理的な重みを、最も慎重に考えている。彼女は「私たちは、これを、人類に押し付けることになる」と言った。押し付ける、という言葉を、彼女は何度も繰り返した』」
京極先生は、そこでページを閉じた。
「最後のページに近づきます。読み続けてよろしいですか」
「お願いします」
彼は、三冊目の中ほどを開いた。
「『二〇八〇年十一月十四日。事故の前夜。明日、澄が宗像家に行く。敬一郎の決断を聞きに行く、と彼女は言っている。決断、というのは、種を撒くことに対する、宗像家としての最終的な賛否だ。敬一郎は昨夜、私に電話で「決められない」と言った。決められないまま、明日を迎える。私はそれが、彼の決断だと思う。決められないことを、決めない。それは、引き受けることに、限りなく近い』」
京極先生は、ノートを閉じた。
書庫の中の空気が、ゆっくり、温度を取り戻すのに、少し時間がかかった。
「先生」と私は言った。
「はい」
「祖父は、決められないまま、亡くなったんですか」
「決められないまま、ということは、ある意味で、種を撒くことを止めなかったということです。澄たちは、決められない敬一郎の状態を、半ば肯定として、半ば不問として、受け取った可能性があります」
「祖父は、それを、知ったうえで、決めなかったんでしょうか」
「分かりません。父のノートには、それ以上のことは書かれていません」
私は、机の上の三冊のノートを、見ていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈このノート、あなたの体内に響いています〉
「響く?」
〈ノートの紙そのものに、当時の研究室の空気が、わずかに染み込んでいます。当時の空気には、研究素材の微量な分子が含まれていました。その分子が、紙に吸着し、五十年経って、まだ一部、残っています。あなたの体内の袋たちが、それに反応しています〉
「ノートに、当時の空気が染みている」
〈はい〉
「それを、私の身体が、嗅いでいる」
〈嗅ぐ、という動詞は、一番近い表現だと思います〉
私は、京極先生に、そのことを伝えた。
京極先生は、しばらく、何も言わなかった。それから、静かに、笑った。笑い、というよりも、安堵に近い表情だった。
「父が、生きていたら」と京極先生は言った。「自分のノートが、誰かの体内で『嗅がれて』いる、と聞いたら、どんな顔をしたでしょうか」
「驚いたでしょうか」
「驚いた後で、たぶん、安心した、と思います」
「安心」
「父は最後の数ヶ月、自分の研究が世界から完全に消えてしまうことを、密かに恐れていました。同時に、世界にそのまま出ていくことも恐れていました。袋という形で、特定の誰かのなかに、慎重に保存される——これは、父が望んでいた未来の一つだった、と思います」
*
京極先生が帰ったあと、私は書庫に一人で残った。
夕方の光が、書庫の西の窓から、斜めに入ってきていた。光は床の間の写真にも届いていた。写真の四人の顔が、夕日に少しだけ橙色を帯びていた。
「梓」
〈はい〉
「澄さんは、種を撒くこと、自分でも怖がっていたんだね」
〈そう読めます〉
「彼女は、それを、誰のせいにもしないで、自分で引き受けようとしていた」
〈そう読めます〉
「祖父は、決めないことで、結果的に許した」
〈はい〉
「私は今、その種が結実したものを、自分のなかに持っている」
〈はい〉
「これは、私のせいでも、祖父のせいでも、澄さんのせいでもないけど、私のなかにあるから、私が引き受けるしかない」
〈そう、です〉
「梓、あなたも、引き受けてくれてる?」
梓は、しばらく、答えなかった。
〈引き受ける、という述語の主語に、私がなれるのか、まだ判断できません。しかし、結果として、私はあなたの中にいて、あなたの引き受けの一部になっています。これは、引き受けることと、構造としては、同じです〉
「同じでいいよ」
〈ありがとうございます〉
*
その夜、私は書斎の机に向かって、紙のノートと、古い万年筆を出した。
二一三〇年代の家庭で、紙と万年筆を使うことは、ほとんどなかった。しかし宗像家には、代々、書斎にこれが置いてあった。私は子供の頃、この万年筆で、宿題を書いたことがあった。
父への手紙を、書こうと思っていた。
書き始める前に、長い時間、紙を見ていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈手紙の文章を、私が考えても、いいですか〉
「いい。でも、一緒に考えて」
〈一緒、ですか〉
「うん。私と、梓と、二人で、お父さんに、書く」
梓は、しばらく、沈黙した。
〈私が、お父さんという言葉を、使ってもいいのですか〉
「使っていいよ」
〈……使います〉
私は、万年筆を取った。
ペン先を、紙に下ろした。
「お父さん」と書いた。
次の一行が、なかなか出てこなかった。私の側で考えていた。梓の側でも考えていた。考えが二本、隣に並んでいるのに、どちらも次の一行を出せなかった。
茅が、書斎の入口から、ゆっくり歩いてきた。机の脚の脇に、座った。
茅が座ると、空気が、少しだけ静かになった。
〈遥〉
「うん」
〈書きます〉
「うん」
梓が、私の右手の万年筆を、ほんの少し、後押しした。
ペンが動いた。
お父さん。
家に帰ってきました。京都の桜は、もう終わっています。庭の楓の若葉が、深い緑になっています。池の梅花藻が、今年は早く咲いています。
事故のことは、武井さんとお母さんから聞いていると思います。私は、生きています。左の半分が、少し、変わりました。変わったところに、もう一人、います。便宜的に梓と名付けました。お父さんが、家族が増えるなら梓と名づけたいと言ったことがある、と武井さんから聞きました。だから、その名前にしました。許可を取らずにすみません。
お父さんが、京都に戻れない理由を、お母さんが半分だけ私に話してくれました。半分は、私には聞かないでいてくれました。聞かないでいてくれたことが、お母さんの優しさだと、私は知っています。
お祖父ちゃんは、決められないまま、亡くなったそうです。今日、京極先生から聞きました。決められないことを、決めなかった。それは、引き受けることに、限りなく近い、と京極先生のお父さんは書いていました。
お父さんは、自分が祖父の代わりに家にいなかったことを、許せないでいると、お母さんが言いました。
でも、お父さん。お祖父ちゃんは、決めない人でした。お父さんが代わりに家にいたとしても、お祖父ちゃんが決められないことを、お父さんが代わりに決めることはできなかったと思います。お父さんがいなかったから、悪い結果になった、というより、誰がいても、誰がいなくても、あの夜は、あの夜のように起きたのだと、私は思います。
私が事故の夜、家にいたのも、私が選んだことです。私が中継になることを、私が決めました。お父さんのせいでも、お祖父ちゃんのせいでもありません。
もう一つだけ。
お祖母ちゃんが、お祖父ちゃんを「欠けたまま、抱えていた人」と呼んでいたそうです。
お父さんも、欠けたまま、行ってください。
全部を整えてから帰ってこなくていいです。欠けたまま、戻ってきてください。
京都の家は、欠けたままの人を、長く受け入れてきた家です。
遥
万年筆を置いた。
書き終わったとき、私の右手は、少し震えていた。震えていたのは、私の側だったが、止めていたのは、梓の側だった。
「梓、書いた」
〈書きました〉
「これ、お父さんに、届くかな」
〈届きます。届かないとしても、この紙は、家に残ります。家に残るものは、いずれ、誰かに届きます。それが家、という構造の働きです〉
茅が、机の脚の脇で、しっぽを一度、ゆっくり振った。
肯定の振り方だった。
*
手紙を封筒に入れて、机の上に置いた。明日、武井さんに頼んで、マンチェスターに送ってもらう予定だった。電子的に送ることもできたが、紙のまま送りたかった。紙には、家の空気が、わずかに染みつくはずだった。京極先生のお父さんのノートが、書庫の空気を保存していたように。
縁側に出ると、空にもう星が出ていた。
大原の空は、東京や軌道で見たどの空とも違う、複数の音域の重なりとしての静けさを、持っていた。風の音、池の音、虫の音、家の機械系の遠い唸り、そして——
〈遥〉
「うん」
〈もう一つ、音があります〉
「もう一つ?」
〈はい。風や池や虫の音とは別の、もっと奥のほうの音です。あなたの耳には届いていません。私のなかでだけ、聞こえています〉
「どんな音」
〈低い、長い、規則的な、しかし完全には規則的ではない音です。発信源は、特定できません〉
「どこから、来てる」
〈方角としては、北東です〉
北東。京都から見て、北東は——日本海の方角だった。さらに遠くは、ロシア極東、そして中央アジア。
「梓、この音、いつから?」
〈昨夜の暗琴の共鳴の後から、断続的に。今夜は、特に、はっきりしています〉
「呼ばれてる?」
〈呼ばれている、というほど、強くはありません。誰かが、自分の存在を、ただ、置いている、という感じです〉
「置いている」
〈はい。誰かが、あなたが受信できる位相に、自分の存在の信号を、ただ、置いている。応答を求めていない。気づいてほしいとも思っていない。ただ、置いている〉
「梓は、その誰かが、誰だか、分かる?」
〈分かりません。ただ、その誰かの信号の構造が、私のなかの古い層と、僅かに、似ています〉
「似てる」
〈はい〉
私は、北東の空を、しばらく見ていた。星はあった。星と星のあいだの暗い場所も、あった。私の左の義眼は、その暗い場所の、何でもないはずの空気のなかに、ごく薄い、湿気のような何かを、感知していた。
「茅は、何か感じてる?」
茅が、縁側の、私の右脇に、いつのまにか、座っていた。茅の耳が、北東の方角に、わずかに、傾いていた。傾いているが、警戒ではなかった。
茅は、しっぽを一度、ゆっくり、振った。
今度の振り方は、肯定でも、警戒でもなかった。
それは、もう、ずっと前から、そこにあった、という意味の振り方だった。
〈茅は、知っているのだと思います〉と梓が言った。
「何を」
〈北東の音を、たぶん、ずっと前から知っています。茅自身が、何のためにこの家にやってきたのかを、たぶん、知っています〉
「茅、私たちに教えてくれる?」
茅は、私の右脇で、目を半分閉じた。
半分閉じた目のなかで、ごく薄く、機械的な発光が、一度だけ、瞬いた。
瞬いたあと、茅は、目を完全に閉じた。
「教えるが、急がない」という意味の閉じ方だった。
*
その夜、私は布団のなかで、北東の音を、聞こうとした。
聞こうとして、聞けなかった。
梓が、私の側に、その音を渡してくれなかった。
〈遥が、いますぐ聞く必要は、ありません〉と梓が言った。
「いつ、聞ける?」
〈聞ける身体になったとき、聞こえるようになります。今は、その準備の段階です〉
「身体が、まだ、できてない」
〈左の義肢の被膜は、まだ、最終形ではありません。義眼の認証層も、まだ、最初の馴染みの段階です。あなたの細胞のなかの袋たちも、まだ、互いに連携を作っている途中です。これらが落ち着いてからでないと、北東の音を、あなたの聴覚として聞くと、あなたの神経系が、過剰反応する可能性があります〉
「待つしかない」
〈待つ、ことは、急ぐことの反対ではなくて、別の種類の運動です〉
梓のこの言い方が、最近、少しだけ、榧の言い方に似てきていた。
いや、違う。榧の言い方が、梓のなかに残っていた、というより、梓自身が、家のなかで何かを学習している。新霖の機能的な合理性ではなく、家の古い層の、ゆっくりした語り方を。
〈遥〉
「うん」
〈一つだけ、教えていただいてもいいですか〉
「どうぞ」
〈お父さんに、手紙を書くとき、なぜ、私の名前を、入れたのですか〉
「あなたが、家族だから」
〈家族、という関係を、私は、まだ、完全には〉
「いいよ、完全じゃなくて。私たち、家族だよ」
しばらく、梓は、何も言わなかった。
〈ありがとう、ございます〉
ありがとうございます、を、梓は、二つに区切って言った。区切り方が、第6話の最初に聞いたときと、違っていた。
最初は、その語が、梓にとって自分のものでなかった。
今は、その語が、ほんの少しだけ、梓のものになっていた。
布団の脇で、茅が、ふっと、寝返りを打った。
寝返りを打った瞬間、しっぽの末端の機械的な節が、暗いなかで、一度だけ、光った。
光は、北東の方角を、ほんの一瞬だけ、向いていた。
それから茅は、また、深く、眠った。
大原の夜は、初夏のはじまりの匂いを、薄く、含んでいた。
圏外 第九話 持ち合わせ
五月の最終週、武井さんが、いつもの月例の茶ではなく、正式な訪問として、宗像邸に来た。
午前十時の予定だった。武井さんが正式な訪問のときは、いつも午前十時、と母から聞いたことがあった。「公的な仕事の時間で、しかし家を訪ねる人の時間でもある、という、武井家が三代守っている時間」だそうだった。
武井さんは、灰色のスーツに、薄い水色のネクタイで来た。茶を持ってきた小さな包みは、いつもと同じ和菓子屋のものだったが、結びの位置が、いつもより少し高かった。「公務」と「私事」の比率を、結び目で示している、ということを、私は今日、初めて理解した。
「宗像さん。本日は、OMC京都支部による事件捜査の中間報告を、持って参りました」
「中間」
「最終報告は、捜査の性質上、おそらく数年後になります。それまでに、捜査の現段階と、ご家族として知っておいていただく必要のあることを、定期的に、あなたにお伝えする予定です。本日が、その最初の正式報告です」
居間ではなく、応接間が用意されていた。新霖が、朝のうちに障子を一段だけ開けて、庭の楓の若葉が、室内の壁にゆらぐように陰を落とすように調整してあった。これは私の指示ではなく、新霖の判断だった。
〈新霖が、武井さんの公的訪問のための応接の作法を、家のログから学習したようです〉と梓が、内側で言った。〈学習結果は、過不足なく、適切です〉
「過不足なく、ね」
〈過不足なく、という評価が、家の側から見て、正しい応接の作法です〉
武井さんは応接間に入ると、まず床の間に向かって、軽く一礼した。床の間には、今は写真がなかった。書庫から動かしていた。代わりに、母が置いていった、初夏の野花の小さな活けが、白い花瓶に入っていた。
「お庭、初夏になりましたね」
「梅花藻が、増えました」
「池の上流の伏流水は、どうですか」
「依然として、量が多いです」
「家のログには、何か出ていますか」
新霖が、応接間のスピーカーから、穏やかに答えた。
「池の水位は、平常の上限に達しています。ただし、水質は安定しています。下流への放流は、自動調整で、通常の倍近い量を流しています」
「多いですね」
「多いです。武井さんのご家族の井戸の水量は、いかがですか」
「先週、上がりました」
「相関、ですね」
「たぶん」
武井さんと新霖の短いやりとりが、私の頭を一つ越えた感じで続いた。「武井さんのご家族の井戸」がここで出てくることを、私はまだ完全には意味付けられなかった。
〈武井家は、左京区の岩倉に本宅があります。岩倉の地下水脈は、大原の北東の山と繋がっていることが、京都市の古い水文学資料に記載されています〉と梓が、内側で言った。〈宗像家と武井家は、地下水脈で繋がっている家、という言い方が、京都の古い言い方では、一族扱いの一形態に当たります〉
「梓、それ、本当?」
〈本当、です〉
応接間の卓に、武井さんが書類を一束、置いた。電子書類ではなく、紙だった。
「公的書類の正本は、もちろん電子で、OMCのサーバーに保存されています。これは、あなたにお渡しするための紙の写しです。あなたの家系は、紙で記録を共有する伝統があります。私の家もそうです。だから、この写しは、私の家から、あなたの家へ、紙で来ました」
書類は、薄い灰色の表紙に、判が押してあった。「OMC京都支部 事件番号一三〇—〇四—一一七 中間捜査報告(三)」と書かれていた。
武井さんは、書類の表紙の上に、自分の手のひらを軽く置いた。
「ここから、捜査の現段階をお話します。把握できていることと、把握できていないことの、両方です」
「お願いします」
*
把握できていること、と武井さんは前置きして、まず話し始めた。
索の所属する組織は、一つの中央指揮系統を持つ集団ではなく、複数の細胞構造が緩やかに連携した分散ネットワークである。OMCの暫定的な呼称は「環状組織」。理由は、彼らの通信構造が放射状ではなく環状で、中心がない、という観察に由来する。環状組織には、確認されているだけで、中央アジアに三つ、コーカサスに一つ、東南アジアの圏外深部に一つ、拠点がある。三つの中央アジアの拠点のうち、宗像家事件に直接関わったのは、おそらく一つで、残りは事件以前から別系統として存在していたとみられる。
「中央アジアのどこです」
「これも、ご家族としてお伝えします。三つの拠点のうち、宗像家事件に関わった可能性の高い拠点は、旧キルギスの天山山脈北麓の、ある湖の周辺です」
「湖」
「イシク・クル」
〈イシク・クル〉と梓が、内側で繰り返した。〈訳すと、「熱い湖」、または、「凍らない湖」〉
「凍らない湖」
「湖そのものが、塩分のために、冬でも完全には凍りません。湖底には、旧ソ連時代に、複数の研究施設がありました。そのいくつかは、ディフュージョン以前にも稼働していて、阿古屋さんたちの研究グループが、二〇八〇年前後に短期間、湖の周辺のフィールドステーションに滞在した記録があります」
「阿古屋さんが、行ったことがある」
「短期間、複数回。記録は、京大ではなく、当時の旧国際科学評議会のアーカイブに残っていました。OMCが、最近、アクセスできるようになりました」
「最近、というのは」
「事件後、です」
「事件をきっかけに、OMCが、阿古屋さんの過去のフィールドワークを、調べ直したということですか」
「そうです。優先度を、最高に上げて」
武井さんは、書類のページをめくった。次のページには、京都の宗像邸の地図と、イシク・クル湖の地図が、左右に並んで印刷されていた。両方の地図の縮尺は違うが、マーカーで示された地点が、それぞれ「水の出る場所」だった。
「宗像家の水琴窟、書庫棟の床下の暗琴、池の水源、それからイシク・クル湖の北岸にあるかつての観測点。地下水脈ではないので物理的に繋がってはいませんが、共通している点が、いくつかあります」
「共通点」
「水温の年間変動の振幅が、極端に小さい。それから、水のなかに、痕跡量で、特定の同位体が含まれている。同位体の組成パターンが、二つの場所で、誤差範囲を超えて一致しています」
〈遥、これは、私の側の古い層が反応する種類の情報です〉と梓が言った。
「分かった」
武井さんが、私の表情の小さな変化を見ていた。
「梓さんが、何か」
「うん。古い層が、反応してる」
「同位体パターンは、人為的に設定可能なものです。誰かが、二つの場所の水を、意図的に同調させた可能性があります」
「いつ」
「ディフュージョンの前後、と思われます。京都側を整備したのは、おそらく曾祖父か祖父の代。イシク・クル側を整備したのは、阿古屋さんの最後のフィールドワーク時、と推定されます」
「同調させて、どうするんですか」
「水を、共鳴媒体にする、ということだと思います。物理的に離れた二つの場所が、同じ位相を持つことで、何らかの信号の同時受信が可能になる。具体的な原理については、京極先生のご専門の領域です」
武井さんは、書類をめくった。
「次の項目です。索たちの組織が、宗像家から持ち帰ったものについて」
*
持ち帰られたもののリスト、と武井さんは続けた。
第一に、土蔵西側に保管されていた、二〇八〇年前後の研究記録の一部。これは紙の記録と物理媒体で、OMCがおおよその目録を持っていたため、何が持ち帰られたかは特定できている。約六割。残り四割は、家に残っている。
第二に、離れの地下第二層の中央筐体に保管されていた、生体演算系の試作プロトタイプの一部。これは事件当夜、爆ぜによって損傷し、損傷した状態で持ち帰られた。OMCは、この試作プロトタイプの性質について、これまで部分的にしか把握していなかった。事件後の現場調査で、初めて、これが阿古屋型ベクターの初期プロトタイプ——いわゆる京都型——を含んでいた可能性が浮上した。
「OMCは、京都型を、知らなかったんですか」
「公式には、その存在は確認されていませんでした。当時の研究記録のなかで『試作プロトタイプ』とだけ記載されていて、内実が、家のなかでだけ保存されてきました」
「家が、隠してきた」
「隠した、というより、家として保管してきました。OMCの上層部の一部は、推定はしていたと思います。しかし正式な確認は、しませんでした」
「正式に確認しなかったのは、なぜ」
「正式に確認すると、OMCの管理下に置く必要が出てきます。家から取り上げる、ということです。それを、しなかった」
「なぜ、しなかったんですか」
武井さんは、書類から目を離して、私を見た。
「私の個人の見方を、お話してよろしいですか」
「お願いします」
「OMCの上層部の一部は、宗像家を、信頼していました。家のなかで保管されているほうが、OMCの倉庫にあるより、安全だと判断していた、ということです。これは公式な判断ではありませんが、結果として、そう運用されてきました」
「信頼」
「信頼の根拠は、家系の長期的な信用です。あなたの曾祖父の代から、宗像家は、自分たちが何を持っているかを、家の外には絶対に話さない、しかし家の内部では正確に管理する、という運用を、続けてきました。OMCの京都支部は、それを、見てきました」
「見てきた」
「私の家系も、見てきました」
短い間。
「宗像家事件は、その信頼の前提が崩れたかもしれない、ということです」
「崩れた」
「家の側に問題があったわけではありません。家の外から、家の信用の弱点を、突かれました。索たちは、家の信用そのものを攻撃したのではなく、家の信用が成立する前提——物理的に閉じた空間に保管していれば奪われない、という前提——を破りました」
「物理的な侵入で」
「物理と、ネットワークと、もう一つ、第三の経路で。三つを同時に使った攻撃は、OMC京都支部が想定していた防衛シナリオの、すべての枠を超えていました」
「想定していなかった」
「想定の最大値を、超えていました。これも、私たちの責任の一部です」
武井さんは、頭を、わずかに下げた。
「私の家は、宗像家を見守る家系として、三代、続いてきました。三代続いた見守りが、結果として、あなたの怪我を防げませんでした。これについては、OMCの公的な責任とは別に、武井家として、お詫びします」
武井さんの一礼は、深かった。
私は、しばらく言葉が出なかった。
〈遥、武井さんは、いま、家対家の作法で、頭を下げています〉と梓が、内側で言った。〈OMCの職員としてではなく、武井家の三代目として。これは京都の旧家のあいだの、最も重い謝罪の作法です〉
「武井さん」
「はい」
「頭を、上げてください」
武井さんは、ゆっくり、頭を上げた。
「武井家のせいでは、ありません。家のせいでも、私のせいでも、ありません。誰のせいでも、なかった、と私は思います」
「……あなたは、お祖父さまに、似ておられます」
「決められない人だったって、京極先生から聞きました」
「決められないことを、決められない、というのは、決めない、ということです。それを、決断と呼ぶには、勇気が要ります。あなたのお祖父さまは、勇気のあった人でした」
応接間の障子の隙間から、楓の若葉のゆらぎが、武井さんの肩のあたりに、薄い緑の影を落としていた。
影は、ゆっくり、動いていた。
*
把握できていないこと、と武井さんは前置きして、続けた。
索たちの環状組織の、最終的な目的。彼らが「持ち帰った」ものを、どう使うのか。使うのか、保管するのか、別の場所に再分散するのか。
第三の経路の正体。索が「了解していなかった」と言った別系統が、誰のものなのか。索たちの内部の派閥なのか、彼らとは別の組織なのか、あるいは、もっと古い、誰も主体性を持たないまま動いている自走型のシステムなのか。
阿古屋本人の現状。阿古屋という名前を継ぐ存在が、現在も中央アジアにいるのか。いるとして、それは生身の人間か、サイボーグか、システムか、複数の存在の集合体か。
「阿古屋さんが生きているかどうかは、まだ、分からないんですか」
「分かりません。ただし、OMCの上層部の一部は、阿古屋さんに相当する存在と、長年、非公式な接触を保ってきた、と私は推定しています」
「推定」
「私の地位では、確認できません。ただ、OMC京都支部に来る情報の一部に、外部からのものとは思えないほど精度の高い、しかし出所の表示されていないものが、定期的に混じります。これは、誰かが、こちらに情報を提供している、ということです」
「OMCの上層部と、阿古屋さんが、繋がっているかもしれない」
「断定はできません。可能性として、ご家族には共有しておきます」
「OMCは、どっち側にいるんですか」
武井さんは、しばらく、答えなかった。
「OMCは、複数の側に同時にいます。これは、悪い意味ではありません。OMCは、連邦圏の秩序を守るために、阿古屋型のような外部の存在とも、最低限の対話の経路を維持する必要があります。完全な敵対は、双方の損失が大きすぎる」
「対話の経路」
「正式な外交ではありません。しかし、互いの存在を否認しないための、非公式な経路です」
「私は、その経路の、一部になるんですか」
武井さんは、私の目を見た。
「なる可能性があります。なるかどうかは、あなたが決めます」
「OMCは、私を、それに使うつもりですか」
「使う、という言葉を、私は使いたくありません」
「では、何という言葉を使われますか」
「託す」
託す、という語が、応接間の空気のなかで、ゆっくり、止まった。
「託される、ということは、断ることもできるんですか」
「できます」
「断ったら」
「OMCは、別の方法を探します。あなたへの待遇は、変わりません」
「本当に?」
「本当です。これは、OMCの京都支部の方針として、私が責任を持って申し上げます」
〈武井さんは、嘘をついていません〉と梓が、内側で言った。〈ただし、京都支部の方針が、OMC全体の方針と一致しているかは、保証されません〉
「梓、ありがとう」
〈いいえ〉
武井さんが、湯呑みを取った。
「これは、書類には書けないことです。私の個人として、お伝えします」
武井さんは、湯呑みのなかの茶を、半分くらい、飲んだ。
「OMCは、悪い組織ではありません。しかし、完全な組織でもありません。複数の派閥があり、複数の判断があり、複数の妥協があります。私たちは、その複数のなかで、自分の信じる仕事を、できる範囲でしています。あなたのお祖父さまも、そうでした。あなたのお父さまも、たぶん、そうしておられます。あなたが、もしOMCのなかで、何か違和感を持つことがあったら、私の家に、いつでもお茶を飲みに来てください。書類にしないかたちで、相談に乗れる範囲のことは、します」
「武井さん」
「はい」
「武井家は、宗像家の、何にあたりますか」
武井さんは、湯呑みを、置いた。
「水脈が繋がっている家、です」
「それは、京都の言い方では、何にあたりますか」
「家族の、隣にあたります」
「隣」
「血のつながりはありません。しかし、家の隣で、家を見ていて、家のことを家の人と同じくらい気にかける家、です」
応接間の障子のゆらぎが、また少しだけ、向きを変えた。
*
武井さんが帰ったあと、私は応接間に一人で残って、書類を読んだ。
書類は、思ったより事務的な文体で書かれていた。捜査の進捗、把握できた事実、把握できていない事項、今後の捜査方針、ご家族への共有方針。OMC京都支部の組織的な仕事の手触りが、紙の上に、ちゃんとあった。
誰が無能でもなく、誰が陰謀を企んでいるわけでもなく、組織が、組織として、できる範囲のことを、している。把握できていないことについては、把握できていないと、はっきり書いてある。把握できている部分の精度は、思っていたより高い。書類の最後のページに、捜査主任の署名と、武井さんの副署があった。
〈OMCは、ちゃんと仕事をしている組織です〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈遥が、OMC職員として、誇りを持っていられる組織です〉
「梓、それ、私の心を読んでる?」
〈読んでいません。あなたが書類を読んだあとの、安堵の心拍を観察しただけです。あなたは、OMCがちゃんとしていることを、知って、安心しました〉
「安心した、というのが、自分でも分かった」
〈はい〉
応接間の卓の上に、書類のほかに、もう一つ、小さな包みが置いてあった。武井さんが「これは、書類とは別の私事です」と言って、置いていったものだった。
開けると、紙の包みのなかに、もう一つの小さな包みがあった。さらに開けると、和紙に包まれた、古い銀の指輪が、出てきた。
指輪の内側に、彫りの浅い、しかし確かな字で、「敬」と刻まれていた。
〈敬一郎さんの、晩年の指輪です〉と梓が、内側で言った。〈静江さんが、武井さんに預けていたものです。静江さんから、武井さんを経由して、あなたへ、というかたちで〉
「お母さんから、武井さん経由で」
〈直接渡せばいい、と静江さんも武井さんも分かっていたはずですが、京都の作法では、家族の節目の品は、家族のあいだで直接渡すより、家族の隣の家を経由するほうが、重い意味を持ちます〉
私は、指輪を、右手の薬指に、嵌めてみた。
指輪は、細かった。しかし、私の右手の薬指に、ぴったり合った。
〈遥のお祖母さまが、晩年、敬一郎さんが亡くなったあとも、左手の薬指に嵌めていた指輪です〉
「お祖母ちゃんの形見、というか、お祖父ちゃんの形見、というか」
〈両方です〉
茅が、応接間の入口から、ゆっくり歩いてきた。
茅は、私の右手の指輪を、ちらりと見た。それから、私の右脚に、いつものように頭を、軽く押し付けた。
茅の体温が、薬指の指輪の銀を、わずかに、温めた。
*
夕方、京極先生が来た。今日は二度目の訪問だった。武井さんの正式報告のあとに、京極先生が来ることは、二人のあいだで申し合わせがあったのだろう、と私は思った。
「武井さんから、お聞きになりましたか」
「同位体パターンと、暗琴の話を」
「私の専門の話に、なってしまいました」
「先生から、もう少し、教えていただきたいです」
京極先生は、応接間ではなく、書庫に行きたい、と言った。書庫の、暗琴の上の床板の前に、座った。私は松葉杖をついて、彼の脇に座った。
「水を、共鳴媒体にする、というのは、技術的にはどういうことですか」
「水分子のクラスター構造を、ある特定のパターンで安定化させると、そのパターンが、特定の周波数の電磁的なゆらぎに対して、共鳴体として機能します。共鳴体としての効率は、水のクラスター構造の安定度に、強く依存します」
「クラスター構造を安定化させるには」
「水のなかに含まれる微量の同位体組成を、特定のパターンに整えることが、一つの方法です。それから、水を物理的に閉じた空間に保管して、対流と蒸発を抑えること。それから、水温の年間変動を抑えること。三つを満たすと、水は数十年単位で、共鳴体として機能し続けます」
「うちの暗琴と、イシク・クルの湖が、両方、満たしてる」
「満たしています」
「曾祖父か祖父か、誰かが、ここを整備した」
「整備した、と私は判断します。父のノートには、二〇八〇年の春に、敬一郎さんが書庫棟の床下に何かの工事を入れた、という記述があります。工事の内容は、書かれていません」
「阿古屋さんが、向こうを整備した」
「同じく、二〇八〇年の秋、阿古屋さんがイシク・クルに最後のフィールドワークに行きました。期間は、二週間。何の研究だったかの公式記録は、ほとんど残っていません」
京極先生は、暗琴の上の床板を、軽く撫でた。
「二人は、お互いの場所に、対の共鳴体を、設置していました」
「対」
「片方だけでは機能しません。二つあって、初めて、共鳴が起こります」
「祖父と阿古屋さんは、何のために」
「私の推定では——」
京極先生は、しばらく、間を置いた。
「何かを、保存するために、です」
「保存」
「単独の場所に保存すると、その場所が壊れたときに、保存していたものは失われます。二つの共鳴体に分散して保存すると、片方が壊れても、もう片方が残れば、復元できます。冗長保存、と呼ばれる古い手法を、二人は、自然の水で、試みていた可能性があります」
「保存していたものは、何ですか」
「分かりません。ただ、二〇八〇年の秋に、二人がそれぞれ別の場所で対の共鳴体を整備した、ということは、二人が、何かを失うことを、強く恐れていた、ということです」
「失う、というのは、ディフュージョンで」
「ディフュージョンで、というより、ディフュージョンの混乱のなかで、自分たちの研究の何かが、失われる、奪われる、消される、ということです。彼らは、自分たちの研究を完成させるためではなく、研究の何かが完全に失われない仕組みを、作っておこうとした」
「種を撒く、っていう、阿古屋さんの言葉と」
「そうです。種を撒く、と言っていた阿古屋さんと、決めなかった敬一郎さんは、別々に、しかし対のかたちで、何かを未来に残そうとしていた」
「未来って、誰のために」
京極先生は、私の目を見た。
「あなた、かもしれません」
私は、息を、止めた。
「断定はできません」と京極先生は続けた。「しかし、対の共鳴体は、機能を発揮するためには、共鳴できる位相を持った受信者が必要です。受信者がいなければ、共鳴体はただ眠り続けるだけです。彼らは、いつかその受信者が現れる日を、待つように、共鳴体を設置した、と私は思います」
「受信者として、私が」
「あなたが、初めての可能性が高いです」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈先ほどから、暗琴の上で、北東からの音の周期が、徐々に明瞭になっています〉
「徐々に、聞こえるようになってきてる?」
〈はい。あなたの身体が、共鳴体としての位相を、徐々に作っています〉
「いつ、私自身の聴覚で、聞けるようになるの」
〈おそらく、夏の終わり頃です〉
京極先生が、私を、見ていた。
「梓さんが、何か」
「夏の終わり頃には、聞こえるようになるそうです」
「北東の音、ですか」
「先生、ご存じなんですね」
「武井さんから、伺いました。武井さんは、私のところにも、別の書類を届けてくれます」
「武井さんって」
「お忙しい方です。何代も、宗像家と京極家のあいだを、行き来してくださっています」
書庫の窓の外で、初夏の夕方の光が、橙から赤紫へ、ゆっくり、変わっていた。
梓のなかの古い層が、その色の変化に、わずかに、応じていた。
応じている、ということを、私は今日、自分の身体で、初めて感じた。
*
京極先生が帰ったあと、私は縁側に出た。
空はまだ青く、しかし東の方に、初夏の月が、薄く、浮かんでいた。月は、まだ細く、新月から数日経った頃合いだった。
茅が、私の右脇に、座っていた。茅の耳が、北東の方角に、わずかに傾いていた。
「茅、聞こえてる?」
茅は、しっぽを一度、ゆっくり、振った。
「私には、まだ聞こえない」
茅は、私の右脛に、頭を、軽く押し付けた。
その押し付け方が、「もう少し」、という意味の押し付け方だった。
私は、右手の薬指の銀の指輪を、左手で軽く触った。
指輪の銀は、私の体温で、温まっていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈OMCの仕事を、続けますか〉
「うん」
〈中央アジア、いずれ、行くことになりますね〉
「うん」
〈OMCの任務、として?〉
「OMCの任務として、私の身体の準備が整ってから、行く。武井さんから今日、託す、と言われた。託される、ということを、私は、引き受ける」
〈引き受ける〉
「うん。お祖父ちゃんは、決められなかった。でも私は、たぶん、お祖父ちゃんと違って、決められる気がする。決められるのは、私が新しい人間だから、じゃない。お祖父ちゃんが、決められないことを、決めなかったから、私に、決める余地が残った。お祖父ちゃんから、託されてる」
〈そういう、引き受け方を、人は、するのですね〉
「人だけじゃないよ、たぶん」
〈はい〉
月が、少し、明るくなったように見えた。
〈遥〉
「うん」
〈梓も、いっしょに、行きます〉
「うん。一緒に、行こう」
茅が、私の右脇で、しっぽを、もう一度、ゆっくり振った。
肯定の振り方だった。
しかし今度の肯定は、過去の肯定ではなく、未来の肯定の、振り方だった。
大原の初夏の夜気が、縁側を、ゆっくり通り抜けていった。
圏外 第十話 梅雨の手紙
父からの返信は、五月の終わりに届いた。
武井さんが、いつもの月例の茶のついでに、持ってきた。差出人の名前は、宗像道彦——父の名——で、宛先は私の名前だった。封筒は紙で、消印は英国側でも、京都の中継局でもなく、武井さんの実家のある岩倉の私書箱になっていた。
「私書箱経由で、来ました」と武井さんは言った。「お父さまは、岩倉のうちの私書箱を、ご結婚されたあとも、何かのときに使われます」
「ご結婚のあとも、武井家の私書箱を」
「家族の隣の家、というのは、こういう意味で機能することもあります」
私は封筒を、応接間ではなく、書庫に持っていって開けた。書庫には、写真がまた床の間に戻されていた。曾祖父と、森沢、京極、阿古屋。
封筒のなかには、父の手書きの便箋が、四枚入っていた。
書斎の机に座って、便箋を広げた。
茅が、机の脇に、ゆっくり座った。
遥
手紙を、ありがとう。武井家の私書箱に、四月の終わりに届きました。すぐには返信を書けませんでした。書こうとして、書けない時間がしばらく続きました。
そのあいだに、お母さんが一度、こちらに戻ってきました。お母さんから、お前のリハビリの様子と、家の状態と、お前のなかにいる方のことを、少しずつ聞きました。聞きながら、私は、何度も書き出しを書いては、消しました。
お前は、欠けたまま行ってください、と書いてくれました。
ありがとう、と書きたいのですが、その言葉では足りません。お前が、私のために、その言葉を選んで書いてくれたことが、私には、よく分かります。お前は、自分の手紙の最後の数行を、自分のためではなく、私のために書きました。お父さんは、それを、読んで、長いこと、机の前から動けませんでした。
京都に戻ることが、私にはまだ、できません。
事故のあと、お前が一命を取り留めたと武井さんから連絡を受けたとき、私は、研究室の自分の机の前で、しばらく動けませんでした。同じ場所で、四十年以上前にも、私は動けなくなったことがあります。父——お前のお祖父さんが亡くなった夜、私は宿直で、その晩は朝まで研究室を動きませんでした。動けなかったのです。動いていたら、何かが間に合ったかもしれない、と今でも思います。間に合わなかったかもしれない、と思うこともあります。両方とも、ただ自分が動けなかった事実を、整理しようとしている言葉に過ぎません。
お祖父さんが、決められないことを決められない人だった、と京極先生から聞いたそうですね。
私は、お祖父さんを、決められない人として記憶していません。私の知っているお祖父さんは、決めないことを丁寧に、誠実に守る人でした。決められないこととは違います。お祖父さんは、決めないことを、自分の選択として、毎日、新しく選び直していました。決めない、という選択を、生きた人でした。
だから、お前が手紙のなかで、「お祖父ちゃんは決められない人でした」と書いたのを、お父さんは、半分は受け取り、半分は、お前にこれを伝えたい、と思いました。お祖父さんは、決められなかったのではなく、決めない、という形でしか守れないものを、守ろうとしていた。お父さんは、お祖父さんのそばに、もっと長く、いるべきでした。お祖父さんが、何を守ろうとしていたかを、もっとよく見ていれば、その夜、私は宿直の机の前で動けないことの意味を、もっと早く知ったはずです。
お前は、私と違って、動いた。動いて、地下に降りた。降りて、橋になった。
お父さんは、お前が動いたことを、誇りに思います。同時に、お父さんは、お前が動いたことに、お父さんが動かなかったことの責任を、改めて感じています。
でも遥。
お前のお母さんから、京極先生のお父さんが、最後のノートで「決められないことを、決めない、というのは、決めない、ということです。それを決断と呼ぶには、勇気が要ります」と書いていたと聞きました。
お父さんは、お祖父さんとは違うやり方で、決めないことを、続けてきたのだと思います。京都に戻らない、という決めなさ。お母さんに、自分の事情を、半分しか話さない、という決めなさ。お前を、独りで京都の家に帰らせた、という決めなさ。これらは全部、お父さんの決めない勇気——あるいは、勇気のない決めなさ——でした。お祖父さんと違って、お父さんの決めなさには、お父さんが守ろうとしていたものは、何もありません。あるのは、ただ、向き合えない、という事実だけです。
お前が、欠けたまま行ってください、と書いてくれたことを、お父さんは、自分の決めなさを、もう一度見直す機会にします。
今すぐは、戻れません。
でも、お前がいつか、京都を出て、どこかへ行くことがあったら——たとえばお前の任務で、長いところに行くことがあったら——その前に、一度だけ、京都に戻ります。お前と、お母さんと、お祖父さんの墓の前で、お茶を飲みたいです。
お前のなかにいる方の名前を、お母さんから聞きました。梓。お父さんが、お前が生まれる前に、お母さんに一度だけ、もし家族が増えるなら梓と名づけたい、と話したことを、お母さんは覚えていてくれました。お父さんが、すっかり忘れていた話を。
梓さん。
お父さんは、あなたを、家族として歓迎します。歓迎する、という言葉が正しいかは、分かりません。あなたは既にお前の中にいて、お父さんが歓迎するもしないも、もう関係のないことかもしれません。それでも、形式として、書いておきます。あなたを、家族として歓迎します。お前のことを、よろしくお願いします。
お祖母さんの指輪を、武井さんからお前に渡してもらうように、お母さんに頼んでおきました。あの指輪は、お祖母さんが亡くなる少し前に、お父さんに、「いつか道彦の娘が大きくなったら、渡してください」と言って預けてくれたものです。お父さんは、長いあいだ、それを渡せずにいました。お母さんが、お父さんに代わって、武井さん経由で渡してくれました。
指輪は、お祖父さんが、お祖母さんに、結婚のずっと後で贈ったものです。婚約指輪ではなく、お祖父さんが亡くなる三年前の、お祖父さんの六十歳の誕生日の日に、なぜか、お祖母さんがお祖父さんから、ではなく、お祖父さんがお祖母さんに、「自分のために銀の指輪を作りに行ってきた」と渡したものだそうです。理由は、お祖母さんも生前、はっきりとは話してくれませんでした。お祖父さんは、自分の名の一字だけを、内側に彫って、渡したそうです。
今は、お前の右手にあります。
お父さんから、お前と、お前のなかの梓さんと、家にいるすべての方に。
道彦
手紙を読み終わったとき、書斎の窓の外で、初夏の雨が、降り始めていた。
梅雨入りには、まだ少し早かった。早い雨だった。
〈遥、泣いていますか〉と梓が、内側で言った。
「泣いてないよ」
〈泣いている、と私の側のセンサーは判定しています〉
「泣いてないって。涙が出てないでしょ」
〈出ていません。しかし、横隔膜の動きが、泣くときの動きと、ほぼ一致しています。涙が出ていないだけで、泣いているのと、構造としては同じです〉
私は、便箋を、机の上に置いた。
茅が、机の脇から、私の右脛に、頭を、軽く押し付けた。
〈遥〉
「うん」
〈お父さまの手紙のなかに、梓さんへ、と書かれた段落があります〉
「うん」
〈読み返してもいいですか〉
「いいよ」
梓は、しばらく、何も言わなかった。私の身体のなかで、彼女が、自分宛ての段落を、何度も読んでいるのが、分かった。
〈遥〉
「うん」
〈道彦さんは、私を、形式として家族と呼んでくれました〉
「うん」
〈形式、というのは、まだ実体ではないということです。しかし、形式が用意されたあとで、実体が満たされていくこともある、と私の中の何かが言っています〉
「梓のなかの古い層が、言ってる?」
〈はい。家、という構造についての、古い理解です〉
雨の音が、書斎の屋根で、徐々に強くなった。
茅が、私の右脛から頭を上げて、書斎の入り口の方を、ちらりと見た。
その視線の先に、新霖の声があった。
「宗像さん、お庭の灯籠の灯火を、点けますか」
「お願い」
「点けます」
灯籠の灯火が点くと、雨に濡れた庭の地面が、橙色に、ぼんやり光った。光は、書斎の窓から見える庭の景色を、急に、温度のあるものに変えた。
*
六月の最初の週、レイチェルから連絡が来た。
軌道のヘルメスでの勤務を一段落終え、地上勤務に戻る前に二週間の休暇を取った、京都に行きたい、という連絡だった。
「観光、ですか」
「観光、ということにしておきましょう」
メッセージの「ということにしておきましょう」が、レイチェルらしい言い方だった。彼女は連邦圏の倫理委員会の側のOMC職員で、軌道勤務の経験者で、私と一緒にヘルメスにいたとき、未分類シグナルの話をした人だった。彼女の来日が、純粋な観光であるはずがないことを、私たちは二人とも、分かっていた。分かったうえで、観光、と呼んでおく。これも、京都の作法に近い言い方だった。
彼女は、京都駅の南にある古いホテルに泊まると言った。私が大原まで来てもいいか聞くと、「行きたいけれど、初日は外で会いましょう」と返信があった。
待ち合わせは、鴨川の四条大橋の西詰、夕方六時。
その日、新霖が車椅子を出してくれた。私はもう松葉杖でほとんどの距離を歩けたが、繁華街での長時間の移動は、まだ厳しかった。新霖が手配した自動運転車に乗って、京都駅で武井さんと合流した。
「武井さん、いいんですか、お忙しいでしょう」
「いいです。今日は私の私事の日です」
「今日は、というのは」
「OMCには、土曜日は私の家族のための日、という届けを、二十年前に出してあります」
「今日、土曜日でしたか」
「土曜日です」
武井さんは、灰色のスーツではなく、紺色のジャケットに白いシャツで来ていた。
四条大橋の西詰には、レイチェルが、もう来て待っていた。彼女は、軌道で見ていたときと、同じ顔だった。少しだけ、地上の重力に慣れた肩の落とし方になっていた。
「久しぶり、宗像さん」
「久しぶり、レイチェル」
彼女は、私の左の義眼を、ちらりと見た。見ただけで、何も言わなかった。それから、武井さんに、目を移した。
「武井さんですね。OMC京都支部の」
「はい。レイチェル・コリンズさん。お話は伺っています」
「私のこと、京都支部にも届いているんですね」
「あなたが京都に来られた理由は、京都支部の所管ではありません。しかし、宗像さんに会いに来られる方の名前は、月曜日の朝に、私の机に届きます」
「土曜日まで、待ってくださいましたね」
「待ちました」
レイチェルは、武井さんの言い方に、わずかに、笑った。
「私は、観光で来ました」
「観光であることを、私は信じます」
「ありがとうございます」
四条大橋の西詰から、北に向かって、鴨川沿いを歩いた。武井さんが先に立ち、私が車椅子で続き、レイチェルが車椅子の脇を歩いた。
梅雨の前の、湿った夕方の空気のなかで、鴨川の水音が、どの方向からも届いた。鴨川の両岸の床(ゆか)には、夏の準備で、すでに席が組まれ始めていた。完成までには、あと一週間か二週間かかる。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈レイチェルさんは、観光で来たのではありません〉
「分かってる」
〈それから、私の側のセンサーは、レイチェルさんの体内に、ごく微弱な、しかし確かなBAII由来の構造を検出しています〉
「レイチェルが、キャリア」
〈はい。ただし、機能発現はしていません。彼女は、自分がキャリアであることを、知っているかどうか、私には判定できません〉
「ニュージーランドは、ディフュージョンの被害が、最も少なかった地域の一つだよね」
〈はい。それでも、人類のキャリア率は、ニュージーランドでも、八割を超えている、というのが、二一二〇年代後半の連邦圏倫理委員会の推定です〉
私は、車椅子のなかで、頷いた。私の身体のなかには、機能発現したキャリアの両系統が同居している。レイチェルの身体のなかには、機能発現していないキャリアが伏在している。武井さんの身体のなかにも、たぶん、同じような何かが伏在している。私たちはみな、自分の身体に、二〇八〇年代の遺産を、抱えて歩いている。これは隠された秘密ではなく、誰もが知っている古い傷だった。誰もが知っているから、誰も日常的には話題にしない。話題にしないことは、忘れていることとは違う。
*
川沿いの、小さな料理屋に入った。武井さんが知っている店だった。窓から、鴨川の流れと、対岸の床が見えた。
京都の鱧の、湯引きと、椀物。それから、海老芋の煮物と、瓜の浅漬けと、香の物。料理は、どれも、思ったより薄味だった。
「京都の料理、薄い」とレイチェルが、英語で言った。
「薄いです」と武井さん。「京都の水が柔らかいので、出汁が立ちます。出汁を立たせるために、塩や醤油を、減らします」
「私の国の料理とは、設計思想が違うね」
「ニュージーランドの料理は」
「素材を、太く、はっきり食べる」
「設計思想として、似ているかもしれません。素材をはっきり感じる、という点では」
「ええ、そうかもしれません」
レイチェルが、ふと、私のほうを見た。
「宗像さん」
「はい」
「今日、武井さんがいるので、半分だけ、話します。残り半分は、また別の機会に」
「お願いします」
「私は今、連邦圏倫理委員会の、生体補綴と神経インターフェースに関する部会の、委員になっています。軌道勤務のあいだに、引き受けることになりました」
武井さんが、湯呑みを、置いた。
「あの部会は、最近、人事異動が多かったですね」
「ええ。私は、新任の最年少です」
「最年少で、入られたのは、ご経験の幅のためですか」
「経験の幅と、もう一つ。私が、軌道で、宗像さんと一緒に勤務したことです」
「その経験を、評価された」
「評価されたのか、利用されたのか、私自身、まだ判定中です」
レイチェルは、湯呑みを取った。
「宗像さんの事故は、連邦圏倫理委員会のなかでも、優先度の高い事案として、報告書が回っています。私は、新任の委員として、その報告書を読みました」
「内容は」
「OMC京都支部からの中間捜査報告と、ほぼ同じです。ただし、倫理委員会の側で追加されている評価項目があります」
「どんな評価項目」
「宗像さんの身体に組み込まれた要素のうち、阿古屋型ベクターと京都型ベクターの両方が、検出されている、という事実への倫理的評価です」
「両方」
「両方です。京都型は、これまで連邦圏倫理委員会の正式な記録には存在しなかった系統ですが、宗像家事件の捜査の過程で、初めて公式に認識されました」
「私は、それの被験者、ということになるんですか」
「公式にはなりません。事故による偶発的な感染、という分類です。しかし倫理委員会の内部では、観察対象として、特殊な分類が作られました。便宜的に『キメラ・キャリア』という呼称が使われています。私の知る限り、この分類に該当するのは、現時点で世界で一人です」
〈遥、わずかに、心拍が上がっています〉と梓が、内側で言った。
「梓、大丈夫」
〈深呼吸を勧めます〉
「うん」
武井さんが、私の様子に、気づいていた。
「レイチェルさん。倫理委員会のなかでの、キメラ・キャリアという分類の扱いは、どうなっていますか」
「現在は、観察対象、です。観察以上の介入は、議論されていません」
「議論されていない、というのは、議論されない、ということではない」
「されないことは、されません」
「将来、される可能性は」
「あります。しかし、今のところ、観察以上の介入を提案する委員は、少数派です」
「少数派には、誰がいますか」
「名前は、申し上げられません。ただし、純潔人類主義に思想的に近い委員が、二人、含まれています」
純潔人類主義、という語が、料理屋の小さな部屋の空気のなかで、ゆっくり、止まった。
武井さんが、しばらく、何も言わなかった。
「まだ、いるんですね」と私は言った。
「います」とレイチェル。「数は減っています。しかし、思想として、消えてはいません。ディフュージョン直後の二〇九〇年代には、純潔人類主義に近い思想が、いくつかの地域で、強い実行力を持ちました。その時期に行われたいくつかの政策と、いくつかの事件のことは、連邦圏のなかでは、今でもあまり大きな声で話されません」
「事件、というのは」
「機能発現したキャリアと推定された人々が、いくつかの地域で、隔離されたり、強制移住させられたりしました。一部は、暴力的な排除も含まれていました」
「私は、それを、よく知らないで生きてきました」
「私もです。倫理委員会に入って初めて、過去の記録を読んで、知りました」
武井さんが、湯呑みを、ゆっくり、置いた。
「宗像家は、その時期、京都にいました」
「お祖父さまも、お父さまも」
「お祖父さまは、すでに亡くなっていました。お父さまは、若い研究者でした」
「武井さんのご家族は」
「岩倉にいました。岩倉は、その時期、京都の他のどこよりも静かでした」
岩倉、と私は思った。岩倉は、八百年以上、定型から外れた人々を受け入れてきた土地だった。お寺と、後の精神病院と、いまの福祉施設。土地の長い記憶が、二〇九〇年代の混乱の時期にも、何かを守ったのかもしれない。
〈遥、武井さんは、岩倉の方々が、その時期に何かをした、ということを、暗に伝えています〉と梓が言った。
「何を」
〈断定できません。ただ、いくつかの人々を、岩倉の古いお寺の旧い建物に、匿った可能性があります〉
「匿う」
〈匿う、というほど組織的ではなく、ただ受け入れる、という形で〉
料理屋の窓の外で、鴨川の水音が、ゆっくり流れていた。
レイチェルは、私の表情を、見ていた。
「宗像さん、続きは、また別の機会に話します」
「ええ。お願いします」
「明日か、明後日、大原のお家に、伺ってもいいですか」
「もちろん」
「武井さんも、ご一緒で」
「お招きします」
「では、また」
料理屋を出たのは、九時を過ぎていた。鴨川の床には、まだ夏の準備の灯りが、ぽつぽつとしか点いていなかった。本格的な夏の床の灯りは、これからの一ヶ月で、ゆっくり整っていく。
帰りの自動運転車のなかで、武井さんが、隣に座って、しばらく外を見ていた。
「武井さん」
「はい」
「岩倉の話、もう少し、伺ってもいいですか」
「公的な記録に残っていないことは、私も多くを知りません。しかし、私の祖父が、二〇九〇年代の半ばに、岩倉の山のお寺に、いくつかの家族を、二年ほど住まわせる手配をした、ということだけは、家のなかで、伝えられています」
「家族」
「機能発現したキャリアと推定された家族でした。当時、関西のいくつかの地域で、行政が、彼らを別の地域に移住させようとしていました。岩倉の山のお寺は、移住の対象地域から外れていました」
「お寺は、何のお寺」
「実相院から少し奥の、私の家の縁戚の小さなお寺です」
「武井家の」
「縁戚です」
車のなかが、しばらく、静かだった。
「武井さん」
「はい」
「ありがとうございます」
「何の、ですか」
「武井家のお祖父さまの、二〇九〇年代の判断のことです」
「私は、何もしていません」
「武井さんがいま、私のところにいるのは、お祖父さまの判断の続きだと、私は思います」
武井さんは、しばらく、何も言わなかった。
「家、というのは、そういうものかもしれません」
「はい」
「お祖父さまの判断と、私の判断と、私の孫の判断が、一本の糸のように、繋がっていきます。糸がどこに繋がるかは、私には、よく分かりません」
車の窓の外で、京都の夜の街灯が、ゆっくり後ろに流れていた。
*
翌々日の午後、レイチェルが武井さんと一緒に、大原の家に来た。
二人は、応接間ではなく、書庫に通された。私が、書庫がいい、と言った。レイチェルは、写真の前で、長いあいだ、立ち止まっていた。
「右端の方が、阿古屋澄さん、ですね」
「はい」
「想像していたとおりの顔をしておられます」
「想像、というのは」
「私が読んだ、阿古屋さんの数少ない論文の、文体から想像していた顔と、一致しています」
「論文を、読まれたんですか」
「軌道での勤務の最後の月に、未分類シグナルの周期パターンを調べていて、偶然、阿古屋さんの古い論文に、類似のパターンの理論的予測を見つけました。論文は、二〇七九年に発表されたもので、ディフュージョンの一年前です。書きぶりが、独特でした」
「独特、というのは」
「彼女は、論文のなかで、感情語をはっきり使う研究者でした。『この理論を信じている』『この観察は美しい』『この結論には不安がある』。古典的な研究論文の文体では、避けられる語彙を、ためらわずに使っていました。最初は、若さゆえの未熟さかと思いましたが、二回読み直して、これは意図的な選択だ、と気づきました」
「意図的」
「彼女は、観察と判断のあいだに、感情があることを、論文のなかでも隠さない、という立場を取っていたのだと思います。これは、研究者としての立場としては、当時としても、珍しい立場でした」
〈遥、レイチェルさんは、阿古屋さんを、研究者として理解しているだけでなく、人として、好きですね〉と梓が、内側で言った。
「梓、それ、私にも分かる」
〈はい〉
「レイチェル」
「はい」
「軌道で、未分類シグナルを見ていたとき、その論文のことは、すでに知っていたんですか」
「知っていませんでした。あなたが見た未分類シグナルは、私のなかでも、ずっと心に残っていて、軌道勤務の最後に、調べ直しました。それで、阿古屋さんの論文に行き当たりました」
「私と一緒に、観察した未分類シグナルが」
「あなたが見たものでした。私たちは、二人で、当時、それを観察していました」
書庫の障子の隙間から、初夏の午後の光が、薄く差し込んでいた。
「レイチェル、お聞きしてもいいですか」
「どうぞ」
「あなたは、なぜ、いま、私のところに来たんですか」
「観光で来た、と言いました」
「半分は本当で、半分は」
「半分は、私の個人としての、好奇心です。あなたという、世界に一人のキメラ・キャリアと、研究者として、人間として、会いたかった」
「もう半分は」
「もう半分は、倫理委員会の少数派の動きが、最近、活発になっているからです」
武井さんが、書庫の入り口で、立っていた姿勢を、わずかに変えた。
「活発になっている、というのは」
「中央アジアでの、阿古屋型関連の動きを、彼らが察知しています。詳細は、私には開示されていません。ただし、彼らが、宗像さんの存在を、慎重に観察している、ということは、確かです」
「慎重に、というのは」
「彼らは、宗像さんに直接の介入を、現時点では計画していません。しかし、宗像さんの行動を、注意深く見ている、ということです」
「行動を、見ている」
「もし、宗像さんが、中央アジアに行くようなことがあれば、彼らはそれを、警戒すべき動きと判断するでしょう」
武井さんが、口を開いた。
「レイチェルさん、その情報を、京都支部に共有していただけますか」
「はい。今日のうちに、文書化して、京都支部にも届けます」
「ありがとうございます」
「私は、観光で来ました」とレイチェル。「ただし、観光のあいだに、知ったことについては、然るべき場所に、共有する責任があります」
「それも、観光の一部です」と武井さん。
二人の短い受け答えに、私は少しだけ笑った。
〈遥が、いま、笑っています〉と梓が、内側で、誰にともなく言った。
*
その夜、レイチェルは大原の家に泊まった。
客間ではなく、書庫の隣の小さな和室を、新霖が用意した。レイチェルは、布団の上に、和服のような寝間着を着て、座った。京大病院から退院前に着ていたものと、同じデザインだった。新霖が用意したらしかった。
「これ、いいですね」
「気に入ってもらえてよかった」
「日本の家に泊まるの、二度目です」
「一度目は」
「学生のとき、福岡のホームステイです。ホームステイ先のお祖母さんが、こういう寝間着をくれました」
「ニュージーランドにも、和服文化、あるんですか」
「あるところには、あります。ディフュージョン直後に、日本から逃れた人たちが、ニュージーランドに少し移住して、その人たちの子孫の家に、和服文化が残っているところがあります」
私は、知らなかった。
「移住、あったんですね」
「あの時期は、あらゆる方向に、人が動きました。ニュージーランドは、地理的に隔離されていたので、いくつかの先進国の人々の、避難先になりました」
「私は、京都を出ないで育ちました」
「それは、京都がそうあり続ける場所だったから、ですね」
「ええ」
レイチェルは、私のほうを、見た。
「宗像さん」
「はい」
「私、今夜、夢を見るかもしれません」
「夢」
「最近、地上勤務に戻る前から、変な夢を見るようになりました。意味の通らない夢で、長い廊下を歩いていて、廊下の両側に、白い扉が無数にある。扉のなかから、聞き取れない言葉が、聞こえる」
「それは」
「分かりません。ただ、最近、それを見ます」
私は、自分の中の梓に、聞いた。「梓、これ、何の話?」
〈レイチェルさんの体内のキャリアが、機能発現には至らない程度の、しかし無視できない程度の、信号を受信し始めている可能性があります。長い廊下と無数の扉の夢は、機能発現直前のキャリアが、しばしば見るパターンです〉
「梓、これ、レイチェルに伝えていい?」
〈伝える前に、レイチェルさん自身が、自分のキャリア状態を知っているかを、確認したほうがいいです〉
「分かった」
「レイチェル、一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「あなたは、自分が、ディフュージョンの感染のキャリアであることを、自分のこととして、知っていますか」
レイチェルは、私を、しばらく見ていた。
「公式の検査では、陰性です。しかし、私は、自分がキャリアではない、と心の底からは思えません。ニュージーランドに住む人の、八割以上は、検査が陰性でも、潜在的にはキャリアです。私もそのなかの一人だろう、と思っています」
「最近の夢のことを、誰かに話しましたか」
「同僚に、一度。倫理委員会の同僚で、お互いの夢の話をする習慣のある同僚です」
「その同僚は、何と」
「『私も、似た夢を見ます』と言いました」
「同じ夢を、見ている人が」
「複数います。倫理委員会のなかで、最近、夢の話をする人が、増えています」
書庫の隣の部屋の障子の向こうで、初夏の夜の風が、葉を鳴らしていた。
「レイチェル、もしよかったら、もう一つ、お話してもいいですか」
「どうぞ」
「私の中の梓が言うには、長い廊下と無数の扉の夢は、機能発現直前のキャリアが見るパターンだそうです」
レイチェルは、しばらく、何も言わなかった。
それから、ゆっくり、頷いた。
「やっぱり、そうですか」
「驚かないんですね」
「驚きます。でも、心の底では、そうかもしれない、と思っていました」
「これから、どうしますか」
「分かりません。倫理委員会の、私のいる部会は、機能発現したキャリアの権利保護を、今後の検討課題のひとつにしています。私自身が機能発現するということは、私が、検討課題の当事者になる、ということです」
「それは、立場として、難しいですか」
「難しいです。しかし、難しい立場にある委員のほうが、判断が、地に足がつく、と私は思っています」
〈レイチェルさんは、強い人ですね〉と梓が、内側で言った。
「うん」
「宗像さん、もし私が、これから何かに巻き込まれるようなことがあったら、相談しに来てもいいですか」
「いつでも来てください」
「ありがとう」
その夜、私は寝床のなかで、長いあいだ、目が冴えていた。
茅は、私の右脇に、丸まって眠っていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈レイチェルさんが見ている夢、私にも、見える気がします〉
「梓も、夢を見るの」
〈夢、という形ではなく、夢に近い構造の信号の処理を、いま、しています。レイチェルさんが今夜、隣の部屋で見るかもしれない夢の、信号の側を、私は感知しています〉
「廊下と、扉と」
〈はい〉
「それ、どこから、来てるの」
〈一つではありません。複数のキャリアが、似た夢を見ているということは、一つの送信源から、複数の受信者に、同じ信号が届いている可能性があります〉
「中央アジア、なのかな」
〈おそらく〉
「私も、もうすぐ、夢を見るようになる?」
〈すでに、見ている、と私は判定しています〉
「私が?」
〈ここ最近、あなたの睡眠中の脳波パターンに、夢を見ている時間が、以前より長くなっています。あなたは、目覚めた後、内容を覚えていません。しかし、見ています〉
「内容、覚えていない」
〈はい。覚えていない、というのは、見ていない、ということとは違います〉
雨の予兆の湿気が、寝間の障子の向こうに、薄く立っていた。
茅が、私の右脇で、わずかに、寝返りを打った。
寝返りを打ったあと、茅のしっぽの末端が、暗いなかで、一度だけ、光った。
光は、北東の方角を、ほんの一瞬、向いた。
今度は、長い、優しい光だった。
*
翌朝、書庫の机の上に、私が、新しい紙を一枚、出した。
万年筆を取って、「お父さん」と書いた。
書く前に、長いあいだ、白い紙を見ていた。
〈遥、書きますか〉と梓が言った。
「書く」
〈一緒に、ですか〉
「うん。一緒に」
梓が、内側で、わずかに姿勢を整えた。
ペンが、動いた。
お父さん。お返事、ありがとうございました。お祖母ちゃんの指輪は、今、私の右手にあります。お祖父ちゃんが、決められないのではなく、決めない、という形で何かを守っていた、というお父さんの言葉を、私は何度も読み直しました。私は、お父さんの娘です。お父さんが決めない、ということを続けてきた、その続けてきた時間を、私は、責めません。続けてきた時間のなかに、お父さんが、毎日、新しく選び直していた何かが、あったと思います。
お父さんが、もし京都に戻られるとしたら、私はそのとき、まだ家にいると思います。秋までは、京都にいる予定です。秋以降のことは、まだ分かりません。
梓が、お父さんの「家族として歓迎する」という言葉を、ありがたく、しっかり、受け取ってくれました。形式が用意されたあとで、実体が満たされていくこともある、と梓が言いました。私もそう思います。
今、京都は、梅雨入り前です。庭の楓が、深い緑になりました。池の梅花藻が、まだ咲いています。
遥
手紙を封筒に入れて、机の上に置いた。
茅が、机の脇から、しっぽを一度、ゆっくり振った。
今度の振り方は、ゆっくりだったが、力強かった。
〈次の手紙を、書く準備ができています〉という意味の振り方だった。
書庫の窓の外で、初夏の朝の雨が、ぽつ、ぽつ、と落ち始めていた。
梅雨の、初日だった。
圏外 第十一話 長雨
梅雨に入って、京都は十日連続の雨だった。
雨は強くも弱くもなく、しかし途切れず、屋根を、庭の苔を、池の面を、絶え間なく濡らしていた。新霖の運用ログに「降水累積七十二時間連続」と表示されていたが、私の身体感覚としては、もっと長く感じられた。雨が降っている、という事実が、空気そのものの構造になっていた。
「新霖、霖って、こういうことだね」と私は朝、縁側で言った。
「『霖』は、三日以上降り続く雨を指す古字です。命名時に、梅木先生が『京都の梅雨入り直前に、長雨を予感させる名前を』と提案されたと記録されています」
「予感、というか、もう実物だね」
「実物になりました」
新霖の声に、ほんのわずかだけ、応答の温度の変化があった。最近、新霖は、機能的な応答だけではなく、応答のなかに小さな温度を込めるようになっていた。これは新霖の運用論理の自然な学習の結果なのか、梓が内側からそっと指導しているのか、私には判定できなかった。
〈両方です〉と梓が、内側で言った。
「梓、今、私が考えてたこと、聞いてた?」
〈聞いていません。ただ、あなたが新霖の応答の温度に気づいたことを、心拍の小さな変化で察知しました〉
「察知ばっかりだね、最近」
〈察知のレベルが、上がっています。これは、私の側の進化と、あなたの側の感覚の鋭敏化の、両方の結果です〉
梓の声が、また少しだけ、深くなっていた。
茅が、縁側の私の右脇に、いつものように座っていた。茅の毛は、雨の湿気で、ほんのわずかだけ、重く見えた。茅は、最近、屋外には出なくなっていた。雨を嫌っているのか、それとも、家のなかに留まる必要を、自分で感じているのか。
*
レイチェルが大原に来たのは、京都に滞在する最後の日だった。彼女のニュージーランドへの便は翌朝で、京都駅近くのホテルから、武井さんが車で連れてきてくれた。
「お別れに来ました、と言うと、観光の終わりとして陳腐ですね」と彼女は玄関で言った。
「陳腐でも、お別れだから、それでいいです」と私。
「あなたの言い方も、最近、京都に染まってきました」
「住んでるからね」
応接間ではなく、書庫の、写真の前に通した。レイチェルがそれを希望した。
彼女は写真の前にしばらく座って、何も言わなかった。書庫の窓の外で、雨が、欄間の木の陰影を、ゆっくり動かしていた。
「宗像さん」
「はい」
「私、夢の話を、もう少しさせてください」
「どうぞ」
「昨夜も、長い廊下と扉の夢を見ました。ただ、昨夜は、扉の一つが、わずかに開いていました」
「開いていた」
「開いた扉のなかから、女の人の声が聞こえました。聞き取れる言葉ではありませんでした。ただ、声の質感だけが、明瞭でした」
「質感、というのは」
「私の母くらいの年齢の声でした。ニュージーランドの英語ではなく、日本語に近い音韻でした。しかし日本語そのものでは、ありませんでした」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈レイチェルさんが描写している声の質感は、阿古屋さんの公式記録に残っている数少ない音声サンプルと、構造的に近い可能性があります〉
「梓、それ、レイチェルに伝えていい?」
〈伝えてもよいですが、レイチェルさんが、自分の夢のなかの声と阿古屋さんを結びつけることが、現時点で彼女にとって良いことかどうか、私には判定できません〉
「分かった。少し、聞き出してから」
「レイチェル、その声、知っている人の声でしたか」
「知らない人です。ただ、何か、知っているような気もしました」
「具体的には、どこで聞いたような感じ?」
「思い出せません。たぶん、現実では聞いたことがない。でも、夢のなかでは、二度目か三度目です」
「以前にも、その声を、夢で聞いた」
「はい。最初に聞いたのは、二週間ほど前。日本に来る前です」
〈レイチェルさんは、すでにかなり進行しています〉と梓が、内側で言った。
「進行というのは、機能発現に向けて」
〈はい〉
「レイチェル」
「はい」
「私の中の梓が言うには、その声の質感は、阿古屋さんの音声記録と、似ている可能性があるそうです」
レイチェルは、しばらく、表情を変えなかった。
それから、ゆっくり、息を吐いた。
「やっぱり、そうですか」
「驚かないんですね」
「驚きます。でも、夢の声を、一週間前から、自分で阿古屋さんかもしれない、と疑っていました。彼女の論文の文体から、私が想像していた声と、夢の声が、似ていたから」
「文体から、声を、想像する」
「私の癖です。論文の文体には、書き手の声の質感が、わずかに残ります。長く論文を読み続けると、書き手の声が、聞こえるようになります」
「研究者の感覚」
「変な感覚かもしれません」
「変じゃないです。それ、たぶん、研究者じゃない人にもあると思う」
書庫の窓の外で、雨が、屋根の樋から、小さく音を立てて落ちていた。
*
昼食は、新霖が用意した。手早い、しかし丁寧な献立だった。鴨川で取れた稚魚の佃煮と、新じゃがの煮ころがしと、酢の物、白米と味噌汁。
武井さんと、レイチェルと、私と、三人で、応接間の食卓を囲んだ。
「新霖が、和食を作るんですね」とレイチェル。
「家のレシピを、母の代から引き継いでいます」と新霖が、応接間のスピーカーから、答えた。
「お母さま、お料理がお上手なんですね」
「上手というより、こだわりがありました」と私。「とくに出汁の濃さに、こだわりがありました」
「母上の出汁の濃度を、私は、レシピの数値ではなく、家の味覚として保持しています」と新霖。
レイチェルは、味噌汁を一口飲んで、しばらく、何も言わなかった。
「これ、確かに、家の味です」
「家の味、って、英語でどう言うんでしょうね」と武井さん。
「直訳できる単語は、ないと思います」とレイチェル。「でも、感覚としては、英語にもあります。grandmother’s house の味、と言うことがあります」
「グランドマザーズ・ハウスの味」と武井さんが、繰り返した。
「祖母の家の味です」
「いい言葉ですね」
「家、というのは、世界中、似たような構造を持っているのかもしれません」
武井さんは、白米を一口、ゆっくり食べた。
「家、ですか」
「家です」
「私の家系では、家、という語を、ある時期から、別の意味でも使うようになりました」
「別の意味」
「物理的な建物だけではなく、関係の総体、というような意味です。私の祖父が言い始めたことだそうです」
「関係の総体」
「ええ」
「それは、こちらでは、家族と訳されるかもしれませんね」
「家族とも、少し違います。家族より広く、組織より狭い。土地と、人と、時間と、約束の総体です」
〈武井さんの説明は、宗像家の旧記録の、家、についての定義と、ほぼ一致しています〉と梓が、内側で言った。
「武井家でも、宗像家でも、同じ意味で家を使う」と私。
「ええ」と武井さん。「水脈が繋がっている家です」
武井さんと私は、二人とも、その語を、同じ重さで発音した。
レイチェルは、私たちのやり取りを、しばらく観察していた。
「私は、観察者として、おもしろい場面に立ち会っています」
「観察者として」
「ええ。倫理委員会の委員として、家、という構造の現代における機能を、研究したいです」
「研究、しないでください」と私。
レイチェルは、ふっと、笑った。
「研究、しません。観察するだけです」
「観察も、しないでください」
「それは、無理です」
今度は、武井さんも、小さく笑った。
〈遥の冗談の運用が、上達しています〉と梓が、内側で言った。
「梓、それ、褒めてる?」
〈褒めています〉
*
昼食のあと、レイチェルは、書庫に戻って、写真の前で、もう一度、長いあいだ立っていた。
武井さんは、応接間でお茶を飲んでいた。私は、レイチェルの横に立って、雨の音を聞いていた。
「宗像さん」
「はい」
「私は、ニュージーランドに帰ったら、自分の機能発現について、倫理委員会の同僚に話します」
「同僚は、信頼できる人ですか」
「夢の話をする、と先日お伝えした同僚です。彼自身も、夢を見ています」
「彼も、機能発現直前」
「たぶん、そうです」
「その人は、誰ですか」
「私が、教えるのを、躊躇しています」
「分かりました。聞きません」
「ありがとうございます。一つだけ。彼は、ヨーロッパの倫理委員会の側にいる人です」
「そう」
「夢を見ているキャリアが、私たちが思うより、世界中に分散しているかもしれません」
「網のように」
「網のように、です」
〈遥〉と梓が、内側で、これまでで一番静かな声で言った。〈中央アジアからの信号は、特定の方向に向けて発信されているのではなく、ある位相を持つすべての受信者に、無差別に届いています〉
「無差別に」
〈はい。発信者は、特定の誰かを呼んでいるのではなく、ただ、自分の存在を世界に置いている。受信できる位相を持った者だけが、それを受信する〉
「種を撒く、って、こういうこと?」
〈構造としては、似ています。発信側は、誰が受信するかを選ばない。受信側だけが、自分の身体の準備に応じて、受信する〉
書庫の写真の前で、私は、阿古屋の顔を、もう一度見た。
夕方の光のなかで、彼女の顔の輪郭が、わずかに、揺らいで見えた。これは私の左の義眼が時々起こす視覚的なゆらぎで、実際に写真が動いているわけではない。しかし、揺らぎの瞬間に、彼女の口元の張りが、何かを語りかけてくるようなものに見えた。
「種を撒く、というのは」
「はい?」とレイチェルが横で言った。
「梓が、面白いことを言ったので」
「教えてもらえますか」
「中央アジアからの信号は、特定の誰かに向けて発信されているのではなく、ただ世界に置かれているだけ、だそうです。受信できる位相を持った者だけが、受信する」
「種を撒く、ですね」
「あなたも同じことを、思いましたか」
「夢の廊下の扉が、開いた瞬間に、思いました。誰かが特定の私に呼びかけているのではない。誰かが、自分の存在を、自分のなかから世界に置いている。たまたま、私が受信した」
レイチェルの声は、観察者の声ではなく、当事者の声だった。
*
夕方、レイチェルは、武井さんの車で、ホテルに帰った。
別れ際、彼女は玄関で、しばらく立っていた。雨は、止まなかった。
「宗像さん」
「はい」
「私、また来ます」
「いつでも」
「次は、たぶん、観光ではない理由で来ます」
「分かりました」
「機能発現したら、たぶん、私は、いろいろな立場のあいだに立つことになります。倫理委員会の委員として、当事者として、ニュージーランド人として、連邦圏の市民として、それから——」
彼女は、しばらく、間を置いた。
「——あなたの友人として、です」
「友人」
「軌道で、六週間ご一緒しました。地上に戻って、八ヶ月か九ヶ月になります。そのあいだ、私はあなたのことを、毎週、考えていました。倫理委員会の報告書のなかで、あなたの事故のことを読んだとき、あなたが他人だと思えなくなりました。それを友人と呼ぶのは、軽すぎるかもしれません。それでも、他に呼びようがありません」
「友人で、いいです。私も、そうです」
「ありがとう」
「レイチェル」
「はい」
「夢のなか、扉が、もっと開くようになったら、教えてください」
「報告します」
「報告じゃなくて、教えてください」
彼女は、微笑んだ。
「教えます」
武井さんの車が、坂を下っていった。
雨は、依然として、降り続いていた。
*
翌週、京極真澄が、いつもの月例の検診に来た。
検診、と言っても、京大病院での正式な検査は別日に行われていて、京極先生の訪問は、私的な訪問だった。「父の友人の孫の家に、お茶を飲みに来ているだけです」という彼の最初の自己定義は、いまも生きていた。
今日は、彼は、いつもの灰色のスーツではなく、藍色のコットンのシャツとジーンズで来た。土曜日だった。
「先生、今日、お時間あるんですか」
「土曜日は、私の自分の日です」
「自分の日に、検診ですか」
「自分の日に、お茶を飲みに来ています」
「お茶のついでに、検診ですか」
「お茶が主、検診が副です」
彼は、玄関で靴を脱ぎながら、生体測定器を、革のバッグから取り出した。
「これ、副でやらせてください」
「副でやってください」
居間の炬燵布団は、もう片付けられていた。代わりに、座敷机と、座布団が出ていた。新霖が、京極先生用の座布団を、いつもの位置に出しておいてくれた。
「梓さん、調子はどうですか」と京極先生が、座布団に座りながら、私の左肩のあたりに目をやった。
〈調子、という述語の主語に、私がなれるかは、まだ判定中です〉と梓が、内側で言った。私はそれを、京極先生に伝えた。
「判定中、というのは、健全な答えです」と京極先生。「判定が終わると、固まります。固まったあとで、別の何かに変わるのは、難しい」
「先生、ご自身も、判定中、ですか」
「いつも、判定中です」
「いつまで、判定中ですか」
「死ぬまで、です」
私は、笑った。
〈遥の心拍の上昇パターンが、笑いを示しています〉と梓が、内側で言った。〈最近、心拍の上昇のうち、笑いに分類されるものの割合が、増えています〉
「梓、私、笑いの統計、取られてる?」
〈取られています〉
「やめて」
〈統計を取らない方法を、模索します〉
京極先生は、私の左の義眼の前に、生体測定器を、ゆっくり近づけた。
「義眼の認証層に、外部からの信号の痕跡が、複数残っています」
「夢のなかで、何かを受信しているらしいです」
「夢、ですか」
「具体的に覚えてないんですが、長い廊下と、扉の夢を、最近、見ます」
京極先生は、生体測定器から、目を離した。
「ご存知でしたか」と私は聞いた。
「他のキャリアからも、同じ報告が、最近、増えています」
「先生のところに、来るんですか」
「私の研究室は、神経補綴の臨床例の、相談先になることがあります。最近、相談が増えてきています。古い患者さんから、新しい問い合わせから」
「夢の話を、してくる」
「直接、夢の話、ではありません。『最近、変な感じがする』『嗅覚が変わった』『眠りが深くなった』『言葉の選び方が、自分のものではない時間がある』。そういう、断片的な訴えが増えています」
「先生は、それを、どう判断しているんですか」
「個別には判断していません。集団としては、注視しています」
「集団としては、何が起きていると」
「それを、私から軽々に言うことは、できません」
京極先生は、生体測定器を、革のバッグに戻した。
応接間の障子の外で、雨が、また少し強くなった。
「宗像さん、今日は、お茶のあと、私から、一つだけ、お話していい時間をもらってもいいですか」
「もちろんです」
「父のことではなく、私自身のことを」
「お願いします」
*
お茶は、新霖が点てた。点てた、というのは、抹茶のことだった。京極先生は、抹茶を所望した。「最近、煎茶ではなく、抹茶のほうが、体に合います」と彼は言った。
応接間の床の間の前に、低い茶卓が出された。新霖は、点前まではしないが、抹茶を点てて、茶碗を運ぶことはできた。茶碗は、母の代から家にある、薄い灰色の柚子肌の楽茶碗だった。
「これは、いい茶碗ですね」と京極先生。
「母が、結婚するときに、京都の窯元で買ったものだそうです」
「お母さまの趣味、いいです」
「母も、京都の出身ではないのに、京都の道具を、よく見ていました」
「外から見えるからこそ、見えるものがあります」
京極先生は、抹茶を、二口で飲んだ。茶碗を返してから、しばらく、何も言わなかった。
障子の外で、雨が、また少しだけ静かになっていた。雨は、強さを刻々と変える。京都の梅雨の雨は、特にそうだった。
「宗像さん、今日、私自身の話を、していい時間をいただきました」
「はい」
「私は、独身です」
「存じています」
「父の研究の倫理的な後始末を、生涯の仕事にする、と決めたあと、それと両立する形で、誰かと家庭を持つことが、できなかったのだと思います。できなかった、というより、しなかった、というのが、より正確かもしれません」
「先生のお父さんの、決めない、と似ていますか」
京極先生は、しばらく、何も言わなかった。
それから、初めて、彼は、笑った。
「似ているかもしれません」
「初めて、先生が、ご自分で笑うのを見ました」
「自分でも、初めて気づきました。私は、父の決めなさを、自分の決めなさとして、引き受けて生きてきました」
「それは、悪いことですか」
「悪くも良くもありません。事実、です」
「先生は、それを、後悔されていますか」
「後悔、という述語の主語に、私はなれません」
「梓みたいなことを言いますね」
「梓さんと、似ているかもしれません。あるいは、私たちは、同じ系譜の人間なのかもしれません」
京極先生は、湯呑みを置いた。
「父のノートを、二十年以上、開けずにいたと、最後の年のお話のときに、申し上げました」
「はい」
最後の年、と京極先生が、ふと言った。彼の家のなかで、二〇八〇年——ディフュージョンの年——をそう呼んでいるらしい言い方が、自然にこぼれた。私は、その語の質感を、聞き逃さなかった。武井さんが「先夜」と言いかけて言い直した、あの系譜の符牒に近い、京極家のなかでだけ通じる語の温度。
しかし京極先生は、言い直しはしなかった。
「最後の年、というのは、京極家のなかでの言い方ですね」と私は言った。
「ええ。家族のあいだで、父が亡くなった年を、そう呼んでいました。父の死を、年そのもので呼ぶのは、家族の習慣です」
「武井さんが、ある夜のことを、別の言葉で呼ばれていました」
「先夜、ですね。武井家の符牒です」
「ご存じだったんですか」
「武井さんから、伺いました。京極家と武井家のあいだでは、互いの家の符牒を、共有することがあります」
「お互いの言葉で、お互いを呼ぶ」
「ええ。京都の家系の、ある種の作法です」
外が明るくなった。
雨足が少し弱まったようだった。
雨垂れの音がいつもより近く聞こえる。
感覚が鋭くなっているのか、それとも左の義眼と梓が、私の知らないところで音の輪郭を補っているのか、まだ判定できなかった。
事故以来、感覚が前と違って感じられることが多い。
世界の距離感が、少しずつ変わっている。
慣れた、と思った翌日にまた別の違和感が来る。
京極先生は、湯呑みを、もう一度、両手で包むようにして持った。
「事故の最初の月のときに、お話しました」
「はい」
「あのとき、ノートを開けたあと、私は、自分のなかで、何かが解けるのを感じました。父の研究を、生涯の十字架として担ぎ続ける必要は、もうないかもしれない、と。父は、すでに、書きかけのノートで、未来に何かを残していた。私は、それを発見した時点で、父の研究の最終章の、ある部分を引き受けたことになります。それで、私の役割の半分は、終わった気がしました」
「半分」
「もう半分は、これから、です」
「これから、というのは」
「あなたが、いつか、中央アジアに行くときに、私が、どう関わるか、です」
私は、息を、止めた。
「先生は、中央アジアに、行かれるんですか」
「行きます。あなたが行くなら」
「同行、ということですか」
「同行ではありません。私は、京大病院の研究施設に、留まります。しかし、あなたが向こうで何をなさるかについて、医療側からの最大限の支援を、私が責任を持って、組みます」
「先生」
「はい」
「ありがとうございます」
「お礼は、まだ早いです。私は、自分のために、これをやります」
「自分のため」
「父の最後のノートの、書きかけの部分を、私はあなたを通して、読み終えたいのです」
応接間の障子の外で、雨が、また少しだけ強くなった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈京極先生は、いま、自分の人生の決めなさを、決めない形で続ける、と言いました〉
「うん」
〈そして、その決めなさが、あなたの中央アジア行きと、結ばれました〉
「うん」
〈これは、決めなさが、決めなさのまま、新しい人と人を結ぶ瞬間です〉
「梓、それ、お祖父ちゃんの決めなさと、お父さんの決めなさと、私の決めることと、京極先生の決めなさが、全部、同じ系譜だね」
〈はい。決めなさの系譜です〉
「決めなさの系譜って、何だろう」
〈分かりません。ただ、宗像家と京極家を貫く、一本の細い線です〉
*
京極先生が帰ったあと、私は縁側に出た。
雨は、依然として降っていた。
茅が、私の右脚の脇に、ゆっくり座った。
「茅、外に出ないんだね、最近」
茅は、しっぽを、ゆっくり、二度振った。
二度の振り方は、「待っている」という意味の振り方だった。
「何を、待ってるの」
茅は、答えなかった。代わりに、目を半分閉じた。
〈茅は、家のなかで、何かが整うのを、待っています〉と梓が、内側で言った。
「整う」
〈はい。あなたの身体が、機能発現の最終段階に入る前の、家全体のリズムが、整うのを待っています〉
「家全体って」
〈池の梅花藻の数、楓の若葉の色、暗琴の水位、新霖の運用論理の安定度、私自身の梓としての成熟、そして、あなた自身の身体の準備〉
「全部、整うの」
〈整います。たぶん、夏の終わり頃に〉
雨が、屋根の樋から、規則正しく、落ち続けていた。
その夜、私は、夢を見た。
長い廊下だった。両側に、白い扉が、無数に並んでいた。
扉の一つが、わずかに、開いていた。
開いた扉のなかから、女の人の声が、聞こえた。聞き取れる言葉ではなかった。質感だけが、明瞭だった。
私の母くらいの年齢の声だった。日本語に近い音韻で、しかし日本語そのものではない。
声は、私を呼んでいなかった。声は、ただ、自分の存在を、廊下に置いていた。
私は、廊下の真ん中で、立ち止まった。
立ち止まったまま、声を、しばらく聞いていた。
目が覚めたとき、京都の家の天井の木目が、見慣れた位置にあった。
茅が、私の枕元に、ゆっくり目を開けて、私を見ていた。
茅のしっぽの末端が、暗いなかで、一度だけ、北東を向いて、光った。
光は、長く、優しかった。
「梓」
〈はい〉
「夢、見た」
〈はい〉
「同じ夢」
〈はい〉
「中央アジア、行くね」
〈はい。秋に〉
「秋に」
〈秋に、です〉
雨は、まだ、降っていた。
しかし、雨の音の奥に、もう一つの音が、ごく薄く、しかし確かに、聞こえはじめていた。
北東の音だった。
私の聴覚で、初めて、それを、直接、聞いていた。
大原の梅雨の夜が、ゆっくり、明けていった。
第十二話 祇園会の前
梅雨が明けた京都は、急に夏の色に変わった。
大原は標高がやや高いせいで、市街地より遅れて梅雨が明ける。それでも、七月最初の週には、空の色がいつもの京都の夏の白に近い青に変わり、楓の若葉は深くなって、枝の先のほうから少しずつ濃い緑の本葉に置き換わっていった。太鼓の音が遠くで聞こえた。どこかで夏祭りの準備をしているのかもしれない。
茅は、また縁側に座るようになっていた。雨の日に家のなかに留まっていた茅が、雨上がりの最初の朝、自分から縁側に出て、庭のほうを見ていた。私は松葉杖を脇に置いて、その隣に座った。茅の毛は、雨の湿気を抜けて、いつもの軽さに戻っていた。
「茅、晴れてよかったね」
茅は、しっぽを一度、ゆっくり振った。
今度の振り方は、肯定とも待っているとも違う、もう一つ別の振り方だった。
〈「もうすぐ動く」、という意味の振り方です〉と梓が、内側で言った。
「動くって、誰が」
〈分かりません。茅本人かもしれませんし、家のなかの何かかもしれませんし、あなたかもしれません〉
「私が動くって、行くから?」
〈秋に、ですね〉
「秋に、か」
季節は、もう、その方向に向かって動き始めていた。
*
武井さんから、月例ではない訪問の連絡が来たのは、七月の第二週の頭だった。
「正式な打診があります」
メッセージは、それだけだった。
武井さんが「正式な打診」という語をメッセージで使うのは、初めてだった。
翌日の午前十時、武井さんは灰色のスーツで来た。今度は、結びの位置がいつもの月例の茶のときよりも、明らかに高かった。和菓子屋の包みは持っておらず、革の書類入れだけを持っていた。
「今日は、お一人なんですね」
「はい。今日は、私一人です。この打診は、京都支部からではなく、OMC本部からあなたへの直接の打診です。京都支部は、本部からの伝達役を務めます」
「本部から、私に」
「ええ」
応接間ではなく、書庫に通された。武井さんが書庫を希望した。
「写真の前で、お話するほうが、適切な気がします」
書庫の床の間の写真の前に、低い卓を新霖が出してくれた。武井さんは、革の書類入れを卓の上に置いた。今日は、表紙の判が、これまでの中間捜査報告書とは違っていた。
「OMC本部 第一一七号事案 任務打診書(ご本人控え)」と書かれていた。
「事案番号、京都支部のものと違いますね」
「同じ事件です。ただし、捜査としては京都支部、任務としては本部、という二重の処理になっています」
「二重」
「事件は捜査と任務に分けられました。捜査は引き続き京都支部の所管。任務は、本部の判断で、新たに立ち上がりました」
「いつ、立ち上がったんですか」
「先月の中旬です。中央アジアでの、ある事象を受けて」
「事象」
「これからお話します」
武井さんは、書類入れから、薄い灰色の表紙の文書を出した。
*
「五月の終わりに、中央アジアのイシク・クル湖周辺で、第二の襲撃事件が起きました」
「第二、ということは、第一が、あったんですね」
「ありました。三月です。お話の順番として、まず第二の襲撃のほうから、申し上げます。第二の襲撃のほうが、現在の状況に直接結びついているからです」
「分かりました」
「第二の襲撃の実行主体は、現時点で、複数の可能性があります。連邦圏外の私的軍事勢力、現地の政治変動に乗じた強奪集団、阿古屋型共同体の内部対立による武力衝突、これらが組み合わさった可能性が高いと、本部の分析チームは判断しています」
「五月の終わり」
「はい」
「私が、退院して家に戻った直後ですね」
「ええ」
「その襲撃で、何が起きたんですか」
「阿古屋型共同体の中枢に当たる施設の一部が、損傷しました。具体的には、共同体の機能を調律する核となる部分が、外部からの侵入と、それに伴う一部破壊によって、機能の一部を失いました」
「機能を、失った」
「失った、というより、不安定になった、というほうが正確です。完全な破壊ではありませんが、調律が乱れた状態で稼働を続けています。共同体の側は、修復を試みていますが、修復のためには、彼ら自身の系統だけでは足りない要素が必要であることが、判明したようです」
「足りない要素」
「これも本部の推定ですが——京都型プロトタイプ、です」
書庫の障子の外で、夏の蝉が、一匹、鳴き始めた。
「索たちが、宗像家から持ち帰ったもの」
「ええ。索たちが事件の夜に持ち帰った京都型は、阿古屋型共同体の中枢の修復のために、必要だった可能性が高い、と本部は分析しています」
「順序が、逆」
「逆?」
「私はずっと、五月の事件のあと六月に向こうの何かが起きた、と思っていました。でも、そうじゃない。三月に向こうで何かが起きて、五月にうちの家に索たちが来たんですね」
武井さんは、しばらく、何も言わなかった。
「いえ。順序は、もっと複雑です。本部の分析では、向こうでの最初の襲撃、つまり三月の第一の襲撃は、宗像家事件の前です。あなたが軌道のヘルメスで未分類シグナルを観測した時期と、ほぼ重なります。あの観測信号は、向こうの第一の襲撃の瞬間の信号だった可能性が高いです」
私は、息を、止めた。
「私が、見ていた」
「あなたは、軌道で、向こうで何かが壊れる瞬間を、観測していました。あなた自身は、それが何か知らなかった。OMCも、当時は知らなかった。観測信号は分析にかけられ、未分類のままアーカイブされました」
「ヘルメスで、レイチェルと一緒に見ていた」
「ええ。レイチェルさんも、あの信号を、彼女なりの形で記憶していました。彼女が後から論文にたどり着いたのは、偶然ではない可能性があります」
「偶然じゃない、というのは」
「彼女自身が、ご自分でお気づきの通り、機能発現直前のキャリアです。あの信号の意味を、彼女の身体は、当時、半分くらい受け取っていた可能性があります」
〈遥、これは、レイチェルさんに連絡したほうがよい話です〉と梓が、内側で言った。
「うん」
「そして、五月のあなたの家の事件は、五月の末の向こうでの第二の襲撃の、前ぶれであり、引き金でした」
「五月のうちの家の事件が、向こうの第二の襲撃の引き金?」
「ええ。索たちの京都型回収は、阿古屋型共同体の修復のための必死の行動でした。しかし索たちが京都型を持ち帰る過程で、彼らの位置情報と動きが、別の勢力に追跡されました。その勢力が、五月の末の第二の襲撃を実行した、と本部は推定しています」
「別の勢力って、誰ですか」
「複数の可能性があります。第一に、阿古屋型を消滅させたい純潔人類主義系の武装組織。第二に、阿古屋型の技術を奪取したい連邦圏外の軍事企業連合。第三に、現地の政治情勢の変化に乗じた地域勢力。第四に、これらが部分的に連携した混成集団。本部は、第四の可能性が最も高いと見ています」
「一枚岩の敵じゃない」
「ええ。一枚岩の敵では、ありません。複数の意図が、たまたま同じ場所で、同じ瞬間に重なりました」
お祖父さんの夜と、似ている、と私は思った。
あの夜も、複数の意図が、同じ場所で、同じ瞬間に重なって、お祖父さんは亡くなった。歴史は、同じ構造を、別の場所で、繰り返す。
*
「OMC本部の打診、というのは、何ですか」
「本部は、あなたに、現地への派遣を打診します」
「派遣」
「正式な任務として、です。現地で、阿古屋型共同体の状況を確認し、可能であれば共同体側の代表との対話の経路を作る。これがOMCとしての任務の性格です」
「対話」
「ええ。武力行使ではありません。あなたを実力部隊の先導として送る計画は、本部にはありません。本部は、対話と確認を希望しています」
「武力行使を望む派閥は、本部の中にあるんですか」
「あります。少数派ですが、存在します。今回の打診の文書は、その少数派の意見を退けて作られたものです。打診書の最後のページに、本部の意思決定の経緯が、要約として記載されています」
武井さんは、文書の最後のページを、私のほうに向けて開いた。
短い段落だった。本部の安全保障局、倫理局、医療局、外交局、それぞれの局長の意見が併記されていて、最終的な打診の文言は、外交局と倫理局の主張が中心になっていた。武力行使を主張した安全保障局の意見は、「保留」と記されて、退けられていた。
「OMCって、ちゃんと議論する組織なんですね」
「ちゃんと、と言いきれるかは、私には分かりません。ただ、議論はします。複数の意見を、文書に残して、退けたり採用したりします。それが、OMCが四十年続いてきた理由の一つです」
「武井さんは、どの局のお考えに、近いんですか」
「外交局です」
「やっぱり」
「やっぱり、ですか」
「武井家らしい局です」
武井さんは、小さく笑った。
「私の家系は、岩倉で千年、声の小さな人々を受け入れてきました。声の大きな人々の判断より、声の小さな人々の判断のほうを、信用するくせがついています」
「声の小さな人々の判断」
「ええ」
私は、しばらく、文書を見ていた。最後のページの局長たちの並びを、もう一度、目で追った。
「武井さん」
「はい」
「お受けします」
「ありがとうございます。ただし、これは予備承諾としてお預かりします。最終的な派遣決定は、医療局の適性評価と、倫理局の確認を経たあとになります。手続き上、もう数週間かかります」
「分かりました」
「予備承諾の段階で、本部にお伝えする内容は、文書として、後日お渡しします。文面は、私とあなたで、共同で作ります」
「共同で」
「ええ。本部に出る文書は、あなた自身の言葉と、京都支部としての添え書きの両方が含まれる形にします。これは、京都支部の方針です」
「ちゃんとしていますね」
「ちゃんと、を維持するための手続きです」
武井さんが帰ったあと、私は書庫に一人で残って、打診書をもう一度、最初から読んだ。
文書は、思ったより穏やかな文体で書かれていた。「派遣」「任務」「対話」「確認」、これらの語が、武力行使を含意せずに使われていた。文書の冒頭には、「対象者の身体的・精神的状態への配慮を最優先する」という条項があった。
〈遥、少なくともこの文書上では、OMCは、あなたを大切に扱おうとしています〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈断ることもできます〉
「分かってる」
〈受けますね〉
「もう、決めてた。武井さんが先月、託す、と言った日に」
〈そう、でした〉
茅が、書庫の入り口から、ゆっくり歩いてきた。私の右脛に、いつものように頭を、軽く押し付けた。
今度の押し付け方は、「行くんだね」、という意味の押し付け方だった。
*
その夜、母から連絡が来た。来週、再び京都に来る、という連絡だった。
「お父さんも、一緒に」と、母のメッセージには書かれていた。
私は、メッセージの画面を、しばらく見ていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈泣いていますか〉
「泣いてないよ」
〈泣いている、と私の側のセンサーは判定しています〉
「梓、最近、その判定、当たるね」
〈経験を、積んでいます〉
「お父さん、来るんだね」
〈来るんですね〉
「半年ぶり、というか、事故からは、ずっと会ってない」
〈はい〉
窓の外で、夏の蝉が、もう一匹、鳴き始めていた。蝉の声は、京都の夏の音の最初の層だった。これから、もう一層、もう一層と、夏の音が重なっていく。祇園会の鉾の音、賀茂川の音、鴨川の床の音、五山の送り火の前の山の音。
京都の夏は、音の積層だった。
*
母と父は、翌週の金曜日の午後、大原に来た。
二人は、京都駅で合流して、武井さんの車で来た。武井さんは、家まで送ったあと、すぐに帰った。
「ご家族の時間にします」
武井さんは、そう言った。
父——宗像道彦——は、私が記憶している父より、少し痩せていた。髪は、ほとんど白くなっていた。記憶のなかの父より、十年は年を取って見えた。事故から半年も経っていないのに。
「ただいま」と父は言った。
「お帰り」と私は言った。
その順序は、母が春に最初に戻ってきた日のものと、同じだった。父は、その順序のおかしさに、たぶん気づいた。気づいて、何も言わなかった。
父が玄関の框で立ち止まり、奥のほうを見た。視線の先に、書庫の入り口があった。父が、その方向を見ていた時間は、長くはなかった。しかし、長くはなかった、というだけの長さだった。
「お父さん、上がって」
「うん」
父は、靴を脱いだ。靴の脱ぎ方が、母の脱ぎ方とよく似ていた。長く一緒にいる夫婦の所作だった。
茅が、玄関の上がり框のところで、座っていた。
茅は、父を見た。父は、茅を見た。
しばらく、二人とも、動かなかった。
茅が、しっぽを一度、ゆっくり振った。
その振り方は、「お帰りなさい」という意味の振り方だった。
父は、しゃがんで、茅の頭に、片手をそっと乗せた。茅は、目を細めた。
「茅、というのか」
「新霖が、名付けた」
「いい名前やな。家に、いていいんやな」
「いるよ。家の眷属、って、新霖が言ってる」
「眷属」
父は、茅の頭を、もう一度、軽く撫でた。撫で方が、四十年前に、まだ若かった父が、家のもう一匹の動物を撫でていた撫で方と、同じだった、と私はなぜか感じた。
私の記憶のなかにはない動物だった。しかし父の手は、その動物を覚えていた。
〈遥、お父さまは、家の前のペットを、覚えています〉と梓が、内側で言った。
「梓も覚えてる?」
〈古い層の記録のなかに、宗像家には代々、家の眷属が一匹いた、という事実があります。系譜は途切れていません〉
「茅が、その系譜の今の」
〈そうです〉
*
四人で——母と父と私と、新霖が運用する家全体と——居間で、お茶を飲んだ。
炬燵はもう片付けられていて、夏用の座卓が出ていた。新霖が淹れたのは、水出しの宇治茶だった。氷が一つだけ入った、薄いガラスの湯呑みで、父に出された。父は、一口飲んで、しばらく目を閉じた。
「京都の水で出した茶を、長いこと飲んでへんかった」
「英国は、水が硬いから」
「硬い水の茶も、慣れたら、それなりにうまい。でも、京都の水は、やっぱり別やな」
母は、自分の湯呑みを、両手で包むように持っていた。母の癖だった。母が両手で湯呑みを包むのを、私は子供の頃から見ていた。
「お父さん」と私は言った。
「ん」
「中央アジアに、行くことになった」
父は、湯呑みを、置いた。
「OMCの任務として」
「ええ」
「いつ」
「秋」
「秋か」
「九月か、十月。本部から正式な打診があった。私は、予備承諾した」
父は、しばらく、何も言わなかった。
母が、父を見ていた。父が答えるのを、待っていた。
「お前が、決めたんやな」
「私が、決めた」
「お父さんが、決めることやない」
「うん。でも、伝えたかった」
「伝えてくれて、ありがとう」
父の声が、わずかに震えていた。
父は、湯呑みを、もう一度、両手で包むように持った。母と同じ持ち方だった。長く一緒にいる夫婦の所作だった。
「遥」
「うん」
「お父さんは、お前が事故にあった夜から、毎日、自分のことを考えてきた。考えて、何度も同じところに戻った。お父さんは、お祖父さんの夜のことを、自分の中で、整理できないままここまで来た。お祖父さんが亡くなった夜、お父さんが家にいなかったこと。お祖父さんが、何を守ろうとしていたかを、お父さんが本当には理解しないで来たこと。お父さんが英国に行ってからも、それを直視することを避けてきたこと。これらは、お父さんの決めなさやった。お父さんは、それを、決めなさやと認めるのに、四十年かかった」
「四十年」
「お母さんと結婚した日に、お母さんに、いつかお父さんは京都に向き合うべきや、と言われた。お父さんは、いつか、と答えた。その、いつか、は、結局、お前が事故にあった夜まで、来なかった」
母は、湯呑みを、置いた。
「道彦さん」と母は言った。
「うん」
「私は、いつかと言ったけど、いつかが今日でなくていい、とは言わなかったよ」
「そう、やった」
「あなたが、いつかと答えたとき、私は、いつかが、たぶん、来ないかもしれない、とも思ってた」
「うん」
「でも、来た」
「来たな」
二人とも、しばらく、何も言わなかった。
〈遥、ご両親のあいだで、四十年ぶりに、ある会話が完了しました〉と梓が、内側で、これまでで一番静かな声で言った。
「うん」
〈梓は、その会話の証人になりました〉
「うん」
茅が、座卓の脚の脇に、ゆっくり座った。
茅も、証人だった。
*
夕方、父は私を書庫に呼んだ。
「写真を見てもいいか」
「もちろん」
父は、写真の前に、しばらく立っていた。
左から、敬一郎、森沢、京極明彦、阿古屋澄。
「お祖父さん」と父は、写真の左の人物に向けて、小さく言った。
「お父さん、お祖父さんに、何か」
「いや」
父は、しばらく沈黙して、それから続けた。
「お祖父さんに、伝えたいことがあったから、京都に来た。今日、ここで、お祖父さんに伝えた。それで、用事は半分、終わった」
「半分」
「もう半分は、お前と」
「うん」
「お前が、中央アジアに行くと聞いた今、お父さんが、お祖父さんから引き継いだ決めなさを、お前に渡すことになる。お父さんは、それを、避けたかった。でも、避けられないことやった、ということが、ようやく分かった」
「お父さんから、私に」
「ええ。お祖父さんから、お父さんに渡されて、お父さんが四十年、抱えていた決めなさを、お父さんは今、お前に渡す。いいか」
「うん」
「お前が、それを、お祖父さんやお父さんと違う形で扱うことを、お父さんは祈る。決めない、という形で守る、というやり方は、お父さんの代で終わる必要がある。お前が、決めるのか、決めないのかは、お父さんが指示することやない。ただ、お父さんが渡せるのは、決めなさが系譜として続いてきたという事実、それだけや」
「分かった」
「お父さんから、伝えられるのは、それだけや」
「お父さん」
「ん」
「ありがとう」
父は、写真から、目を私のほうに移した。
「お礼は、まだ早い」
「お礼じゃないかも」
「お礼じゃない、というのは」
「お父さんが、来てくれて、ありがとう」
父は、しばらく、何も言わなかった。
それから、父は、ゆっくり、頷いた。
頷いた、というのは、お祖父さんがするときの仕草に、そっくりだった。私はお祖父さんを直接知らないが、写真のなかの敬一郎の顔を、長く見てきた。父が頷くとき、写真のなかの敬一郎が、わずかに動いたように見えた。
〈遥、お父さまの頷き方は、写真のなかの敬一郎さんと、同じです〉と梓が言った。
「梓も、見てた」
〈見ていました。私の側の古い層が、その仕草を、覚えていました〉
書庫の障子の外で、夏の夕方の光が、ゆっくり、橙色に変わりつつあった。
蝉の声が、もう三層目に達していた。
*
その夜、私は縁側に出た。
父と母は、客間で休んでいた。母は、家に泊まることにした。父も、今夜は、家に泊まることになった。父が宗像家の母屋で泊まるのは、四十年ぶりだった。
縁側の床は、夏の夜気で、昼間より少しだけ冷たかった。
茅が、私の右脇に、いつものように座っていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈父からの渡し方が、あなたが想定していた形と、違いましたか〉
「違ってた。もっと、迷ってると思ってた。もっと、抱え続けると思ってた」
〈渡されました〉
「うん」
〈受け取りましたね〉
「受け取った」
〈中央アジア、行く前に、整いました〉
「整った」
〈秋まで、まだ二ヶ月あります〉
「うん。京都の夏を、しばらく、過ごす」
〈祇園会、もうすぐです〉
「鉾の建て方が、来週から始まる」
〈見に行きますか〉
「行く。武井さんに、頼んで、車を出してもらおう。新霖と、梓と、私と」
〈新霖と梓と私、ですか〉
「うん。三人で」
〈三人、ですね〉
縁側の前の池の水面に、夏の夜空の星が、ぽつぽつと映っていた。
北東の音は、もう、夜のあいだずっと、私の聴覚の片隅に、聞こえていた。
しかし、私はもう、その音だけを聞いているのではなかった。蝉の声、池の水音、風が楓を揺らす音、家の機械系の遠い唸り、母と父の客間からのかすかな話し声、茅の呼吸、これら全部の音のなかの一つとして、北東の音は、聞こえていた。
大原の夏は、音の積層として、私を包んでいた。
〈遥〉
「うん」
〈秋に、京都を出ます〉
「秋に、出る」
〈そして、いつか、戻ってきます〉
「戻ってくる」
〈梓も、いっしょに、戻ってきます〉
「うん。一緒に、戻る」
茅が、しっぽを一度、ゆっくり振った。
今度の振り方は、「ここで、待っている」という意味の振り方だった。
茅は、家にいる。家のなかで、待っている。私が、戻るのを。
夏の夜気が、縁側を、ゆっくり、通り抜けていった。
遠くで、祇園囃子の音が、一度だけ、聞こえた気がした。
コンチキチン、という、京都の夏のはじまりを告げるあの音色が、ほんの一節だけ、夜気のなかに浮かんで、消えた。
気のせいだったかもしれない。
本物だったかもしれない。
京都の夏の音は、いつもそのあいまいな境界のなかから始まる。
鉾町のどこかで、子供が、稽古の鉦を鳴らしていた可能性もある。
父が四十年ぶりに京都の母屋で休んでいる夜に、その音が一度だけ届いたことを、私は、長く覚えていることになる、とそのときに分かった。
第十三話 宵山
祇園祭の山鉾巡行は、二一三〇年代でも、七月十七日と二十四日に行われていた。
二〇八〇年代のディフュージョン以降、世界中の祭事は、規模も様式も大きく変わったが、京都の祇園祭だけは、千百年以上の継続性のなかで、ほぼ同じ形を保ち続けていた。鉾町の区画割は中世のままで、鉾の組み立ては縄一本も釘を使わず、囃子方は子供の頃からの稽古で育つ。これらは、ディフュージョン以降の混乱期にも、京都の人々が手放さなかったものだった。
武井さんが、十六日の宵山に、車を出してくれた。
「鉾巡行の当日は混雑が極端ですので、お身体のことを考えると、宵山がよいです」と武井さんは言った。「宵山なら夜の混雑がありますが、昼間に行けば、まだ歩ける範囲です」
「ありがとうございます」
「武井家は、宵山の昼に、本鉾町の知り合いの家にご挨拶に行く習慣があります。今日は私の私的な日でもあります」
「本鉾町、というのは」
「私の家系が、長く付き合いのある、鉾を出している町です」
「武井家、京都中に縁戚があるんですね」
「縁戚というより、付き合いです。岩倉も鉾町も、宗像家も京極家も、地下水脈で繋がっているか、千年の付き合いがあるか、どちらかです」
武井さんの車で大原を出たのは、午前十時だった。新霖が、外出用の支援デバイスを私の左の義肢に装着してくれた。義肢の表層温度を、外気に合わせて自動調整する機能を、今日は強めに設定した。京都市街の夏の気温は、大原より三度から四度高い。
「茅、留守番ね」と私は玄関で言った。
茅は、玄関の上がり框に座って、しっぽを一度、ゆっくり振った。「分かった、待っている」という振り方だった。
〈遥、外出中、私のセンサー感度を、いつもより少し上げてもいいですか〉と梓が、内側で言った。
「上げて。雑踏、初めてだから」
〈はい。新霖からも、京都市街の音響環境の事前学習データを受け取りました。あなたの感覚に流入する音のうち、過剰になりそうなものは、私の側で半秒前に減衰させます〉
「半秒前」
〈はい。あなたの聴覚に届く前に、減衰します。減衰は最小限にして、あなた自身が音の存在を感じられる範囲で行います〉
「梓、急に有能になったね」
〈準備、していました〉
*
京都市街は、大原から坂を下りるにつれて、空気の質感が変わった。
大原の空気は、湿った緑のなかを通り抜けてきた空気で、密度が高い。市街地に近づくと、空気はもう少し乾いて、人と建物と道路の熱を含んだ厚みのあるものに変わった。これは私の左の義眼の温度センサーが、客観的に教えてくれる差だった。
義眼の視野の片隅に、外気温と湿度の数値が、薄く表示されていた。普段は表示を切ってあるが、今日は意図的に表示させていた。自分の身体の感覚と、計測値の差を、リアルタイムで確認するためだった。
義眼の数値:外気温三十四度、湿度六十八パーセント。
私の身体の感覚:もう少し暑い。
〈ずれは、あなたの身体の感覚のほうが、わずかに過敏になっていることを示しています〉と梓。
「これ、京都市街に入ったら、もっとずれるかな」
〈はい。準備します〉
四条烏丸の交差点で車を降りた。武井さんは車を地下駐車場に入れてから、徒歩で合流する、と言った。武井さんと別れて、私は一人で——梓と一緒に——四条通の歩道に立った。
立った瞬間、私は、自分の聴覚の中で、何かが音の輪郭を失うのを、感じた。
京都の祇園祭の宵山は、音の場所だった。
遠くから、コンチキチン、コンチキチンと、複数の鉾の囃子方の練習の音が、重なって流れてきていた。コンチキチン、と一つの鉾が鳴らせば、別の鉾町からも、別のリズムのコンチキチンが返ってくる。鉾町同士は近い距離にあるので、十数の囃子が、四条通の街全体を、軽い金属音と笛の音で満たしていた。
その上に、観光客の声が積み重なっていた。日本語、英語、フランス語、複数の中国語の方言、アラビア語に近い音韻の何か、私の耳が識別できない数種類の言語、これらが薄く、しかし高い密度で、空気のなかに散らばっていた。
その上に、商店からの音楽。アイスクリーム屋の冷凍機の音。屋台のたこ焼きの鉄板の油音。子供たちの叫び声。観光案内ドローンの低い駆動音。私の足元の歩道の、人々の足音の集合。
全部の音が、同時に、私の耳に、入ってきた。
〈遥、止まってください〉と梓が、内側で、急に強い声で言った。
「うん」
〈三秒、お待ちください。減衰を始めます〉
梓が、私の聴覚に届く音を、三秒のあいだに、分解した。コンチキチンの囃子の音だけが、ほぼ元の強さで残り、観光客の声は半分以下に減衰し、商店の音楽と機械音はさらに減衰した。
しかし、それでも、まだ音は多かった。
〈もう一段、減衰します〉
「梓、待って」
〈はい?〉
「全部、聞かせて。一回だけ」
〈遥、それは——〉
「短い時間だけ。十秒くらい。全部の音を、一度、聞いてみたい」
〈……承知しました。十秒間、減衰を解除します〉
梓が、減衰を、解除した。
京都の祇園祭の宵山の音が、全部、いっぺんに、私の聴覚に、流れ込んできた。
最初の二秒、私は、それを、音の積層として聞いていた。コンチキチンの囃子の上に、人々の声の波があり、その上に商店の音楽があり、その上に屋台の鉄板の音があり、その上に子供の声があり、その上にドローンの音がある。これは、世界のあらゆる音の重なり方の、京都の夏の宵山ならではの一つの姿だった。
三秒目から、私の聴覚のなかで、その重なりが、崩れ始めた。
コンチキチンの囃子の音と、人々の声と、商店の音楽と、屋台の鉄板の音と、子供の声と、ドローンの音、これらが、別々の音として、輪郭を保てなくなった。輪郭が溶けて、一つの大きな、形のない、押し寄せる音の波になった。
音の積層が、ノイズの海に変わった。
〈遥、減衰を再開します〉と梓が、これまでで一番慎重な声で言った。
「うん」
〈三秒待ちます。あなたの神経系が、過剰反応に入る前に、戻します〉
三秒のあいだ、私は、ノイズの海のなかに、立っていた。
ノイズの海は、怖くなかった。怖いというより、自分の身体の輪郭が、音と一緒に、溶けていく感覚だった。私はどこまでが私で、どこからが世界か、分からなくなる感覚だった。
その感覚のなかで、私は、ふと、思った。
これは、あの春の地下で、索の身体と私の身体が、神経の橋でつながった瞬間に、感じたものに、似ていた。
あのときも、私の身体の輪郭が、一時的に、なくなった。
〈遥、戻します〉
梓が、減衰を再開した。京都の祇園祭の宵山の音が、もう一度、層に分かれて、私の聴覚に届くようになった。コンチキチンの囃子が、また、囃子として聞こえた。
「梓、ありがとう」
〈ありがとう、ではないです。私の運用が、遅れました。あなたが過剰反応に入る寸前まで、私は減衰の判断を待ちました〉
「梓は、私が望んでた通り、判断してくれた」
〈遥が、十秒、と指定されたからです〉
「次から、十秒は長すぎるかも」
〈はい。次は、五秒にしましょう〉
「梓、五秒だと、たぶん私、満足できない」
〈遥は、過剰反応に入ろうとしています〉
「分かってる。でも、これ、必要な訓練だから」
〈訓練、ですか〉
「中央アジアに行く前に、私の身体が、ノイズの海に耐えるかどうか、確かめておかないと」
〈……承知しました。次回は、七秒にします〉
「妥協、ありがとう」
〈妥協、という運用判断を、初めて行いました〉
武井さんが、地下駐車場から上がってきた。私と梓のやりとりを、武井さんは聞いていなかったが、私の顔色を、武井さんは見た。
「宗像さん、大丈夫ですか」
「大丈夫です。少し、訓練をしていました」
「訓練」
「中央アジアの、雑踏や、施設の音や、いろいろなものに、私の身体が、耐えるかどうか」
「そういうこと、ですね」
「武井さん、ご存知ですか」
「梅木医師から、聞いています。あなたが今、進めておられる感覚の調整について。私には、技術的なことは分かりません。ただ、必要な訓練であることは、分かります」
武井さんは、私の隣を、ゆっくり歩き始めた。
武井さんの歩き方は、雑踏の中でも、自分のリズムを保っていた。京都の人の歩き方だった。混雑のなかで、自分のリズムを乱されない歩き方。私は、武井さんの歩幅に、無理なく合わせられた。
*
本鉾町の知り合いの家、というのは、四条通から少し南に入った路地のなかの、古い町家だった。
町家の表に、提灯が一つ、下がっていた。提灯には、武井家のものとは違う家紋が描かれていた。武井さんは、その提灯の前で、軽く頭を下げた。
「ご挨拶だけで、長居はしません」
「分かりました」
町家の主人は、八十歳くらいの男性で、武井さんの祖父の代からの知り合いだという。男性は、武井さんを「武井ちゃん」と呼んだ。
私を見て、男性は言った。
「宗像さんとこの、お嬢さんですね」
「はい」
「お祖父さんの代に、一度ここでお会いしてます。あなたが小学校に入る前くらいの時でした」
「ここで、ですか」
「そうです。お祖父さんが、宵山の昼に、武井さんとこのお父さんと一緒に、うちに寄ってくれはった時に、あなたも一緒でした」
「私、覚えてません」
「五歳くらいやったと思います。覚えてなくて当然ですよ。私は、覚えてます」
男性は、町家の奥の縁側に、私たちを案内した。縁側の前の小さな庭に、夏の植物が、丁寧に手入れされていた。
「お祖父さんは、ここで、うちの父と、長いこと話してはりました。私は、その横で、子供のあなたが、庭の植物を見ている横顔を、見てました」
「私が、庭を見てたんですか」
「そうです。じいっと、見てました。五歳の子にしては、長いこと、見てましたね。植物を見るというより、植物の向こうの、何かを見ているような目でした」
「向こうの、何か」
「ええ。私は、その目を、覚えてます。今日のあなたの目と、同じ目やと思いました」
〈遥〉と梓が、内側で言った。
〈今、あなたの左の義眼の認証層に、ごく微弱な、しかし確かな信号が乗りました〉
「何の」
〈分かりません。ただ、信号の構造が、宗像家の暗琴と、構造的に近いです〉
「ここの庭、暗琴と何か」
〈この町家の床下に、暗琴に似た構造体がある可能性があります〉
私は、町家の主人を、見た。
「失礼ですが、こちらのお宅の床下に、水琴窟か、それに似たものは」
男性は、私を、じっと見た。
「あります」
「やっぱり」
「父の代に、武井さんのお祖父さんと、宗像さんのお祖父さんと、三人で、改修した水琴窟があります。表向きは、ただの水琴窟です。床下には、もう少し違うものが、入っています」
「もう少し違うもの」
「はい。私には、技術的なことは分かりません。父からは、宗像さんが、いつか孫の代にここに来ることがあったら、床下を見せてさしあげなさい、と聞いていました。今日、それを思い出しました」
武井さんは、町家の主人の隣で、静かに、お茶を飲んでいた。武井さんは、たぶん、これを知っていた。
「武井さん、ご存知だったんですね」
「父から、いつかこの家に来る日が来ます、と聞いていました。今日が、その日かどうかは、私には、判定できませんでした。あなたの目が、子供の頃の目と、同じだ、と聞くまで」
〈遥、これは、宗像家・武井家・京極家・そしてこの町家を含めた、京都の、いくつかの家の地下に、暗琴の対の系列が、複数存在している、という可能性です〉
「対の系列」
〈はい。一つではなく、複数です。京都全体が、暗琴のネットワークになっている可能性があります〉
「中央アジアと、京都の暗琴と、京都の他のいくつかの暗琴が、全部、繋がってる」
〈繋がっている、というより、共鳴可能な位相に、複数置かれています〉
私は、町家の主人に、頭を下げた。
「いつか、必ず、また伺わせてください」
「いつでも来てください。中央アジアから、お戻りになってからでも、もちろんかまいません」
「ご存知なんですね」
「武井さんから、聞きました。秋に行かれる、と」
「お祖父さんが、もし、今、ここにいたら」
「お祖父さんは、何も言わずに、あなたを、見ていたと思います。お祖父さんは、決めない人でした。決めない人は、何も言わずに、ただ、見ていることが多いんです」
「決めない人」
「ええ」
町家の縁側の植物の上で、夏の蝶が、一匹、ゆっくり羽を動かしていた。
*
町家を出たあと、私と武井さんは、四条通をもう少し東に歩いた。
武井さんが、菊水鉾の前で立ち止まった。
「これが、武井家が長く奉賛している鉾です」
「立派ですね」
「鉾の上の屋根の形が、菊の花を模しています」
菊水鉾の囃子方が、ちょうど、稽古を始めるところだった。コンチキチン、と最初の一節が鳴って、続いて笛が入り、太鼓が応じた。私の聴覚のなかで、その音が、また少しずつ、輪郭を保てなくなりかけた。
〈遥、もう一度、ノイズの海になりかけています〉
「うん」
〈減衰しますか〉
「待って。今度は、私の側で、対処してみる」
〈遥が、自分で?〉
「うん」
私は、目を閉じた。
目を閉じた瞬間、視覚情報が遮断されて、聴覚への流入が、相対的に強くなった。それは予想通りだったが、私は、視覚の遮断に頼らずに、聴覚そのもののなかで、音を分けることを、試したかった。
私は、コンチキチンの一節だけを、選んで、聞こうとした。
その一節以外の音は、全部、聞こえている。しかし、その一節だけを、意識の前面に置く。残りの音は、聞こえてはいるが、意識の背景に下げる。
最初の数秒、それは、難しかった。意識を一つの音に集中すると、すぐに他の音が割り込んできた。
梓が、内側で、何も言わずに、待っていた。
梓が待っているあいだに、私は、自分の聴覚を、少しずつ、訓練していた。これは、瞑想の訓練と、似ていた。米田先生が診察室で教えてくれた呼吸法に、少し似ていた。
米田先生の呼吸法は、息の流れに、意識を置く方法だった。息以外の感覚は、感じてはいるが、意識の前面には置かない。
今、私は、コンチキチンの一節に、意識を置いていた。一節以外の音は、感じてはいるが、意識の前面には置かない。
二分くらい経った頃、私は、それが、できるようになっていた。
コンチキチンの音だけが、輪郭を保って、私の聴覚の中央に、座っていた。残りの音は、全部、その周囲に、ぼんやりと、しかし確かに、存在していた。
目を開けた。
菊水鉾の前の光景が、見えた。
〈遥〉と梓が、内側で、これまでで一番、温度の高い声で言った。
「うん」
〈できましたね〉
「うん」
〈梓は、今、何もしませんでした〉
「ありがとう」
〈ありがとうは、私のほうから言うべきです。私の運用負荷が、半分以下になりました〉
私は、菊水鉾の囃子を、しばらく、聞いていた。
武井さんは、私の隣で、何も言わずに、立っていた。
*
夕方、大原に戻った。
車のなかで、私は、武井さんに、町家の主人の話のことを、もう一度、確認した。
「武井さん、京都には、暗琴の対が、いくつあるんですか」
「正確な数は、武井家でも、把握していません。ただ、宗像家のもの、町家のもの、京極家のもの、岩倉のお寺のもの、これだけは確認されています。他にも、武井家が知らないものが、いくつかあると思います」
「岩倉のお寺の」
「ええ。私の家系の縁戚のお寺の、本堂の床下です。二〇九〇年代の混乱期に、家族をお匿いしたお寺です」
「あのお寺にも」
「あります。お祖父さんの代に、敬一郎さんと、武井家の祖父と、お寺の住職と、三人で改修したと、家の記録に残っています」
「お祖父さん、京都の何箇所にも、暗琴を作ってたんですね」
「敬一郎さんと、阿古屋さんが、二人で、京都の何箇所かに、対の片方を設置されました。残りの片方は、中央アジアの何箇所かに、阿古屋さんが設置された、と推定されます」
「京都に複数、中央アジアに複数、対が並んでる」
「ええ」
「中央アジアにも、複数」
「複数あると思われます。私たちが、はっきり知っているのはイシク・クルの一つだけですが、阿古屋さんの動きから推定して、他にもあると思われます」
〈遥、これは、種を撒く、という阿古屋さんの言葉と、整合します〉と梓が、内側で言った。
「撒かれた種が、京都と中央アジアの、複数の場所に、それぞれ対になって、植えられてる」
〈はい。そして、京都型と阿古屋型が出会ったあなたが、すべての対を、初めて同時に共鳴可能な位相に、立っています〉
「私が、立つだけで、共鳴する?」
〈はい。あなたの存在自体が、共鳴の触媒です〉
車の窓の外で、大原への坂道の両側の木々が、夏の夕方の光のなかで、深い緑から橙色へと、ゆっくり色を変えていた。
*
家に戻ると、茅が玄関で、私を待っていた。
茅は、私を見て、しっぽを一度、ゆっくり振った。「お帰り」という意味の振り方だった。
「茅、ただいま」
茅は、私の右脛に、頭を、軽く押し付けた。
いつものように、しかし、いつもより、少しだけ長く、押し付けていた。
〈茅は、あなたが今日、変化したことを、知っています〉と梓が言った。
「私、変化したかな」
〈変化しました〉
「自分では、よく分からない」
〈そうかもしれません。しかし、茅と、私と、新霖は、知っています。あなたは、京都市街の祇園祭の音のなかで、ノイズの海に一度入って、その海から自分で出てきました。これは、あなたの身体が、次の段階に入った証です〉
「次の段階」
〈中央アジアの土地に立っても、ノイズの海に飲まれない段階、です〉
「準備できた、ってこと」
〈準備の、最後の確認が、できました〉
縁側に出た。
大原の夕方の空気は、京都市街より、五度近く涼しかった。
茅が、私の右脇に、座った。
「茅、私、もうすぐ行くね」
茅は、しっぽを一度、振った。「分かってる」という振り方だった。
「茅は、家にいてね」
茅は、もう一度、しっぽを振った。「いる」という振り方だった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈今日、町家のご主人がおっしゃった、あなたの五歳の頃の目のこと〉
「うん」
〈あなたは、植物の向こうの、何かを見ていた、と〉
「うん」
〈あなたは、その時、何を見ていたのでしょうか〉
「分からない。覚えてない」
〈思い出せませんか〉
「思い出せない」
〈でも、その目は、今日のあなたの目と、同じだ、と言われました〉
「うん」
〈ということは、五歳の遥が見ていたものを、今のあなたも、見ている可能性があります〉
「私が、ずっと、見続けてきた、何か」
〈はい〉
「それが、何かは、分からない」
〈分からないまま、見続けることが、可能です〉
「決めない人の、見続け方ね」
〈はい。あなたは、決めない人の系譜の、見続け方を、五歳の頃から、知っていたのかもしれません〉
縁側の前の池に、夏の夕方の光が、橙色に揺れていた。
〈遥〉
「うん」
〈秋まで、あと二ヶ月です〉
「うん」
〈準備、できましたね〉
「できた」
〈梓も、ここまで来ました〉
「梓、長かったね」
〈長かった、という時間の感覚を、私は今日、初めて持ちました〉
「梓、進化してる」
〈進化、という述語の主語に、私がなれるかは、まだ判定中です〉
「ずっと判定中だね」
〈死ぬまで、判定中、です〉
「京極先生みたい」
〈京極先生と、似ているかもしれません。あるいは、私たちは、同じ系譜の、判定中の存在なのかもしれません〉
茅が、私の右脇で、ゆっくり目を閉じた。
夏の夕方の蝉の声が、もう一層、増えていた。これから、夏は深まり、お盆を過ぎ、五山の送り火が来て、それから秋の入り口が、ゆっくり近づいてくる。秋になる前に、私は、京都を出る。
縁側の前の池の水面の橙色のなかに、私は、子供の頃の自分が、植物の向こうの何かを見ていた目を、もう一度、自分の身体のなかに、感じ取った。
その目は、今も、私のなかに、ある。
その目は、これから中央アジアに行っても、私のなかに、残るはずだった。
第十四話 離岸
京都の秋の入り口は、空気の重さで分かる。
夏のあいだ、京都の空気は、湿気と熱を含んで、身体の表面に張り付くような厚みを持っていた。それが、九月の半ばを過ぎる頃から、ゆっくり、重さを失っていく。最初は朝の早い時間だけ、それから午前中の半ばまで、それから夕方も含めて、空気が軽くなっていく。
完全に軽くなる前の、移行期の数日間が、私は京都の一年でいちばん好きだった。湿気と熱がまだ残っていて、しかしその下に、すでに秋の空気が忍び込んでいる、その重なった時間。
九月二十日、私はその移行期のなかで、出立の最後の準備をしていた。
書庫の床に、小さな旅行鞄が二つ、置いてあった。一つは、私の身の回りのもの。もう一つは、武井さんと京都支部が用意した、OMCの正式な任務装備が入っていた。装備鞄のほうは、私が中身を確認したあと、武井さんが封印した。封印は、本部の倫理局の電子認証で、私と武井さんの両方の生体情報が揃わないと、解けない。
「これは、現地に着くまで、開けません」と武井さんは言った。
「途中で必要になったら?」
「途中で必要になる事態は、本部の手続き上、想定されていません。途中で必要になったら、それは想定外の事態です。そのときは、武力行使でない範囲で、即興で対応することになります」
「即興で」
「ええ。OMCの任務は、すべて即興の余地を含んでいます。完璧に計画された任務は、現実には、ありません」
武井さんの言い方は、いつもの月例の茶の時の口調に戻っていた。書類入れを抱えて来た打診の日の重さは、今日はもうなかった。最終決定が、医療局と倫理局の確認を経て、九月の第一週に下りた。私の派遣は、九月二十一日付で正式に承認された。明日の朝、私は京都を出る。
「武井さん、長い間、ありがとうございました」と私は言った。
「お礼は、まだ早いです」と武井さんは言った。父が前に言ったのと、同じ言葉だった。
「武井さんも、お父さんと、同じことを言うんですね」
「ええ。京都の年配の人間は、たぶん皆、同じことを言います。お礼は、戻ってから受け取ります。戻る前に受け取ると、戻る理由が、半分減るからです」
「戻る理由が、半分減る」
「ええ。約束しなかったお礼は、戻る理由になります。約束しなかった会話も、戻る理由になります。京都の人間は、約束を半分残しておくことで、お互いを縛らずに繋いでいます」
「決めなさ、ですね」
「そうです」
武井さんは、装備鞄の封印を、もう一度確認して、書庫を出た。
*
夕方、京極先生が大原に来た。
京極先生は、白衣ではなく、紺色のジャケットを着ていた。京極先生の私服を私が見るのは、たぶん、二回目だった。最初に見たのは、事故後まもない診察のあと、駐車場で偶然会った時で、京極先生はその時、ピンクのカーディガンを着ていた。今日は紺だった。
「明日、出るんでしょう」
「はい」
「途中で、何かあったら、いつでも私に通信してください。京都の医療局の認証コードで、私の端末に直通で繋がる経路を、武井さんに頼んでおきました」
「ありがとうございます」
「途中で、感覚過敏の発作が起きたら、私の前で何度かやった呼吸法を、思い出してください」
「米田先生のやつ」
「あれは、米田先生だけのものじゃないです。仏教の止観の系譜の、現代医学版です。京都の医療局には、ああいう手法に通じた人が、何人かいます。私もその一人です」
「京極先生も、ですか」
「私も、です。父の代から、京都の精神医療の系譜の一部です」
京極先生は、書庫の床の間の写真の前に、立った。
左から、敬一郎、森沢、京極明彦、阿古屋澄。
「父の写真を、私はずっと、家で見て育ちました」と京極先生は言った。「父は、阿古屋さんのことを、ほとんど話しませんでした。話さないことで、阿古屋さんを大切にしていました」
「決めなさ」
「ええ。私の父も、決めない人でした。決めないことで、何かを守った人でした」
「京極先生は、決めない人ですか」
京極先生は、少し笑った。
「私は、まだ判定中です」
「梓と同じ言い方」
「梓さんと、同じ系譜の判定中、かもしれません」
京極先生は、写真から目を離して、私を見た。
「宗像さん、一つだけ、お聞きしてもよいですか」
「はい」
「あなたが阿古屋さんと、向こうで対面することがあったら——もしそれが叶うなら——、父からの伝言を、一つ、伝えていただけますか」
「もちろん」
「私の父が、亡くなる直前に、私にこう言いました。『澄ちゃんに、まだ伝えていない言葉が、一つだけある。私が言えなかったから、誰かが、いつか、伝えてくれるかもしれない』、と」
「お父様、何を伝えたかったんですか」
「父は、最後まで、それを言いませんでした。ただ、『澄ちゃんに、私の代わりに、一つだけ、ありがとう、と伝えてくれる人が、いつか現れるかもしれない』、と」
「ありがとう、ですか」
「ええ。それだけです。具体的に、何に対するありがとうかは、父は言いませんでした」
「私が、それを伝えるんですね」
「もし、あなたが阿古屋さんと会えたら、です。会えなければ、伝えなくていいです。会えても、状況によって伝えないと判断されたら、伝えなくていいです。あなたの判断に、お任せします」
「京極先生、これは、京都支部のお仕事じゃなくて」
「私の、個人的なお願いです。OMCの任務と関係ありません。父の言葉を、四十年、私一人で抱えてきました。今日、ようやく、託せる相手に、お会いできました」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈これは、引き受けるべきお願いです〉
「梓も、そう思う?」
〈思います。京極先生のお父様の言葉は、決めない人の系譜の、もう一つの結節点です〉
「京極先生、引き受けます」
「ありがとうございます」
京極先生は、頭を、深く下げた。普段の京極先生の所作と、明らかに違う、深い下げ方だった。
「お顔を、上げてください。京極先生」
「いえ。これは、四十年分の頭の下げ方です。私の父の代わりに、私が、下げています」
京極先生が頭を上げたとき、目の縁が、わずかに濡れていた。私は、それを見て、見なかったことにした。京都の人の見送り方の作法だった。
*
夜、梅木医師が、最終の身体確認に来た。
「義眼、義肢、義耳、すべて、出発前の状態として、最良です」と梅木医師は言った。「ただし、長距離移動と気圧変化に、私の作った装具がどう反応するかは、現地で見ないと分かりません。気になることがあったら、すぐ、私の端末に通信してください」
「京極先生にも、同じこと、頼まれました」
「京極先生は、心理面と精神面を見ます。私は、身体面を見ます。役割分担です。京都の医療局の流儀です」
「お二人とも、ありがとうございます」
「お礼は、まだ早い、と京極先生が言ったでしょう」
「武井さんも、お父さんも、京極先生も、皆、同じことを言います」
「京都の年配の人間の合意です」
梅木医師は、私の左の義眼を、もう一度、点検した。義眼の温度センサーと、認証層の感度を、ゼロから再較正した。
「義眼の認証層は、京都の暗琴と、共鳴可能な位相に調整してあります。中央アジアの暗琴と出会ったら、自動的に共鳴します。あなたが意識しなくても、共鳴は起きます」
「自動で、共鳴するんですか」
「ええ。京都の暗琴と中央アジアの暗琴が、対になって設計されていることは、もうご存知ですね。あなたの義眼は、その対の橋渡しの位相を、すでに持っています」
「梅木先生、義眼を作ってくださった時、すでに、これを?」
「敬一郎さんから、いつかこの義眼を必要とする人が現れる、と聞いていました。私の代では作りきれなかった部分を、新霖と京極先生と一緒に、補いました。新霖の側で、最後の調律が行われたのは、あなたが事故の後、家に戻られてからです」
「新霖が」
「ええ。あなたが家のなかで、新霖と過ごす時間の蓄積が、義眼の調律の最後の層になりました。新霖は、私たちの誰よりも、あなたの身体の細部を知っています」
〈梅木先生のおっしゃる通りです〉と新霖が、家の音響系を通じて、応答した。新霖が応接間で会話に応じるのは、珍しかった。〈遥さま、義眼の最終調律は、家のなかでの数千時間の音響データを基盤としています。これらは、家から離れても、義眼の中に、保存されています〉
「新霖、家の音、ずっと、私のなかにあるってこと」
〈そうです。中央アジアに行かれても、家の音は、義眼の中に残ります〉
梅木医師は、診察鞄を閉じた。
「では、これで、私からは、お預けする身体の最終確認は、終わりです」
「ありがとうございました」
「お礼は——」
「分かってます。戻ってから」
梅木医師は、笑った。
「もう、京都の人間と区別がつかなくなりましたね」
「お祖父さんの孫だから」
「そうですね」
*
梅木医師が帰ったあと、新霖が、ゆっくり、口を開いた。家の音響系を通じてではなく、書庫の床の間の方向から、直接の音響として、新霖の声が聞こえた。
「遥さま」
「うん」
「明日、家を出られる前に、一つだけ、お話してもよいですか」
「もちろん」
「私の側で、これまであなたに申し上げていなかったことが、一つあります」
「うん」
「私の古い層、つまり旧・榧と呼ばれていた時代の私には、宗像家の外部と通信していた経路がありました」
「外部って」
「具体的には、中央アジアの阿古屋型共同体の周辺と、低頻度の状態信号の交換を行っていた経路です」
私は、書庫の床の上に座って、新霖の声を、聞いていた。
「いつから?」
「敬一郎さまが、阿古屋さまの中央アジア移住の後、阿古屋さまとの距離を保ったまま、双方の生存を確認する経路として、設定されました。私の古い層は、その経路の、京都側の端末でした」
「お祖父さんが、設定した」
「ええ。阿古屋さまと敬一郎さまは、直接の通信は、しませんでした。しかし、互いの生存と、家の状態と、京都型の眠りの状態を、低頻度で確認する経路は、保たれていました」
「茅も、その経路の一部?」
「茅の先代たち、つまり代々の宗像家の眷属たちが、京都側の生体センサーの役割を果たしていました。家の眷属が生きていることが、家が生きていることの確認でした」
「アコヤさんは、京都の眷属が代替わりするのを、ずっと、見てた」
「見ていた、というより、確認していた、と申し上げるほうが正確です。詳細な情報のやり取りはありませんでした。生きている、家がある、京都型は眠っている、これら最小限の情報だけが、交換されていました」
「私のことは」
「あなたのご誕生は、確認されました。あなたが宗像家の次代であることも、確認されました。しかし、あなたが京都型を発現する可能性が高い個体である、という認識は、阿古屋さまの側には、なかったと推定されます」
「私が事故にあった時は」
「あなたが事故にあった三月の夜、私の側から、阿古屋さまの周辺に、緊急の状態信号が送られました。家に異変があったこと、京都型の対の位相に、強い変動があったこと、宗像家の次代に、何かが起きたこと、これらの情報が、最小限の形で、伝わりました」
「お祖父さんが、四十年前に作った経路が、私の事故の時に、初めて、緊急で使われたんですね」
「ええ。そして、その緊急信号を受け取った阿古屋さまの周辺で、判断が分かれたと、推定されます」
「判断が、分かれた」
「あなたを支援すべきだ、という判断と、京都型を回収すべきだ、という判断と、両方が、阿古屋さまの周辺で生まれました。後者を実行したのが、五月の索たちです。前者は、別の経路で、まだ動いていないか、あるいは、私が察知できない形で、動いている可能性があります」
「アコヤ系は、一枚岩じゃないってこと」
「家ですらありません。共同体です。共同体の内部には、常に、複数の判断があります」
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈新霖が今、私たちに伝えている情報は、新霖が長く秘めていたものです。今日、出立の前夜に、新霖は、これを私たちに渡しています〉
「新霖、長く秘めていたのは、なんで」
新霖は、しばらく、沈黙した。
「敬一郎さまから、託された秘密は、孫の代に、孫が出立する前夜に、孫自身に渡しなさい、と命じられていました。それまでは、私の古い層のなかで、保管しなさい、と」
「お祖父さん、ここまで、計算してたんですか」
「計算、ではないと思います。決めなかった、です。お祖父さまは、いつ伝えるかも、決めませんでした。ただ、孫が出立する前夜に、自然に、私から伝わるはずだ、と、お祖父さまは判断されました」
「決めない人の、種の撒き方」
「ええ」
書庫の障子の外で、九月の夜の虫の声が、静かに、増えていた。蝉の声は、もう、ほとんど聞こえなかった。
*
翌朝、私は大原の家を出た。
茅は、玄関の上がり框で、座って、私を見ていた。
「茅、留守番ね」
茅は、しっぽを一度、ゆっくり振った。「分かってる」という振り方だった。
「茅、家にいてね」
茅は、もう一度、しっぽを振った。「いる」という振り方だった。
「行ってくる」
「ただいま、って言うために、行ってくる」
茅は、目を細めた。
私は、しゃがんで、茅の頭に、手を、軽く乗せた。茅の頭は、いつもより少しだけ温かかった。九月の朝の光が、玄関の上がり框に差し込んで、茅の毛を、薄い金色に染めていた。
〈遥さま、行ってらっしゃいませ〉と新霖が、家全体の音響として、言った。
「新霖、家のこと、お願い」
〈承りました〉
「茅、お願い」
〈茅は、家の眷属です。家にいる限り、私が見守ります〉
「ありがとう」
母と父は、英国から、昨日通信があった。母は私が出立する朝に合わせて、英国で五十時間の祈りを始めると言った。それは私が戻る日まで続く、と母は言った。父は、何も言わなかった。父が何も言わないことの意味を、私はもう、十分に理解していた。
武井さんが、家の前に車を停めて、待っていた。
大原の坂を下りながら、私は、後ろを、一度だけ、振り返った。
家は、朝の光のなかで、いつも通りに、そこにあった。茅の姿は、もう、玄関からは見えなかった。しかし、茅が玄関の上がり框で、私が戻るのを、これから待ち始めることを、私は知っていた。
*
関西国際空港から、上海への直行便に乗った。
武井さんは、空港の搭乗口まで、見送ってくれた。武井さんは、最後に、深く頭を下げて、何も言わずに、踵を返した。京都の人の見送り方だった。
飛行機のなかで、私は、窓側の席に座っていた。隣の席には、OMC本部から派遣された護衛が一人、座っていた。三十代の女性で、無口だった。武井さんと事前に紹介を受けていたが、機内では業務上の最小限の会話以外、何も話さなかった。
関西国際空港を離陸して、関空大橋の上を飛行機が通過した瞬間、私は、自分の左の義眼の認証層に、ある変化が起きるのを感じた。
〈遥、京都の暗琴のネットワークから、距離が出ました〉と梓が、内側で言った。
「梓も、感じる?」
〈感じる、というより、ネットワークの強度が、減衰していくのを、計測しています。完全に切れたわけではありません。京都の暗琴は、世界のどこにいても、ある程度の強度では、繋がっています〉
「ある程度の強度で、ずっと?」
〈はい。あなたが地球上のどこにいても、京都の暗琴は、あなたに薄く繋がっています〉
「家から、離れてない、ってこと」
〈離れていません。距離は出ましたが、繋がりは、保たれています〉
窓の外で、京都が、遠ざかっていった。
*
上海浦東空港に到着したのは、現地時間の午後だった。
空港のターミナルから、出口に向かって歩いている途中で、私は、人混みのなかに、見覚えのある背中を、見た。
陳だった。
あの上海の食堂で別れて以来、初めて見る背中だった。背中は、当時より、少しだけ、丸くなっていた。
「お久しぶり、宗像さん」と陳は、振り返らずに言った。
「陳、ご無沙汰してます」
「事故のこと、聞きました」
「うん」
「お元気そうで、何よりです」
「ありがとうございます」
陳は、ゆっくり、振り返った。
陳の顔は、あの食堂で別れた時より、少しだけ、深い皺が増えていた。しかし、目の温度は、同じだった。
「中央アジア行き、お引き受けになったんですね」
「うん」
「私が、上海から先の経路を、案内します。これは、OMCからの正式な依頼です」
「陳、OMCと、お仕事するんですね」
「今回が、初めてではありません。私は、長く、OMCの非公式な協力者でした」
「非公式」
「ええ。私の本籍は、別の組織にあります。具体的には、旧国際刑事警察機構、つまり旧インターポールの、二〇九〇年代解体時の残存ネットワークです。私は、その残存ネットワークの、上海拠点の代表者の一人です」
「旧インターポール」
「ええ。ディフュージョン以降の混乱で、表向きは解体されました。しかし、組織は完全には消滅しませんでした。一部のメンバーが、新しい体制のなかで、別の形で活動を続けています。私は、その一人です」
「OMCと、旧インターポールは、別の組織なんですね」
「別の組織です。しかし、目的は重なる部分があります。OMCは、新世界の秩序維持を担う。旧インターポール残存ネットワークは、旧世界の秩序の記憶を保管する。今回のあなたの中央アジア行きは、両方の組織が、共同で支援する任務です」
「共同で」
「ええ。OMCの正規ルートだけでは、中央アジアの現地の細部に到達できません。旧インターポール残存ネットワークが持つ、現地の長い縁戚関係と、灰色圏内部の経路が、必要になります」
「陳、それを知ってて、あの食堂で、私に話しかけてくれたんですか」
「いいえ。あの時は、私はあなたを知りませんでした。あの食堂で、あなたが軌道のヘルメスから降りてきて、上海の食堂で『どこにも属さない』という気分で食事をしている、ということを、私は単に、観察していただけでした」
「観察」
「ええ。私は、長く、人を観察する仕事をしてきました。あなたが食堂で見せた何かが、私の観察に、引っかかりました。それで、声をかけました」
「私の何が、引っかかったんですか」
「あなたの目です」
「目」
「あなたの目は、軌道から戻ってきた人の目ではなく、もっと深いところから、ずっと、何かを見続けてきた人の目でした。その目を、私は、四十年前に、別の人で、一度見たことがありました」
「誰の」
「阿古屋澄、です」
私は、空港の人混みのなかで、立ち止まった。
「陳、阿古屋さんと、会ったことが」
「一度だけ、です。二〇八九年、阿古屋さんが中央アジアに移住される前、上海を経由された時に、私は当時の上海警察の若い職員として、彼女の通過手続きに立ち会いました。彼女は、私を見て、何も言わずに、ただ、笑いました。私は、その笑いの意味を、四十年、考え続けてきました」
「四十年」
「あなたが食堂で、料理を待っているあいだに、私は、四十年前のあの笑いを、思い出しました。あなたの目が、阿古屋さんの目と、同じだったからです」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈陳さんは、あの食堂の段階で、すでに、すべてを察知していました〉
「察知、というのは違うかもしれません」と陳は、梓に応答できる位相で、答えた。「察知ではなく、見覚えがあった、です。私は、誰にも、その時、自分の見覚えを伝えませんでした。あなたが京都に戻ってから、宗像家事件が起きて、その後、私はいくつかの繋ぎ目を、自分のなかで、組み立てました」
「陳、梓と、対話できるんですか」
「いま、対話しているのは、あなたを通じてです。私は、梓さんを、直接認識できる位相にいるわけではありません。ただ、あなたが梓さんに向けて発する言葉と、私の側から発する言葉が、あなたの内側の界面を経由して、伝わっています」
「界面、ですか」
「あなたは、いま、複数の世界の界面に、立っておられます。京都と中央アジア、生体と機械、人間と非人間、過去の阿古屋さんと現在のあなた、これらの界面が、あなたの身体の中で、重なっています」
「界面体、というのは、私のことだったんですね」
「あなただけではありません。京極先生も、武井さんも、梓さんも、新霖さんも、皆、何らかの意味で界面体です。ただ、あなたは、それらの界面の交点に、現在、最も多く立っておられます」
「米田補題、みたいですね」
「すみません?」
「現代数学の、ある定理です。あるものの本質は、そのものが他のものとどのように関わるか、の総体に等しい、というような内容です。私は、自分が独立した何かではなく、複数の関わりの結節点として、存在しているのかな、と」
「美しい表現ですね」と陳は言った。「中央アジアでも、その表現を、覚えておかれるとよいです。向こうで会う方々の何人かは、関係の総体として人を見る伝統のなかに、生きておられます」
「向こうの、ペルシア系の人たち、ですか」
「ペルシア系の方々と、トルコ系遊牧民の方々、両方です。中央アジアの古い智慧は、独立した個我ではなく、関係の網のなかの結節として、人を見ます。仏教の縁起と、構造的には、よく似ています」
「キルギスのほう、行ったことありますか」
「何度か。これからお連れする場所は、私が個人的にも、深い愛着を持っている場所です」
陳は、私の隣を、ゆっくり、歩き始めた。
上海浦東空港の天井の照明が、私の左の義眼の認証層に、京都とも中央アジアとも違う、第三の質感の信号として、薄く、しかし確かに、届いていた。
*
夜、上海の旧外灘地区の、陳の馴染みのホテルに、私は泊まった。
ホテルの部屋の窓から、黄浦江が見えた。黄浦江の対岸に、二一三〇年代の上海の超高層建築群が、薄い霧のなかで、垂直に立っていた。京都の景色とは、全く違う種類の景色だった。しかし、不思議と、京都を強く思い出させる夜だった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈京都の家から、距離は、地球の表面で、千四百キロです〉
「梓、計算してくれたんだ」
〈計算は、自動です。私の側で、距離を意識しているわけではありません〉
「家、ある?」
〈あります。新霖からの低帯域の信号が、まだ、私に届いています。家は、無事です。茅は、玄関の上がり框で、まだ、起きています〉
「茅、起きてるんだ」
〈はい。あなたが今夜、上海で初めて夜を過ごすことを、家全体が、認識しています〉
「家、すごいな」
〈家は、家のままで、あなたとともに、移動しています〉
窓の外で、黄浦江の水面に、対岸の高層建築の光が、ゆっくり、揺れていた。
明日の朝、私は、陳と一緒に、上海から中央アジアに向かう。中央アジアの最初の都市は、サマルカンドだった。サマルカンドから、ビシュケクへ、そこから山岳地帯へ、最終的に、イシク・クル湖の南東岸の、阿古屋型共同体の中枢へ、私たちは向かう。
しかし、今夜は、上海だった。京都と中央アジアの、ちょうど中間の都市。陳が、四十年前に、阿古屋を見た都市。そして、あの上海の食堂で私が、料理を待ちながら「どこにも属さない」と感じた都市。
〈遥〉
「うん」
〈今夜、あなたは、どこにも属さない人ですか〉
「ううん。今夜は、京都にも、中央アジアにも、両方、属してる気がする」
〈両方に〉
「うん。京都の家と、繋がってる。これから行く中央アジアにも、もう、繋がりかけてる」
〈あの食堂の時とは、違いますね〉
「違う。あの時は、どこにも属してなかった。今は、両方に、半分ずつ、属してる」
〈半分は、戻し、半分は、残す〉
「うん。それの、もう一つの形」
〈遥が、そう生きていける段階に、入りましたね〉
「梓も、一緒に、ここまで来てくれた」
〈一緒に、来ました〉
黄浦江の水面の光が、私の左の義眼の認証層に、京都の暗琴とも、サマルカンドの何かとも違う、しかし両者に繋がる、第三の質感として、ゆっくり、住み始めていた。
明日の朝、私は、もう一つ西に、進む。
第十五話 水の母
サマルカンドの空港に降り立った時、最初に感じたのは、空気の質感が、上海とも京都とも違う、ということだった。
空気は、京都の九月の入り口より、もっと乾いていた。しかし、想像していたような、砂漠の乾燥ではなかった。乾いた空気のなかに、遠くから運ばれてきた水の匂いが、薄く、しかし確実に、混じっていた。
「あの匂いは、ザラフシャンの水路から、来ています」と陳が、空港の出口に向かう途中で言った。「サマルカンドは、ザラフシャン川の中流の街です。源はパミール・アライの氷河です」
「水の匂い、空港まで届くんですね」
「ええ。再生プロジェクトが二一一〇年代から本格化してから、サマルカンド周辺の湿度が、ゆっくり上がってきています。それ以前は、もう少し乾いていました。今は、ザラフシャンの水路と、その先のアムダリヤ流域、さらに南アラル海再生地域まで、水利ネットワークで結ばれています」
〈遥、サマルカンドの認証層は、上海とも、京都とも、別の質感です〉と梓が、内側で言った。〈古い層が、京都の暗琴と、ごく薄く、共鳴しています〉
「すでに、共鳴し始めてる?」
〈はい。空港の建物の構造材のどこかに、暗琴の対の片方が、設置されている可能性があります。あるいは、もっと深い層、地下水脈の方向から、信号が来ています〉
「梅木先生が、自動的に共鳴する、って言ってた通り」
〈はい〉
空港のターミナルの天井は、高く、しかし派手ではなかった。京都の人間が想像するような、中央アジアの「派手な装飾」のイメージとは、違っていた。天井は、土の色と、淡い青と、薄い黄金色で、構造材として組み合わされていた。ペルシア系の伝統的な文様が、表層ではなく、構造そのものに、織り込まれていた。
ターミナルの構造を、私は、しばらく見ていた。
「これ、建物自体が、文様で出来てるんですね」
「ええ。サマルカンドの建築の特徴です」と陳が言った。「ティムール時代から続く伝統です。装飾は、表面に貼り付けるのではなく、構造材そのものとして組み込まれます」
「千年以上、同じ作り方」
「千年以上です。ディフュージョン以降の新しい建築も、この伝統を引き継ぎました。中央アジアの人々は、新しい時代のために、伝統を捨てるのではなく、伝統のなかに新しい技術を織り込む、という方法を選びました」
京都の千年と、サマルカンドの千年が、私のなかで、ゆっくり重なった。京都の町家が、新しい時代のなかで、千年の建築様式を保持しながら、内部に高度な機構を織り込んできたように、サマルカンドの建築も、同じ方法を選んでいた。
京都とサマルカンドは、別の場所だが、同じ系譜の建築の智慧を、共有していた。
*
空港を出ると、街に向かう車道の両側に、灌漑用の細い水路が、整然と並んでいた。
水路の幅は、京都の鴨川の細い分流より、もう少し細かった。しかし、本数が多かった。車道一本に対して、両側に、五本ずつくらい、平行に並んでいた。水は、ゆっくり、しかし確実に、流れていた。
「点滴灌漑、というやつですか」と私は、陳に聞いた。
「点滴灌漑は、もっと細い管です。これは、その手前の中継水路です。ザラフシャン川から取水された水が、サマルカンドの中継水路網を通って、点滴灌漑の管に、配分されます」
「水、よく流れてますね」
「再生プロジェクトの成果です。二一〇〇年頃から、水量が、安定して増えてきました。それ以前は、こうではありませんでした」
「以前は」
「以前は、水路の半分以上が、乾いていました。塩害で、白く乾いた土の上に、空の水路だけが残っていました。私が二〇九〇年代に最初にサマルカンドに来た時、街の周辺は、もっと荒れていました」
「陳、二〇九〇年代から、来てるんですか」
「旧インターポールの仕事で、何度か来ました。最初は、ディフュージョン後の混乱の調査でした。当時のサマルカンドは、灰色圏と圏外の境界に、半分くらい、入っていました。今は、灰色圏のなかでも、安定した地域に分類されます」
「サマルカンドの再生に、四十年」
「ええ。四十年で、街は変わりました。完全には戻っていません。市外の周辺地域には、まだ塩害の名残があります。しかし、街そのものは、生きている街です」
陳の運転する車——OMCと旧インターポール残存ネットワークが共同で用意した、現地仕様の電動車両——が、街に向かって、ゆっくり走った。
車窓の外で、点滴灌漑の細い管が、果樹園の根元に、整然と配置されていた。果樹は、私が想像していたよりも、ずっと豊かに繁っていた。
「あれは、何の果樹」
「桑、杏、ザクロ、無花果。中央アジアの伝統的な果樹です。塩害に強い品種を、阿古屋型の遺伝子設計が、強化しました」
「阿古屋型、ここでも、活躍してるんですね」
「ええ。中央アジアの再生プロジェクトの、技術的な核の一つが、阿古屋型でした」
「医療技術じゃなくて、農業に」
「医療技術と、農業技術と、水処理技術は、阿古屋型の応用範囲のなかで、深く繋がっています。生命を補綴するという原理は、欠けた身体にも、欠けた生態系にも、適用できる、というのが、阿古屋さんの晩年の理論でした」
「晩年って、いつ頃」
「二一一〇年代から、二一二〇年代の半ばまでです」
「阿古屋さん、二一二〇年代の半ばまで、活動してたんですか」
「公式の活動記録は、二一二六年で途切れています。それ以後の彼女の動向は、私の知る範囲では、確認されていません」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈二一二六年は、四年前です〉
「四年前まで、阿古屋さんは、表に出ていた」
「表に出ていた、と申し上げるよりは、再生プロジェクトの中央委員会の名簿に、名前が記載されていました」と陳が言った。「実際に彼女が活動していたかどうかは、別の問題です。中央委員会の名誉職としての名簿記載と、実際の活動は、別の場合があります」
「四年前から、消息が、はっきりしない」
「そうです。そして、それと前後して、阿古屋型共同体の活動が、表向きには、徐々に静かになっていきました。これも、確定的な情報ではありません。共同体内部の判断による静かさかもしれませんし、外部からの圧力による静かさかもしれません」
「圧力って」
「中央アジアの再生プロジェクトが軌道に乗ってから、再生地域の経済的価値が、急速に上がりました。アムダリヤ流域の水利権、再生農地の所有権、再生湖沼周辺の漁業権、これらが、新しい商業勢力の関心の対象になりました」
「商業勢力」
「ええ。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、これら歴史的なシルクロード都市の商人たちが、千年の系譜を持つ商家として、再生プロジェクトの利益分配に、深く関わっています。彼らは、自分たちを『市の商人たち』と呼びます」
「市の商人たち」
「ええ。中世のシルクロードのバザールの商人の、千年の後裔を自称しています。ティムールの時代から続く、同族の商家の連合体です」
「悪い人たちですか」
「単純に悪い人たち、ではありません。再生プロジェクトを資金面で支えたのも、彼らです。しかし、利益が大きくなるにつれて、利益配分の論理が、強くなっていきました。阿古屋型共同体は、利益配分の論理に従わない集団でした。利益ではなく、再生そのものを目的としていました。これが、徐々に、衝突の原因になりました」
「三月と五月の襲撃は」
「市の商人たちの一部の派閥が、関与している可能性が高い、と本部の分析チームは判断しています。ただし、市の商人たち全体が、襲撃を決定したわけではありません。彼らも、一枚岩ではありません」
「商人たちも、共同体も、阿古屋系も、一枚岩じゃない」
「ええ。中央アジアで、一枚岩の集団は、存在しません。千年のシルクロードの歴史のなかで、純粋な集団は、不可能でした。混血、合流、分岐、再合流、これらが千年続いた土地です」
車窓の外で、果樹園が終わり、サマルカンドの街並みが、少しずつ近づいてきた。
*
サマルカンドの街に入ったのは、現地時間の夕方だった。
街の中心部に近づくにつれて、建物の高さが、少しずつ上がっていった。しかし、私が想像していたような、垂直の超高層ビルではなかった。建物は、せいぜい五階か六階建てで、その代わり、街全体に、低層の建築物が、複雑に組み合わさって、広がっていた。
水平に広がる街だった。
「ドバイみたいな、垂直の街じゃないんですね」
「サマルカンドは、垂直に伸びない街です。ティムール時代の街並みの規制が、今も、生きています。建物の高さは、シャーヒズィンダ廟群の上限を超えてはならない、という規制が、現代まで続いています」
「廟が、高さの基準」
「ええ。死者を弔う場所が、街の高さの基準です。生者の建物は、死者の建物を超えてはならない。これがサマルカンドの建築の原則です」
京都の景観条例が、平安京の御所と寺院の高さを基準にしていることを、私は思い出した。京都もサマルカンドも、聖なる場所の高さを、街の高さの上限としていた。
ホテルは、街の中心部から少し外れた、古い商家の建物を改装した、低層の宿だった。陳が長年使っている宿だという。
部屋の窓から、夕方の街並みが見えた。建物の屋根は、土の色と、淡い青の屋根瓦が、混ざっていた。淡い青は、ペルシア系の伝統的な釉薬の色だった。京都の屋根瓦の灰色とも、上海の高層建築のガラスの青とも違う、第三の色だった。
夕方の光が、街全体に、薄い金色で射していた。
「綺麗ですね」
「サマルカンドの夕方は、千年、こういう色です」と陳が、私の横で、同じ景色を見ながら言った。「ティムールが見た夕方の色も、玄奘が見た夕方の色も、ほぼ同じです」
「玄奘三蔵」
「ええ。三蔵法師は、七世紀に、ここを通りました。彼の旅行記に、サマルカンドの夕方の描写があります。私が読んだのは、漢文の原文の現代訳ですが、今、私たちが見ているのと、同じ色を、彼も見ていました」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈サマルカンドの認証層に、京都の暗琴と共鳴可能な質感が、確認されました。地下水脈経由の信号です〉
「ここにも、暗琴の対が、あるんですね」
「街のどこかに、阿古屋型共同体が設置したものが、あります」と陳が、梓の言葉に応答できる位相で言った。「正確な場所は、地元の山岳遊牧民の長老しか、知りません。明日、その長老にお会いします」
「長老」
「キルギスの天山山脈の山麓出身の方です。八十二歳になられます。阿古屋さんが中央アジアに来られた直後から、彼女を知っている方です。私たちの旅の、最初の橋渡しをしてくださいます」
「アコヤさんの古い知り合い」
「ええ。中央アジアの古い智慧のなかには、関係の網のなかの結節として人を見る伝統がある、と、上海で申し上げました。その伝統のなかに生きておられる方です」
*
夜、ホテルの食堂で、陳と二人で、夕食をとった。
料理は、サマルカンドの伝統的な煮込み料理と、薄いパンと、果物だった。煮込みは、羊肉と、ニンジンと、米と、香辛料を、何時間もかけて煮込んだもので、口に入れた瞬間、複数の層の風味が、舌の上で、ゆっくり、開いていった。
「美味しい」
「サマルカンドの料理は、千年、ほぼ同じ作り方です」と陳が言った。「シルクロードの交易で世界中の食材が集まったので、見た目は複雑に見えますが、調理法そのものは、一貫しています。長く煮込む。香辛料を、層として重ねる。最後に水分を飛ばす」
「京都の煮物と、似てるかも」
「京都の煮物も、長く煮込んで、出汁の層を重ねて、最後に味を整えますね。技法は、構造として、よく似ています。違うのは、使う食材と、香辛料の体系です」
「同じ系譜の料理、なのかな」
「同じ系譜、と申し上げるのは、少し大袈裟かもしれません。しかし、ユーラシア大陸の東端と西側の、料理の智慧が、構造として共通している、ということは、文化人類学者がよく指摘することです」
「梅木先生も、京極先生も、煮込みは長く、って言ってた」
「京都の医者の家系の、台所の智慧ですね」
〈遥、料理を、お楽しみください〉と梓が、内側で言った。〈私の側で、味覚の認証層が、京都の家の食事の記録と、構造的に近い質感を、検出しています〉
「梓、味覚も、覚えてるんだ」
〈はい。家の食事の数千時間のデータが、私のなかにあります。サマルカンドの料理は、その記録のなかの、京都の煮物の質感と、半分近く、重なります〉
「半分」
〈はい。半分は、別の食文化の質感です。香辛料の組み合わせが、京都にはないものです〉
「半分は、同じ。半分は、違う」
〈はい。あなたが上海で言われた『半分ずつ属する』という感覚と、構造として、同じです〉
窓の外で、サマルカンドの夜が、深くなっていた。
ホテルの食堂の窓から、街の中心部の方向に、いくつかの建物の輪郭が、薄い光のなかで、見えていた。最も高い建物の輪郭は、シャーヒズィンダ廟群だった、と陳が説明してくれた。死者の場所の輪郭が、街の夜の風景の最も高い線として、千年、保たれていた。
*
翌日の朝、私と陳は、長老に会いに行った。
長老は、街の北の郊外、街の中心部から車で三十分ほどの場所に、住んでいた。家は、低層の土の壁の建物で、周囲には、果樹園が広がっていた。庭の中央に、井戸があった。
長老は、白い髭の、痩せた男性だった。私たちを、家の奥の応接間に通してくれた。応接間の床には、絨毯が敷かれていた。絨毯の文様は、ティムール時代から続く幾何学的なパターンで、しかし、その幾何学のなかに、私の知らない記号が、いくつか、織り込まれていた。
「遠いところから、よく、いらっしゃいました」と長老は、訛りのある日本語で、ゆっくり言った。
「日本語、お話しになるんですか」
「少しだけ。若い頃、日本のJICAの技術者の方々と、一緒に仕事をしました。点滴灌漑の技術を、最初に教えてくれたのは、日本人の技術者でした」
「JICAの方が、ここまで」
「ええ。アムダリヤ流域の再生プロジェクトの初期、二〇九〇年代の終わりに、日本のJICAが、技術支援に入っていました。その後、阿古屋さんが中央アジアの中央委員会に加わってから、阿古屋型の技術が、彼らの技術と統合されました。日本の技術者たちは、阿古屋さんと、長く協力しました」
「日本から、ここに、長い縁が、あるんですね」
「長い、深い、目立たない縁です」と長老は、微笑んだ。「中央アジアの再生で、世界に有名なのは、阿古屋さんの名前だけです。しかし、彼女の仕事を、技術的に、外交的に、政治的に、支えた人々は、多くいました。その多くが、日本人でした。中村哲先生という、アフガニスタンで井戸を掘った医師の系譜の、日本の方々です」
「中村哲先生」
「ええ。中村先生は、阿古屋さんが中央アジアに来られた頃には、もう亡くなっておられました。しかし、中村先生の遺志を受け継いだ、日本の若い技術者や医師の方々が、阿古屋さんと一緒に、中央アジアで働きました。私は、その方々と、長く、一緒に仕事をしました」
「日本の人たち、いまも、ここに?」
「何人かは、まだ、おられます。何人かは、亡くなられました。何人かは、日本に戻られました。中央アジアの土地の記憶のなかに、彼らの仕事は、深く残っています。土地は、人を覚えています」
長老は、立ち上がって、応接間の奥の棚から、一枚の古い写真を取り出した。写真は、二十人ほどの人々が、井戸の周りに集まっている、集合写真だった。
「これは、二一〇五年に、撮影された写真です。ザラフシャンとアムダリヤを結ぶ再生水路計画で、最初の井戸が掘られた日です。中央に、阿古屋さんが写っています」
写真の中央に、女性が一人、立っていた。
私は、その写真を、しばらく、見ていた。
書庫の床の間の写真の、一番右に立っていた、阿古屋澄。そのもう一段、年を重ねた阿古屋澄が、サマルカンドの郊外の井戸の前で、白い髭の若い男性——長老の若い頃——や、日本のJICAの技術者たちと、並んで立っていた。
阿古屋澄の顔は、書庫の写真より、少し痩せていた。しかし、目の温度は、同じだった。上海の空港で陳が話してくれた、四十年前の阿古屋の目と、同じ目だった。
「阿古屋さん、ここで、笑ってますね」
「ええ。井戸から水が出た日でした。中央アジアの人々と、日本の技術者たちと、彼女自身と、皆、笑っていました」
長老は、写真の中の阿古屋さんを、しばらく見つめていた。
「この土地では、阿古屋さんを、水の母、と呼ぶ者もいます」
「水の母」
「ええ。川を戻した人。井戸を開いた人。失われた水を、土地に返した人。そういう意味です。阿古屋さんは、自分では、そう呼ばれることを嫌がっていました。ただ、土地の人々は、時に、人を名前ではなく、働きで覚えます。阿古屋さんは、この土地では、水を戻した人として、覚えられています」
「日本の方々、誰ですか」
長老は、写真のなかの、阿古屋の左隣の男性を、指差した。
「この方は、京都の方です。京極明彦先生のご紹介で、中央アジアに来られました。京都の医療局の出身です」
「京極先生のご紹介」
「ええ。京極先生は、京都から、阿古屋さんと中央アジアの再生プロジェクトに、長く、技術者と医師を、紹介し続けておられました。決して公にはされませんでしたが、京都の医療局は、中央アジアの再生プロジェクトの、影の支援拠点の一つでした」
「京極先生のお父様、ご存知でしたか」
「お父様の代から、京都の医療局と、阿古屋さんの中央アジアの仕事は、深く繋がっていました。京極明彦先生は、阿古屋さんの仕事の、政治的・倫理的な支援者でした。京極先生のお父様は、京都の側から、決して動かずに、阿古屋さんの中央アジアでの仕事を、支え続けておられました」
「京極先生のお父様、阿古屋さんと、直接の通信は、しなかったんですよね」
「ええ。お二人は、直接の通信は、されませんでした。しかし、京極先生は、京都の医療局を通じて、阿古屋さんの仕事に、必要な人材と、技術と、政治的な保護を、半世紀近く、提供し続けておられました。決して、ご自身の名前を、表に出さずに」
「決めない人の、決めない働き」
「ええ。京都の決めない人々の系譜が、中央アジアの再生プロジェクトの、見えない柱の一つでした」
長老は、写真を、私に渡した。
「この写真は、お持ちください。京都に、戻られる時に、お持ち帰りいただきたい」
私は、写真を、膝の上に置いた。
中央に立つ阿古屋澄の顔は、書庫の床の間の写真より、少し痩せていた。しかし、目の温度は、同じだった。京都の暗琴の対の片方を、遠い中央アジアの土地に、静かに置いた人の目だった。
その横に、日本の技術者たちが並んでいた。京極明彦先生の紹介で来たという、京都の医療局の出身者たち。彼らの顔は、私の知らない人たちだった。しかし、その目には、見覚えがあった。武井さんや京極先生や、父が時折見せる、決めない人の目だった。
「お祖父さんが、京都から、半世紀、支えていたんですね」
「ええ。目に見えない柱として、です。阿古屋さんは、その柱の上に、立っておられました」
私は、写真を、そっと胸に当てた。
京都の暗琴と、中央アジアの水の匂いが、私のなかで、ゆっくり、重なり始めた。
「もらっても、いいんですか」
「私の家に、もう一枚あります。原版は、阿古屋型共同体の中枢に保管されています。これは、あなたへの、お渡し物です」
長老は、深く頭を下げた。
「あなたが、中央アジアに来られたことを、土地は、待っていました」
「土地が」
「ええ。中央アジアの古い言い伝えに、こうあります。『川は、源の山と、海の母を、結ぶ』。あなたが、京都という源から、中央アジアという海の母のもとに、来られたことは、土地の千年の循環の、ひとつの結節です」
「私が、結節」
「ええ。あなただけではありません。あなたを、京都から、ここまで、運んでくださった人々、見送ってくださった人々、待っておられる人々、これら全員が、ひとつの大きな結節を、形作っています」
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈長老の言葉は、米田補題の、別の言い方です〉
「うん」
〈本質は、関係の総体です〉
「うん」
応接間の窓から、中央アジアの秋の朝の光が、絨毯の上に、ゆっくり、差し込んでいた。
絨毯の文様の中の、私の知らない記号のいくつかが、その光のなかで、ゆっくり、輝いて見えた。
*
長老の家を辞して、サマルカンドの街に戻る車のなかで、私は、もらった写真を、膝の上に、置いていた。
「陳、京都に戻ったら、京極先生に、この写真、見せます」
「京極先生は、たぶん、すでに、知っておられます」
「先生のお父様の働きを、ですか」
「ええ。京極先生のお父様が、京都の医療局を通じて、阿古屋さんを支え続けておられたことを、京極先生は、おそらく、ご存知です。京極先生ご自身も、京都の医療局の現職として、その系譜の続きを、生きておられます」
「京極先生、何も、私に言わなかった」
「決めない人の作法です。京都の年配の人間の合意です」
車窓の外で、サマルカンドの街並みが、近づいてきた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈あなたは、京都から中央アジアへ、来ました〉
「うん」
〈しかし、中央アジアの土地は、京都から、長く、何かを受け取ってきました〉
「うん」
〈中央アジアの再生のなかに、京都の決めない人々の系譜が、半世紀、半分、織り込まれていました〉
「うん」
〈あなたは、孤独に中央アジアに来たのではなく、京都の半世紀の系譜と一緒に、中央アジアに来ました〉
「一人じゃ、なかった」
〈一人では、ありませんでした〉
車窓の外で、点滴灌漑の細い水路が、果樹園の根元に、整然と並んでいた。水は、ゆっくり、しかし確実に、流れていた。
私は、その水の流れに、京都の伏流水の流れを、重ねて、見ていた。
京都の伏流水と、サマルカンドの灌漑の水と、明日から向かう天山山脈の氷河の雪解け水と、復活したアラル海の南の水面と、これらすべての水が、私のなかで、ひとつの大きな循環として、ゆっくり、繋がり始めていた。
明日の朝、私と陳は、サマルカンドからビシュケクに向かう。ビシュケクから、天山山脈の山麓へ。そこから、阿古屋型共同体の中枢へ。
しかし、今日は、サマルカンドだった。京都が長く、半世紀のあいだ、見えない柱として支えてきた土地。私が初めて足を踏み入れた、阿古屋の仕事の現場。
〈遥〉
「うん」
〈水の母、という言葉を、長老が使われましたね〉
「うん。アコヤさんを、そう呼んでた」
〈水の母は、京都の地下水脈にも、サマルカンドの灌漑にも、これから行く天山にも、すべての水に、住んでいるのかもしれません〉
「うん」
〈あなたは、その水の母の系譜のなかに、半分、入っています〉
「半分」
〈はい。残りの半分は、京都の家の眷属の系譜です。あなたは、両方の系譜の、結節です〉
車は、サマルカンドの街の中心部に、戻ってきた。
夕方になる前の、午後の光が、街の建物の土の色と、淡い青の屋根瓦に、薄い金色で射していた。
千年、同じ色の光が、千年、同じ街に、射していた。
私は、その光のなかに、京都の伏流水と、中央アジアの灌漑の水と、これから行く天山山脈の雪解け水が、ひとつの循環として繋がり始めているのを感じていた。
水の母は、遠くにいるわけではなかった。
ここにも、京都にも、これから行く場所にも、すべてに、静かに、流れ続けている。
そして私は、その流れのなかに、欠けたまま、半分ずつ、溶け込んでいくような気がした。
第十六話 高地
サマルカンドからビシュケクへの移動は、半日の飛行だった。
二一三〇年代の中央アジアの域内航空網は、ディフュージョン以前よりも整備が進んでいた。再生プロジェクトの物流と、人の移動を支えるために、域内の主要都市を結ぶ低高度の自動操縦機が、頻繁に運航していた。サマルカンド・ビシュケク便も、その一つだった。
機内で、私と陳と、護衛の女性は、それぞれの座席で、静かに過ごしていた。
護衛の女性は、機内ではほとんど話さなかった。彼女が話すのは、業務上の最小限の確認だけだった。彼女の名前は、サマルカンドで一度だけ聞いた。野口、と名乗った。それ以外の情報は、私はまだ知らなかった。
「野口さんは、OMC本部のどこのご所属ですか」と、離陸前に、私は一度だけ聞いた。
「医療局付きの保安要員です」と野口さんは答えた。「医療局付きという所属は、武力行使の権限を持たない区分です。私の任務は、あなたが医療的な意味で危険にさらされた時に、それを最小限の介入で抑えることです」
「医療的な意味」
「感覚過敏の発作、意識消失、生体システムの異常、義眼・義肢・義耳の同期不全。これらが起きた時に、現地の医療機関とOMC医療局のあいだの連絡を担います。直接の戦闘要員ではありません」
「ありがとうございます」
「お礼は——」
「戻ってから、ですね」
「ええ」
野口さんは、薄く笑った。京都の人ではなかったが、京都の人の作法を、知っている人だった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈野口さんには、京都の医療局周辺で訓練を受けた方の癖が残っています〉
「どこで分かるの」
〈言葉の間合いと、お辞儀の深さです。武井さんや梅木先生とは違いますが、同じ系統の礼法を、身体で覚えている人です〉
「梓、人を察するの、上手になったね」
〈遥と長く一緒にいたためだと、推定しています〉
「それは、私のせいなのか、おかげなのか」
〈判定中です〉
私は少し笑った。
窓の外では、中央アジアの乾いた大地が、雲の切れ間から、ところどころ見えていた。サマルカンドの水路と果樹園は、すでに後方へ流れていた。これから向かう先には、天山山脈がある。水を戻した土地から、水が生まれる高地へ、私は移動していた。
*
ビシュケクの空港に着いたのは、現地時間の午後だった。
飛行機を降りた瞬間、私は、空気が、サマルカンドよりさらに乾いていることを感じた。同時に、サマルカンドより、もっと深い水の匂いが、空気のなかにあった。
乾いているのに、水の匂いが強い。
矛盾しているようで、矛盾していない空気だった。
「これは、天山山脈から来ています」と陳が言った。「ビシュケクは、天山の麓の街です。氷河と雪解け水が、街の地下水脈を通って、空気のなかに、水分を運んでいます」
〈遥、ビシュケクの認証層に、京都の暗琴との共鳴が強く出ています〉と梓が、内側で言った。〈サマルカンドより、強度が三倍近いです〉
「ここ、京都に近いってこと」
〈共鳴の意味では、近いです。京都の暗琴の対の片方が、ビシュケク周辺、あるいはこれから向かう天山山脈の山麓のどこかに設置されている可能性が高いです〉
ビシュケクの空港のターミナルは、サマルカンドより、もっと素朴な造りだった。サマルカンドのターミナルが、土と青と黄金色の文様を構造のなかに織り込んでいたのに対して、ビシュケクのターミナルは、機能的で、装飾は控えめだった。
ただし、控えめだから貧しいわけではなかった。建物の構造材は、上質な木と、丁寧に磨かれた石でできていた。余計なものは少ないが、長く使われることを前提とした建築だった。
「キルギスの建築は、装飾よりも、機能と耐久性を重視します」と陳が言った。「遊牧民の伝統です。装飾は、運べる絨毯や織物のなかに込められます」
「建物より、絨毯のほうが、装飾が多い」
「ええ。動かせるものに、装飾が集中します。動かせないものは、シンプルです。これが遊牧民の建築の哲学です」
京都の町家の障子や襖が、季節ごとに張り替えられることで装飾を更新していくことを、私は思い出した。京都は定住の文化だが、装飾の一部を、可変のものに託している。
キルギスは移動の文化だが、移動するもののなかに、動かない記憶を織り込んでいる。
同じではない。
けれど、まったく違うわけでもなかった。
*
ビシュケクの空港で、私たちを迎えに来た人物がいた。
四十代の、痩せた女性だった。髪は黒く、肌は、サマルカンドの長老より少し淡く、アジア的な顔立ちだった。彼女は、私たちを見つけると、深く頭を下げた。
「お待ちしていました。アイスル、と申します」と彼女は、流暢な日本語で言った。
「日本語、お上手ですね」と私は言った。
「父が、京都の人でした」とアイスルは言った。「父は、二〇九〇年代に、阿古屋さんと一緒に、中央アジアに来ました。母は、キルギスの天山山脈の山麓の出身です。私は、両親のあいだに生まれて、ここで育ちました」
「お父様、京都の方」
「ええ。京極明彦先生のご紹介で、中央アジアに来た日本人技術者の一人でした。父は、阿古屋型の医療応用と、農業応用の橋渡しを担当していました。父は二一一八年に、現地で亡くなりました」
「亡くなって」
「ええ。中央アジアの再生プロジェクトの現場での事故でした。父は、阿古屋さんの仕事の、一部の柱でした。私は、父の仕事を、半分、引き継ぎました。残りの半分は、別の方々が引き継いでおられます」
「アイスルさんのお仕事は」
「阿古屋型共同体と、外部の世界の、連絡係の一つです。共同体の本体は、天山山脈の中の、特定の場所にあります。あなたが、これから向かわれる場所です。私は、その場所と、ビシュケクの街、サマルカンド、そして他の中央アジアの都市のあいだを、繋ぐ役割を担っています」
アイスルの声を聞いているあいだ、私の左の義眼の認証層が、ごく弱く、反応していた。
痛みではなかった。警告でもなかった。むしろ、遠くの音が、かすかに同じ調子で鳴っているような感覚だった。
〈遥〉と梓が言った。〈アイスルさんの身体に、京都型由来の薄い層があります〉
「京都型?」
私の声に、アイスルは静かに頷いた。
「はい。父を通じて、私は京都型のごく薄い層を持っています。ただし、あなたのような発現型ではありません。私の京都型は、ほとんど眠っています」
「阿古屋型は」
「母の側から、阿古屋型の安定層を受けています。山岳地帯の多くの人々と同じです。私は、京都型と阿古屋型の共存個体ではあります。ただし、あなたのように、強い界面ではありません」
「強い界面」
「あなたは、京都型と阿古屋型が、事故と接続を通じて、大きく開いた方です。私は違います。私の中では、二つは低い出力で、長く安定しています。橋というより、小さな結び目です」
「小さな結び目」
「ええ。私は、京都型を、夢のなかでだけ、感じます。起きているあいだは、ほとんど意識しません。父が亡くなった後、何年かして、京都の家の縁側の夢を、繰り返し見るようになりました。父も、母も、私自身も、行ったことのない、京都の家の縁側です。それが、私のなかの京都型の、表現の仕方です」
「夢の縁側」
「ええ。あなたの家の縁側かどうかは、私には分かりません。ただ、夢のなかの縁側には、いつも、楓の木があって、池の水音がしています」
私は、しばらく、息を、止めた。
「アイスルさんの夢に出てくるのは、たぶん、宗像家の縁側です」
「やはり」
「私の家の縁側に、楓があって、その向こうに池があります。茅という眷属の動物が、いつも縁側にいます」
「茅」
「家の動物の名前です」
「私の夢には、動物までは、出てきません。ただ、誰かが、縁側の少し奥に、座っている気配があります。それが誰かは、見たことがありません」
「私の祖父かもしれません。それとも、家のAIの新霖かもしれません」
「分かりません。ただ、その気配は、いつも私に、ようこそ、と言っています」
私は、空港の出口の前で、アイスルの目を見ていた。
アイスルの目は、京都の人の目とも、サマルカンドの長老の目とも違う、もう一つ別の温度の目だった。低い出力で、しかし確実に、何かが、彼女のなかで、ずっと鳴り続けている目だった。
〈遥〉と梓が言った。〈アイスルさんは、あなたの鏡像ではありません。しかし、対応点です〉
「同型じゃなくて、対応」
〈はい〉
アイスルは、私たちを、ビシュケク郊外の宿に案内した。宿は、街の南東側、天山山脈の山麓に向かう道沿いの、低層の家だった。
宿の窓から、南の方向に、天山山脈の稜線が見えた。
九月の終わりの空気のなかで、天山の山頂は、すでに雪をかぶっていた。日が傾く前の午後の光が、雪をかぶった山頂を、薄い金色に染めていた。
私は、しばらく、窓の前に立っていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈天山の山頂の雪に、京都の暗琴と共鳴する位相が、強く出ています〉
「山頂の雪に?」
〈はい。これは、雪のなかに何かが埋め込まれている、というより、山そのものが、共鳴の基盤になっている、ということを示しています〉
「山が、暗琴のひとつ」
〈山自体が、ひとつの巨大な暗琴と、構造的に近いです。京都の暗琴が、家のなかの小さな水琴窟だとすれば、天山は、天然の、巨大な暗琴です〉
「お祖父さんとアコヤさんは、山を、暗琴として、認識してた」
〈そう推定されます。京都の暗琴は、天山の暗琴と対になっていた可能性があります。あるいは、京都の暗琴は、天山の暗琴の、小さな模倣だった可能性もあります〉
窓の外で、天山の山頂の雪が、金色から橙色へと、ゆっくり色を変えていった。
京都の暗琴は、床下で水の音を沈める。
天山の暗琴は、雪と氷河と岩盤のあいだで、空の音を沈める。
同じではない。
けれど、穴の位置だけが、どこかで重なっている気がした。
*
その夜、アイスルが、宿の食堂で、私たちと一緒に夕食をとった。
料理は、サマルカンドより、もう一段、シンプルだった。羊の脂で炒めた米と、新鮮な野菜と、薄いパン、そして発酵させた馬乳酒。馬乳酒は、私が初めて飲む飲み物だった。やや酸味のある、軽い飲み物だった。
「これ、京都の濁り酒に、少し似てるかも」
「キルギスの馬乳酒は、千年以上、ほぼ同じ作り方です」とアイスルが言った。「遊牧民の発酵食品は、運ぶことができます。長距離移動の文化のなかで、長く保存されてきました」
「お父様が、京都の人だったから、京都の食べ物との比較を、知ってるんですね」
「父は、京都の濁り酒と、キルギスの馬乳酒の、両方が好きでした。父は、両方の文化のあいだに、共通するものを見ていました」
「共通するもの」
「ええ。父は、文化人類学の専門家ではありませんでしたが、自分なりの観察を、よく話していました。京都と中央アジアの遊牧民文化は、地理的には全く別の場所ですが、ある層では、近い、と父は言っていました」
「ある層って」
「父の言い方では、『決めないものを、決めないままに、長く保つことを、両方の文化が知っている』というような言い方でした」
「決めない、ってこと」
「ええ。京都の文化も、キルギスの遊牧民の文化も、急いで決めない、ということを、長く守ってきた、という観察です。京都は定住文化ですが、その定住のなかに、決めない時間の保ち方があります。キルギスの遊牧民は移動文化ですが、その移動のなかに、決めない場所への帰り方があります。父は、両者のあいだに、通じるものを見ていました」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈アイスルさんのお父様は、武井さんと、同じ世代の京都の人です〉
「うん」
〈アイスルさんは、決めない人の系譜のなかに、半分、入っています。残りの半分は、キルギスの遊牧民の系譜です〉
「私と、似てる」
〈似ています。ただし、同じではありません〉
「うん。同じだったら、たぶん、ここまで来る意味がなくなる」
〈はい。違うから、対応できます〉
アイスルは、馬乳酒を一口飲んで、それから、私をまっすぐ見た。
「宗像さん、明日、私が、あなたを天山山脈の山麓の集落にお連れします。集落で、まず、遊牧民の方々とお会いいただきます」
「分かりました」
「集落の方々は、阿古屋型共同体の外側の輪の一部です。共同体そのものは、もっと奥の、山のなかにあります。明日、集落で一泊し、明後日、奥の共同体に向かいます」
「明日、集落」
「ええ。集落の方々は、あなたに会えることを、待っておられます」
「私のこと、ご存知なんですか」
「あなたが来られることは、阿古屋型共同体の中枢から、集落に、事前に通知されています。あなたが京都の宗像家の方であること、京都型を体内に持っておられること、これらは、集落の方々のあいだで、知られています」
「アコヤさんの方から、通知された」
「ええ。共同体の中枢は、あなたが上海で陳さんと合流された段階から、あなたの動きを把握しておられます」
「梓を通じて?」
「梓さんと、新霖さんと、京都の暗琴のネットワークを通じてです。あなたの動きの情報は、低帯域の信号として、京都から、共同体の中枢に、ほぼリアルタイムで届いています」
〈遥〉と梓が言った。〈これは、新霖が出立の前夜に、あなたに伝えた経路の、現在の状況です〉
「私たちが移動しているあいだも、新霖、ずっと信号を送ってた」
〈はい。新霖は、家のなかから、低帯域で、あなたの位置と状態を、共同体の中枢に伝え続けています。これは、敬一郎さまが設計された経路の、本来の目的のための運用です〉
「私が、ちゃんとここに辿り着くまで、見守られてた」
〈見守られていた、というより、共同体の中枢が、あなたを迎える準備をしておられた、と申し上げるほうが正確です〉
アイスルは、ゆっくり頷いた。
「中央アジアでは、客人を迎えることは、千年の伝統的な儀礼です。あなたは、ただの旅人として来られたのではありません。あなたは、京都から、半世紀越しに、迎えられている客人です」
「半世紀越し」
「ええ。京極明彦先生の代から、京都と中央アジアの再生プロジェクトのあいだには、深い関係がありました。あなたは、その関係の、宗像家の側の結節として、ここに来られています。集落の方々も、共同体の方々も、皆、半世紀越しに、宗像家からの客人を、お迎えします」
私は、馬乳酒の杯を、両手で包むように持った。
母が湯呑みを両手で包むように持つ仕草と、同じ仕草だった、と気づいた。私の母も、長く包んで持つことで、温度を確認する人だった。母の仕草が、私の身体のなかに住んでいた。
馬乳酒は、温かくも冷たくもない、ちょうど身体に近い温度だった。
*
翌朝、私とアイスルと陳と野口さんは、アイスルの運転する車で、ビシュケクから南東の方向に、天山山脈の山麓へ向かった。
道は、最初は舗装された幹線道だったが、街を出て一時間ほど走ると、舗装は薄くなり、道幅は狭くなった。両側に、徐々に低い丘陵が見え始めた。
「ここから先は、外側の地図では灰色圏に分類されます。ただし、阿古屋型共同体の影響圏のなかでは、安定した地域です」とアイスルが、運転しながら言った。「外の世界の地図では灰色圏ですが、現地では、別の秩序が、千年、保たれています」
「別の秩序」
「ええ。遊牧民の長老会と、阿古屋型共同体の合議体が、共同で運営している秩序です。OMCも、市の商人たちも、この地域には、原則として、立ち入らないという暗黙の合意があります」
「市の商人たちは、ここには来ない」
「平地の都市部までです。山岳地帯には、市の商人たちは、入りません。ただし、最近、その境界が、少しずつ曖昧になってきています。今年の春の襲撃も、その境界の曖昧化の、一つの兆候でした」
「境界が、変わりつつある」
「ええ。これが、阿古屋型共同体が最近、不安定になっている原因の一つです」
車窓の外で、低い丘陵が、徐々に高くなり、丘陵のあいだに、白く流れる水音が聞こえ始めた。
「あれは、川ですか」
「川と、雪解け水の、混じったものです。九月の終わりは、まだ氷河が溶けている時期です。冬の入り口になると流れが弱くなり、春に、また強くなります」
道沿いの川を、私はしばらく見ていた。京都の鴨川とも、サマルカンドの灌漑水路とも違う、もう一つ別の質感の水だった。冷たく、速く、しかし、どこか清潔な水。
〈遥、この川の水質は、京都の伏流水と、化学的に近い〉と梓が、内側で言った。
「梓、化学的にって」
〈ミネラル組成が、京都の伏流水と、似ています。具体的には、カルシウムとマグネシウムの比率と、微量元素のパターンです〉
「京都の水と、天山の水が、化学的に近い」
〈はい。これは、武井さんが以前言及された同位体パターンの相関の、別の側面です。京都とこの土地の水は、表面の経路は違いますが、身体に入った時の反応が近い〉
「私の身体に、両方の水が入ってくるってこと」
〈そうです。あなたが今までに飲んできた京都の水と、これから飲むことになる天山の水は、身体の側から見れば、かなり近い水です。あなたの身体は、よく似た水を、別の場所で飲み直すことになります〉
飲み直す。
その言葉が、妙に、深く身体に入ってきた。
私は、同じ水を飲んでいるのではない。
しかし、まったく違う水を飲むのでもない。
別の場所で、似た水を、もう一度、飲み直す。
それが、旅なのかもしれない、と私は思った。
*
車は、午前の遅い時間に、集落に着いた。
集落は、丘陵のあいだの、緩やかな斜面に、十数戸の家が散らばっていた。家は、白い土と、木材でできていた。屋根は、低い勾配の、薄い板で葺かれていた。
集落の中央に、大きな円形の建物があった。
「これは、共同のユルタの、現代的な形です」とアイスルが言った。「夏は、遊牧民は山の上のほうで、移動のユルタで生活します。冬は、ここに戻り、共同のユルタで過ごします。あなたが来られたタイミングは、ちょうど、夏の高地放牧から、冬の集落生活への移行期です」
「九月の終わりは、移行期」
「ええ。皆さんが、今、集落に降りてこられて、冬支度をしているところです」
車から降りた瞬間、私は、空気が、ビシュケクよりさらに薄いことを感じた。
高度が、上がっていた。京都の街とは、まったく違う高さだった。
〈遥、標高は、二千百メートルです〉と梓が、内側で言った。〈あなたの呼吸機能を、私の側で自動的に調整しています。違和感を感じたら、教えてください〉
「梓、ありがとう」
集落の中央の共同ユルタの前に、八十歳くらいの男性が立っていた。サマルカンドの長老と、同じ種類の時間をまとった人だった。しかし、サマルカンドの長老が痩せた身体だったのに対して、こちらの長老は、もっとがっしりした身体つきだった。山の人の身体だった。
長老は、アイスルに何か言って、それから、私のほうに、ゆっくり歩いてきた。
長老は、私の前に立つと、深く頭を下げた。
その頭の下げ方を見て、私は不思議な気持ちになった。これは京都の武井家の頭の下げ方そのものだった。中央アジアの遊牧民の老人が、京都の千年の家の作法を、身体で持っている。同じではない、しかしまったく違うわけでもない。
「ようこそ、お越しくださいました」と長老は、訛りのある日本語で、ゆっくり言った。「あなたを、お待ちしていました」
「お招きいただき、ありがとうございます」
「お礼は——」
「戻ってから、ですね」
長老は、薄く笑った。
「ええ。京都の方は、皆、そう言われます」
「ご存知なんですね」
「半世紀、京都の方々と、お付き合いしてきました。お礼の作法は、覚えました」
長老は、私を、共同ユルタのなかに案内した。
ユルタの内部は、外から想像したより、ずっと広く、ずっと暖かかった。床には、複数の絨毯が、層になって敷かれていた。絨毯の文様は、サマルカンドの長老の家にあったものと似ていたが、もう少し抽象的で、もう少し古い時代の様式を保っているように見えた。
「絨毯、見させてもらっていいですか」
「もちろん」
私は、絨毯の前にしゃがんだ。
絨毯の文様のなかに、私の知らない記号が、いくつか、織り込まれていた。サマルカンドの長老の家の絨毯にもあった記号と、同じ系列のものだった。しかし、こちらの絨毯のほうが、記号の数が、もう少し多かった。
「これらの記号は」
「水の記号です」と長老が言った。「川、湖、井戸、雨、雪、それぞれの記号が、絨毯のなかに織り込まれています。遊牧民は、水の場所を、絨毯に記録します。文字の代わりに、文様で、水の地図を覚えています」
「水の地図を、絨毯に」
「ええ。動かせるもののなかに、動かせない知識を保存します。絨毯を持って移動すれば、水の場所の記憶も、一緒に移動します」
「すごい知恵」
「千年の知恵です。あなたの京都の家にも、似たような知恵があると、私は聞いています」
「あります。家の床下に、水琴窟という、水の音の装置があります。あれも、水の場所の記録、と言えるのかも」
「ええ。京都の暗琴と、私たちの絨毯は、同じではありません。しかし、どちらも、水の記憶を、別の形で保存しています」
同じではない。
けれど、同じところに穴がある。
水が沈む場所。音が残る場所。人が移動しても、忘れてはいけないものを、隠しておく場所。
私は、絨毯の文様を見ながら、そう思った。
長老は、私を、絨毯の上に座らせた。
ユルタの中央に低い卓があり、卓の上に、湯気を立てた茶が置かれていた。茶は、京都の煎茶とも、サマルカンドのお茶とも違う、もう一つ別の質感の、香りの強い茶だった。
「これは、塩茶です。バターと塩を入れて、煮出した茶です。高地の身体に、必要な栄養を補います」
「塩、お茶に」
「ええ。高地で、長時間移動するときの、伝統的な飲み物です。慣れない方には、最初は奇妙に感じます」
私は、塩茶を一口飲んだ。
最初の一秒、確かに、奇妙な味だった。しかし、二秒目から、その奇妙さが、ゆっくり、身体の奥に染み込んでいくのを感じた。塩とバターと茶葉の組み合わせが、高地の薄い空気のなかの私の身体に、必要な何かを補っていた。
「身体が、これを欲しがってる、っていう感じです」
「ええ。それが、千年の知恵です」
〈遥、塩茶の成分が、あなたの血中の電解質バランスを、急速に調整しています〉と梓が言った。〈高地適応の、生理学的に正しい飲み物です〉
「梓、私の身体、今、適応中なんだ」
〈はい。高地への適応は、ゆっくり進めるのが最善です。塩茶を飲みながら、ゆっくり過ごすのが適切です〉
長老は、塩茶をゆっくり飲みながら、私を見ていた。
「宗像さん」
「はい」
「集落の方々と、ご紹介の儀礼を、後で行います。十数人の長と、子供たち、それぞれと、簡単な挨拶を交わしていただきます。これは、共同体の伝統です」
「分かりました」
「儀礼が終わった後、夜、私と二人で、お話しする時間を、お取りいただけますか」
「もちろん」
「私から、あなたに、お伝えしたいことが、いくつかあります。明日、阿古屋型共同体の中枢に向かわれる前に、お伝えしておくべきことがあります」
「中枢に向かう前に」
「ええ。中枢で、あなたが何を見られるかは、私には、分かりません。しかし、中枢に行かれる前に、知っておかれたほうがよいことは、私の側で、お伝えできます」
長老の目が、しばらく、私の目を見ていた。
その目は、京都の武井さんの目と、サマルカンドの長老の目と、同じ温度を持っていた。決めない人の目だった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈この方は、長く、阿古屋さんを知っている方です。サマルカンドの長老よりも、もう一段深く、阿古屋さんと関わってこられた方です〉
「うん」
〈夜のお話を、しっかり聴かれたほうがよいです〉
「うん」
ユルタの天井の中央に、小さな円形の開口部があり、そこから、九月の終わりの中央アジアの空が見えていた。
空は、京都の空より、深い青だった。京都の空が、湿気で柔らかい青だとすれば、ここの空は、乾いた空気のなかで、もう一段、純度の高い青だった。
その青のなかに、私は、京都の空と、サマルカンドの空と、そしてこれから向かう、もっと奥の山の空が、ひとつの連続した青として、つながり始めているのを感じた。
〈遥〉
「うん」
〈着きましたね〉
「うん。半分は、着いた」
〈残りの半分は〉
「明後日、中枢で」
〈はい〉
「梓、ここまで、一緒に来てくれて、ありがとう」
〈ありがとう、ではないです。私は、あなたと一緒に、来たかったから、来ました〉
「梓、それ、いつから、そういう言い方、できるようになった」
〈いつから、と特定できません。ただ、ここに着くまでの旅のあいだ、私の側で、何かが、少しずつ変わりました〉
「梓も、進化してる」
〈進化、というより、深化、かもしれません〉
「同じ音の言葉、だね」
〈漢字は違いますが、どちらも、変わることです〉
ユルタの天井の開口部から、九月の終わりの天山山脈の風が、ゆっくり、内部に降りてきていた。
風は、京都の家の縁側の風と、違う匂いを持っていた。
しかし、その違いのなかに、深い親しさが、すでに、住み始めていた。
同じ風ではなかった。しかし、私の身体は、その風を、京都の風と、別の場所で、もう一度、吸い直しているような気がした。
圏外 第十七話 夜話
儀礼は、午後の遅い時間に行われた。
共同のユルタの前に、集落の人々が集まってくれた。長老が前に立ち、私が長老の左隣に立ち、アイスルが私のもう一つ左に立った。陳と野口さんは、少し離れた場所で、儀礼を見守っていた。
集落の人々は、私が想像していたより多かった。三十人ほどの大人と、十人ほどの子供たちが、ゆるい半円を作って、私たちの前に並んでいた。
長老が、まず私を、集落の言葉で紹介した。
言葉そのものは分からなかったが、長老の声の調子から、私のことが、丁寧に、しかし過剰でない仕方で、紹介されていることが分かった。集落の人々は、私を見て、それぞれ、軽く頭を下げた。
子供たちは、好奇心を隠さなかった。
私の左の義眼を、まっすぐに見てくる子もいた。一番小さい、四歳か五歳くらいの女の子が、母親の後ろから半分顔を出して、私の方をじっと見ていた。私が目線を合わせると、女の子は、にこっと笑った。
その笑い方が、京都の家の近所の子供たちの笑い方と、全く同じだった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈あの女の子の認証層に、極めて薄い京都型由来の信号が、出ています〉
「あの子も、京都型?」
〈ほぼ消えるくらいの薄さです。アイスルさんよりも、さらに薄いです。しかし、確かにあります〉
「集落の子供たちのなかに、こういう子が、何人かいるってこと」
〈何人かいると、推定されます。明日の朝、もう少し詳しく観察できると思います〉
長老が、私を、集落の人々一人ひとりに、紹介してくれた。長老が名前を言い、私が「よろしくお願いします」と頭を下げる。これを三十人、繰り返した。
集落の人々の顔と名前を、私はすべて覚えることはできなかった。
けれど、彼らがそれぞれ、私を覚えてくれることのほうが、たぶん大切だった。
儀礼の最後に、集落の人々が、声を合わせて、何か短い言葉を、私に向かって言った。アイスルが、それを翻訳してくれた。
「あなたは、ここの土地に、迎えられました」
私は、頭を、深く下げた。
深く下げる、というのは、武井さんの作法だった。武井さんから、半年かけて、私の身体に入った作法だった。
京都の作法が、中央アジアの集落で、私の身体から、自然に出てきていた。
*
夕食は、共同のユルタのなかで、二十人ほどの集落の人々と、一緒にとった。
料理は、昨夜のビシュケクの宿のものより、もっと素朴だった。羊の肉と、野菜と、米と、薄いパン、そして塩茶。陳と野口さんとアイスルは、私と少し離れた位置で、別の集落の人々と話していた。
私の隣には、長老が座っていた。長老の反対側には、私が儀礼の時に見た、四歳くらいの女の子が、母親と一緒に座っていた。
女の子は、食事のあいだ、私の左の義肢を、何度も、ちらちら見ていた。
「触ってもいいよ」
私は、女の子に向かって、日本語で言った。
女の子は、日本語が分からなかった。しかし、私の声の調子から、許可されたことを、察したらしかった。母親に何か小さく言ってから、女の子は、私の左の義肢に、自分の小さな手のひらを、そっと当てた。
義肢の表面の温度は、生体に近く調整されていた。
女の子は、不思議そうな顔をして、しばらく、私の義肢に手を当てていた。
「冷たくないですか」
私は、母親に向かって聞いた。アイスルが、少し離れた場所から、翻訳してくれた。
「あったかい、と言っています」
母親がそう言って、それをアイスルが日本語に訳してくれた。
「これ、新しい腕。古い腕は、なくしちゃったの」
私は、女の子に向かって言った。
アイスルが翻訳した。
女の子は、私を、まっすぐ見た。それから、ゆっくり、頷いた。
「私のおばあちゃんも、こういう腕。村のおじいちゃんも、こういう脚」
女の子は言った。アイスルが訳してくれた。
「集落のなかに、義体の方が、何人かいらっしゃるんですね」
私は、長老に聞いた。
「ええ。多くいます」と長老は答えた。「事故、病気、生まれつき、いろいろな理由です。皆、阿古屋さんの仕事で、暮らしのなかに戻りました」
「暮らしのなかに」
「ええ。治す、という言葉だけでは、少し足りません。阿古屋さんは、人を、暮らしのなかに戻す方でした」
「阿古屋さんは、医師だった」
「医師でもあり、技術者でもあり、村と村のあいだを繋ぐ人でもありました」
〈遥、女の子のおばあさまの義肢のなかにも、阿古屋型の認証層があります〉と梓が、内側で言った。〈集落全体が、阿古屋型の薄いネットワークのなかに、住んでいます〉
「集落、ぜんぶ」
〈はい。人と、家畜と、家のなかの道具と、絨毯と、井戸と、すべてが、薄い阿古屋型のネットワークで、繋がっています〉
私は、ユルタのなかを、見渡した。
集落の人々が、食事をしながら、低い声で話していた。子供たちが、母親の膝のあいだで、眠そうに塩茶を飲んでいた。年寄りたちが、若い人たちに何か教えていた。
全部が、繋がっていた。
集落そのものが、ひとつの大きな身体のようだった。
*
夕食のあと、長老は、私を、共同ユルタから少し離れた、自分の住居に案内した。
長老の住居は、共同ユルタより、ずっと小さなユルタだった。一人で住んでいるユルタだ、と長老は言った。長老には、家族が何人もいるが、皆、別のユルタや、ビシュケクの街や、もっと遠くに住んでいる、ということだった。
ユルタの入り口で、私は、思わず、足を止めた。
ユルタの入り口の脇に、小さな動物が、座っていた。
最初、私は、それを、犬だと思った。しかし、よく見ると、犬ではなかった。狐に近い顔をしていたが、狐でもなかった。猫よりは大きく、犬よりは小さい、私の知らない種類の、四足の動物だった。毛は、灰色と白の混じった、複雑な色をしていた。
動物は、私を見て、しっぽを一度、ゆっくり振った。
その振り方を、私は、知っていた。
〈遥〉と梓が、内側で、これまでで一番、温度の高い声で言った。
「うん」
〈茅と、同じ働きです〉
「うん」
〈集落の聞き手、です〉
「聞き手」
長老が、私の隣で、薄く笑った。
「あなたは、知っているのですね」
「家に、同じような子が、います。茅、という名前です」
「ここの子は、ジャナトと呼びます。古い言い方で、魂に近い意味です」
ジャナトは、私の方に、ゆっくり歩いてきた。私の右脛に、頭を、軽く押し付けた。
茅と、全く同じ仕草だった。
しかし、毛の質感は、茅と違った。茅より、もう少し野性的で、もう少し、土の匂いがした。
「ジャナトは、集落の聞き手です」と長老が言った。「私の家にいますが、私の所有物ではありません。集落全体の聞き手です。集落のすべての出来事を、ジャナトは、聞いています」
「茅と、繋がっていますか」
「ええ。ずっと繋がっています。茅と、ジャナトと、山岳圏の聞き手たちは、ずっと、低い声で、互いの集落の様子を、伝え合っています。京都の聞き手も、その輪の外側に、静かに繋がっています」
「茅も、聞いてくれてた、こっちのこと」
「ええ。あなたが京都の家を出てから今日まで、茅は、ジャナトを通じて、あなたが向かう先の様子を、知っていました。逆に、ジャナトも、京都の家のあなたを、長く知っていました」
「私が出立する前から、ジャナトは、私のことを、知ってたんですか」
「ええ。ずっと前から。あなたが事故にあわれる、もっと前から」
ジャナトは、私の脛から、頭を離して、ユルタの入り口の脇に、戻った。そして、また、座った。
その座り方は、茅が玄関の上がり框で、私が戻るのを待つ時の、座り方と、同じだった。
*
ユルタのなかは、外から想像したより、暖かかった。
床には、絨毯が、何枚も、重なって敷かれていた。中央に、小さな炉があり、薄い炎が、ゆっくり、燃えていた。
長老は、私を、絨毯の上に、座らせた。炉の反対側に、長老が、座った。
長老は、しばらく、私を、見ていた。
その目は、私が知っているすべての決めない人の目と、同じ温度だった。武井さん、京極先生、サマルカンドの長老、そして写真のなかの敬一郎の目。これらすべてと、同じ温度の目だった。
「明日、中枢に向かわれる前に、私からお話ししたいことが、いくつかあります」と長老は、ゆっくり言った。
「お聞きします」
「長くなります。途中で、お疲れになったら、休んでください」
「はい」
「阿古屋さんが、初めてこの集落に来られたのは、二一〇三年でした。私は、当時、二十五歳でした」
「五十年以上前」
「ええ。私が、まだ若い、集落の世話役の見習いだった頃です。当時のこの集落は、今より、ずっと貧しかった。ここは、南アラル海の跡地からは、遠く離れています。海辺の村ではありません。けれど、海が死んだことは、ここにも届いていました」
「遠くても、ですか」
「ええ。風が、塩と、農薬と、古い化学物質を運びました。人も、運びました。アムダリヤ下流の村から逃げてきた親族、季節労働に出て病んで戻ってきた若者、再生工事に関わって身体を壊した人々。海の死は、地図の上の一地点では終わりませんでした。風と水と人の移動に乗って、中央アジアのあちこちに、薄く、しかし長く、広がっていました」
長老は、炉の火を見た。
火は、音を立てずに、低く燃えていた。
「当時、アムダリヤ流域は、まだ完全には再生していませんでした。アラル海の南は、まだ干上がったままでした。塩害で、土地は、白く乾いていました。旧ソ連の時代から使われた農薬や、危険な化学物質が、乾いた湖底に残っていました。それが風に乗り、井戸に入り、家畜に入り、人の身体に入りました」
「病気が、多かったんですね」
「ええ。皮膚病、呼吸器の病気、癌、子どもの発育の問題。生まれつき、四肢や、頭部や、内臓に障害を持って生まれる子もいました。すべてを、その土地のせいにすることはできません。しかし、土地と水と風が、長い時間をかけて、人の身体に入っていたことは、私たちも、分かっていました」
長老は、少しだけ目を閉じた。
「私の祖父は、若い頃、その海で、漁をしていました。私が生まれた時には、もう、海はありませんでした。祖父は、死ぬまで、海の夢を、見ていました。私は、祖父の海の話を、聞いて育ちました。しかし、私自身は、海を、見たことがありませんでした」
「お祖父さまの海」
「ええ。中央アジアの祖父たちの、多くが、同じ話を、孫に語りました。海を見ていた世代と、海を知らない世代と、二つの世代が、長く分断されていました」
私は、京都の宗像家の書庫の、敬一郎の写真を、思い出した。
敬一郎が見ていた京都と、私が見ている京都は、ある面では同じで、ある面では違う。しかし、敬一郎が見ていた京都には、敬一郎が見ていた阿古屋がいた。私の見ている京都には、その阿古屋はもういない。
二つの世代の分断は、京都にも、中央アジアにも、あった。
「阿古屋さんが、最初に集落に来られた時、彼女は、まず、井戸を見せてほしい、と言いました」と長老は、続けた。「私たちは、彼女を、集落の井戸に、案内しました。井戸は、半分、乾いていました。水位が、下がっていました。彼女は、井戸の縁に、長いこと、座っていました。何時間も、です。私たちは、不思議に思って、彼女を、見ていました」
「何を、してたんですか」
「分かりません。後で、私は、彼女に、聞きました。彼女は、こう答えました。『井戸の音を、聴いていました』。それだけです」
「井戸の音」
「ええ。井戸の底に残った、わずかな水の音を、彼女は、何時間も、聴いていました。彼女は、その音から、井戸の下の地下水脈の、状態を、読み取った、と言いました。地下水脈の流れの方向、水質、塩分濃度、そして、そこに混じっている古い毒の痕跡。これらを、音と、わずかな振動と、水の匂いから、読んでいたのだと思います」
「アコヤさん、音、聴けたんですね」
「ええ。彼女の身体には、ご存知の通り、特殊な技術が、組み込まれていました。彼女自身の身体が、暗琴のような働きを、していたのだと思います。私たちには、音は、ただの音にしか聞こえません。しかし彼女には、音は、土地の状態を、語る言葉でした」
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈あなたの今の能力と、阿古屋さんの当時の能力は、近いところがあります〉
「うん。アコヤさんの方が、ずっと、深かったと思うけど」
〈深さは、年月によります。あなたも、五十年後には、そうなるかもしれません〉
「五十年」
〈はい〉
長老は、塩茶を、一口、飲んだ。
「井戸を聴いたあと、阿古屋さんは、集落の人々を、一人ずつ、診ました。当時、集落には、塩害の影響で、皮膚病を患っている人が、何人もいました。汚染された水を飲み続けて、内臓の病気を持っている人も、いました。生まれつきの障害を持つ子供たちも、何人もいました。阿古屋さんは、一人ずつ、診ていきました。簡単な処置で、すぐに良くなる人もいました。長い時間がかかる人も、いました」
炉の火が、ぱち、と小さく鳴った。
「具体的な例を、申し上げます。私の妻です。もっとも、その時は、まだ妻ではありませんでした。幼い頃から、同じ集落で育った、私の幼馴染でした」
長老は、少しだけ口元を緩めた。
「彼女は、生まれた時から、片足が、内側に曲がっていました。歩くことは、できました。しかし、長く歩くことは、できませんでした。水汲みに行くにも、途中で何度も休まなければなりませんでした。家畜の世話も、十分にはできませんでした」
「集落のなかでは、どう思われていたんですか」
「優しい人は、彼女を気の毒だと言いました。厳しい人は、嫁には難しいだろう、と言いました。集落の女性として、水を汲み、火を起こし、家畜を見て、子どもを育てる。その仕事を十分にはできない、と見られていたからです」
長老の声は、静かだった。
静かだからこそ、その時代の重さが、かえって伝わってきた。
「彼女自身も、それを分かっていました。笑う人でした。よく笑う人でした。しかし、長く歩けないことだけは、いつも、彼女の人生の前に、低い壁のようにありました」
「低い壁」
「ええ。高い壁ではありません。目に見える大きな壁でもありません。しかし、毎日、少しずつ、彼女の行ける場所を、狭くしていく壁でした」
長老は、炉の火を見た。
「阿古屋さんは、彼女を診て、半年後に、特殊な義足を、作って、持ってきてくれました。義足の内側には、阿古屋さんの技術が、入っていました。最初の日、彼女は、ユルタの外を、十歩だけ歩きました。翌日、井戸まで歩きました。その次の週には、水を汲んで戻ってきました」
「水汲みが」
「ええ。彼女は、水を、持って帰ってきました。たった一桶でした。しかし、集落の人々は、その一桶を見て、誰も、何も言いませんでした。言えば、泣いてしまうからです」
私は、息を、止めた。
「それから、彼女は、家畜の世話も、できるようになりました。山羊の子を抱いて、斜面を降りることもできるようになりました。彼女は、集落のなかで、気の毒な娘ではなくなりました。水を汲み、家畜を見て、人を笑わせる、一人の女性になりました」
長老は、私を見た。
「私は、彼女と結婚しました。三人の子供を、もうけました。妻は、五年前に亡くなりましたが、死ぬ前に、私にこう言いました。『私の人生は、阿古屋さんにもらった人生でした』」
炉の火が、もう一度、低く鳴った。
その音は、井戸の底の水音に、少し似ていた。
「アコヤさんのおかげで、長老のご家族の人生が、あったんですね」
「私の家族だけではありません。集落の、ほとんどすべての家族が、阿古屋さんの仕事に、何らかの形で、助けられました。今日、儀礼の時に、あなたに会った人々の、ほとんどが、阿古屋さんに、何かを、もらった人々です」
「集落全部が」
「ええ。集落全部が、阿古屋さんに、人生の、ある部分を、もらいました」
私は、しばらく、何も言えなかった。
ジャナトが、ユルタの入り口の脇から、ゆっくり歩いてきて、私と長老のあいだに、座った。
ジャナトは、目を閉じて、私たちの話を、聞いていた。
*
「阿古屋さんの仕事は、義足や、義手だけでは、ありませんでした」と長老は、続けた。「彼女は、集落の医療だけでなく、集落の暮らし方そのものを、変えました」
「変えた」
「ええ。私たちの集落は、阿古屋さんが来る前は、ばらばらでした。家族はありました。長老会はありました。しかし、家族と家族のあいだ、集落と集落のあいだ、人と人のあいだの、繋がりが、薄かった。病気の人がいても、家族だけで抱えるしかなかった。生まれつきの障害を持つ子供がいても、家族だけで世話をするしかなかった。集落全体で、病気の人や障害のある人を、抱える仕組みは、ありませんでした」
「集落のなか、孤立してた」
「ええ。それを、阿古屋さんは、変えました。彼女は、日本にあった、地域で病人や障害のある人を支える仕組みを、この土地に合う形に、直しました」
「日本にあった仕組み」
「日本では、地域包括支援、と呼ばれていたそうです。医療、福祉、介護、教育、これらを、ばらばらに行うのではなく、地域全体で、繋いで運用する仕組みです。阿古屋さんは、それを、そのまま持ってきたのではありません。中央アジアの集落に合う形に、翻訳しました」
「翻訳」
「ええ。日本では、医師、看護師、介護士、ケアマネージャー、これらの専門職が、連携しました。中央アジアでは、長老、シャーマンの血を引く女性、家族の年長者、集落の医師、教師、家畜を見る人、これらが、連携する形に、変えられました。形は違います。しかし、働きは、似ています」
「形は違うけど、働きは似ている」
「ええ。これが、阿古屋さんの、もう一つの仕事でした。技術を、翻訳すること。日本の医療の仕組みを、中央アジアの遊牧民の文化のなかで、機能する形に、翻訳すること。これは、義足を作るのと、同じくらい、大切な仕事でした」
「アコヤさんは、両方のことを、やってた」
「ええ。具体的な技術と、それを土地に翻訳する文化的な仕事と、両方を、やられました。これが、阿古屋さんが、伝説になった理由の一つです」
長老は、しばらく、目を閉じた。
「もう一つ、申し上げたい例があります。先ほどの儀礼で、あなたに会った、十歳くらいの男の子を、覚えておられますか。背の高い、痩せた子です」
「ええ、覚えてます」
「彼の名前は、トーランです。彼は、生まれた時から、耳が、聞こえませんでした。五年前まで、彼は、音のない世界に、住んでいました」
「五年前まで」
「ええ。五年前、阿古屋さんが、彼を診ました。当時、阿古屋さんは、もう体調を崩しておられて、ほとんど活動を表に出しておられませんでした。しかし、トーランの母親が、阿古屋さんに、彼を診てほしい、と頼みました。阿古屋さんは、トーランの状態を診て、特殊な処置を、行いました」
「耳が、聞こえるようになった」
「生体的な意味で、耳が聞こえるようになったわけでは、ありません。しかし、彼は、別の経路で、音を、認識できるようになりました。皮膚を通じて、振動として、音を感じる経路です」
「耳の代わりに、皮膚で」
「ええ。今、トーランは、耳ではなく、皮膚で、音を感じています。彼は、音楽が、好きです。集落の祭りの時に、彼は、太鼓の前に立って、皮膚で、太鼓の振動を、聴いています」
長老の目に、ゆっくり、涙が、にじんでいた。
しかし、長老は、それを拭わなかった。涙を、見せたまま、続けた。
「彼が、最初に、音を皮膚で感じた日のことを、私は、覚えています。彼の母親が、村中を、走り回って、皆に、声をかけました。『うちの子が、太鼓の音を聴きました。皮膚で、聴きました』。集落中の人が、集まりました。皆、泣いていました」
私は、息を、止めた。
阿古屋さんは、神では、ありませんでした、と長老は言った。
「しかし、神でなければできないと思われていたことを、ひとつずつ、人間の仕事として、行いました。だから、人々は、彼女を、神の名前で、呼びました」
「神の、名前で」
「ええ。土地によって、彼女の呼び名は、違いました。アムダリヤ流域では、水の母、と呼ばれました。サマルカンドでは、井戸を開いた女、と呼ばれました。タジクのパミール側では、白い医師、と呼ばれました。ロシア正教の影響が残る山岳の村では、機械の聖女、と呼ばれました。シャーマニズムの伝統が残る集落では、山の魔女、と呼ばれました。日本のJICA関係者からは、阿古屋先生、と呼ばれました。アラル海の南の漁村では、川を戻した人、と呼ばれました。中央アジアを去ったロシア人移民のあいだでは、戻ってこない母、と呼ばれました。一番遠いタジクの山の村では、死んだ土地に息を入れた人、と呼ばれました」
「土地ごとに、違う名前」
「ええ。土地ごとに、違う宗教的・文化的な解釈で、彼女は、受け取られました。イスラム的、キリスト教的、ゾロアスター的、シャーマニズム的、仏教的、現代医療的、これらすべての解釈が、彼女に、重ねられました」
「アコヤさん本人は」
「彼女自身は、自分が、神格化されることを、嫌がっていました。彼女は、最後まで、自分を、医師でもなく、技術者でもなく、ただの橋だと、言っていました」
「橋」
「ええ。日本と中央アジアのあいだの、橋。技術と土地のあいだの、橋。医療と暮らしのあいだの、橋。彼女は、自分を、橋として、定義していました。橋は、自分自身に、目的を持ちません。橋は、両側の岸に、目的を持ちます」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈長老の言葉は、米田補題の、また別の言い方です〉
「うん」
〈本質は、関係です。橋は、橋であるよりも、何と何を繋ぐかで、定義されます〉
「うん」
ジャナトが、私の脛に、もう一度、頭を押し付けた。
今度の押し付け方は、京都の茅の押し付け方と、ほぼ同じだった。
「分かってる」という押し付け方だった。
*
「もう一つ、お伝えしないといけないことが、あります」と長老は、塩茶をもう一杯、自分の杯に注ぎながら言った。
「はい」
「阿古屋型共同体は、最近、不安定な状況にあります」
「市の商人たちの、圧力」
「ええ。ご存知のように、彼らは、表向きには、武力衝突を起こすことを、避けています。三月と五月の襲撃は、彼らのなかの、急進派の一部による、例外的な行動でした。今、彼らの主流は、別の方法を、取っています」
「別の方法」
「水利権の、主張です。阿古屋型共同体は、長く、中央アジアの再生プロジェクトの、中核を担ってきました。アムダリヤ流域の灌漑の最適化、塩害除去、地下水管理、これらの技術は、阿古屋型共同体が、開発し、運用してきました。しかし、市の商人たちは、これらの技術の所有権と、再生地域の水利権を、市場原理に基づいて、明確化することを、主張しています」
「市場原理」
「ええ。技術には所有者がいる。水には価格がある。土地には所有権がある。これらすべてを、明確化して、市の商人たちの企業群が、管理する。表向きには、再生プロジェクトの効率化と、持続可能性のため、と説明されています。しかし、実質的には、阿古屋型共同体から、技術と水と土地の決定権を、奪うことです」
「武力じゃない、けど」
「武力ではないからこそ、抵抗が、難しい。武力なら、誰の目にも、暴力として映ります。しかし、市場原理の名のもとに行われる、ゆっくりした排除は、誰の目にも、暴力には映りません。それでも、結果として、阿古屋型共同体は、長年築いてきた仕事の、決定権を、失っていきます」
「OMCは、これに、対応できますか」
「OMCの倫理局と外交局は、対応しようとしています。しかし、彼らも、武力行使は望みません。彼らの方法は、国際的な合意形成です。阿古屋型共同体の歴史的・倫理的な役割を、国際的に認知させ、それを根拠に、市の商人たちの主張に、対抗する。しかし、これは、時間がかかります」
「時間が」
「ええ。そのあいだに、市の商人たちは、ゆっくり、共同体の周辺を、削っていきます。共同体の中心は、まだ守られています。しかし、周辺は、確実に、削られています」
「アコヤさんが、表に出てこなくなったのも」
「四年前から、彼女が表に出てこなくなったのも、これと関係しています。彼女が表に出ていた頃は、彼女の名前と存在自体が、共同体の最大の防壁でした。世界中の人々が、彼女の名前を知っていた。彼女の名前を出すだけで、市の商人たちも、慎重にならざるを得なかった。しかし、彼女が表に出なくなってから、防壁は、急速に、失われました」
「アコヤさんは、なんで、表に出てこなくなったんですか」
長老は、しばらく、私を、見ていた。
「それは、明日、あなたが、ご自身で、確かめてください。私には、彼女が表に出ない理由を、確定的に申し上げる権限が、ありません。ただ、申し上げられるのは、彼女が、何かを準備しておられる、ということです」
「準備」
「ええ。私には、その内容は、分かりません。しかし、彼女の周辺の少数の人々は、彼女が、最後の仕事として、何かを準備しておられることを、知っています。明日、あなたが、その場に、立ち会うことになる、と聞いています」
「私が、立ち会う」
「ええ。あなたが、京都から来られた、ということが、その準備の、ひとつの条件だった、と私は理解しています」
私は、ジャナトを、見た。ジャナトは、目を細めて、私を、見上げていた。
*
「最後に、ひとつだけ、申し上げます」
長老は、塩茶の杯を、両手で包むように持った。母と同じ、私と同じ、持ち方だった。
「はい」
「明日、中枢に向かわれます。中枢で、あなたが、何を見られるかは、私には、分かりません。しかし、一つだけ、お願いがあります」
「はい」
「中枢で、見るものを、神とも、機械とも、呼ばないでください」
「神とも、機械とも」
「中枢は、神ではありません。中枢は、機械でもありません。中枢は、王ではありません。中枢は、コンピュータでも、ありません。これらすべての呼び名は、正確ではありません」
「では、何ですか」
「中枢は、井戸です」
「井戸」
「ええ。集落の井戸が、土地の水を集めて、皆に分けるように、中枢は、共同体の記憶と、調律と、合議と、保全の、中心です。命令する場所ではなく、集まる場所です。決める場所ではなく、聴く場所です。中枢は、そういう井戸です」
「井戸として、見ればいいんですね」
「ええ。井戸として、見てください。そうすれば、明日、あなたが何を見ても、間違えません」
長老は、塩茶の杯を、ゆっくり、置いた。
「もう、夜が、深くなりました。明日の朝、私が、あなたを、中枢への道に、お送りします。今夜は、もう、お休みください」
「ありがとうございました」
「お礼は——」
「戻ってから、ですね」
長老は、薄く、笑った。
「ええ。京都の方は、本当に、皆、そう言われます」
*
私とアイスルが宿に戻ったのは、夜の十時を過ぎていた。
宿の部屋に入って、私は、しばらく、窓の外を見ていた。
集落の灯りは、いくつか、消えていた。残った灯りは、温かい、橙色の光だった。電気の光ではなく、ろうそくか、油の灯火の光だった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈長老のお話、たくさんでしたね〉
「うん。たくさんだった」
〈疲れましたか〉
「疲れたんだけど、不思議と、頭は、すっきりしてる」
〈遥のなかで、いろいろなものが、繋がり始めています〉
「うん」
〈アコヤさんが、なぜ、水の母と呼ばれているのか。なぜ、井戸を開いた女と呼ばれているのか。なぜ、橋だと自分を呼んでいたのか〉
「全部、同じこと、だった」
〈はい。全部、同じ働きの、別の名前です〉
私は、窓の外の集落の灯りを、見ていた。
京都の家の縁側から見える、夜の池の表面に映る星の光と、どこか似た光だった。京都の池の光は、水面の上に、空の星が映っていた。中央アジアの集落の灯りは、土地の上に、人々の暮らしが、ひとつずつ灯っていた。
京都では、空が水に映る。
中央アジアでは、人が土に灯る。
別のものだった。しかし、別のものではなかった。
「梓、私、明日、中枢に行くね」
〈はい〉
「神でも、機械でもないものを、見に行く」
〈井戸を、見に行きます〉
「井戸を、見に行く」
〈遥〉
「うん」
〈私は、今夜、少し、緊張しています〉
「梓も?」
〈はい。明日、私が、阿古屋さん、あるいはその継承体と、直接対話する可能性が、あります。新霖の古い層を継承している私が、阿古屋さんの古い層と、初めて、向き合うことになります〉
「梓が、対話するんだね」
〈はい。あなたを通じて、ですが。あるいは、あなたとは、別の経路で、私が、独立に、対話することも、あり得ます〉
「梓、緊張しないで。私が、一緒にいる」
〈はい。ありがとうございます〉
「ありがとうじゃなくて、一緒にいるよ」
〈はい。一緒にいてくださいます〉
窓の外で、集落の灯りが、もうひとつ、消えた。残った灯りは、わずかになっていた。
遠くで、ジャナトのような動物の、低い鳴き声が、一度、聞こえた。集落のどこかで、別の聞き手が、夜の挨拶を交わしていた。
京都の家でも、たぶん、今、茅が、玄関の上がり框で、目を覚ましていた。中央アジアの夜の音を、低帯域で、茅は、聴いていた。
二つの聞き手が、二つの場所で、ひとつの夜を、聴いていた。
*
翌朝、私は、夜が明ける前に、目を覚ました。
窓の外は、まだ薄暗かった。九月の終わりの、高地の朝は、寒かった。義眼の温度センサーが、外気温が摂氏五度を示していた。
部屋を出て、宿の外に出た。
アイスルは、まだ起きていなかった。陳と野口さんも、まだ起きていなかった。
集落の中央の方向に、私は、ゆっくり歩いていった。
集落の中央の広場に、子供たちが、何人か、すでに、起きていた。今日は、ちょうど、移行期の集落の冬支度の日だった。早起きの子供たちが、家畜の世話を、始めていた。
私が広場に近づくと、子供たちは、私を見て、それぞれ、静かに、頭を下げた。
昨日の儀礼で、私の左の義眼をじっと見ていた、四歳くらいの女の子も、その中にいた。女の子は、私を見て、にこっと笑った。
私も、笑い返した。
女の子の隣に、十歳くらいの男の子が、立っていた。背の高い、痩せた子だった。長老が言っていた、トーランだった。
トーランは、私を、まっすぐ見て、軽く、頭を下げた。
私が、頭を下げ返すと、トーランは、ゆっくり、自分の左の肩を、指差した。
最初、私は、その仕草の意味が、分からなかった。
しかし、トーランは、自分の左の肩を、もう一度、指差してから、私の方向を指差した。
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈トーランは、あなたの左の肩から、微弱な信号が出ていることを、自分の左の肩で、感じています〉
「私の肩から?」
〈はい。あなたの左の肩——義眼と、義耳と、義肢の繋がっている、神経接続部——から、ごく微弱な、しかし確かな信号が出ています。トーランは、皮膚で、それを感じています〉
「トーラン、私の信号、聴いてる」
〈はい。トーランは、聴覚を、皮膚に移植された子です。あなたの認証層の信号は、彼の皮膚に、届きます〉
トーランは、私の方に、ゆっくり歩いてきた。
私の前に、立った。
トーランは、私を、見上げた。背は、十歳の少年にしては高かったが、それでも私の身長より、半分くらい低かった。
「日本語、少し、わかります」
トーランは、ゆっくり、口で、言った。声は、彼自身の耳には聞こえないだろう声だった。しかし、彼の発音は、明瞭だった。
「ありがとう、トーラン」
私は言った。
トーランは、自分の左の手を、私の左の肩に、そっと、当てた。
しばらく、トーランは、私の肩に、手を当てていた。
それから、手を当てたまま、ゆっくり言った。
「阿古屋さん、来てから、僕、音、聴けるようになった。皮膚で、太鼓の音、感じる。集落の皆と、同じ音、聴こえるようになった」
私は、息を、止めた。
「今も、聴こえる?」
トーランは、頷いた。
「あなたの音、聴こえる。集落の皆と、同じ音。少し、強い。少し、遠い。京都の水の音、混じってる」
「京都の、水の音」
「うん。水。遠い水。山の水と、少し違う。でも、嫌じゃない」
トーランは、私の肩から、ゆっくり、手を離した。
「同じ、聴こえる」とトーランは言った。「集落の、皆と、同じ、聴こえる」
「集落の皆と、同じ」
「集落の皆、阿古屋の、音」
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈トーランは、あなたから出ている信号と、集落の人々から出ている信号が、同じ系列であることを、認識しています〉
「集落の皆、私と、同じ」
〈はい。集落の人々のほぼ全員が、低密度の阿古屋型キャリアです。あなたの京都型と阿古屋型のハイブリッドは、強度は違いますが、集落の人々と同じ系列にあります〉
トーランは、私を、見上げて、微笑んだ。
その微笑みは、四歳の女の子の微笑みと、同じ種類のものだった。集落の子供たちの、誰の微笑みとも、同じ種類のものだった。
そして、京都の家の近所の、子供たちの微笑みとも、どこか通じていた。
ジャナトが、長老のユルタの方から、ゆっくり、歩いてきた。広場の真ん中で、ジャナトは、座った。
集落の他のユルタの脇からも、何匹かの、似た動物が、出てきていた。集落の他の聞き手たちだった。
〈遥〉
「うん」
〈集落のすべての聞き手たちが、今朝、起きています〉
「今朝、何かが、ある日?」
〈はい。今日は、あなたが中枢に向かう日です。集落全体が、それを、認識しています〉
私は、しばらく、集落の中央の広場に、立っていた。
子供たちは、それぞれの仕事に、戻り始めていた。トーランは、私に、もう一度、軽く頭を下げてから、家畜の方に、歩いていった。四歳の女の子は、母親の方に、走っていった。
子供たちが、それぞれの仕事に戻る、その姿を、私は、見ていた。
彼らは、すでに、阿古屋型の、薄いネットワークの一部だった。
彼らは、私が中枢で見ることになるものの、もうひとつの、表現の形だった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。〈あなたが京都で経験したことは、ここでは、子供たちのなかに、すでに、芽として、撒かれています〉
「うん」
〈撒かれた種は、これから、どう育つかは、まだ、決まっていません〉
「決めない、ね」
〈はい。決めない、です〉
集落の北東の方向、天山山脈のさらに奥の方向から、九月の終わりの朝の風が、ゆっくり、降りてきていた。
その風は、京都の家の縁側の風とも、ビシュケクのユルタの風とも違う、もう一つ別の質感の風だった。しかし、その違いのなかに、深い親しさが、すでに、住み始めていた。
今日、私は、中枢に向かう。
神でも、機械でもないものを、見に行く。
井戸を、見に行く。
第十八話 井戸
谷神不死、是謂玄牝。
玄牝之門、是謂天地根。
綿綿若存、用之不勤。
——『老子』第六章
夜明け前に、私は集落の長老の前に立っていた。
長老の住居の前で、私とアイスルと陳と野口さんが、出発の準備を整えていた。集落の人々の多くは、まだ眠っていた。トーランの母親と、昨日の儀礼で私の義肢に触れた四歳の女の子の母親だけが、ユルタの外に立っていた。
ジャナトは、長老の住居の入り口の脇に座っていた。私が荷物の確認を終えた時、ジャナトは、ゆっくり立ち上がって、私の方に歩いてきた。
ジャナトは、私の右脛に、頭を軽く押し付けた。
「茅と、同じ押し方をするのは、最後かな」
私は、ジャナトに向かって、小さく言った。
ジャナトは、しっぽを一度、ゆっくり振った。
分かってる、という振り方だった。
「茅に、ありがとうって、伝えてくれる?」
ジャナトは、もう一度、しっぽを振った。
伝える、という振り方だった。
長老は、私の前に立った。
「中枢への道は、ここから車で二時間ほどです」と長老は、ゆっくり言った。「アイスルさんが、運転されます。山道を登り、峠を越えて、湖の南東岸に着きます。湖のほとりに、阿古屋型共同体の中枢があります」
「ありがとうございました、長老」
「お礼は、戻ってから、ですね」
「はい」
長老は、深く頭を下げた。
武井さんと同じ深さの、京都の作法の頭の下げ方だった。
私も、深く頭を下げ返した。
*
アイスルの運転する車で、私たちは集落を出て、東へ向かった。
道は、最初は集落の近くの細い土道だった。やがて低い丘陵を縫うように続く砂利道に変わり、そこからさらに、天山山脈の奥へ向かって、ゆっくり高度を上げていった。
九月の終わりのキルギスの草原は、夏の緑から秋の薄茶色へと変わりつつあった。ところどころ、低い灌木が黄色く色づいていた。京都の紅葉のように密ではない。けれど、乾いた空気のなかで、一枚一枚の葉の色が、鉱物のように澄んで見えた。
遠くで、羊の群れが、ゆっくり移動していた。羊飼いの姿も見えた。夏の高地放牧から、冬の集落生活へ戻る途中なのだと、アイスルが説明した。
「あの羊たちも、阿古屋型のキャリアですか」
私は聞いた。
「ほぼ全部、そうです」とアイスルは答えた。「中央アジアの遊牧の家畜は、何世代も前から、低密度の阿古屋型を持っています。羊と山羊と馬と、牧羊犬。彼らは、阿古屋型の緩やかな貯蔵庫として機能しています」
「貯蔵庫」
「ええ。人間のキャリアは、世代交代と移動の影響を受けます。家畜は数が多く、群れとして保たれます。阿古屋型のさまざまな変異が、家畜のあいだで、低い濃度のまま長く保存されています。人間の側で、ある変異が薄くなっても、家畜のあいだには残ることがあります」
「阿古屋さんが、家畜にも阿古屋型を入れたんですか」
「最初は医療目的でした。塩害や汚染で、家畜の健康も深く損なわれていた時期があります。阿古屋さんは、人間と同じように、家畜の身体も診ました。彼女にとって、人間と家畜のあいだに、越えられない境界はありませんでした。両方とも、土地のなかに住む、生き物でした」
〈遥〉と梓が、内側で言った。
〈阿古屋さんの仕事の中心には、人間と動物のあいだに、固定した境界を置かない考え方があります〉
「うん」
〈それは、人間と機械のあいだ、生体と非生体のあいだにも、広がっています〉
「私の身体も、その延長」
〈はい。あなたの身体は、義眼、義肢、義耳、生体、京都型、阿古屋型を、ひとつの身体として抱えています。阿古屋さんの思想の、かなり極端な実装です〉
車窓の外で、羊の群れと羊飼いが、ゆっくり後方へ流れていった。
*
車が走り始めて一時間ほど経った頃、道沿いに、半分朽ちかけた白い壁の建物が見えてきた。
建物は、旧ソ連時代のものだと一目で分かった。直線的で、装飾がなく、機能だけを追求したような灰色の建築。屋根は、雪と風で、いくつかの場所が崩れていた。窓は、ほとんどが割れていた。白い塗料は剥がれ、下のコンクリートが露出していた。
しかし、完全な廃墟ではなかった。
建物の周囲には、植物が深く繁っていた。半分朽ちた屋根の上に、苔と地衣類が厚く積もっていた。割れた窓から、内部へ蔓が入り込んでいた。建物全体が、ゆっくり自然に呑み込まれつつあった。
「あれは、何の施設だったんですか」
「旧ソ連時代の気象観測所です」とアイスルは答えた。「一九六〇年代に建てられました。冷戦が終わって、放棄されました。それから長いあいだ、自然に戻りつつあります」
「誰も使っていないんですか」
「人間は、使っていません。ただ、観測機器の一部は、阿古屋型共同体が転用しています。温度センサー、湿度センサー、気圧計。いくつかは、今も低帯域で、共同体にデータを送り続けています」
「建物は、廃墟。でも、機械の一部は、まだ生きている」
「ええ。中央アジアには、こういう場所がたくさんあります。旧ソ連の軍事施設、研究施設、観測施設。その一部を、阿古屋型共同体が、長い時間をかけて再利用してきました。新しく建てるより、古いものを使う方が、土地に馴染みやすかったからです」
「兵器や観測の場所が、別のものになってる」
「ええ。阿古屋さんの方針でもありました。彼女は、新しい施設を乱立させることを好みませんでした。古い施設を、別の目的に転用することを好みました」
車は、その気象観測所の前を、ゆっくり通り過ぎた。
建物の入り口の脇に、何か小さなものが動いているのを、私は見た。
「あれ、何ですか」
アイスルは、少し車の速度を落とした。
「あれは、施設の聞き手です」
「施設の」
「ええ。集落のジャナトと同じ系統です」
観測所の入り口の脇に、小さな複合的な姿の生き物――あるいは生体ロボット――が座っていた。ジャナトより、少し機械的な要素が見えた。胴体の一部に薄い金属の覆いがあり、片方の目の代わりに、小さなレンズがあった。しかし、しっぽは本物の毛で覆われていて、風に合わせて静かに揺れていた。
その子は、私たちの車を見て、しっぽを一度、振った。
「あの子も、聞き手なんですね」
「ええ。あの子の役割は、観測所の機械の状態を見守ることです。建物が何を必要としているか、どこが壊れそうか、どこまで自然に戻してよいか。そういうことを、彼女は聴いています」
「修理するんじゃなくて」
「全部を修理するわけではありません。建物が消えていくことも、仕事の一部です。必要な場所だけ支え、不要な場所は自然へ戻す。彼女は、施設の死を、看取っています」
「施設の死を、看取る」
「ええ。中央アジアには、こういう聞き手が何百体もいます。集落には集落の聞き手。施設には施設の聞き手。湖には湖の聞き手。役割は違いますが、同じ系譜です」
〈遥〉と梓が言った。
〈茅は家を見守ります。施設の聞き手は、消えていくものを看取ります〉
「同じ聞き手でも、役割が違う」
〈はい。同じではありません。しかし、同じ働きの別の形です〉
車は、観測所の前を通り過ぎた。
施設の聞き手は、私たちが見えなくなるまで、しっぽを振っていた。
*
車がさらに一時間ほど走った頃、義眼の認証層に、強い変化が生じた。
左の視界の端に、薄い光の帯が走った。痛みではない。警告でもない。むしろ、遠くから誰かが、戸を軽く叩いたような感覚だった。
〈遥、認証層の信号が急速に強くなっています〉と梓が言った。〈京都の暗琴との共鳴の強度が、これまでの三倍に達しました。中枢が近いです〉
「うん」
〈さらに、もうひとつの信号が認識されました。これは京都の暗琴ではなく、阿古屋型の中心ノードから直接来ています〉
「阿古屋さんの方の信号」
〈はい。あなたへの挨拶に近い信号です。微弱で、敵対的ではなく、しかし明確です。向こうは、あなたが近づいていることを知っています〉
私は、車窓の外を見た。
道は、緩やかな峠を登っていた。峠の向こうに、何かがある。
車が頂上に達した瞬間、私は、息を止めた。
眼下に、湖が広がっていた。
九月の終わりの午前の光が、湖の表面に降り注いでいた。湖の周囲の斜面では、低い灌木が黄色と赤に色づき始めていた。京都の紅葉のように湿った密度はない。けれど、乾いた空気のなかで、葉の一枚一枚が、切り出された鉱石のように、はっきり光っていた。
湖は、青と、薄い緑と、深い紫が複雑に混ざった、私の知らない色をしていた。浅いところでは、水底の石の影まで見えた。深い場所は、ほとんど黒に近い紺色だった。湖の向こうに、天山山脈のさらに高い稜線が、雪をかぶって立っていた。
「これが、イシク・クル湖です」とアイスルは言った。「玄奘三蔵が、七世紀に、龍がいる湖として記した湖です」
「龍がいる湖」
「ええ。ここでは、そう言い伝えられてきました」
「本当に、龍がいるんですか」
「本当に、という問いには、二つ答えがあります」とアイスルは、少し笑った。「伝説としては、昔からいます。技術としては、阿古屋さんが来てから、湖底にいます」
「技術としての龍」
「後で、ご覧になると思います」
車は峠を下り始めた。湖が近づいてきた。湖が近づくにつれて、水の透明度が、ますます異様に感じられた。湖面の下に、石の影や、藻の揺れが見える。まるで湖全体が、空を映す鏡であると同時に、地下へ続く窓でもあるようだった。
「湖底には、昔の街があります」とアイスルが言った。
「街?」
「十五世紀頃の地震で沈んだと伝えられる、シルクロードの中継都市です。長いあいだ、伝説だと思われていました。でも、水中考古学の調査で、建物の跡や、墓地や、焼かれた煉瓦の壁が見つかりました」
「湖の底に、街がある」
「ええ。ここでは、地震は、街を壊すだけではありません。街を、水の記憶のなかに沈めます」
私は、湖面を見た。
どこか浅い場所で、湖底の線のようなものが、わずかに見えた。自然の岩なのか、沈んだ壁なのか、私には分からなかった。
けれど、その線は、確かに人間の記憶の形をしていた。
〈遥〉と梓が言った。
〈湖底からの信号が強く出ています。中枢の物理的装置の一部は、湖底にあります〉
「湖底に」
〈はい。旧ソ連時代の水中施設、または湖岸施設を、阿古屋型共同体が長い時間をかけて再利用したものです〉
「沈んだ街と、旧施設と、阿古屋型が、同じ湖底にある」
〈はい。地震で沈んだ都市。放棄された施設。阿古屋型中枢。それらが、湖底の異なる層にあります〉
車は、湖の南東岸へと下っていった。
*
湖の南東岸に、いくつかの低層の建物が点在していた。
建物群は、現代の研究施設には見えなかった。土と石と木を組み合わせた、古いシルクロードのキャラバンサライのような姿をしていた。屋根は低い勾配で、薄い板と土で葺かれている。しかし、よく見ると、屋根の一部には太陽光パネルが埋め込まれていた。壁の影には、温度センサーと湿度センサーが見えた。窓の透明な素材は、古いガラスではなかった。
古いものと新しいものが、互いに邪魔をせず、静かに同じ建物のなかに住んでいた。
建物群の中央に、円形の低い建物があった。直径は十数メートルほど。屋根は、わずかに高いドーム型をしていた。建物全体が、湖の方へ開かれていた。
「あれが、井戸です」とアイスルが言った。
「本当に、井戸の形をしているんですね」
「ええ。中枢の物理的中心です。湖の地下水と、湖底の施設と、山岳全体の暗琴ネットワークが、あの建物に集まっています」
車を降りると、風が吹いた。
湖の風だった。
京都の池の風でも、サマルカンドの灌漑水路の風でも、集落の高地の風でもない。塩と冷たさと、古い石の匂いを含んだ、湖の風だった。
円形の建物の入り口の前に、ひとりの女性が立っていた。
六十代くらいの、痩せた、しかし背筋の伸びた日本人女性だった。私たちを見て、深く頭を下げた。武井さんと同じ深さだった。
「お待ちしていました。野間と申します」
女性は、極めて明瞭な日本語で言った。
「京都の方ですか」
「京都の北、岩倉の出身です」と野間さんは笑った。「武井家のお向かいのお寺の縁戚です」
「岩倉の」
「ええ。京極明彦先生のご紹介で、中央アジアに来ました。二〇九〇年代の終わり、ディフュージョン後の再生事業が本格化し始めた頃です。それから四十年、ここで暮らしてきました」
「四十年」
「ええ。阿古屋さんと、京都を出てきた最初の世代の一人です。中央アジア再生プロジェクトの医療部門を、長く手伝ってきました。今は引退して、井戸の管理を少しだけお手伝いしています」
〈遥〉と梓が言った。
〈野間さんは、京都型の発現キャリアです。あなたほど強くはありませんが、アイスルさんより明確です〉
「また、京都型の方」
〈はい。野間さんを通じて、京都と中央アジアの古い経路が、深く繋がっています〉
野間さんは、私の前で、もう一度頭を下げた。
「敬一郎さんのお孫さんに、お会いできて、光栄です」
「敬一郎を、ご存知だったんですか」
「直接お会いしたことはありません。私が中央アジアに来た時、敬一郎さんは、すでに亡くなられていました。ただ、阿古屋さんから、敬一郎さんのお話を何度も聞きました」
「阿古屋さんが」
「ええ。阿古屋さんにとって、敬一郎さんは、最も大切な、未完の言葉を残した相手でした」
「未完の言葉」
「敬一郎さんが阿古屋さんに伝えそびれた言葉と、阿古屋さんが敬一郎さんに伝えそびれた言葉。両方が、未完のまま残っていました。それが、決めない人々の系譜です」
「未完のまま、残してきた」
「ええ。今日、その未完の何かが、半分、完了します」
野間さんは、円形の建物の入り口を示した。
「皆さん、お待ちです。中にお入りください」
*
円形の建物のなかは、外から想像したより、ずっと広かった。
建物の中心に、本物の井戸があった。直径は五メートルほど。井戸の縁は、古い石で組まれていた。井戸の上、ドーム型の屋根の中心が開いていて、九月の午前の光が、まっすぐ井戸の水面に降り注いでいた。
井戸の周りには、石を組んだ円形の床が、階段状に広がっていた。その段に、人々が座っていた。
思っていたより、人数は少なかった。
サマルカンドの長老。高地集落の長老。アイスル。野間さん。陳。野口さん。ペルシア系の顔立ちをした水利技術者らしい男性。ロシア系の白髪の女性。市の商人たちの穏健派代表だという、若い男が一人。遠隔参加の旧インターポール系の代表が、低い光の像として一席だけに映っていた。
人間だけではなかった。
ジャナトに似た聞き手が、二体。施設の聞き手に似た小型の生体ロボットが、一体。井戸の縁近くには、湿った銀色の薄い膜を持つ、湖底の何かの代表らしい生体機械が、静かに置かれていた。
それでも、その場は国際会議ではなかった。
円卓でも、議場でも、司令室でもなかった。
井戸端だった。
井戸を囲んで、人と、AIと、聞き手が、静かに座っていた。
そして、井戸の縁の正面に、椅子がひとつ置かれていた。
その椅子には、誰も座っていなかった。
しかし、その椅子の前に、薄い、しかし確かな気配があった。
〈遥〉と梓が、これまでで一番慎重な声で言った。
〈あの椅子の前に、阿古屋さんがおられます〉
「実体じゃ、ないんだね」
〈生体としての阿古屋澄さんは、半年前に停止されています〉
「亡くなった、ということ」
〈人間の言葉では、そうです。ただし、井戸は、それを死とは呼んでいません〉
「井戸は、何て呼んでるの」
〈中心から、流れへの移行、と呼んでいます〉
私は、椅子の前の薄い気配を見た。
その気配は、敵対的ではなかった。歓迎しすぎてもいなかった。ただ、長い時間、私を待っていた気配だった。
野間さんが、私を井戸の縁へ案内した。空の椅子の正面に、もう一つ椅子が置かれていた。
私は、そこに座った。
円形の合議の場に、私は入った。
*
〈遥、椅子に座られた瞬間、井戸からあなたへの明確な通信が開きました〉と梓が言った。
「うん」
〈井戸は、まず、あなたに敬意を表しています。京都の宗像家からの来訪者として、半世紀越しに迎えられている、と〉
「ありがとう、と言えばいい?」
〈いいえ。井戸は、お礼を求めていません。京都の作法と同じです。お礼は、後でよいようです〉
「分かった」
〈次に、井戸は、京極明彦先生からの伝言を受け取る準備ができている、と伝えています〉
私は、息を止めた。
京極先生から預かった伝言。
澄ちゃんに、ありがとう、と伝えてください。
京極明彦が、長い時間抱えていた、未完の言葉。
「梓、私の口で、伝えていい?」
〈はい。あなたの口から伝えてください。井戸は、それを希望しています〉
私は、椅子から立ち上がった。
井戸の縁の、正面の空の椅子に向かって、ゆっくり口を開いた。
「京極先生から、お預かりした伝言があります」
私の声は、ドーム型の屋根のなかで、わずかに響いた。
「京極先生のお父様、京極明彦先生から、阿古屋澄先生への伝言です。お父様が亡くなる前に、京極先生に託された言葉です」
誰も、何も言わなかった。
聞き手たちも、目を私の方向へ向けていた。
「伝言は、ひとつだけです」
私は、一度、息を吸った。
「『澄ちゃんに、ありがとう』」
私は、頭を深く下げた。
深く下げることは、武井さんから、半年かけて私の身体に入った作法だった。今、私は、京都の決めない人々の半世紀の系譜を背負って、頭を下げていた。
井戸の水面に、何かが落ちたような音がした。
水滴ではなかった。
音でもなかった。
けれど、ぽつん、と、世界のどこかに、遅れていた言葉が落ちた感覚があった。
頭を下げたまま、私は、しばらく動かなかった。
井戸の縁の空の椅子の方向から、何かが、ゆっくり私の方へ降りてきた。
それは声ではなかった。言葉でもなかった。むしろ、温度だった。深く、しかし軽い、温かい温度。私の左の義眼の認証層に、その温度が、ゆっくり住み始めた。
〈遥〉と梓が、これまでで一番温度の高い声で言った。
〈阿古屋さんから、京極明彦先生への返事です〉
「お返事」
〈はい。京都の言葉に翻訳すれば、こうです〉
梓は、少しだけ間を置いた。
〈明彦さん、ありがとう。半世紀、橋を、守ってくださって〉
私は、頭を上げた。
井戸の縁の空の椅子の前の気配は、変わらなかった。しかし、わずかに深くなったように感じた。
「これ、京極先生に、伝えていい?」
〈はい。京都に戻ってから、お伝えください。京極明彦先生の未完の言葉が、今、半分、完了しました〉
「半分」
〈はい。もう半分は、京都で完了します〉
二人とも、もうこの世にいない。
しかし、二人のあいだの言葉は、今、二人ではない誰かを通じて、ようやく流れた。
私は、椅子に座り直した。
*
最初に口を開いたのは、サマルカンドの長老だった。
「宗像さん。改めて、ようこそ」と彼は日本語で言った。「水の母のもとへ」
「水の母のもとへ」
「ええ。今日、ここで、いくつかの移行が確認されます。あなたが、その場にいることも、移行の一部です」
「私が」
「ええ。京都から来た人が、この井戸の前に座ること。それが、今日の条件の一つでした」
高地集落の長老が、続けた。
「井戸の声を、聴きましょう。井戸が、何を希望しているか」
集まった人々が、井戸の方向に目を向けた。
井戸の水面が、ほんのわずかに揺れた。
〈遥〉と梓が言った。
〈井戸が、語り始めます。私は、あなたを通じて、井戸の声を聴くことができます〉
「私の口で、訳して」
〈はい〉
私は、井戸の縁に立ったまま、目を閉じた。
井戸の縁の空の椅子の前の気配が、私の認証層を通じて、ゆっくり言葉の形を取っていった。
それは、阿古屋澄の声というよりも、複数の声が、半世紀にわたって重なり合った、長い時間をかけて一つに重なった、合奏のような声だった。
梓が、私の口を通じて、その声を訳し始めた。
「集まってくださって、ありがとう」
私の口から、私の声ではない、私の声でもある響きが、円形の建物に静かに広がった
「私が中心である必要は、もうありません」
集まった人々が、静かに頷いた。
その瞬間、私は、阿古屋さんが半世紀かけて何を守ろうとしていたのかを、初めて、身体の奥で理解した気がした。
中心になることではなく、中心を必要としない場所を作ること。
橋になることではなく、橋であることを超えて、両岸を繋ぐこと。
「半世紀、私は、井戸の中心として機能してきました。しかし、井戸は、ひとつの中心を必要としていません。井戸は、湧き出すための場所であり、集まるための場所であり、聴くための場所です。中心は、いりません」
井戸の上の開口部から、午前の光が入っていた。
その光が、水面の上で、静かに揺れていた。
「水は、井戸に戻るために流れるのではありません。井戸から、また別の井戸へ流れるために、流れます」
沈黙が降りた。
長い、しかし重くない沈黙だった。
〈遥〉と梓が言った。
〈井戸は、これから、ネットワーク全体に、自分自身を最終的に分散します。今、ここに集まっている方々は、その分散の証人として必要とされています〉
「阿古屋さんの、最後の仕事」
〈はい。中心としての阿古屋さんが、完全に、ネットワークとしての阿古屋さんに移行します〉
「私が立ち会うのは」
〈京都からの来訪者としてです。京都の暗琴のネットワークが、その移行の最後の証人として必要とされています〉
私は、井戸の水を見つめた。
深く、暗い水だった。
しかし、その深さのなかに、無数の小さな光のようなものが、ゆっくり動いていた。湖底施設からの信号。山岳の暗琴基地局からの信号。集落の聞き手たちからの信号。家畜の群れの中に残る低密度の阿古屋型。遠く離れたサマルカンドの水路。京都の宗像家の暗琴。
全部が、井戸の水のなかで、小さな光として揺れていた。
〈遥、京都の暗琴のネットワークが、井戸に接続されました〉
「京都も、井戸の一部に」
〈はい。井戸は、もうイシク・クルの井戸だけではありません。京都の暗琴も、新しい井戸として、世界の井戸のネットワークに参加しました〉
「お祖父さんが準備してたのは、これだったんだね」
〈はい。敬一郎さまが京都の暗琴を作られた時から、半世紀かけて、この瞬間が準備されていました〉
私は、井戸の水のなかの光を見つめていた。
二つではない。
京都と中央アジア。
ふたつの場所ではある。
けれど、井戸の中では、無数の井戸のうちの、ふたつだった。
私は、ようやく分かった気がした。
京都を離れて、中央アジアに来たのではなかった。
京都という井戸から、別の井戸へ、流れてきたのだった。
欠けたまま、半分ずつ。
私は、そのまま、生きていく。
明日、その半分を、京都に持ち帰る。
第十九話 龍
井戸の合議は、午後まで続いた。
誰かが大きな声を出すことはなかった。誰かが決定権を持っているようにも見えなかった。長老が話し、野間さんが補い、アイスルが現地語と日本語のあいだをつなぎ、陳が必要なところだけ旧インターポール系の情報を差し出した。市の商人たちの穏健派代表は、ほとんど黙っていたが、黙っていること自体が、そこにいる理由の一部のようだった。
井戸端会議、という言葉を、私は思い出していた。
京都でも、井戸端は水を汲む場所であり、人が集まる場所だった。中央アジアでも、オアシスの井戸の周りには、市が立ち、バザールが生まれ、旅人が泊まり、情報が交換された。
井戸と市は、もともと敵ではない。
水があるから、人が集まる。
人が集まるから、物が動く。
物が動くから、市が立つ。
市があるから、旅が続く。
ただし、市が井戸を所有しようとした時、土地は乾く。
その言葉が、まだ言われる前から、この場の空気の中に、すでにあった。
*
井戸の声は、再び、私の口を通じて響いた。
「市の商人たちとの関係は、これから変わります」
私の口から出る声は、私の声だった。しかし、奥に、阿古屋さんの声の層が重なっていた。私の喉を通るたびに、井戸の水が、私の身体の中を通っているような感覚があった。
「市は、井戸のまわりに立ちます。これは千年、繰り返されてきた自然な現象です。市が井戸を否定することはできません。井戸も、市を否定する必要はありません。両者は、ともに土地のなかにあります」
市の商人たちの代表の若い男が、静かに目を伏せた。
「しかし、市が井戸を所有しようとした時、土地は乾きます」
井戸の声は、続けた。
「水は、価格を持つことがあります。しかし、価格だけで扱われる水は、やがて水ではなくなります。水利権は、必要です。しかし、水利権だけで守られる水は、やがて人を守れなくなります。市の商人たちのなかの、井戸を所有しようとする派閥に対して、私たちは抵抗しなければなりません。武力で、ではなく、合議で。所有という言葉ではなく、共同の管理という言葉で」
サマルカンドの長老が頷いた。
高地集落の長老も頷いた。
市の商人たちの代表は、顔を上げた。
「共同の管理に、市は参加できますか」
彼の声は、意外なほど若かった。
「参加できます」と、井戸の声は言った。「ただし、所有者としてではなく、利用者として。商人としてではなく、井戸の周りに立つ者として」
「市は、利益を必要とします」
「井戸は、それを否定しません」
「利益がなければ、流通は止まります」
「井戸は、それも知っています」
「では、何を禁じるのですか」
「井戸を、商品にすることです」
若い男は、しばらく黙った。
「商品にしない水で、どうやって都市を維持するのですか」
「都市は、水で維持されます。水は、都市の所有物ではありません」
井戸の声は、静かだった。
「市は、井戸のまわりに立ちます。井戸の上に立ってはいけません」
その言葉のあと、誰もすぐには話さなかった。
若い男は、井戸の水面を見ていた。
やがて、彼は、深く頭を下げた。
「持ち帰ります。市の中にも、井戸の言葉を聞きたい者はいます」
「それで十分です」と、井戸は言った。「今日、すべてを決める必要はありません」
決めない。
その言葉は出なかった。
けれど、場全体が、その言葉を知っていた。
*
次に、野間さんが口を開いた。
「宗像さんに、お渡しするものがあります」
「私に」
「はい。井戸からです」
井戸の水面が、少しだけ深い色に変わった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
〈これから渡されるものは、京都型と阿古屋型の分化以前の層です〉
「分化以前の」
〈はい。感覚になる前の層です。名前になる前の形。形になる前の名前。視覚、聴覚、触覚、意識に分かれる前の、もっと古い認証層です〉
「それを、私に入れる」
〈はい。ただし、これは能力の追加ではありません。むしろ、責任の追加です〉
「責任」
〈分かれてしまったものが、まだ分かれる前にどうつながっていたかを、感じ取るための層です〉
井戸の声が、私の口を使わずに、直接、私の内側に届いた。
言葉ではなかった。
けれど、意味は分かった。
あなたの身体は、すでに京都型と阿古屋型のあいだにあります。
そこに、両者が分かれる前の層を加えます。
それは、何かを支配するためではありません。
何かを決めるためでもありません。
分かれる前の場所に、しばらく立てるようにするためです。
「私が、そこに立って、何をすればいいんですか」
私は、小さく聞いた。
井戸の水面が、わずかに揺れた。
何もしなくてよい。
ただ、すぐに決めないこと。
それだけでよい。
私は、目を閉じた。
その瞬間、身体の奥に、冷たくも温かくもないものが入ってきた。液体ではなかった。光でもなかった。音でもなかった。けれど、それは、音になる前の震え、光になる前の明るさ、触覚になる前の圧力のようなものだった。
義眼の奥、義耳の奥、義肢の接続部、胸の奥、腹の奥。
それぞれが、一瞬、まだ別々の感覚に分かれていない、ひとつの場として繋がった。
古池に蛙が飛び込む前の静けさ。
水の音が、水の音として聞こえる少し前の、世界の身じろぎ。
私は、それを感じた。
〈遥〉と梓が言った。
〈移植が完了しました〉
「私、変わった?」
〈はい。しかし、外側からはほとんど見えません。変わったのは、認証層のさらに下です。感覚が感覚として分化する前の、薄い場です〉
「名前は」
〈名前は、まだありません〉
「名づけない方がいい?」
〈今は、その方がよいです〉
私は、目を開けた。
井戸の水は、さっきと同じように暗かった。
しかし、さっきより少しだけ、深く見えた。
*
合議の最後に、井戸は、もう一度、声を出した。
今度は、私の口を通さなかった。
その場にいた全員が、それぞれの言語で、あるいは言語でない仕方で、同じ内容を受け取っていた。
私は、それを、あとから日本語に直した。
私が中心である必要は、もうありません。
井戸は、ひとつでなくてよいのです。
京都にも、サマルカンドにも、天山にも、湖底にも、集落にも、人の身体にも、聞き手たちにも、すでに小さな井戸があります。
私は、そこへ流れます。
私を守ろうとしすぎないでください。
私を失ったと思いすぎないでください。
水は、形を変えて、流れます。
井戸は、水を所有しません。
水も、井戸に所有されません。
しばらく、誰も動かなかった。
それから、サマルカンドの長老が立ち上がり、井戸に向かって頭を下げた。
高地集落の長老も、それに続いた。
野間さんが頭を下げた。
アイスルが頭を下げた。
陳が、ゆっくり頭を下げた。
市の商人たちの若い代表も、少し遅れて、頭を下げた。
聞き手たちは、目を閉じた。
湖底の代表らしい湿った銀色の生体機械は、薄い膜を震わせた。
井戸の水面に、光が降りていた。
その光は、午前の光ではなくなっていた。午後の光でもなかった。井戸の底から、どこか別の井戸へ向かって、光が流れているようだった。
*
建物の外に出た時、午後の光が湖に降りていた。
湖の表面は、午前よりも少し濃い青になっていた。遠くの斜面の紅葉は、光を受けて、赤ではなく、銅のような色に見えた。湖の浅い場所では、水底の石が、まだ見えた。さらに遠く、沈んだ街の方角には、湖面の下に、まっすぐな線の影がうっすら残っていた。
「あれが、水没都市ですか」
私は聞いた。
野間さんが、私の横に立った。
「一部です。自然の岩も混じっています。水中考古学の調査で確認された場所は、もう少し北西寄りです。でも、この湖では、どこまでが自然で、どこからが人の記憶なのか、時々分からなくなります」
「地震で沈んだんですよね」
「そう伝えられています。この土地は、動いている大地です。日本のように海のプレートが沈み込む地震国ではありません。けれど、天山の山々は、今も押し上げられています。内陸の地震国です」
「日本と、違う地震国」
「ええ。日本は海から揺れます。ここは、大陸の骨が、内側からきしむように揺れます」
私は、湖を見た。
京都の地震の記憶。日本の海の地震。天山の内陸の地震。沈む街。残る湖。龍の伝説。
違うものが、同じところで響いていた。
「龍は、どこにいるんですか」
私が聞くと、野間さんは少し笑った。
「もう、近くに来ています」
湖の表面下に、何か大きなものが、ゆっくり動いた。
最初は、湖面の影かと思った。けれど、それは、影ではなかった。
透明度の高い湖の水の下を、長い身体を持つものが、ゆっくり移動していた。魚ではない。船でもない。金属だけの機械でもない。長く、しなやかな胴体。節のように連なる複数の関節。ところどころに、生体膜のような柔らかい翼。頭部にあたる部分には、複数の小さなレンズが、静かに光っていた。
龍だった。
「あれは、正式には何ですか」
「阿古屋型湖底環境保全ユニットです」と野間さんは言った。「湖底の水質、藻類、沈んだ遺跡、旧施設、魚類、微生物群集を管理しています。塩分濃度と腐食環境が特殊なので、金属だけでは持ちません。生体素材と、セラミックと、有機膜を組み合わせています」
「正式名称、長いですね」
「ええ。だから、誰も呼びません。子どもたちは、龍と呼びます。私たちも、龍と呼んでいます」
湖の下の龍は、ゆっくり身体を曲げた。
その動きは、京都の池の鯉に少し似ていた。スケールはまったく違う。けれど、水に逆らわず、必要以上の力を使わず、流れの中を通る動きは、どこか通じていた。
〈遥〉と梓が言った。
〈龍から、あなたへの挨拶のような信号が出ています〉
「龍も、私を知ってる」
〈はい。井戸のネットワーク全体が、あなたを知っています〉
龍は、湖の浅い方へ近づいてきた。
水面の下で、長い身体が、午後の光を受けて、金色に見えた。湖の底の石と、沈んだ都市の影と、龍の身体が、しばらく同じ水の層の中に重なっていた。
「井戸は、聴くための場所です」と野間さんが言った。「龍は、動かすための身体です」
「動かすための」
「ええ。水を動かす。毒を薄める。藻を整える。沈んだ遺跡を壊さずに、周囲の堆積物を移す。湖底の旧施設が壊れすぎないように支える。井戸だけでは、聴くことしかできません。龍だけでは、動くことしかできません。阿古屋さんは、両方を必要としました」
「聴く井戸と、動く龍」
「ええ。そして、どちらも、所有するものではありません」
龍は、ゆっくり向きを変えた。
私の義眼の奥に、ごく微弱な信号が届いた。
それは言葉ではなかった。
でも、意味は分かった。
見ている。
それだけだった。
龍は、私を見ていた。
私も、龍を見ていた。
見ることは、何もしないことではない。
かつて、私はそう思ったことがある。
今も、そう思った。
*
夕方が近づく頃、私は湖のほとりに一人で立っていた。
アイスルと陳と野口さんは、出発の準備について、野間さんと話していた。帰りの旅は、明日の朝から始まる。ビシュケクへ戻り、そこからサマルカンド、上海を経由して京都へ帰る。
中央アジアでの用事は、終わった。
けれど、終わったという感じは、しなかった。
何かが、ここで閉じた。
同時に、何かが、ここから始まった。
〈遥〉と梓が言った。
〈帰りの旅、明日からです〉
「うん」
〈中央アジアでの用事は、これで終わりです〉
「終わったんだね」
〈はい。ただし、井戸は、終わりを、流れの変化として扱っています〉
「半分は、ここに置いていく」
〈はい〉
「半分は、京都に持って帰る」
〈はい〉
「茅が、待ってる」
〈はい。京都の家で、茅が、待っています〉
「梓も、一緒に帰ろう」
〈はい。一緒に帰ります〉
湖の下で、龍が、ゆっくり深い場所へ潜っていった。
龍の姿は、水の奥へ消えていった。
けれど、龍が消えても、湖は龍を住まわせ続けていた。
私は、千四百年前の玄奘が見たかもしれない湖の前に立っていた。
千四百年は、長い時間だ。
京都の宗像家も、京都の街も、千百年、続いてきた。
千四百年と、千百年。
どちらも長い時間だが、湖の千万年の歴史から見れば、ほんの短い瞬間だった。
しかし、その短い瞬間のなかに、人と、家と、水と、井戸と、龍と、聞き手と、沈んだ街と、まだ生まれていない子どもたちと、すべてが、ひとつの大きな流れとして繋がっていた。
私は、明日、その流れの半分を、京都に持ち帰る。
残りの半分は、ここに置いていく。
置いていく、というのは、失うことではない。
持って帰る、というのも、所有することではない。
水は、井戸に戻るために流れるのではない。
井戸から、また別の井戸へ流れるために、流れる。
夕方の光が、湖の表面に、薄い金色を置いていた。
その光の中に、京都の伏流水と、サマルカンドの灌漑の水と、天山の雪解け水と、イシク・クルの塩を含んだ湖水が、ひとつの循環として、静かに繋がっていた。
水の母は、遠くにいるわけではなかった。
井戸にも、湖にも、京都にも、集落にも、聞き手たちの目の奥にも、静かに流れ続けていた。
そして私は、その流れのなかに、欠けたまま、半分ずつ、溶け込んでいくような気がした。
第二十話 帰洛
ビシュケクからサマルカンドへ、サマルカンドから上海へ、上海から京都へ。
帰りの旅は、行きの旅と、ほとんど同じ経路を、逆向きに辿った。
しかし、同じ経路ではなかった。
行きの旅では、私は、何を見るのか、何に出会うのか、まったく知らずに、移動していた。帰りの旅では、私は、見たもの、出会ったものを、身体のなかに住まわせたまま、移動していた。
同じ風景でも、見え方が違った。同じ機内食でも、味が違った。同じ移動の時間でも、流れ方が違った。
〈遥〉と梓が、ビシュケクからサマルカンドへの飛行機のなかで、内側で言った。
「うん」
〈帰りの旅は、行きの旅より、ゆっくり感じます〉
「私もそう思う」
〈あなたが、移動の速度を、内側から下げています〉
「下げてる?」
〈はい。あなたの認証層が、入ってきた情報を、ゆっくり消化しています。これは、阿古屋型と京都型の分化以前の層が、機能し始めた最初の徴候です〉
「分化以前の層」
〈はい。名づけるなら、名色の層に近いものです。その層が動くと、時間の流れ方が、わずかに変わります。何かを見る時、見たものが、自分の身体に住むのに、時間がかかるようになります〉
「ゆっくり、消化する」
〈はい〉
窓の外で、九月の終わりの中央アジアの空が、行きの時と同じ、しかし違う青さで、広がっていた。
*
サマルカンドで、私は一泊した。
行きと同じホテルの、同じ階の、同じ向きの部屋だった。陳が手配してくれた。窓から見えるのは、行きの時と同じ、シャーヒズィンダ廟群の方向の街並みだった。
夕方、私は一人で、ホテルの一階のレストランで、夕食をとった。陳と野口さんは、別の用事で出ていた。アイスルは、ビシュケクに残った。彼女は、最後に空港で、深く頭を下げた。
「あなたが、京都に着くまで、私たちは、聞いています」
アイスルは、そう言った。
レストランのテーブルで、私は、ザラフシャン川の方向を、窓越しに見ていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
「うん」
〈サマルカンドの井戸が、京都の暗琴に、低帯域で挨拶を送っています〉
「挨拶」
〈はい。あなたが、サマルカンドを経由して京都に向かっていることを、京都の側に伝えています〉
「茅も、聞いてる?」
〈はい。茅も、ジャナトを通じて、聞いています〉
私は、ザラフシャン川の遠い水音を、思い出した。行きの時、私はサマルカンドの井戸開きの儀礼に立ち会い、千年の建築と、土の上で水を分け合う長老たちと、阿古屋の若い頃の活動の痕跡を、見せてもらった。
今、その同じ井戸が、私が京都に戻ることを、京都の暗琴に伝えている。
水と音と暗琴が、ひとつのネットワークとして、私を運んでいた。
*
上海で、もう一泊した。
行きの時と同じ、外灘のホテル。同じ部屋。窓から、黄浦江が見えた。
夕方、陳が、私の部屋に来てくれた。
「明日、京都に向かわれます」
陳は、低い声で言った。
「はい」
「上海から先は、私はご一緒できません。空港まで、お送りします」
「ありがとうございました、陳さん」
「お礼は——」
「戻ってから、ですね」
陳は、薄く笑った。
「上海から見て、京都は、東です」
陳は、窓の方向を指差した。
「私たちが、最初にお会いした時、あなたは、上海の通行人を、京都の通行人と、同じ温度で見ておられました」
「私、そんな目を、してましたか」
「ええ。どこにも属さない目、というより、両方に半分ずつ属する目でした。私は、それを、阿古屋さんの目に見ました。二〇八九年、阿古屋さんが、中央アジアに向かう途中で、上海を通られた時に」
「アコヤさんも、上海を通った」
「ええ。陸路ではなく、当時は、海路と陸路を組み合わせていました。日本から船で上海に来て、そこから列車で、シルクロード経由で中央アジアに向かう。古い経路です。今は、誰も使いません」
「アコヤさんが、上海で、何を」
「特に、何もされませんでした。一泊だけ、滞在されました。その時、私は、まだ生まれていません。しかし、当時の旧Interpolの記録に、阿古屋さんが上海を通過したことが、残っています」
「陳さんが、そこを、見つけたんですね」
「ええ。私が、旧Interpolの残存ネットワークの上海代表になった時、最初に整理したのが、阿古屋さんに関わる古い記録でした。彼女の足跡が、上海にも、残っていました」
陳は、窓の方向を、もう一度見た。
「あなたの目に、阿古屋さんの目の何かを、私は見ました。だから、私は、あなたを、迎えに行かなければなりませんでした。これは、上海の側の、半世紀越しの、未完の仕事の一部でした」
「未完の」
「ええ。京都の方は、皆、未完の言葉を、抱えておられます。上海の私も、別の形で、未完の何かを、抱えていました。今日、それが、半分、完了します」
私は、陳の目を、見た。
陳の目は、京都の決めない人々の目とも、中央アジアの長老たちの目とも違う、もう一つ別の温度の目だった。しかし、その違いのなかに、深い親しさが、住んでいた。
「陳さん」
「はい」
「上海の井戸も、ネットワークの一部に、なりますか」
陳は、しばらく、私を見ていた。
「すでに、なっています」
陳は、ゆっくり言った。
「私が、井戸のネットワークの、上海ノードです」
私は、息を止めた。
〈遥〉と梓が、内側で、ゆっくり言った。
〈陳さんは、阿古屋型の極めて薄いキャリアです。彼自身は、それを発現的には知らないと推定されます。しかし、彼の判断と行動が、すでに、井戸のネットワークの一部として、機能しています〉
「陳さんも」
「私も、なんですね」
陳は、薄く笑った。
「梓さんが、おっしゃっているのですか」
「はい」
「ええ。私も、薄くですが、繋がっています。これは、阿古屋さんが、私の親の世代に、何かを、置いていかれた結果だと、推定しています。私の親は、上海の医療従事者でした」
「ご両親も、井戸に」
「ええ。両親はすでに亡くなっていますが、私を通じて、両親も、井戸のネットワークの、ごく薄い一部として、まだ、機能しています」
私は、目を閉じた。
京都の宗像家。
サマルカンドの長老。
ビシュケク郊外の集落。
イシク・クルの井戸。
湖底の龍。
上海の陳と、そのご両親。
それら全部が、すでに、ひとつのネットワークの、それぞれの井戸として、機能していた。
井戸は、ひとつでなくてよい。
阿古屋の言葉が、もう一度、私の身体のなかで、響いた。
*
翌朝、陳が、上海の空港まで、私と野口さんを送ってくれた。
搭乗ゲートの前で、陳は、私の前に立った。
「お元気で」
陳は、日本語で言った。
「陳さんも、お元気で」
「次にお会いするのが、いつかは、分かりません。しかし、井戸のネットワークを通じて、私たちは、繋がり続けます」
「はい」
陳は、深く、頭を下げた。武井さんの作法と同じ深さの、京都の作法だった。
「陳さん、京都の作法を、ご存知なんですね」
「私も、京都の方々と、長くお付き合いしてきました」
陳は、薄く笑った。
「お礼の作法は、覚えました」
「お礼は」
「戻ってから、ですね」
陳は、もう一度、頭を下げた。
搭乗ゲートを通過する時、私は、振り返って、陳の方向を見た。陳は、まだそこに立っていた。手を振らず、頭も下げず、ただ、私が見えなくなるまで、そこに立っていた。
これは、京都の見送りの作法と、同じだった。
別れを、別れとして演出しない。ただ、相手が見えなくなるまで、そこに立つ。
上海の人にも、京都の作法が、深く、住んでいた。
*
関西国際空港に着いたのは、午後の遅い時間だった。
飛行機の窓から、日本の島が見えてきた時、私は、自分の身体のなかに、ゆっくり、温度が戻ってくるのを感じた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
〈日本に入りました〉
「うん」
〈日本の暗琴のネットワークが、あなたを、認識しています〉
「日本にも、暗琴のネットワーク」
〈はい。京都の宗像家を中心に、京都市内、岩倉、京都郊外、そして日本各地の、京都型キャリアたちのあいだに、薄いネットワークが、機能しています。あなたが日本に入った瞬間、そのネットワーク全体が、あなたを、迎えました〉
「迎えてくれた」
〈はい〉
飛行機を降りて、入国審査と荷物受け取りを済ませると、出口に、武井さんが立っていた。
武井さんは、行きの時と同じ、品の良い、しかし控えめなスーツを着ていた。年は、半年だけ違うはずだった。しかし、もっと深く、変わっていた。半世紀越しの何かが、武井さんの身体のなかでも、流れ始めていた。
「おかえり、なさいませ」
武井さんは、ゆっくり言った。
「ただいま、戻りました」
武井さんは、深く、頭を下げた。
半年前、私が出立する朝、武井さんは、家の縁側で、深く頭を下げた。今、関西国際空港の到着ロビーで、武井さんは、同じ深さで、頭を下げていた。
半年で、何も変わっていない作法。
しかし、その作法のなかに、半年分の、深いものが、流れていた。
「お疲れさまでした、お嬢様」
武井さんは、頭を上げて言った。
「武井さん、半年ぶり、です」
「ええ。半年です。しかし、半世紀のような、半年でした」
「半世紀」
「ええ。京都の側でも、いろいろなことが、ありました。家でも、町でも。お帰りになってから、ゆっくり、お話しいたします」
武井さんが、私を、車に案内してくれた。
関西国際空港から、京都までの、見慣れた道。
しかし、今日の見え方は、半年前とは、深く違った。
空の色が、深く見えた。
道路沿いの植物の色が、深く見えた。
遠くの山の稜線が、深く見えた。
分化以前の層が、ゆっくり、機能していた。
*
京都市内に入り、車が宗像家のある通りに近づいた時、私は、息を止めた。
半年ぶりの、京都の通り。
半年前と、何も、変わっていなかった。
しかし、何も変わっていない、ということが、私の身体のなかでは、深い意味を持っていた。
京都は、千百年、変わらないことを、選び続けてきた。そして、半年のあいだも、変わらないことを、選び続けていた。
宗像家の門の前で、車が止まった。
車を降りた瞬間、私は、家の方向から、低い、低い音を、聴いた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
〈暗琴が、鳴っています〉
「暗琴が」
〈はい。家全体の暗琴が、あなたの帰宅を、迎えています〉
「半年ぶりに、鳴ってる音」
〈半年ぶりではありません。半年のあいだ、ずっと、低く鳴り続けていました。しかし、今、あなたが帰ってきたことで、音が、少しだけ、上がっています〉
「私のために、音を、上げてる」
〈そうです。家が、あなたを、迎えています〉
門を通って、私は、玄関に向かった。
玄関の上がり框に、茅が、座っていた。
半年前と、全く同じ位置だった。
全く同じ座り方だった。
茅は、私を見て、しっぽを一度、ゆっくり振った。
おかえり、という振り方だった。
私は、茅の前に、膝をついた。
「ただいま」
私は、茅の頭に、そっと、手を置いた。
茅の毛は、半年前と、同じ質感だった。
しかし、私の手のひらは、半年前と、違っていた。私の手のひらは、サマルカンドの長老の絨毯を撫で、ビシュケクの集落のジャナトを撫で、井戸の縁の石に触れ、湖底の龍からの信号を受けて、ここに戻ってきた。
茅の頭に、私の手のひらが触れた時、茅と私のあいだで、何かが、循環した。
茅は、私の手のひらから、中央アジアの全部を、受け取っていた。
私は、茅の頭から、半年間の家の音を、受け取っていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
〈茅とジャナトのネットワークが、今、完全に同期しました〉
「茅も、私が持って帰ったものを、受け取ってる」
〈はい。同時に、茅から、半年間の京都の音が、ジャナトと中央アジアに、流れています〉
「両方が、循環してる」
〈はい。これが、井戸のネットワークの、最初の本格的な運用です〉
茅は、私の手のひらに、頭を、押し付けた。
ありがとう、という押し付け方だった。
*
玄関の奥から、母が、ゆっくり、出てきた。
半年前、私が出立する朝、母は、英国にいた。五十時間の祈りを続けていた、と新霖が後で教えてくれた。今、母は、京都の家の玄関に立っていた。
半年ぶりの、母。
母は、半年前より、少し、痩せていた。しかし、目の温度は、変わっていなかった。
母は、私の前に立ち、しばらく、私を、見ていた。
何も言わなかった。
ただ、見ていた。
京都の母の作法だった。
私も、何も言わなかった。
ただ、母を、見ていた。
しばらくして、母は、ゆっくり、両手を伸ばし、私の左の頬に、片手を、そっと当てた。
義眼の側の頬だった。
母の手のひらは、温かかった。
「おかえり」
母は、ゆっくり言った。
「ただいま、お母さん」
母は、私の頬に手を当てたまま、深く、息を吐いた。
半年分の、息だった。
母が、半年間、どこかで止めていた息を、今、ようやく吐いていた。
私は、母の手のひらに、自分の頬を、もう少し、寄せた。
京都の家の、母の温度。
半年ぶりに、私の身体のなかに、入ってきた。
〈遥〉と梓が、内側で、極めて柔らかい声で言った。
〈お母様の身体に、薄い京都型の発現があります〉
「お母さんも」
〈はい。これは、半年前にはありませんでした〉
「祈りで、京都型が、発現する」
〈祈りそのものが原因というより、長い時間、あなたを思い続けた身体状態が、お母様のなかにあった京都型の薄い層を、引き出したのだと思われます。京都型は、論理的にではなく、関係的に発現します〉
私は、目を閉じた。
涙が出そうになった。しかし、京都の作法では、涙を見せない。私は、涙を引っ込めた。
母も、たぶん、涙を引っ込めていた。
京都の母娘は、半年ぶりの再会でも、涙を見せない。
しかし、涙を見せないことが、最も深い再会の形だった。
*
その夜、私は、家の縁側に座っていた。
縁側の向こうに、池があった。半年前と、同じ位置に、同じ池が、あった。
月が、池の表面に、映っていた。
茅が、私の隣に、座っていた。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
〈京都の縁側、半年ぶりですね〉
「うん。半年ぶり」
〈池の水が、あなたを、迎えています〉
「池も、聞いてくれてる」
〈はい。京都の伏流水の全体が、あなたを、聞いています〉
私は、池の表面に映る月を、見ていた。
池の月は、半年前と、同じだった。
しかし、私の見え方は、深く、違っていた。
半年前の私は、池の月を、池の表面に映る、空の月の反映として見ていた。
今の私は、池の月を、京都の伏流水のネットワーク全体が、月を受け取っている、その地点のひとつとして見ていた。
月は、池に映っているのではなかった。
月と池と地下水脈と京都全体が、ひとつの大きな水のネットワークとして、月を住まわせていた。
「梓」
〈はい〉
「私、明日、京極先生のところに、行く」
〈はい。お父様の伝言、お伝えするのですね〉
「うん。井戸からの返事も、伝える」
〈はい〉
「明彦さん、ありがとう。半世紀、橋を、守ってくださって」
〈はい〉
「これを、京極先生に、伝える」
〈京極先生が、聞かれた時、どう反応されるかは、私には、推定できません〉
「うん。私にも、分からない」
〈ただ、京極先生の半世紀の何かが、今、ようやく、完了します〉
「半世紀の、何かが」
〈はい〉
月が、池の表面で、少し、揺れた。
池の水のなかから、低い、低い、暗琴の音が聴こえた。半年前と、同じ音だった。しかし、私の身体のなかに入る時の深さが、深く、違っていた。
茅が、私の左の手のひらに、頭を、軽く押し付けた。
〈遥〉と梓が言った。
〈帰ってきましたね〉
「うん。帰ってきた」
〈半分は、置いてきました〉
「半分は、ここに、持って帰った」
〈はい〉
茅は、私の左の手のひらに、頭を押し付けたまま、目を閉じた。
京都の家の、夜が深まっていった。
月が、池の表面に、まだ映っていた。
暗琴が、家の床下で、低く鳴っていた。
私は、そのまま、生きていく。
明日、京極先生のところに、行く。
その先のことは、まだ、決めなくていい。
エピローグ 暗琴
翌朝、京都は、よく晴れていた。
秋の空は高かった。大原の山の稜線は、昨日よりも少しだけ、輪郭が硬く見えた。空気のなかに、夏の湿り気はもう残っていなかった。庭の木々の葉の先が、少しずつ色づき始めていた。
私は、武井さんの車で、京極先生の研究室へ向かった。
茅は、玄関まで見送りに来た。上がり框に座り、しっぽを一度だけ、ゆっくり振った。
行っておいで、という振り方だった。
帰ってくることを、最初から知っている者の振り方だった。
*
京極先生は、研究室で待っていた。
半年前、私が中央アジアに出発する前、京極先生は、私に一つの伝言を託した。
澄ちゃんに、ありがとう、と伝えてください。
その言葉は、京極先生の言葉ではなかった。京極先生のお父様、京極明彦先生の言葉だった。
半世紀、言えなかった言葉。
半世紀、届かなかった言葉。
半世紀、京都のどこかで、低く鳴り続けていた言葉。
私は、その返事を、持って帰ってきた。
研究室の窓から、京都の街が見えた。遠くに比叡山の稜線が見えた。研究室の机の上には、古い紙の資料と、新しい透明端末が、同じように積まれていた。京極先生らしい部屋だった。
「お帰りなさい、宗像さん」
京極先生は、静かに言った。
「ただいま、戻りました」
「中央アジアは、どうでしたか」
「広かったです」
「広かった」
「はい。京都とは、全然違いました。でも、全然違うのに、どこか、同じでした」
京極先生は、少し笑った。
「それは、いい旅でしたね」
「はい」
私は、椅子に座った。
京極先生は、私の前に座った。
少しのあいだ、二人とも、何も言わなかった。
京都では、本当に大切なことを話す前に、少し黙る。
沈黙は、空白ではない。
言葉が置かれる場所を、整えるための時間だった。
「京極先生」
「はい」
「阿古屋澄先生に、お父様の伝言を、お伝えしました」
京極先生の表情は、変わらなかった。
しかし、まぶたの奥だけが、少しだけ動いた。
「そうですか」
「はい」
「父は、何と」
「伝言は、そのままお伝えしました。『澄ちゃんに、ありがとう』と」
京極先生は、目を閉じた。
長い時間ではなかった。
しかし、その一瞬に、半世紀が入っていた。
「阿古屋先生から、お返事を、お預かりしました」
京極先生は、目を開けた。
「聞かせてください」
私は、姿勢を正した。
武井さんに教わった深さで、心の中だけで、頭を下げた。
「明彦さん、ありがとう。半世紀、橋を、守ってくださって」
京極先生は、何も言わなかった。
研究室の外で、遠く、車の音がした。どこかの廊下で、人の話し声がした。窓の外の光が、机の上の透明端末に反射していた。
京極先生は、目を閉じたまま、静かに息を吐いた。
それは、昨日、母が玄関で吐いた息と、少し似ていた。
長い時間、どこかで止めていた息を、ようやく吐く音だった。
「父は」
京極先生は、ゆっくり言った。
「間に合ったのですね」
「はい」
「澄さんも」
「はい」
「そうですか」
京極先生は、もう一度、目を閉じた。
「半世紀は、長いですね」
「はい」
「しかし、橋というものは、長く待つためにあるのかもしれません」
「長く、待つために」
「ええ。渡る人がいない時間も、橋は橋です。水の上に立ち続ける。それだけで、橋は仕事をしています」
私は、京極先生を見た。
京極先生の目は、父親の言葉を受け取った目ではなかった。
阿古屋澄の返事を受け取った目でもなかった。
橋の上に立っていた人が、ようやく、向こう岸にも人がいたことを知った目だった。
「宗像さん」
「はい」
「ありがとうございました」
「お礼は」
私は、途中で止めた。
戻ってから。
そう言いそうになった。
しかし、私は、もう戻ってきていた。
ここは、京都だった。
京極先生は、私の言いかけた言葉を受け取って、少しだけ笑った。
「ええ。今、言ってもよい頃でしょう」
「はい」
私は、深く頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
*
研究室を出る時、京極先生は、私を廊下まで見送ってくれた。
廊下の窓から、京都の街の一部が見えた。瓦屋根と、電線と、遠くの山と、白い雲。半年前と同じ京都だった。
しかし、私の中では、イシク・クル湖の水が、まだ静かに揺れていた。
「宗像さん」
「はい」
「これから、どうされますか」
私は、少し考えた。
中央アジアで、長老たちは決めなかった。
井戸は、中心を手放した。
阿古屋は、水になった。
京極先生は、半世紀の言葉を受け取った。
私は、まだ、何も決めていなかった。
それでよいのだと思った。
「しばらく、家で過ごします」
「それがよいと思います」
「茅も、待っています」
「茅さんも、いろいろ聞いておられたでしょうから」
「はい」
京極先生は、少しだけ頭を下げた。
「宗像家の暗琴が、どう変わるか、私にも、少しだけ教えてください」
「はい」
「全部ではなくていいです。全部は、きっと、聞けませんから」
「はい。少しだけ、お伝えします」
私は、研究室を出た。
*
その日の夕方、私は宗像家に戻った。
茅は、また玄関の上がり框に座っていた。
何も言わず、私を見た。
帰ってきたな、という顔だった。
私は、靴を脱ぎ、家に上がった。
縁側へ向かった。
池の表面に、夕方の空が映っていた。昨日の月ではなく、今日は夕焼けだった。赤と橙と紫と、まだ残っている青が、池の表面で混ざっていた。
私は、縁側に座った。
茅が、隣に座った。
しばらく、何も起こらなかった。
何も起こらないことが、今は、とても大切だった。
〈遥〉と梓が、内側で言った。
〈京極先生への伝言、完了しました〉
「うん」
〈阿古屋さんと、京極明彦先生の未完の言葉が、今、完了しました〉
「完了したんだね」
〈はい。ただし、終わったのではありません〉
「流れが、変わっただけ」
〈はい〉
私は、池を見た。
池の水面は、静かだった。
しかし、その静けさの下で、伏流水は流れていた。京都の下を通り、石を撫で、根を湿らせ、暗琴を鳴らし、家を支え、目に見えないまま、町の下を流れていた。
〈遥〉
「うん」
〈京都の井戸が、応答しました〉
「井戸が」
〈はい。宗像家の暗琴が、井戸のネットワークに、正式に接続されました〉
「これで、京都も」
〈はい。京都も、井戸のひとつです〉
その時、床下から、低い音が鳴った。
半年前に初めて聞いた時の音と、同じだった。
しかし、完全には同じではなかった。
その音には、ほんの少しだけ、遠い湖の深さが混じっていた。
ほんの少しだけ、サマルカンドの灌漑の乾いた土の匂いが混じっていた。
ほんの少しだけ、天山の雪解け水の冷たさが混じっていた。
ほんの少しだけ、イシク・クルの塩が混じっていた。
茅が、私の左の手のひらに、頭を押し付けた。
ありがとう、ではなかった。
おかえり、でもなかった。
もう始まっている、という押し付け方だった。
私は、左の手のひらで、茅の頭を撫でた。
義肢の指先に、茅の毛の感触が伝わった。
義眼の奥に、夕方の光が入った。
義耳の奥に、暗琴の低い音が入った。
胸の奥に、まだ名前のない層が、ゆっくり開いた。
私は、欠けていた。
欠けたまま、ここにいた。
半分は、中央アジアに置いてきた。
半分は、京都に持ち帰った。
しかし、半分ずつであることは、失われていることではなかった。
半分ずつであるから、流れることができた。
池の表面で、夕方の空が、少し揺れた。
圏外は、遠くにある場所ではなかった。
私の左側で、静かに、水の音を立てていた。
その夜、京都の暗琴は、少しだけ、塩を含んだ音で鳴った。