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  • 2026年2月23日

ソシュールから見る現代の言語学習の欠点

―従来型言語学習では似た言語しか学習できない―

ソシュールから見る現代の言語学習の欠点

―従来型言語学習では似た言語しか学習できない―

ソシュールの言語理論(記号論、sémiologie)を厳密に読み解くと、言語学習は「シニフィアン(signifiant、音声イメージや表象)の学習だけでは不十分であり、むしろ不完全で実用的にも機能しにくい、という結論が導かれます。

ソシュールが強調した核心を、現代の言語教育や認知科学の文脈も少し交えながら整理すると、以下のようになります。

ソシュールの記号論の3要素と学習の必要性

要素意味言語学習における必要性シニフィアンだけでは不十分な理由
シニフィアン (signifiant)音声のイメージ、文字の形、発音の連鎖(「犬」という音や文字)必須(これを覚えないとスタートラインに立てない)単独では「音のラベル」しか持たない
シニフィエ (signifié)概念、意味内容(「犬」という音が指す四足歩行の哺乳類という概念)必須(これがなければシニフィアンは空っぽの音になる)概念を知らないと「音だけ知ってる」状態
記号の恣意性・差異性シニフィアンとシニフィエの結びつきは恣意的(自然法則ではない) 意味は他の記号との差異によって生まれる最も重要かつ最も難しい部分。言語の「システム」として学ぶ必要があるこれを学ばないと「単語の意味を孤立して覚える」だけで終わる

つまり、ソシュールが言う言語(langue)は差異の体系であり、個々の単語の意味は他の単語との関係性・対立性の中でしか成立しないのです。

言語学習でよく見られる「シニフィアンだけ」のパターンとその限界

  • 典型的な失敗パターン
    • 単語帳で「dog = 犬」と覚える(シニフィアン+シニフィエの対応だけ)
    • 発音と綴りを完璧に覚える(シニフィアン徹底)
    • でも「犬」という概念が日本語と英語で微妙に違うニュアンス(野良犬・番犬・ペット犬のイメージのずれ)や、文脈での使い分け(「犬みたい」「犬猿の仲」など比喩)がわからない

→ これではシニフィエの輪郭がぼやけたままで、実際のコミュニケーションでは「なんか違う」感覚が残る。

  • ソシュール的に正しい学習の順序(理想型)
    1. シニフィアン(音・形)をまず身につける
    2. シニフィエ(概念・意味内容)を母語との比較や文脈で深める
    3. シニフィアンとシニフィエの恣意的な結びつき差異による意味生成を体感する(これが最も難しい)

特に3番目が抜けると、言語は「単なるラベル付けツール」になってしまい、ソシュールが言う「言語体系としての価値(valeur)」が生まれません。

現代言語教育・認知科学との整合性

最近の第二言語習得研究(SLA)でも、ソシュールの影響が色濃く残っています。

  • 形式重視(form-focused) vs 意味重視(meaning-focused) の議論 → シニフィアンだけを徹底的に叩き込むアプローチは短期テストでは強いが、長期的な流暢さ・自然さでは劣る。
  • 語彙習得研究 → 「深さの次元(depth of vocabulary knowledge)」として、連想ネットワーク・コロケーション・文脈的意味・比喩的用法まで含めた学習が推奨されている。これはまさにシニフィエ+差異性の学習。
  • 概念メタファー理論(Lakoff & Johnson) → シニフィエ自体が身体経験や文化に根ざしたメタファー構造でできている → シニフィエの学習は文化・身体性の学習でもある。

結論:ソシュールから導かれる言語学習の現実的な指針

「シニフィアンの勉強だけでは不十分」 → 極めて正しい。むしろ最も重要なのはシニフィアンとシニフィエの恣意的な結びつきと、言語体系内での差異による価値の生成を学ぶこと。

実践的な言い換えをすると:

  • 悪い学習法:単語カードで「音+日本語訳」だけを大量暗記
  • 良い学習法:その単語が「どんな場面で、どんなニュアンスで、どんな他の表現と対立しながら使われるか」をセットで体感する

ソシュールは結局、「言語は孤立した単語の集合ではなく、差異のネットワークである」と教えてくれているので、学習者も「ネットワークを編む」意識を持つのが本質的な近道です。

ソシュール理論を適用し言語学習の多面性を検証した。

ソシュール理論から導く言語学習論


指摘の核心

一般的な語学学習の構造:

シニフィアン(音・文字・語形)の学習

  発音練習

  語彙の暗記

  文法規則

  → これが語学学習の大半を占める

暗黙の前提:

  シニフィエ(概念)は

  母語からそのまま移植できる

  英語の”dog” = 日本語の「犬」の音だけ違う

  → 概念は普遍的で共通

ソシュールから導かれる批判はこの前提への疑問です。


シニフィエは言語間で対応しない

ソシュールの最も重要な主張の一つは記号の恣意性ですが、その含意としてシニフィエ自体が言語によって異なる切り取り方をされているという点があります。

色彩語の例:

日本語:

  青(空・海・信号の緑も青)

  緑(植物)

  → 青と緑の境界が英語と異なる

英語:

  blue(空・海)

  green(植物・信号)

  → 境界が日本語と異なる

ロシア語:

  goluboy(明るい青)

  siniy(濃い青)

  → 青を二つのシニフィエに分割

ピラハン語(アマゾン):

  色彩語が極めて少ない

  → シニフィエの切り取り方が根本的に異なる

「青」と”blue”はシニフィアンが違うだけでなく、シニフィエも微妙にずれている。これを無視した学習は表層だけの習得になります。


三層の学習が必要という論点

ご指摘を整理すると:

第一層:シニフィアンの学習

  音韻・文字・語形・文法

  → 従来の語学学習の中心

  → 必要だが不十分

第二層:シニフィエの学習

  その言語が世界をどう切り取るか

  概念の範囲・境界・重心

  → 文化・概念の学習

  → 従来は「文化学習」として別扱い

第三層:シニフィアンとシニフィエの

    関係パターンの学習

  どのシニフィアンがどのシニフィエと

  その言語システムの中で結びつくか

  差異のシステムとしての習得

  → 従来は「語感」「ニュアンス」として

    なんとなく扱われてきた


第二層:シニフィエの学習の具体例

感情語のシニフィエのずれ

日本語「甘える」:

  英語に直接対応する語がない

  to act like a spoiled child?

  to depend on someone’s indulgence?

  → シニフィエ自体が英語圏に存在しない概念

ポルトガル語「saudade」:

  郷愁・切なさ・存在しないものへの

  ノスタルジアが混合した感情

  → 日本語にも英語にも

    対応するシニフィエがない

日本語「木漏れ日」:

  葉の間から差し込む光

  → 英語に対応するシニフィエ・シニフィアンなし

これらを「翻訳できない言葉」として扱うのは表層的で、本質はシニフィエの切り取り方が言語によって異なるという構造の問題です。

動詞のシニフィエのずれ

英語 “know”:

  日本語では「知っている」「分かる」「できる」に分岐

  フランス語では “savoir”(事実を知る)と

  “connaître”(人・場所を知る)に分岐

日本語「着る・履く・かぶる・はめる」:

  英語では全て “wear” または “put on”

  → 身体部位による着装動詞の分化が

    日本語シニフィエには存在し

    英語シニフィエには存在しない


第三層:関係パターンの学習

ソシュールが特に強調したのは差異のシステムです。個々の記号の意味はシステム全体の中での位置関係によって決まります。

「お茶」という語を例に:

シニフィアンの学習:

  発音・文字 → 簡単

シニフィエの学習:

  緑茶・ほうじ茶・番茶・

  お茶の時間・茶道・

  「お茶しよう」という誘いの

  社会的意味

  → 中程度に難しい

関係パターンの学習:

  「お茶」が日本語システムの中で

  「コーヒー」「水」「酒」「食事」との

  差異関係でどこに位置するか

  「お茶に誘う」と「食事に誘う」の

  社会的距離の差

  「お茶を濁す」という慣用的意味

  → これが最も難しく最も重要


従来の語学教育への批判

従来の語学教育が上手くいかない理由:

コミュニカティブ・アプローチも含め

多くの手法がシニフィアン中心:

  正しい発音

  正しい文法

  大量の語彙

シニフィエの教育が弱い:

  概念の切り取り方の違いを

  明示的に教えない

  「ニュアンスは経験で習得」という

  暗黙の諦め

関係パターンの教育がほぼない:

  その言語の差異システム全体を

  俯瞰する視点を与えない

  語を孤立した単位として教える


教育的含意

ソシュール理論から導かれる語学教育の原理:

1. 対訳中心主義への疑問

  A語のシニフィアン → B語のシニフィアン

  という対応を学ぶ従来の方法は

  シニフィエのずれを無視する

  → 概念レベルの学習が必要

2. 単語を文化的文脈で学ぶ

  シニフィエはその文化の

  世界の切り取り方と不可分

  → 語学学習は文化学習と分離できない

3. 語を差異システムの節点として学ぶ

  “happy”を学ぶとき

  “sad”との対比だけでなく

  “glad”・”content”・”joyful”との

  システム内差異を学ぶ

  → コロケーション・語用論の重要性

4. 母語のシニフィエを疑う

  母語の概念切り取りが

  普遍的でないことへの気づき

  → メタ言語的意識の育成


より深い含意

ソシュールのこの論点は実は**言語相対論(サピア=ウォーフ仮説)**への接続点でもあります。

強いウォーフ仮説:

  言語が思考を決定する

  → ほぼ否定されている

弱いウォーフ仮説:

  言語が思考に影響する・

  思考を方向付ける

  → 部分的に支持されている

語学教育への含意:

  外国語を学ぶとは

  シニフィアンを変えることではなく

  世界の別の切り取り方を

  身体化することに近い

  → 「外国語で夢を見る」

  「外国語では別人格が出る」

  という現象の説明になる


一文での定式化

語学学習をシニフィアンの置き換えとして捉える限り、その言語のシニフィエ(世界の切り取り方)と差異システム(語のネットワーク的意味)は習得されず、流暢な発音と文法で母語の概念を外国語の音で話すという限界を超えられない。

この観点は現在の語学教育に対して根本的な問いを投げかけており、「なぜ文法と語彙を学んでも本当に使えるようにならないか」という多くの学習者が経験する壁の、理論的説明になっています。