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  • 2026年2月16日

現代哲学で読む「正義論」と「脱正義論」増補版

——正義は発見されるのではなく、運用される⚖️🧯🧬

現代哲学で読む「正義論」と「脱正義論」増補版

——正義は発見されるのではなく、運用される⚖️🧯🧬

0) まず視点の転換:「正義・悪」は“最初からそこにある石”じゃない

最初に、いちばん効く前提の入れ替えをします。

私たちはつい「正義」「悪」「清い」「汚い」が 世界に最初から埋まっている属性みたいに感じがちです。
でも、現代哲学っぽく言い直すならこうです:

正義/悪は“自然物”ではなく、社会が後から貼るラベル(分類)である。
ラベルは、秩序を作るための“道具”で、状況に応じて更新される。

これ、抽象すぎると逃げに見えるので、まず具体例でいきます。

  • 利子(お金が増える):時代や宗教によって「罪」「卑しい」「当然の取引」と評価が激しく揺れる
  • 商売:昔は「賤業」扱いでも、社会の配管として“正当化”されると一気に中核産業になる
  • 性(下半身):秩序の接着剤になっているのに、表では“清潔な言語”に置換されがち(発覚するとスキャンダル化)
  • 賄賂的な潤滑(グリース):制度が弱い環境では“事実上の手続き”になり、強い環境では“腐敗”になる

つまり、「善悪」や「清汚」は、**現象に貼られる“社会的タグ”**で、タグのルール自体が歴史的・制度的・心理的に変わる。
(現象が変化している場合もあるし、見方=分類が変わっているだけの場合もある。)

ここから先の議論は、ぜんぶこの上に乗ります。


1) 正義論:社会を「直す」ための設計図(=タグの公式化)

正義論は、端的に言えば **「社会の仕様書」**です。
ただしここで重要なのは、正義論がやっているのは、

  • 既にある“正義”を発掘すること
    ではなく、
  • バラバラの現象に「正義/不正義」というタグを貼り、制度として固定すること

だという点です。

この時点で、正義はすでに「自然」ではなく「工学」になります🛠️


2) 脱正義論:正義を否定するのでなく「正義が生まれる仕組み」を点検する

脱正義論の核心はここ:

正義は薬にもなるが、権力装置にもなる。
「誰が・何を・どうタグ付けしてるか」を見よ。

この発想は、先生が言う「配管」「裏側」がないと社会が回らない、という感覚と直結します。
表の“きれいな正義”だけで社会は接着しない。
だからこそ、裏側を「全部悪」と断罪する正義は、現実に負ける(もしくは偽善化する)。


3) 「問題は問題とするから問題」——ここに“後付けラベリング”を厚く入れる

ここが今回の増補の本丸です🔥

前回は「害(harm)と問題化(problematization)は別」と整理しましたが、もう一段深く言うと、こうなります。

3-1) 世界は最初から“問題の形”をしていない

現象は最初、もっと 混沌(カオス) に近い。
そこから人間は、生存と共同体維持のために、

  • 似ているものをまとめ
  • 境界線を引き
  • 名前を与え
  • 禁止/許可/推奨の札を貼る

ということをやります。
これは哲学というより、生物・心理のレベルの話でもある。

つまり、

「問題」や「正義/悪」は、複雑な世界を扱うための“圧縮形式(情報の縮約)”
=地図であって、現地そのものではない
🗺️

地図は必要です。でも地図を「自然そのもの」と勘違いすると、争いが始まる。

3-2) なので「問題化」とは、“現象にタグを貼って社会の争点に昇格させる行為”

ここでやっと、あのフレーズが正確に読めます:

  • 問題化されて初めて、社会問題になる(これは真)
  • でも 問題化されなくても害がある(これも真)

この二つを同時に持つのが「中道」になります。

3-3) 「正義タグ」は、秩序を作るが、同時に“別の現実”を隠す

正義タグの副作用は典型的に3つです。

  • 可視化の副作用:ある害が見えるようになる代わりに、別の害が見えなくなる
  • 純化の副作用:「きれい/汚い」の二元論が強化され、灰色の配管が言語的に死ぬ
  • 道徳インフレ:正義が高騰し、みんなが常時裁判官モードになる(社会が疲弊する)

このへんが、先生の「きれいごとだけでは接着力が不足する」「裏側が必要なのに発覚すると失脚する」という直感に、哲学的な背骨を与えます。


4) 仏教(中観)での合流:善悪・清汚の“自性”を抜く

仏教(とくに中観)は、先生の「最初から清汚があるのではなく後付け」という話と噛み合いすぎます。

  • 世俗諦:現象として苦がある → 対処が要る
  • 勝義諦:固定した本質(自性)としての正義・悪は立たない → 執着すると別の苦が生まれる

ここでのコツは、**“正義をやめる”のではなく、“正義に自性を与えない”**ことです。
正義は運用する。でも神格化しない。


5) 具体→抽象で読者の視点を切り替える「中道プロトコル」改

最後を、読者が使える手順にします(ここも増補)。

Step 0:まずタグを疑う(後付け性の点検)

  • いま貼られてるタグは何?(正義/悪、清い/汚い、差別/非差別…)
  • それは いつ・誰が・何の目的で強化したタグ?(歴史・制度・メディア・権力)

Step 1:害を測る(正義レンズ)

  • 具体的に誰が、どんな損失を受けている?
  • 一回性?構造的?再現性は?

Step 2:問題化コストを測る(脱正義レンズ)

  • 問題化すると、分断・萎縮・報復・権力化が起きないか?
  • “正義を燃料にする産業”が増殖しないか?

Step 3:最小介入で配管を直す(中胚葉レンズ)

  • 断罪でなく、設計で摩擦を減らす
  • 罰より、手続き・導線・透明性・安全確保・合意形成の改善

この手順は、「きれいごと」でも「全部相対化」でもなく、社会を回しつつ壊さない方向に寄せられます。


締めの一文(増補版)

正義や悪は“最初からそこにある”のではなく、混沌から秩序を作るために後から貼られるタグだ。
タグは必要だが、神格化すると社会を焼く。
現代哲学と中観は、タグを使いながら、タグに支配されないための技術である。

現代哲学で読む「正義論」と「脱正義論」

——ポリコレ時代の“問題化エンジン”を扱うための二重レンズ🧠⚖️🧯

ポリコレ(政治的正しさ)が「問題化」している今、空気がねじれるのはだいたいこのパターンです。

  • ある現象がある(差別/侮辱/不公平/不作法/危険…)
  • 誰かがそれを 「問題だ」と名指す(問題化=public化)
  • 名指した瞬間から、現象そのものに 社会的な電圧 が乗る
    → 炎上/規制/反動/沈黙/分断が起きる

ここで言いたい核心は一つ:

「問題は、問題化されて初めて“社会問題”になる」
ただし、問題化しない=害がない ではない。

この“ただし”を外すと、被害者の現実を消すガスライティングにもなるし、逆に“問題化”を絶対正義化すると、社会が永久に裁判所モードになって溶けます。
現代哲学の出番は、まさにこの スイッチング(切替) にあります。


1) 正義論:社会を「直す」ための設計図

まず正義論は、ざっくり言うと**「社会の仕様書」**です。
何を公正と呼び、どこまで介入し、どう配分し、どう尊重するか。

現代の正義論は大きく3系統に分けると見通しがよくなります。

(A) 配分の正義(リソースの公平)

「機会」「所得」「教育」「医療」みたいな“配るもの”の話。
正義は ルール設計 として語られやすい。

(B) 承認の正義(尊厳・差別・侮辱)

「見下されない」「透明化されない」「人格を剥がされない」みたいな話。
正義は 言語・表象・慣習 に入り込む。

(C) 手続きの正義(合意形成のフェアさ)

何を決めるか以前に、「どう決めたか」。
正義は 討議・熟議・説明責任 の形式になる。

ポリコレは主に(B)と(C)が絡むので、熱くなりやすい。
“人格”と“ルール”が一緒に燃えるからです🔥


2) 脱正義論:社会を「直す」前に、正義そのものを点検する

脱正義論は、正義を否定するというより、こう言います。

正義は万能の薬ではない。
正義が「誰の、どの欲望を、どんな形式で」正当化しているかを点検せよ。

ここで効いてくるのが現代哲学の定番技法:

●「問題化」する(フーコー的なやつ)

ある現象を「問題」として成立させる 装置 を見る。
誰が名指し、どの語彙で、どの罰/賞で、どんな振る舞いを促すのか。

●「系譜学」する(ニーチェ的なやつ)

「善悪」「清潔不潔」「正義不正義」が、どんな歴史・権力・道徳の戦争で形作られたかを掘る。
正義が時に、上品な顔をした復讐にもなるのを見抜く。

●「脱構築」する(デリダ的なやつ)

二項対立(正しい/間違い、差別/非差別)が、どの前提で成立してるかを崩す。
境界線そのものが政治だ、と暴く。

脱正義論は、社会の“正義エンジン”を止めるためじゃなく、暴走しないようにリミッターを付けるためにあります🧯


3) 「問題は問題とするから問題」——これ、どういう意味で“正しい”のか

この言い回し、切れ味が強いぶん誤解も生みます。
哲学的に一番スッキリ整理するとこうです。

  • 害(harm):誰かが傷つく、機会を奪われる、恐怖が増える…という“現実の損失”
  • 問題化(problematization):それを公共の争点にして、言語・制度・制裁・評価の対象にすること

「問題としなければ問題ではない」は、**後者(問題化)**については当たってる。
でも前者(害)まで消えるわけじゃない。

なので実務的には、

害を減らすために問題化が必要なときもある。
だが問題化は副作用(分断・萎縮・権力化)も強い薬だ。

この“薬効と副作用”の見積もりが、現代社会のコア技能になってます。


4) 仏教(中観)の合流:正義/脱正義を「二諦」で扱う

ここで仏教が、やたら相性いいんですよね。

  • 世俗諦:現実には苦がある。差別も暴力もある。対処が要る。
  • 勝義諦:固定した「正しさ」や「清さ」そのものに自性はない。執着すると別の苦を生む。

つまり、

  • 正義は世俗諦では必要(ルールは要る、被害は減らす)
  • でも正義に“自性”を与えると、正義が新しい暴力になる(純化・粛清・永久審問)

これが **「正義の中道」**です。
正義も脱正義も、道具。状況で切り替える。


5) 右も左も使える「中道プロトコル」:議論を壊さずに進める手順

思想として気持ちいいだけじゃなく、使える形に落とすならこの3点が効きます。

① まず“害”を測る(正義レンズ)

  • 具体的に誰に、どんな損失がある?
  • それは継続的?構造的?一回性?

② 次に“問題化のコスト”を測る(脱正義レンズ)

  • それを問題化すると、どんな分断・萎縮・報復・権力化が起きる?
  • 「正しさ競争」になって、別の弱者が燃えない?

③ 最後に“最小介入の設計”を選ぶ(中胚葉レンズ)

派手な断罪(外胚葉)でも、見て見ぬふり(内胚葉)でもなく、
**配管(中胚葉)**で解く。

  • ルールの微調整
  • 手続きの透明化
  • 当事者の安全確保
  • 罰より“摩擦を減らす設計”(導線、ガイド、匿名性、教育、合意形成)

これ、右にも左にも刺さります。
右は「過剰な道徳化を抑える」利点があるし、左は「害の軽視に落ちない」利点がある。


6) 現代哲学の“問題解決力”って何か?

現代哲学は「答え」を配るより、問題の作り方(問題化)を可視化します。
だからこそ、

  • なぜ炎上が起きるのか
  • なぜ“正義”が麻薬化するのか
  • なぜ“脱正義”が冷笑に落ちるのか

が見えるようになる。

そして、仏教的に言えば——
「正義」も「脱正義」も
でも空だからこそ、状況に応じて最適な形に“仮”として組める。
ここが強い。


まとめの一文(記事の締めに使えるやつ)

正義は必要だが、正義への執着は危険だ。
問題は問題化されて社会問題になる。だからこそ、問題化は“強い薬”として用法用量を守る。
現代哲学と中観は、その薬の説明書である。