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  • 2026年1月12日

左翼、社会主義、マルクス主義、共産主義、リベラルの簡単な解説

左翼、社会主義、マルクス主義、共産主義、リベラルの簡単な解説

最初に結論としてバンと結論を図表化します。

用語目指すもの (Goal)手段 (Method)特徴 (Vibe)日本での生息域
左翼 (Left)「新しい」社会改革・革命進歩的・革新的全体に分布
社会主義平等富の再分配・計画経済大きな政府旧社会党、社民党
マルクス主義共産主義社会の実現唯物史観・階級闘争科学的(自称)・理論武装共産党、大学の一部
共産主義階級・国家の消滅暴力革命・プロレタリア独裁最終形態・ユートピア(純粋な実現例なし)
リベラル個人の尊厳・公正ふんわりした正義・感情反差別・環境・ポリティカルコレクトネス立憲民主、メディア、市民活動家

・みんな同じように使われる傾向

 左翼、社会主義、共産主義、リベラルは最近は同じように使われるみたいです。

 特に左翼とリベラルです。

 これは整理がついてない人が多いのではないでしょうか?

 例えば、

社会主義国: プロレタリア独裁下の過渡期(国はある)。

共産主義社会: 国家が死滅した最終段階(国はない)。

とか

共産主義社会というのは最初は資本主義より生産効率の高い体制と思っていたのに実際社会主義国を作ってみたら効率がめちゃめちゃ悪かった。

などなかなかすっきり腹に入れるには知っておくべき予備知識が非常に多くなっています。

これらの言葉の簡単な解説となぜこんがらがってしまったのかを解説します。

・左翼とは?

 左翼とは革新派、改革派、革命派(?)を指します。

 改革でも古い方向に戻すのではなく新しくするの場ポイントです。

 ですから改革と言っても「昔に戻す」というのは左翼ではありません。

 かつて経験したことのないもの、人類史上初でもいいですし、どっかよその国がやっているのをまねするのでもいいです。

 一言でいえば「新しくする」主義です。

 語源はフランス革命です。

 フランス革命でできた議会で改革派、革新派、改良派みたいな人たちが議会の左側に座っていたそうでそこからとられました。

 左翼(という言葉)発祥の地のフランスは分かりやすいです。

 何か新しいことしようとしたら欧米先進国の中ではトップランナーですし同時に人類のトップランナーでもあります。

 「自由、平等、博愛、人権」みたいなのがキャッチフレーズですのでそういうのを実現しようとします。

 ちょうどフランス革命の時分は民主主義も資本主義も産業革命も啓蒙主義もナショナリズムもいろんなものがどばっと入ってきた時代です。

 何をやっても新しいのですが、王政復古みたいに古い方に戻すのは右翼ですので左翼とは「新しくする」と覚えたらいいでしょう。

 

・社会主義

 社会主義も歴史上意味の変転があります。

 でも今の社会主義はマルクス主義以降の社会主義の意味で知っておけば分かりいいでしょう。

 社会主義は「平等を目指す主義」です。

 社会主義のメインテーマで目標は「平等」と覚えておくといいです。

 社会主義だけなら「平等」だけでいいのですがマルクス意向で意味がやや変わります。

 マルクス主義以前の社会主義を科学的でないというか理論がちゃんとしていないとか言って空想的社会主義という事があります。

 マルクス以降はちゃんと理論化したので「科学的社会主義」ということがあります。

 マルクス主義の意味の社会主義が一番メジャーですが広い意味で社会主義というとやはり「平等」を目指す主義みたいに理解しておいたらいいです。

 マルクス主義の社会主義は「人々が経済的に平等で生産手段を共有して階級もない共産主義社会」を目指す主義です。

 階級というのは経済的にどういう立ち位置にあるのかという事を示します。

 どんなに貧乏でも資本家ならブルジョワジー、どんなに金持ちでも労働者ならプロレタリアートみたいな感じです。

 とすると個人投資家や年金生活者はブルジョワジーと言えるかもしれません。

 天皇陛下が投資しているかしているか分かりませんが労働だけで食べているなら極論ですが天皇陛下と言えどもプロレタリアートです。

 あんなに忙しく労働している方というか職業(天皇が職業とするなら)は世界のセレブでもトップレベルの方ではないでしょうか。

 ただ我々は資本主義に組み込まれています。

 天皇陛下が投資をしていなくても銀行預金をしていたら銀行が勝手に投資やら融資やら国債買い入れをしてしまいます。

 現金で箪笥預金をしていることはないでしょうから間接的にはブルジョワジーかもしれませんがそれは別の話です。

 またそれをいったら貧乏人でプロレタリアートの場合でもなんぼかは銀行預金があるでしょうから結局チョットはブルジョワジーの面があるかもしれず資本主義社会では社会構造的に階級の明確な線引きは難しいかもしれません。

 他方で階層はもっとふわっとしたものです。

 なんとなくえらいとか金持ちとかだったら階層が高い、逆だったら階層が低いみたいな感じでいいでしょう。

・共産主義社会とは何か?

 マルクスが社会主義を具体化して社会主義の主流派となりました。

 共産主義は「人々が経済的に平等で生産手段を共有して階級もない」社会の事です。

 これは人類の最後に達する境地なので歴史の終わりであり人類の終末でもあります。

 これが実現したことはありません。

 原始時代とか小さなコミュニティでは実現したところはあるかもしれません。

 もしかしたら島嶼のような小さな国レベルではそうなっているところもあるかもしれません。

 ただ西洋近代文明の最終到達点として共産主義社会になった国はありません。

 マルクスは歴史の必然的な法則としてそういう社会が訪れると言っていました。

 レーニンは革命を起こして無理やりそういう社会にしようとしました。

 ただロシア革命以来、冷戦期やそれ以降に社会主義体制を保った国でも共産主義社会を実現した国はありません。

 「共産主義国」という言葉を使いますがこれは「共産主義を目指している国」であって共産主義社会を実現している国という意味ではありません。

 「社会主義国」も同じです。

 社会主義国はマルクス主義では「共産主義を目指している国」です。

 ですからマルクス主義では社会主義国と共産主義国は同じ意味になります。

 もう一つは現在の国の体制がどうかという事です。

 かりに共産主義社会を目指していても国のが民主主義で資本主義で自由主義で至上主義で交換経済でというような国は共産主義というのは無理があります。

 そもそもそういう国が共産主義社会を国を挙げて実現を目指した例はありません。

 そういう国では一部の国民、一部の政党が共産主義社会を目指している場合はありますがその他の人々が共産主義社会を目指さない傾向があります。

 社会主義国という場合には実際に国が共産主義社会を実現するために実際に制度やら法律やら教育やらを民主主義で資本主義で自由主義で至上主義で交換経済でみたいなところから共産主義社会を実現するために国全体で国自体を改造中の国を指します。

 こういう国はいっぱいあります。

 冷戦期の東側諸国もそうですし現在の中国も建前上はそうです。

 ですから社会主義も共産主義も同じ意味で使われることが多いです。

①     共産主義社会を目指していること

②     共産主義社会を実現するために資本主義を改造中なこと。

この2つを目指していると社会主義国とか共産主義国と呼ばれるようです。

・社会主義国や共産主義国の存在はマルクス主義の理論からはずれている

 マルクスの理論では資本主義が成熟して必然的に革命が起こって共産主義社会になることになっています。

 「革命」が必須です。

 資本主義社会から徐々に共産主義社会に変わっていくことはありません。

 革命で「すぱーん」と一気呵成に社会がひっくり返って共産主義社会になることになっています。

 とすると「社会主義国」とか「共産主義国」みたいな中途半端な存在はちょっとマルクス主義的ではない国家体制になります。

 資本主義社会でもない、共産主義社会でもないどっちつかずの社会であり国になります。

 資本主義社会から共産主義社会にかわるのはマルクス主義の理論では革命が必要です。

 これを唯物史観と言います。

 マルクス的には体制が変わる/変える≒革命でひっくりかえす的な見方があとあと足を引っ張ることになります。

・社会党と共産党(とついでに民社党)

 社会党と共産党はどう違うのかというのも分かりずらいところですのでちょっと説明を入れます。

 社会主義と共産主義は違います。

 社会主義は共産主義よりはもっと広い概念です。

 社会主義は「平等」の追及です。

 共産主義は「経済的平等で生産手段の共有化で階級がなくなる/階級をなくす」という感じで社会主義よりは細かい条件が付いています。

 社会主義の中では共産主義が大きな勢力になってしまったので同じもののように見なされることが多いです。

マルクスやらその周辺の影響力が強かったのでしょう。

しかし共産主義ではない社会主義もあります。

社会民主主義、略して社民党というものもあります。

これは民主主義とか資本主義を変えずにその中でより平等を実現していこうとする考え方です。

日本の例で行くと1955年体制で自民党、社会党、共産党が固まりましたがいろいろ分派ができたりしました。

1955年に六全協というのがあってそれ以来共産党は一枚岩ですが簡単に言うと党内官僚統制が強かったので異端は追い出したり粛清したり離反されたり飼い殺ししたりしたので一枚岩でした。

社会党は1955年に社会党左派と社会党右派がくっついてできました。

社会党左派は協会派と言ってこれは普通に共産主義です。

その後もっと左派の開放派というのもできました。

まあ社会党もいろいろあって党内右派の構造改革はというのは協会派と開放派につぶされ協会派は向坂派と太田派に分裂して…みたいな合従連衡の歴史です。

社会党の左派っぷりについていけなくて民主社会党、略して民社党というのもできて大雑把に言えばこれが現在の国民民主党につながっています。

社会党は冷戦崩壊後は連立政権で与党入りしたりしますがその後分裂したり名前を変えたりします。

現在残っているのは社民党というのがあって弱小になってしまいました。

これは社会党左派の子孫です。

社会党の大部分は民主党と名前を変えてその後民進党と名前を変えてその後立憲民主党と名前を変えて現在に至ります。

立憲民主党から分裂したのが国民民主党です。

民社党は今はなくなってしまいました。

労働組合の中で同盟系と呼ばれるものを支持基盤としていましたが現在の連合の同盟系が国民民主党の支持基盤の感じです。

・労組と正統の関係

 社会主義、共産主義政党は政治的な主張も大切ですが組織が大切です。

 組織統治も大切ですが支持基盤が特にたいせつです。

 支持基盤で一番大切なのは労組でした。

 マルクス主義では共産主義社会を達成するのはブルジョワジーという階級がプロレタリアートという階級に革命で打倒されて共産主義社会が訪れるというストーリーになっています。

 プロレタリアートとは賃金労働者です。

 これは労働組合と関係が深いです。

 労働者を組織したものが労働組合です。

 社会党は総評系、共産党は全労連系、民社党は同盟系が支持基盤でした。

 その他に全労協というものもあります。

 冷戦が崩壊したときに労組も再編しようという事で労働統一戦線として連合を言うものを作りました。

 連合は同盟系と総評系がくっついたものです。

 この時全労連は共産党がその再編が右翼的、という事で参加しませんでした。

 連合の中で総評系は立憲民主党支持、同盟系は国民民主党支持と大雑把に考えてもらったらいいと思います。

 総評は官公庁系の労組で同盟は民間企業系の労組なのでもともと地肌が違うことが一つにはありました。

・労組の取り合い

 組織の取り合いは世の中居色々なところで見られますが政治やら社会主義やらマルクス主義では大切です。

 労組が不透明というか魑魅魍魎感があるのは労組というのは政治勢力の奪い合いみたいなところがあるからです。

 労組の奪い方と言っても話し合って別の政党に指示を変えるとかそういう分かりやすいものではなく裏側でごちゃごちゃした感じになります。

 特に革マル派や中核派、日本赤軍や連合赤軍で有名な新左翼というものが1960年ごろから群がり起こってきてからは社会党や共産党が労組を奪い合うだけでなく新左翼も労組の奪い合いに参加します。

 特にトロツキー主義は他の組織を乗っ取るすべに長けています。

 トロツキーがライバルのスターリンにソ連を追い出されて(逃げ出して)世界革命浪人痛いなのをしていたので組織基盤がなかったのでいろんな国の組織を乗っ取ろうとしました。

 フランスの社会党などはトロツキーに乗っ取られてしまいました。

 こういう乗っ取りは加入戦術と言われていますがトロツキーはこの方法を洗練させました。

 新左翼は日本のトロツキー主義を導入したパイオニアである革同協の革マル派と中核派しかほとんど残っていないのでいかに組織を確保するかが大切かが分かります。

組織の乗っ取りを加入戦術と言います。

加入戦術は大昔からありますが新左翼の、とくにトロツキー主義者たちの加入戦術はずば抜けていました。

正統については社会党が加入戦術の草刈り場でした。

日本はスパイ天国とか言いますしその通りなのですが海外勢力によるスパイというのはおいておいても国内勢力だけでもスパイは活発です。

まあこれは日本だけの話でもないですが。

この加入戦術があるから話がややこしくなります。

例えば社会党と言っても一部は革マル派に乗っ取られているかもしれないわけです。

社会党のまだらっぷりは自民党のまだらっぷりとは引けを取りません。

日本共産党はマルクスレーニン主義でソ連共産党や中共とは距離を取り宮本顕治の独裁体制をひいていましたので加入戦術には強かったです。

労組も左翼にとっても新左翼にとっても共産主義者にとってもマルクス主義者にとっても社会主義者(社会主義は色々あるがマルクス主義≒共産主義が圧倒的に主流なので大雑把にはマルクス主義≒共産主義≒社会主義≒左翼と見てもハズレはない)にとっても革命の主体であるプロレタリアートでありプロレタリアートを組織化したものと職場と活動拠点と活動(闘争)する場所(デモやらストライキやら)と新規革命家のオルグやらリクルートで人員補充出来るのと拠点(普段の居場所)が全部揃っていますので革命ワンセットオールインワンという感じです。

 というわけで取り合いになります。

 物理的闘争で取る場合と加入戦術みたいな乗っ取り、その場合でもどこの組織か公然にする場合もあれば革マル派のように潜伏して目立たないようにする場合があります。

 後者は例えばJR総連東京などは革マル派の拠点ですが革マル派のNo.2の松崎明は黒田寛一をトップとする革マル派本体から離れて別組織の体としていたようです。

 その後喧嘩別れをしたという説もありますがこれも非公然過ぎて本当のところはよく知りません。

 国鉄(JR)や電電公社(NTT、KDDI)、郵便局が民営化したのもこういう官公系労組の弱体化という視点で格子状何とかモデルで見るとスッキリする場合があります。

 また教育の自由化だったり大学の独法化だったり第三セクターや自治会の水道や電気の民営化やら企業やNGOなどの委託の動きがあればこれも労組崩しかもしれませんし、日本もだいぶ腐敗も汚職もクルーニーキャピタリズムも酷くなってきたので政治家などが身内に儲けさせる為かもしれないし、逆に活動家が拠点と資金源と人員確保を図ろうとしている為かもわかりません。

 まさに労組は魑魅魍魎というかアンダーグラウンドですがそういう視点も持っておくと色々役に立つかもしれません。

・学校、大学

 労組も大切ですが大学も大切です。

 社会党も共産党も社青同や民青などの大学生組織があります。

 例えば竹○平蔵は民青でしたし、池○彰は社青同だったわけです。

 彼らは社会党や共産党の下部組織ですし革命家(活動家?)予備軍です。

 別に革命家にならなくても社会中に細胞として拡散していってくれればいいのです。

 共産党は戦前から東大の自治会を掌握していました。

 東大の学生から革命家やシンパや細胞を増やして世の中のいろんなところに浸潤していって貰えばいいわけです。

 東大なら官僚、政治家、財界など社会の各部でトップに立てます。

 共産党が各大学の自治会を占拠というか占領というか統治していた頃は良かったのですが共産党の権威失墜が続いたのと共産党から離反したり除名されたり共産党から離れた、あるいは離れさせられた人たちが新左翼グループをどんどん作っていって共産党の牙城であった大学自治体などを乗っ取ろうとします。

 新左翼は1960年ごろから群がり生じて共産党に代わる革命の前衛党になろうとしました。

 各大学の自治体の横のつながりを全学連は本来民青の牙城だったと思われますがそういうのにも新左翼はちょっかいかけてきます。

 ノンセクラディカルやら党派(流派)の垣根を超えて連帯しようとする全共闘などは東大病院やら東大自体や東大自治会を乗っ取ろうとして共産党の逆鱗に触れてしまいました。

 大人気ない、と言ったら何ですが共産党は民生だけでなく都学連行動隊(あかつき行動隊、あかつきの暗がりの中を非公然活動をする共産党の暗部で他大学生やら学生じゃない大人やらヤクザやら労働者やらも構成員とする)で全共闘を潰しました。

 大人が本気になったら、大人と言っても昔の大人は戦場帰りやら元兵士やら物理的実力行使の玄人が普通に生活していた時代なので言葉は悪いですがガキの使いみたいな戦争を知らない子供達みたいな全共闘やら学生やらではひとたまりもありません。

 まあそんなこともあり大学というものも労組と並んで大切です。

 新左翼は5流13派とか実際には100近くあったと言われていますが現存するのはそこそこの人数がありちゃんと革命を目指しているのは革マル派とちょっと何をしたいのか怪しいですが中核派くらいです。

 しかし革労協(社青同解放派で社青同と言っても新左翼)みたいに生きながらえている組織はまだあってそれは九州大学や明治大学などを掌握しているためでもありますし、例えば法政大学は中核派の拠点です。

・1968〜1970年の変質、リベラル誕生

 「人間が1番求めるものは平等ではないのではないか?」

という疑念は昔からありました。

 ファシズムの誕生だって平等よりは愛国心とかそういうのの方が人間にとって重要とムッソリーニが気づいたからできたと言えるかもしれません。

 リベラルの誕生として2点従来の左翼、社会主義者、マルクス主義者、共産主義者のやる気を削いだことが考えられます。

・ロシア革命の失敗

 本来マルクス主義理論では社会の進歩は以下のように起きます。

 

 成熟した資本主義社会→革命→共産主義社会 

 

 マルクス主義は古典派経済主義でもあります。

  現在の共産主義国なるものを見て勘違いされがちですが共産主義社会というのは共産主義社会というのは資本主義社会よりさらに生産力、生産性、生産効率の高い社会です。

 マルクスも古典派経済学も社会を進歩するものという考えは変わりません。

 資源問題や環境問題は考えていません。

 さらに歴史には終わりがあるものと考えています。

 考えているというより思い込んでいます。

 これは聖書文化圏の終末思想から引き継いだ思い込みでしょう。

 終末や復活や最後の審判も聖書だけから導き出せるかというと(宗派によって採用している聖書に違いがありますが)やや微妙です。

 宗教は聖典だけではダメで文書外の教義や口伝や教団組織も必要なのでしょう。

 そういうところが聖書を補ってユダヤ教もキリスト教もイスラム教も人類には宗教的な終わりがあるという世界観に立っています。

 自学だけでこの結論を出そうとしても多分無理でキリスト教徒らしいキリスト教徒やユダヤ教徒らしいユダヤ教徒やイスラム教徒らしいイスラム教徒になろうとすればやはり教団に入って教育を受けないと無理でしょう。

 レーニンはマルクスが無謀と見做した無理をするために別の理論を作りました。

 これをレーニン主義と言います。

 基本的にはマルクス主義とレーニン主義はセットです。

 理論的にではなく現実的な歴史がそうなりました。

 まとめてマルクス・レーニン主義(M L主義)とでも呼びましょう。

 マルクスからすると「レーニン主義とまとめられるのは迷惑だ」、というかもしれませんが歴史はそうなりました。

 社会主義やマルクス主義や共産主義にはアントニオ・グラムシなどに代表されるユーロコミュニズムなどの別の流れもありますが割愛します。

 全然資本主義が浸透してない遅れた社会でも何とかなる説です。

 2段階革命説です。

 理論は作って2回革命したのですがこれも予定通りとか理論通りにはなりませんでした。

 理論的な二段階革命論は以下のようなものです。

 遅れた社会→ブルジョワジー民主主義革命→民主的な資本主義社会を実現する→資本主義を成熟させる→社会主義革命(プロレタリア革命)→資本主義をなくしてプロレタリアートが権力を握って階級をなくし、生産手段を共有し、経済的格差をなくして完成

 この理論も理想通りにはいきません。

 現実的には物事にはタイミングがあります。

 ロシアの2月革命でブルジョワジー民主主義革命を成し遂げたのなら資本主義を成熟させる期間が必要ですが同じ年の11月には早速2段階目の社会主義革命を起こしてしまいました。

 レーニンとしてはロシア革命を導火線として進んだ資本主義国が革命を起こしてくれるのを願望していましたがそうはいきません。

 ロシアはボッチになってしまいました。

 マルクスは遅れた社会が革命を起こしても富の奪い合いが起こってさらに悪いことになると言っていましたがそんな感じになってしまいました。

 そうは言ってもロシア/ソ連は頑張って冷戦期に見られるような共産圏を作ることができました。

 共産圏と言ってもそこに所属する国は別に共産主義社会ではありません。

 共産主義社会を目指している社会主義国という建て付けです。

・マルクス・社会・共産主義の誤算

 レーニンと仲間たちはロシアが革命を起こせば世界で革命が起きるという算段がありましたが都合良くはいかないのでロシアだけでの革命防衛に奔走する羽目になりました。

 現代人なら知っていると思いますがマルクスの想像と違って社会主義は資本主義より生産性が低くなります。

 一瞬五カ年計画やら戦争やらで浮揚させることはできますが時間が経てばやはり生産性は悪くなります。

 多分これも誤算です。

 ついでにレーニンは無理な革命を起こすために前衛党理論というのと民主集中制理論というのを作りました。

 前衛党が2回の革命全体を指導します。

 しかしそれだとブルジョワジー民主主義革命の時に前衛党が民主的に選ばれるとは限りません。

 そこで前衛党に一党独裁させてその中では民主的、という風に路線転換しました。

 路線転換してばかりですがレーニンはマルクスと違って学者ではなく革命家で実践家だったので仕方がありません。

 マルクスにも前衛党によるプロレタリア独裁という考え方がありましたがこれは過渡期の一時的なこととされていました。

 レーニン以降は一党独裁体制が常態化されます。

 この前衛党の名前をレーニンはそれまで使われていた社会党ではなく共産党としました。

 共産党の一党独裁で共産党が国の上にあって国を支配するというのが我々がイメージする「共産主義国」です。

 これはML主義で社会主義ではありますが共産主義社会ではありません。

 というか共産党が一党独裁と権力と富を集中して共産主義社会を目指さなくなってしまうというのがレーニンと仲間たちの誤算でした。

 仲間といってもスターリンはちょっと毛色が違っていてむしろこの体勢を維持したがっていたようです。

 これをスターリン主義と言います。

 スターリンは一国社会主義、スターリンのライバルは世界革命論のトロツキーで権力争いでスターリンが勝ってスターリン主義国家になります。

 スターリン批判などはありましたし日本共産党もソ連共産党とは距離を取ったりしましたが実際はスターリン主義です。

 

・1968〜1970年のエピステーメー

 二つの大きな問題が顕在化し時代の分岐点になったのが1968〜1970年だと思います。

 大きな問題ということはマルクスのいうように歴史はならないということがはっきりして来たということです。

 左翼、社会主義、マルクス主義、共産主義というのは近代の1、2を争うくらい重要な大きな物語(ナラティブ)でした。

 この時期はっきりしたのは「共産主義はムリ」ということです。

 成熟した資本主義社会でも革命は起きません。

 全然資本主義でもないか貧しい国ばかり革命を起こされたり起こったりしています。

 そしてソ連や中国などの大国の共産主義国はどうも共産党の一党独裁体勢を作るとそこで止まってしまいます。

 そして共産主義社会の実現どころか体制を固定しようとするし格差を拡大させようとするし腐敗します。

 共産党という前衛党はノーメンクラツーラという共産党員の官僚組織で固められて特にその中で民主的なこともなくむしろ共産党内で一個人に権力集中する傾向が顕著になります。

 プロレタリアートを共産党という独裁政権が支配し、独裁政権は独裁者に支配されます。

 自分たちでやっている分にはいいのですが他国にもそれを押し付けようとします。

 第二次世界大戦後いろんな国が共産国になった、あるいはならさせられてしまいました。

 そういう国の中ではちゃんと共産主義社会を作ろうとした国があります。

 ハンガリーは自国を共産主義社会に改革しようとしたらソビエト軍に鎮圧されてしまいました。

 これをハンガリー動乱と言います。

 1968年東ヨーロッパの中で第二次世界大戦前から工業化の進んでいたチェコスロヴァキアが社会主義を改革しようとしたらこれもソ連に武力鎮圧されてしまいました。

 ついでに中国では文化大革命が行われましたがこれも権力闘争で毛沢東が大躍進政策で大失敗して権力失ったのを再び権力を取り戻すための運動でした。

 日本では当時は中国が認めた唯一のメディアである朝○新聞だけが中国の情報を伝えられましたが別に事実を伝えたわけではありませんので中国や毛沢東かぶれがたくさんいました。

 ベ平連の小○実は「何でも見てやろう」という紀行文で有名な作家でしたが軍事独裁政権下の韓国に行ったせいで左翼から馬鹿にされるのが嫌で北朝鮮帰還事業というのを行ったりしていました。

 「北朝鮮は地上の楽園」

当時のキャッチコピーで信じている人がたくさんいました。

 1950年代の朝鮮戦争武装闘争路線から共産党の転向で共産党を除名されたり粛清されたり離反した人が第一次共産主義者同盟(ブント)というのを作り1960年安保を戦いましたが、第二次ブントから派生した赤軍はハイジャックで北朝鮮に亡命しました。

 北朝鮮も当時は日本海側から日本人をせっせとさらっていましたのでこれが後の拉致問題です。

 この拉致被害者の一部が北朝鮮工作員の教官にされて育てられた工作員が大韓航空機爆破事件を起こしたのは有名です。

 まあそんな感じで社会主義国は中国をはじめ今でも世の中にたくさんありますが大体独裁政権で独裁者がいます。

 マルクス主義よりはむしろこっちの方が歴史の普遍的な法則の気がしますのでしっかりと研究と教育と啓発が必要でしょう。

・別に革命起こさなくても共産主義社会になれるんじゃね?

 他方で西側自由主義、民主主義、資本主義陣営でも変な現象が起きます。

 結構成熟した資本主義の国が福祉などうまく取り入れることで共産主義ではないかもしれませんが共産主義っぽくいい感じにまとまっていく現象が見られました。

 アメリカ今でこそ修羅の国ですが新自由主義とか冷戦後のグローバリズムに傾倒するまでの第二次世界大戦後の期間はバランスよく世の中発展して格差があってもそこそこのいい社会になっていました。

 戦後のアメリカのそういういい時代を覚えているベビーブーマーが後のリベラルの中心的な勢力にもなります。

 ピケティブームの時に戦後は平等な社会だったというグラフか何かを見たことがある人も多いかもしれません。

 日本は恐るべきことに共産国より共産主義的な国になりました。

 日本は「1番成功した社会主義国」「一億総中流国家」と呼ばれました。

 「金持ち三代続かず」が大蔵省の方針で相続税で3代後には大金持ちも庶民に叩き落としました。

 累進課税がきつくて給料の差も性格格差になりません。

 日本は資本主義で株式市場もありましたがそもそも明治以来、特に外資(外国投資)を嫌いました。

 一帯一路戦略みたいなものでそれで植民地化する国々の分析があったのでしょう。

 江戸幕府は北海道をフランスに租借しようとしましたが明治政府が叩き潰しました。

 徳川慶喜が明君だったのもよかったでしょう。

 日本の特殊性は自力で資本主義かしたことです。

 これをやったのはヨーロッパの中でも西欧のごく少数かアメリカくらいでしょう。

 ロシア戦争の時にはユダヤ人に融資を助けてもらいましたがユダヤ人には足を向けて眠れない感じです。

 それはともかく外国からの投資ではなく融資で、債権売り、つまりお金を借りてそれを返して信用を守って成長して来た国です。

 これは実は西欧の少数国やアメリカ以外の国々の希望です。

 日本人の世界史的功績をキリがよく3つ上げるなら国家は外資というより融資だけで主権を侵害させず独立して発展できることを示したこと、西洋文明の軍事大国にも頑張れば勝てることを示したこと、松下幸之助のPHPではありませんが世界中に科学技術文明の便利な産業製品を届けて誰でも利用できるようにしある意味世界を均質化したことです。

 日本は株主も持ち合い制度という特殊な制度により株主資本主義ではない別の何かを達成しました。

 近江商人の三方よし的な感じかもしれません。

 企業グループが株の持ち合いをするので誰か特的の株主が会社を支配しません。

 また株主にそんなに配当も行いません。

 会計も時価会計ではありません。

 会社を運営するのは労働者の社長です。

 大体プロパーで今みたいなプロ経営者、雇われ経営者ではありません。

 株主のためでなく会社自体のため、社員のため、世の中のために頑張りました。

 ちなみにみんな昔の日本人はみんな軍隊で同じ釜の飯を食った仲間みたいなところがありました。

 それに戦前が社会主義みたいなものでもありました。

 株式の持ち合いも会計制度も日米貿易戦争やら冷戦後のアメリカの圧力の中で辞めさせられてしまいました。

 でもアメリカやヨーロッパのように新自由主義やグローバリズム(国際金融資本主義)を極端に進めなかった/進められなかったのは今にして思えばいい面もあったかもしれません。

・革命家たちのどっちらけとリベラルの台頭(誕生?)

 良くも悪くも1970年ごろまではみんなマッチョでした。

 左翼も世界や国家を根こそぎ変えるために革命を目指して頑張っていました。

 左翼というとほとんどが社会主義者でマルクス主義者で共産主義者ですが包含関係としては、

 左翼⊃社会主義⊃マルクス主義⊇共産主義

みたいな感じでしょうか。

 資本主義は自然発生的というか何となくカトリック的な雰囲気が弱くなりプロテスタントやらユダヤ人やらが社会の全面に立つにつれて金融的なものがタブーではなくなり自然発生的に生じてきたものと思われます。

 それに比べて社会主義なのはヒロイズムというか主体主義というか振り返ってみれば人工的な感じですしナラティブ的な感じです。

 戦後の自由主義社会、資本主義社会ではこの「左翼⊃社会主義⊃マルクス主義⊇共産主義」とそれ以外の戦いとして見ることができます。

 戦争を経験した世代ですし二元論的というか決戦思想的な雰囲気が強かったのかもしれません。

 でも流石に戦前回帰みたいな真っ直ぐな右翼は少数派です。

 新右翼というのも出てきましたがどっちかというと戦後の左翼の騒乱、騒擾から世の中を守ろうとしたカウンターというか新左翼の影のような存在だったかもしれません。

 あとは現実的な大人でこれは主義者というわけでもなく普通に保守的にもなりますし、現実や実務を知っていれば学生紛争の若者やら左翼、新左翼、そのシンパのような現実離れしたことは言っていられず日本を建て直す、成長させるのに必死だったでしょう。

 変な話ですが戦後派の若者がどんなにイキっても周りの大人は戦場で死にかけたり殺したりしていた人たちでしたので「若者は元気があるくらいがちょうどいい」と言った感じだったかもしれません。

 本気で大人を怒らせたらゲバ棒どころこの話ではありません。

 共産党も新左翼も内ゲバ外ゲバ殺し合いは結構していましたが安全な後方で騒いでいるのは戦場の生き残りの大人たちが本気で鎮圧しようとすれば簡単だったのではないでしょうか。

 あさま山荘事件では昭和天皇が「どちらも死人も重症者も出なくてよかった」と子供を思いやるような調子で話していたという逸話があります。

 左翼と社会主義は正義で真実で社会主義者じゃないと真心がないと言われた時代です。

 昔から「若い時に左翼に染まるくらいの覇気がないと見どころがない」と見どころがない論が戦前から語られてきました。

 フーコーではありませんが法律と言ってもそれを守る強制力や暴力装置が必要です。

 相手が法律を破るなら「こっちも破るぞ、同じ土俵で勝負してみるか、舐めるなよ」と本当の強者が現れて凄まれれば自分が制度に依存したか弱い存在であることに気づく弱者が多い事は往々にあります。

 日本の学生運動の代表の全共闘であればそもそも国家権力が出てくる前に共産党に叩き潰されてしまいました。

 そもそもソ連もだめ、日共もダメ、新左翼もダメ、自分達もダメ、資本主義は順調で日本においてはほとんど事実上無階級社会、無階層社会が実現しかけており株式の持ち合いで生産手段も共有化、日本株式会社、護送船団方式というくらいに国民一体感があり信用も同法意識も強い、制度も伝統文化を破壊するほどに経済的平等を加速するようにできているとなれば別に革命起こす必要もなく共産主義社会も実現できるかもしれないとなれば革命家もやる気をなくすのかもしれません。

 歴史の終わりというのが終末思想のある西洋哲学ではテーマでした。

 マルクスはそれを共産主義社会とし、冷戦終了後のアメリカは自由主義、民主主義、資本主義、市場主義としました。

 しかし本当は歴史の終わりは1970年頃の日本が体現してしまいました。

 冷戦の東側陣営はだめですし、アメリカも調子に乗り過ぎて新自由主義とグローバリズムをやり過ぎてトリクルダウンも起こさずマルクスの時代に逆行してしまいました。

 歴史の終わりは今後AIなどがテクノコミュニズムを作るかもしれませんが、今のところは1970年頃の修正資本主義的なアメリカや日本で特に日本が歴史の終わりを1970年頃に体現していました。

 どちらかというと左翼界隈はヒロイズムとかロマンティズムとかセンチメンタリズムが強いので社会の歯車として実務を着実に地道にこなすことこそ共産主義社会への道みたいなのは嫌だったのかもしれません。

 左翼や革命家は高学歴のエリートが多いです。

 高学歴エリートというのは昔も今も自己愛的で自己愛性パーソナリティ障害の人も多いです。

 そういう人たちがリベラルに転向します。

 リベラルとは社会進歩主義的な意味で左翼でもあり、平等主義的な意味で社会主義でもありながら、マルクス主義や共産主義に行き場を失った人々の心情のようなものでしょう。

 かと言ってマルクス主義や共産主義も捨てられず行き場を失うと人間はアノミーになれればまだ誠実な人間ですが自己正当化したり承認欲求を得たかったり小人閑居して不善をナスというか余計なことを始める傾向があります。

 潔くないというか反省しない者は人間ではないという言葉がありますが何となく似ているというか心が落ち着く方向に依存する感じになりがちです。

 反帝国主義や反植民地主義は新左翼から訴えられていたのでリベラル独自ではありません。

 リベラルは左翼や新左翼(極左とだいぶ重なる)からみればプチブル(小ブルジョワジー的正義、左翼小児病)みたいな感じで馬鹿にされていた分野に進出します。

 反差別とか被害者がどうしたとかマイノリティー権利擁護とか環境運動とか反日とかそう言った方向です。

 革命さえ達成して仕舞えばそんな小さな問題はどうにでもなるのだから革命を頑張れ、という感じで革命を頑張り続けている共産党や革マル派(これはトロツキー主義で日共と違って反スターリン主義)は偉いという他ありません。

 こういうちゃんとしたド左翼というかマルキストやっている人とリベラルというかなんちゃって左翼みたいな人では同じようなことを言っている場合でも実は中身が全然違う場合があるので注意が必要なのですが現代の我々はごっちゃにしがちですし今やど左翼やリベラル、その批判者や世界全体を見てもむしろこの違いがわかっている人は識者とか評論家とか言われる人でさえも少ないかもしれません。

 結果何でも同じに見えますし現実を動かしているのは区別もついていない人々であると思われるのは面白いところです。

 一言で言えばド左翼(共産党や革マルや一応中核も入れておく)は反日や反差別やマイノリティーがどうこうとか環境がどうこうといっても反差別と言っても理論が入って一本筋が通っていたり革命に必要な手段として戦略、戦術的に、自覚的、主体的に使っています。

 他方でリベラルはというと「ふんわり」です。

 何となくでもあり、情緒的、気分的、感情的、感性的な感じで認識しています。

 結果として反理知主義的だったり熱狂的で反論は聞かない許さないと言ったイデオロギーに取り憑かれたような感じになりますが別に理論があるわけではないのでイデオロギーではなくイデオロギーっぽい感じや雰囲気です。

 メディア論というか大衆化社会というものでしょうか。

 宗教に行く人も多くて戦後の第二次か第三次の新興宗教ブームで統一教会行ったりオーム心理教行ったり生長の家に行ったり幸福の科学に行ったり真如苑に行ったりと新興宗教に行く人もいる人もいますし既存宗教に行く人もいますし、ナチュラリズムやらスピリチュアリズムに行く人もいます。

 太○竜とか田○敏正とかほとんど全部に行っているような人もいます。

・なぜリベラルというか

 リベラルはリベラリズムの略です。

 自由主義と翻訳されるでしょう。

 分かりやすく最近はやった「ポリコレ」「LGBT」「BLM」「SDGs」「フェミニズム・ツイフェミ」「地球温暖化(最近は地球環境問題にトーンダウン)」で思い浮かべるようなもろもろでイメージされるものです。

 時代でも変わります。

古典的リベラル(旧): 「政府は邪魔するな。個人の経済的自由をくれ」

現代リベラル(新): 「政府が介入して、弱者を守れ。個人の社会的公正をくれ」

公整理すると分かりやすいです。

 近代の理念は啓蒙思想やフランス革命から自由と平等、その他人権とか博愛とかありますが自由、平等が2本柱です。

 理念ですからこれはイデオロギーです。

 イデオロギーはリアリズムとは対置されます。

 リアリズムは保守や右翼とはやや相性が良い。

 保守と右翼は過去に実現したことがある状態だからで実績があります。

 過去にやってたことをもう一回、あるいはそのままやったらどうなるか予想がつきやすいというかデータが多いです。

 左翼は革新派で革命主義だったりします。

 かつてない新しい状態を作る方向の改革派で過去を守る改革ではないです。

 これが過去に戻す的な復古とか保守反動とかなら右寄りなイデオロギーということになりますが啓蒙思想や進歩主義、社会進化論や優生学、何でもそうですがまだ実現したことのない新しい状態を作るいわゆる革新はデータも実績もありません。

 より予想外のことが起こりやすいです。

 フランス革命もロシア革命もその後なかなか落ち着かなかったのがそれと関係があって逆に日本の明治維新やイギリスの市民革命は王政復古の回古主義なのでその後の経過が落ち着きました。

 リベラルは新自由主義とか経済の方向で言えば自由促進です。

 リベラルと言っても何をリベラルにするかということがあって対象分野がありますし、全分野で自由ということになると自由同士が喧嘩してぶつかることがあります。

 何かの自由が何かの不自由になったりします。

 いわゆる希少性とトレードオフと機械費用というやつです。

 誰かの自由が誰かの不自由であれば誰かの自由を規制すると言う考え方になります。

 これはある面から見れば自由を減らす主義ですが他の何かが自由になるのでリベラルと呼ばれたりします。

 弱者や被害者やマイノリティがが行きにくい、不自由だという場合、それは強者や加害者やマジョリティの自由のせいだという考え方を現在のリベラルはします。

 機会の平等、すなわち法的、制度的自由を保障すると時間と共に格差が生じますが格差で損をする方を守ろうとする、自由であらせようとすると格差で得をする方の自由を規制しようという考え方になります。

 これは自由主義ではないと言えますが規制してもらって得する、損が減る側からすれば自由が増すという意味で自由主義とも言えます。

 結果全体の自由は毀損しますし制度や状況が複雑化しますがこれが自由、リベラルとなります。

 自由だけならまだいい(よくないかもしれないが)ですが自由と平等も喧嘩します。

 平等主義というのはあまりメジャーな言葉ではありません。

 大きな意味で言うと個人主義に対する集団主義、社会主義であったり共産主義であったりは平等主義と言えるかもしれません。

 社会主義というのはマルクス主義のように細かい条件のつかない素朴な平等主義です。

 のちにマルクス主義と同一視されてわかりにくくなりましたが広い意味の社会主義は平等主義で、社会主義という言葉があるから平等主義というのが使われないのかもしれません。

 マルクス主義や共産主義は「経済の」平等とか「生産手段の共有化」とか「階級をなくす(ブルジョワとプロレタリアの区別をなくす)」といういろんな条件がついた平等です。

 それに対して広い意味の社会主義は大雑把な平等です。

 何が自由か、何を自由とするかと言うのによってそれぞれがみんな自分の自由主義を訴えて喧嘩するかもしれませんが、現行リベラルというと政治的な分野のリベラルが1番目立っている感じです。

 経済的リベラルを言いたければ「リベラル」とか言わず「新自由主義」とか別の言葉を使う傾向でしょう。

 平等というのもこれも希少性とトレードオフと機械費用があります。

 何かの平等は何かの不平等となります。

 少数集団内での平等はその集団に含まれない全体を含めて考えると不平等となったりします。

 逆に全体の平等を保障してそれで損をする人がいたりするとその人は「不平等だ」と主張することもあります。

 これも立場によって何が平等かはぶつかったり喧嘩したしします。

 自由や平等単独でも難しいのに自由と平等を同時に達成しようとすると自由と平等がぶつかったりします。

 達成というよりは「最大化」という表現の方が経済学的なアナロジーでは適切でしょう。

 希少性が少ない、リソースがいっぱいあると自由も平等もよりどっちもより場合があります。

 希少性が少なくリソースが少ない、すなわち貧しい社会では自由も平等も制限されがちです。

 自由と平等はごちゃごちゃに使われることも多いです。

 このごちゃごちゃに使われ始めた時期が1968年〜1970年を一つの区切りとする時期と思ってもいいかもしれません。

 自由主義と平等主義が混線して使われ出したのがこの革命を捨てたというか諦めたというかしらけたというか関心がなくなってしまった時期かもしれずそれを埋めるものとしてリベラルという本来は自由を表すものですが平等主義をリベラルと呼びだしてわかりにくくなった時期なのかもしれません。

・左翼の断層、マルクス(共産)主義とリベラルは独立事象

 リベラルという言葉が自由ではなく社会全体の大きな平等ではなく一部の生きづらさを感じる人々の小さな平等を追求する考え方です。

 そういう意味ではマルクス・共産主義もリベラルも平等主義で社会主義の一形態です。

 しかし何の平等かによって平等間に喧嘩が起きます。

 何か(誰か)の平等が何か(誰か)の不平等になります。

 全体の平等はその中のマイノリティには不平等感を感じさせるかもしれず、一部のマイノリティにとっての平等は全体から見ればその小集団だけを優遇する不平等を生じるかもしれません。

 マルクス、共産主義は革命によって階級無くして生産手段共有化して、経済的自由を達成する考え方で社会主義の一派です。

 革命によって共産主義社会を実現するのに全リソースを費やす立場から見れば小さな社会改良運動とも言えるリベラルは枝葉末節ですし、そもそも共産主義社会になって仕舞えば小集団の不平等はなくなる、あるいはどうとでも対策は打てる簡単な問題という意識が左翼や新左翼にはあったのでしょう。

 ところが社会全体がどんな意味でもいいですが平等を達成してもたとえ共産主義社会が達成されてもその中の小集団の不平等は主観的にも客観的にも残ったり新たに生じる可能性があります。

 相関や因果関係がある場合もあるかもしれませんが完全に独立の別問題として扱うべき時もあるかもしれません。

・結局主観の問題は大切、あと既得権益、結局リアリズムとの折り合い

 なんというかにべもない結論になりますが結局主観的な問題です。

 あと生活の問題です。

 革命家にせよ権力側にせよ昔から使命感でやっている時代ではないのかもしれません。

 時代もそうだし年代も、そして世代もです。

 子育てが始まれば主義とか言ってられず自分のことも時間も無くなり子供食わせていかないといけません。

 ですからたしか革マル派は独身主義のはずです。

 差別とか言っても戦争中は差別している暇はありません。

 在日というか当時は日本ですが台湾と朝鮮では徴兵はしていなかったと思いますがヒーローだった爆弾三勇士も洪思翊中将も朝鮮系の方々だったはずです。

自由も平等も博愛も人権も愛国も平和な時代と戦争・戦場では意味合いが変わってきます。

敵に勝つとか負けたくないとか一緒に戦う一体感や愛国心の前ではまさに人類の理想的なイデアはじっくり考えるよりかはその時の感性と感情と判断の方が大切ですし、平時や平和や戦火の未だ及ばぬ後方の机上と前線のリアリズムは別物です。

人間にとって心地よいか、あるいは不快を減らせるかがどうかが結局問題でそういうのは結局主観的な問題でもあります。

主観と言っても完全な自由というかお花畑状態になるのは難しく状況やその時の条件で形が変わります。

そうすると落ち着いて考えられる時と違って自由も平等も博愛も人権も愛国も区別が難しかったり区別する意味がなかったりするときもあります。

 人は時間があると余計なことを考えることもあるし創造的独創的なことをする場合もありますがどっちにしろ頭の中がふわっとなるのでリアリズムから離れられるのでしょう。

 そもそも人間は何かで食っていけないといけないので平和になってくるとリベラルもビジネスになりますし権力側も身内主義やらなんやらで腐敗が進みます。

 ビジネス左翼とかビジネスリベラルも多くみられる感じです。

 日本も人ごとではなく政治もメディアも何でも腐敗度が高い感じです。

 他方で腐敗や失政は政治の本質でもあり腐敗がない体制もまた特殊で適度に腐敗していないとちょっとおかしい社会になるのは実社会で職業生活や日常生活でもある程度年季と経験を重ねた人はある程度分かると思います。

 リベラルは左翼や新左翼から見ても半端ものだし右翼や保守や中道から見ても理論も現実も中核となるものがない感じなのでこれからもいろんな騒ぎが起こると思いますがしばらくは世の中安定しそうもないのでのらりくらりとやっていくのでしょう。

最後にまとめると、

左翼:保守(現状維持)に対して、平等・権利拡張・反特権などの方向へ社会を変えようとする立場。改革から革命まで幅がある。語源はフランス革命期の議会配置。
社会主義:市場任せではなく、国家や社会が生産・分配に関与して、格差を抑え生活を保障しようとする思想。国有・協同組合・福祉国家など形は多様。
マルクス主義:資本主義を「階級関係と搾取」の構造として分析し、資本主義の矛盾が歴史を動かすとみる立場(史的唯物論)。社会主義・共産主義を“科学的”に説明しようとした。
共産主義:階級が消え、生産手段が私有されず、原理的には国家も不要になるとされる最終像(理念)。現実の「共産党国家」は、その理念を掲げる一党体制を指すことが多く、理念と現実は区別が必要。
リベラル:本来は個人の自由・権利・法の支配を重視する自由主義。ただし日本の「リベラル」は、米国の用法に近く“中道左派(人権・多様性・福祉寄り)”の意味で使われやすい。
混線の理由:左翼の中に社会主義・共産主義が含まれる時期が長く、さらに日本語の「リベラル」が“自由主義”より“進歩派”として流通したため、同義語のように扱われやすくなった。

みたいなのが現実的な理解になります。