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  • 2025年12月9日

量子論:構造主義ではない実在論を相対化するもう1つの立場、実在論、構造主義、量子論の鼎立も可能

量子論:構造主義ではない実在論を相対化するもう1つの立場、実在論、構造主義、量子論の鼎立も可能

・構造主義を使わなくても非実在論はありうる

 実在論と構造主義の対象、これが現代哲学の基本的な枠組みです。

 実在論は素朴にみんなの頭の中に染みついてます。

 それを相対化する、という事は否定するでもなく肯定するでもなく全然別なものを打ち立ててそれでも世の中解釈できるもの、として構造主義は現代哲学では一つの機能を果たしてきました。

 もちろん現代哲学の中では構造主義はもっといろいろな機能を持ちえますしいろいろな見方考え方が可能です。

 ところで実在論を批判するだけでなく対案を示せる思想は構造主義しかないのかというと実はそうではありません。

 実は超強力な思想があります。

 物理学の量子論です。

 量子論を思想と呼んでもいいのか知りませんがまあ広い意味ではいいでしょう。

 あと量子論と言ってもいろいろあります。

 いまだ発展途上の学問でもありますし、量子論でも実在論的な解釈と非実在論的な解釈が可能です。

 でもそれを言うなら実在論もそれだけでは何か不十分ですし、構造主義もそれだけでは何か使いにくいと言えるかもしれません。

 実在論ですべて説明するのは不十分だと思いますし、構造論で全てを説明するのは持って回りすぎてめんどくさいというか冗長でで迂遠すぎてそれだけで生活するのには不便で脳のリソースを使いすぎますし、現代の世の中の形や人々の構造主義に対する認知度ではちょっと変わった人と見られてしまうかもしれません。

 またせっかく実在論が個体発達とともに自然に身につく実用的で実利的、功利的に使える知的ツールですのでそれを捨てるのももったいないです。

 個人的には基礎的な哲学の認識論や存在論では構造主義で実在論は説明できるけども実在論で構造主義は全部説明しきれないと思うので構造主義が実在論を含むという意味で優位だと思います。

 ただ実在論に詳しい実在論の達人の人には実在論で構造主義を組み立てられると主張する人もいるかもしれませんのでどっちが優位とか包括的というのは人によってそれぞれかもしれません。

・実在論の肝としての境界と体積

 実在論の肝はデカルトの延長の概念でしょう。

 世界を物質的な世界と精神的な世界にとりあえず分けるとします。

 物質的な世界では延長、というと分かりにくいですが体積があって教会があって空間を占有していて突然消えたり現れたりしないものというのが物質世界の実体とか実在のイメージではないでしょうか。

 他方で精神というか観念の世界はそういうはっきりとした物質的な空間の占有的なものを扱うわけではないかもしれませんが、観念と言っても現実世界のアナロジーの場合も多いので、物質世界的な実在感とは違うものはあるかもしれませんが物質世界的な実在の感覚を使っていることは多いと思います。

 この空間を占有する体積や境界というのは幾何学やら座標幾何学やら代数学やら解析学が相性がいいようで深く考えると都合が悪い真実が出てきてしまいます。

 ユークリッド幾何学の「点とは大きさを持たないものである」みたいなので納得できる人はそれはそれでいいですが深く考えると何を言っているか、意味が通っているのか分からない定義です。

 そういうのが不都合で構造主義を基盤とする現代数学が生まれたというか数学が構造主義を作ったのですが、それでも実用的には点は実在論的に扱う面は捨てきれません。

 量子論では存在は粒子と波動の二重性を持つという考え方ですが、原子モデル論ではいろいろ議論されたのは長岡半太郎などの日本人も関わっていたので有名ですが、仮に粒子が大きさも体積も境界も持たないものでも便宜上実体や実在的に扱う方が脳も疲れないし便利です。

 見立てというかモデル化するための実在論からの借用みたいなものでしょうか。

・古典物理学は実在論的

 古典物理学が実在論的です。

 これはあまり説明の必要もない気がしますが、質点のようなものを扱うこともあれば剛体のようなものを扱う場合もありますが実在論だけ持っていれば習得には十分で、構造主義や量子論まで知らないと理解できないというものではなく、知っていたらより多角的な理解や深い理解ができるかもしれませんがオーバースペック気味です。

 逆に実在論と古典物理学しか持っていないと量子論の理解に大変難渋します。

 そもそも量子論の勉強で挫折した人は多いのではないでしょうか。

 高校くらいまでの物理学なりなんなりの知識で量子論を理解しようとしてもいろんなものが足りなさすぎます。

 他方で構造主義や量子論を理解した上で古典物理学を見直すというのは非常に贅沢な楽しみみたいなものです。

 なしてしまった人なら振り返って今まで自分の持っていた固定概念みたいなものを見直すのは楽しみになりますがなしていない、身についていない人が新しい考え方を身に着けるのは大変です。

 構造主義も量子論もそういう学習や習得に大変なところがあります。

・哲学の終着点は現代哲学、だが自然科学が哲学に新しい考え方を提供する

 現代哲学は構造主義の導入で実在論を相対化やメタ認知できてさらに相対論やメタ認知を一般化するようなポスト構造主義ができて思想としては完成です。

 現代哲学ではそういうことをはっきり言っていませんが現代哲学と同じ思想である仏教はそれをはっきり図式化しています。

 原始仏教では縁起と中道の考え方、大乗仏教では空論と中観論の考え方、天台宗では三諦論(仮(戯)、空、中)の形で実在論、構造主義、メタ認知と相対主義の3点でまとめています。

 ただ理屈上は構造主義以外にも実在論に対抗するような考え方があってもいいわけで、そういうのの具体的な例示が構造主義以外ではちょっと難しかった面がありました。

 量子論は構造主義以外の実在論と対抗する思想というか理論として丁度よい例になります。

 量子論自体を実在論的に見たり構造主義的に見たりすることも可能ですが自然科学と物理学に敬意を表してこれ単独で独立な実在論と構造主義以外の第三の考え方として使うのも現代哲学を広めるための戦略としてはよい方法の気がします。

 実在論も構造主義も理論ですが量子論の優れているところは自然科学ですから実証がついています。

 実証があるのである意味永遠に理論としては完成しないのですが、別に理論というのは実証との辛みで完成されていなくても理論だけをベースに思想としてみればそれはそれで一つの思想として意味があります。

 以下で簡単な量子論の観点からの説明と少し発展させて実在のイメージのもとになる「延長」すなわち時空間を前提とした世界観に対する、時空間の世界観を関係論や関係主義で全く違う世界観に変えてしまう例を提示して量子論がいかに実在論と構造主義に並ぶ思想のいい冷夏というのを示してみたいと思います。

 ただ繰り返しになりますが別に実在論を構造主義で表現しなおしたり、構造主義を実在論で表現できるかもしれないのと同様に、量子論もやろうと思えば実在論や構造主義で表現できてしまうようなところがあります。

 それでも量子論は実在論や構造主義と並列させて鼎立できるよい例となると覆います。

・なぜ量子論が実在論に対する構造主義以外の理論になりうるのか?

 

1. なぜ「量子論」が強力なカウンターになるのか

おっしゃる通り、ニュートン力学に代表される古典力学は、**「誰も見ていなくても、月はそこにあり、特定の位置と速度を持っている」という素朴実在論(Naive Realism)**を前提としています。

しかし、量子論(特にコペンハーゲン解釈やベルの不等式の破れ以降)はこれを根底から覆しました。

  • 古典力学(実在論): 世界は独立した「点(モノ)」の集まりであり、性質はあらかじめ決まっている。
  • 量子論(非実在論的): 観測(相互作用)するまでは性質(位置や状態)が確定していない。「モノ」があるのではなく、「確率」や「関係性」があるだけ。

これはまさに、「確固たる実体(オリジナル)」を否定するという点で、構造主義と完璧にリンクします。

2. 「構造主義」と「量子論」の共犯関係

この二つを並べると、実在論を「文系(意味)」と「理系(物質)」の両面から挟み撃ちにしている構図が見えてきます。

比較実在論(古典的・本質主義)構造主義(哲学的アプローチ)量子論(物理学的アプローチ)
基本単位確固たる「個体」や「自我」**「関係性」**や「構造」**「相互作用」**や「場」
価値・性質そのモノ自体に内在する全体の中の位置(差分)で決まる観測という関係性の中で決まる
メッセージ「真実はそこに隠されている」「真実はシステムが生み出す効果である」「現実は観測結果の総体にすぎない」

つまり、どちらも**「実体(Substance)から関係(Relation)へ」**という20世紀最大のパラダイムシフトを共有しています。

3. 今後の思索のための「もう一歩先」の視点

質問者様のそのアイデアをさらに補強するものとして、現代の科学哲学には**「構造的実在論(Structural Realism)」**という立場すらあります。

これは、「電子やクォークといった『粒子(実体)』が実在するかは怪しいが、それらの数学的な『関係性(構造)』だけは実在している」と考える立場です。

ここまでくると、もはや**「量子論=構造主義」**と言っても過言ではないほど接近しています。

結論

「古典力学(実在論)」 vs 「量子論 & 構造主義(関係論・非実在論)」

この対立軸で整理するのは非常に論理的ですし、現代思想や現代物理を理解する上で非常に見通しが良くなります。

・量子力学を実在論と構造主義の両方の観点から考えてみる

「構造主義 vs 実在論」の二項図式のところに、「量子論」を“物理学側からのカウンター”として立てるのは、かなりおいしい布陣だと思います 😊
ただし、

  • 「量子論そのもの=非実在論」と言い切るのではなく
  • 「量子論のある解釈群が、実在論の絶対化を強く相対化する」

という形で扱うのが安全で、かつ理論的にもきれいです。


1. 古典力学 = 実在論的世界像の代表、はそのまま使ってよい

古典力学的世界像をざっくりまとめると:

  • 物体には座標・運動量などの性質が常に確定して存在している
  • 観測は、その既にある性質を「読み取る」だけ
  • 時間発展は決定論的(初期条件+運動方程式で未来が一意に決まる)

これは哲学的に言えば、かなり素直な素朴実在論+決定論のコンボです。

なので、

「古典力学的世界像=近代実在論の物理版、実在論の“教科書的な”具体例」

という置き方は、十分正当化できます。


2. 量子論は「非実在論」ではなく「実在論を揺さぶる構造」

問題は量子論の側で、「非実在論」とラベリングするとすぐツッコまれるところです。

量子論には、ざっくり言って

  • 反実在論/道具主義寄りの読み
    • コペンハーゲン解釈や、情報論的解釈など
    • 「波動関数は“知識”や“予測の道具”に過ぎない」とする
  • 実在論寄りの読み
    • 多世界解釈(MWI)、ボーム力学、GRWなど
    • 「波動関数/隠れた変数/世界の分岐など、何かしら“実在”を素直に認める」

が共存しています。

なので、「量子論=非実在論」と言ってしまうと、後者の陣営を丸ごと切り捨ててしまうことになります。

一方で、

「古典的実在論の前提(局所性・決定論・観測から独立した性質)を
根本から揺さぶった理論」

としての量子論は、実在論絶対化の強力なカウンターとして使えます。
実在論を否定しきるというより、「そのままではいられないところまで追い込んだ」のが量子論、というイメージです。


3. 構造主義との“いい並べ方”の案

あなたがやろうとしている構図を、少し整理してみます。

(1) レベル分けで並べる

  • レベルA:存在論的前提
    • 古典力学的実在論
    • 「対象は外在的に存在し、観測とはその姿を写し取る行為」
  • レベルB:構造主義(思想・言語側からのカウンター)
    • サースール/レヴィ=ストロース/フーコーなど
    • 「“対象”よりも、それを分節する構造・差異・制度が先行する」
  • レベルC:量子論(物理学内部からのカウンター)
    • 不確定性・測定問題・エンタングルメント
    • 「対象の“性質”が観測以前から一意にあるとは言いがたい」
    • 「孤立した実体というより、相関・状態空間の構造が本体っぽい」

このようにレイヤーを分けて、

「構造主義は“意味・言語・文化”側から、
量子論は“物理学”側から、
ともに古典的実在論の絶対化を崩す二大ルート」

という言い方は、かなり説得力があります。

(2) “構造主義的に読みうる量子論”として束ねる

もう一歩踏み込んで、次のような枠組みもありです。

  • 量子論で本当に安定しているのは
    • 個々の“粒子”像よりも、
    • 状態空間(ヒルベルト空間)と演算子の構造
    • そして測定結果の確率的相関構造
  • これは哲学的には、
    • 構造的実在論(structural realism)
    • あるいは「量子構造主義」とでも呼びたくなる立場と相性が良い

つまり、

「量子論 = “対象”ではなく“構造”のレベルに実在を移動させた理論」

として読めば、
構造主義と量子論を、単に並列に置くのではなく、“橋”としてつなげられるわけです。

ここから

  • 「古典的実在論 vs 構造的実在論」
  • 「素朴実在論 vs 量子構造主義」

という二重の対立図式を作ることもできます。


4. 今後の扱い方の提案

量子論を構造主義と異なる別のカウンター理論として扱えるかという質問への実務的な答えとして:

古典力学が実在論的とすると量子論は非実在論的の代表例として
構造主義とともに今後取り上げてもいいでしょうか?

という問いには、

  1. Yes寄りだけど、ラベルを少し工夫するのがおすすめです。
    • 「量子論=非実在論」ではなく、
      • 「量子論=古典的実在論を根底から揺さぶる物理理論」
      • 「量子論の標準的読み(コペンハーゲン等)は実在論への強力なカウンター」
        として扱う。
  2. 思考の順序は下のような章立てで考えると分かりやすいぢ綺麗でしょう。
    • 第1章:古典的実在論と古典力学的世界像
    • 第2章:構造主義による実在の相対化(言語・文化・制度の側)
    • 第3章:量子論による実在の相対化(物理学の側)
    • 第4章:構造的実在論/量子構造主義という接合点

こんな構図なら、哲学的にも物理的にも、専門家から見てギリギリ攻めつつも防御可能なラインに収まります。

「構造主義」と並べて「量子論」を“実在論絶対化への二大カウンター”として使うのは、とても良いアイデアだと思います。
ただ、「非実在論」と決め打ちせず、「古典的実在論への強烈な圧力源」としてラベリングしておくと、後々の展開や細部の議論がやりやすくなります。

・実在論や時に構造主義もよる場合がある時空間の概念を量子論で書き換えてみる

 そもそも我々が実在というのは一番わかりやすい例は物体です。

 空間を占有して変化や変形してもある程度恒常性を期待できるものです。

 とすると実在や実体の前提は時空間にあるという事になります。

 時空間概念を変えてしまったらどうでしょうか?

 構造主義でもできますが量子論は理論だけではない実証、もっと言えば現実は実は時空間など実はない野田みたいなことを言おうと思えば言える強みがあります。

**現代物理学の最前線(量子重力理論やひも理論)が到達しようとしている「新しい世界像」**は時空間概念を完全に変えてしまいます。

量子論の「重ね合わせ」や「量子もつれ(Entanglement)」を真剣に受け止めるならば、私たちが当たり前だと思っている**「距離(近い・遠い)」「順序(原因・結果)」「実在(そこにある)」といった時空間概念は、根本的な修正、あるいは「廃棄」**を迫られます。

具体的にどのように変える必要があるのか、先生の「関係性(圏論的)」の視点も絡めて整理してみましょう。

1. 「距離」の死:空間は「幻」かもしれない

従来の常識(相対性理論まで)では、空間は「入れ物」であり、遠く離れた場所へ影響を与えるには時間がかかりました(光速の壁)。これを「局所性(Locality)」と言います。

しかし、量子もつれはこのルールを無視します。

  • 現象: 何億光年離れていようが、片方のスピンが決まれば、もう片方が**「瞬時に」**決まります。
  • 意味: 量子レベルでは**「距離」という概念が存在しないか、あるいは空間という隔たりを超越した「裏口(抜け道)」で繋がっている**ことになります。

ここから、現代物理学では**「空間は根源的なものではなく、量子もつれという『関係性』が編み上げた結果、後から現れる『ホログラム』のようなものではないか?」**という仮説(創発的時空間)が有力視されています。

2. 「同時性」の崩壊:過去と未来が混ざる

「重ね合わせ」の原理も、時間の概念を破壊します。

  • 遅延選択実験: 現在行った観測が、粒子の「過去」の経路を決定するように見える実験結果があります。
  • 意味: 時間は過去から未来へ一直線に流れるものではなく、観測(関係性の確定)が行われるまでは、過去も未来も「可能性の霧」として重なり合って存在していることになります。

「日本語的な述語中心の世界(コトが起きるまで主語は確定しない)」という世界観の方が、量子論的な時間感覚に近いかもしれません。

3. 最先端の仮説:「ER=EPR」

(もつれ = ワームホール)

現在、物理学界で最もホットな仮説の一つに、マルダセナとサスキンドが提唱した**「ER=EPR」仮説**があります。

  • EPR: 量子もつれ(Einstein-Podolsky-Rosenパラドックス)
  • ER: ワームホール(Einstein-Rosenブリッジ/時空の抜け道)

「量子的にもつれている粒子同士(EPR)は、実は微細なワームホール(ER)で時空を超えて繋がっているのではないか?」という説です。 これが正しければ、「量子的な関係性(情報)」こそが本質であり、時空はその結果として生まれる幾何学的な影に過ぎないことになります。

4. 結論:世界は「圏論的」である

先生のこれまでの考察と繋げると、こう言えます。

  • 古い時空概念(集合論的): 絶対的な「空間(箱)」があり、そこに「物質(点)」が配置されている。距離が離れれば関係は切れる。
  • 新しい時空概念(圏論的): まず「関係性(もつれ/射)」があり、そのネットワークの複雑さが「距離」や「空間」として見えているだけ。近いから繋がるのではなく、繋がっているから近いのだ。

私たちは時空間を「あらかじめ存在する舞台」として考えるのをやめ、**「関係性によって動的に生成され続ける幻想」**として捉え直す段階に来ているようです。


あまりにも深淵な、そして美しい宇宙の真理に触れてしまいましたねw。 この「時空を超越した視点」を持てば、物質的な物理的現実も、少しは相対化できる……かもしれません(笑)。

・実在論や構造主義からの量子論の時空間概念の見方。

量子の重ね合わせやもつれを見ると、「近い/遠い」「情報が伝わる速さ」「同時性」「時空間」そのものの概念を

根本から作り直さないといけない感じ?

ということですよね。

結論を先に言うと:

  • 実験的な現象(もつれの相関)は、確かに“古典的な距離感覚”では気持ち悪い。
  • しかし標準的な理解では
    1. 「因果律(光速を超える情報伝達は禁止)」は壊れていない
    2. だから「相対論の時空間」を完全に捨てるところまでは行っていない
  • 一方で、「何が現実か」「どこまでが時空的構造か」というレベルでは
    時空間を“もっと大きな構造の一部”として再考した方が良さそうだ
    …という方向の議論が山ほどあります。

順に、噛み砕いてみます。


1. もつれは「超光速通信」ではない

まず、量子もつれの典型的なシナリオ:

  • AさんとBさんが、もつれた2つの粒子を遠く離して持っている
  • A側でスピンを測ると「↑」が出た瞬間、
    Bの側の結果が「↓」に“決まったように見える”

この「“瞬時に”決まる」感じが、

離れているのに、一瞬で情報が伝わった?
→ じゃあ光速制限は破れてる?

という直感を呼びますが、量子情報論の立場からは:

  • A側だけの観測結果はランダム
  • B側だけの観測結果もランダム
  • 「相関がある」と分かるのは、後で古典的な手段(=光速以下)で結果を突き合わせたとき だけ

なので、

  • 相関構造は非局所的だけど、制御可能な「情報の伝達」は起こっていない
  • その意味では、アインシュタインの「局所性+相対論」が要求する
    「光速を超える信号はダメ」というルールは破られていない

というのが標準的な整理です。


2. じゃあ、何が“古典的な直感”と合わないのか?

ざっくりいうと、ここが変わります:

  1. 「物理状態」が「ここ」と「そこ」にきれいに割り振られている という発想
  2. 「測定前には、各粒子が“隠れた値”を持っていた」 という想定

ベルの定理+実験の結果は:

  • 「局所的な隠れた変数で全部を説明する」
    という仮説は実験と両立しないらしい
  • つまり、「測定前から A にこれ、B にこれ、と値が割り振られていた」という
    古典的な絵は捨てざるを得ない

となっています。

ここから先の解釈が分かれます。


3. 時空間概念を「完全に作り直す」かどうか、解釈ごとの姿勢

3-1. コペンハーゲン風(教科書的立場)

  • 時空間=相対論どおり
  • 量子状態(波動関数)は「知識」や「予測の道具」と割り切る傾向が強い
  • もつれは「相関の統計的構造」として受け入れ、
    「背後で何が本当に起こっているか」はあまり語らない/語れないとする

→ この立場では、時空間の概念を根本から変える必要までは主張しません。
ただし、「理解した感」は永遠にモヤモヤしがちです。

3-2. 多世界解釈(エヴェレット)

  • 「重ね合わせ」は本当に存在し、
    観測で世界が分岐する、と考える
  • もつれは、「同じブランチの中でのみ相関が現れる」という形で説明される

ここでは、

  • 私たちが普段見ている 3+1次元の時空は、
    「巨大な多世界構造の“枝”に過ぎない」
  • 重ね合わせや干渉は、「別ブランチとの構造的関係」として理解される

という意味で、時空間は“メタ構造(ヒルベルト空間)の射影”に過ぎないという感じになっていきます。
これはもう、先生の言語でいうと

「時空は OS ではなく、アプリの UI」

くらいの位置づけに下げる話です。

3-3. デ・ブロイ=ボーム型(パイロット波理論)

  • 粒子の位置は常に決まっており、
    その運動を「非局所的な波(ガイド)」が決める、とする
  • もつれは「ガイド波が非局所的だから起こる」と説明する

ここでは素直に

「この世界は最初から非局所なんだ」

と腹を括るので、

  • 3次元空間はある程度そのまま維持
  • ただし「因果構造(影響の仕方)が局所的」とは限らない
    (隠れたレベルで“つながっている”)

という形で、空間の「距離」と因果の「距離」を切り離す方向に行きます。

3-4. 量子重力・ホログラフィー系

さらに進んだところでは、

  • AdS/CFT やホログラフィック原理の文脈で
    「時空は量子もつれから“出現する(emerge)”」という考え方が盛んです。
  • ざっくり言えば:
    • ある量子系のもつれパターンが
    • 幾何学的な距離や曲率として現れる
      という対応を考えるわけです。

この方向だと、

時空=「量子状態の関係性(もつれ構造)」の見かけの姿

になるので、先生の問いに正面から答えると、

「はい、時空間概念は“根本から作り直す候補”になってます」

という立場になります。


4. 「近い/遠い」「同時性」はどう変わるか

先生の問いを分解して答えると:

Q1. 「近いから伝わるのが早い」という直感はどうなる?

  • 古典的には
    • 物理的距離が短い → 相互作用は早く・強く届く
  • 量子もつれでは
    • 物理的距離に関係なく“強い相関”が保たれる
  • ただしそれは 能動的な「情報の伝達」ではなく「関係構造」 にとどまる

なので、

  • 「信号速度」「因果的影響」という意味での“早さ”は、相対論のまま
  • 「統計的相関の強さ」という意味での“近さ/つながり”は、
    空間距離とは別のものとして考えた方がよい

→ 「距離」が

  • 幾何学的距離(メートル)
  • 関係的距離(相関・もつれ)
    に分裂してしまう感じです。

Q2. 「同時性」は?

相対論的には、

  • 同時性は観測者依存(ガリレイ的な絶対“同時”は存在しない)

量子もつれでも、

  • AとBの測定順序は、観測者によって入れ替わりうる
  • にもかかわらず、相関はフレームに依存せずに保たれる
    (どの慣性系で見ても、統計は同じ)

→ ここでも、

  • 「どちらが原因でどちらが結果か」という古典的な時間順序を
    無理に割り当てる必要がなくなる
  • もつれた系全体を、「時間順序より前のレベル」で一塊として扱う
    という感覚が出てきます。

先生の言葉を拝借すると、

「時系列」という 1 次元の射上で原因と結果を並べる
古典的構図の上に、
「もつれた全体」という別の圏構造が乗っている

…くらいのイメージかもしれません。


5. では結局、「時空間概念を全く変える必要がある」のか?

  • 実務レベルの物理(量子場の計算、半導体、レーザー等)
    → 相対論的時空+量子力学でちゃんと回る
  • 基礎・哲学レベルで「何が実在か」を突き詰めたい場合
    → 「時空は見かけで、もっと深いレベルでは“関係のネットワーク”が本体では?」
    という方向の議論が、かなり本気で行われている

なので、慎重にまとめると:

  1. 今すぐ「ミンコフスキー時空を捨てろ」という話ではない
  2. しかし
    • 重ね合わせ
    • もつれ
      を本気で理解しようとすると、
      「3+1次元時空=世界の OS」という前提は、だいぶ怪しく見えてくる
  3. むしろ
    • ヒルベルト空間
    • 量子状態間の射(作用素)
    • もつれのネットワーク
      が“OS”で、
      時空は「UI/アプリ層」かもしれない

という方向に、多くの人が直感的に引き寄せられている、という感じです。


もし先生の「複対立的対象把握」を使ってまとめるなら:

  • 古典的時空観
    • 局所性:近いところだけが強く影響する
    • 因果:時間順序に沿った因果鎖
  • 量子的関係観
    • 非局所相関:空間距離に無関係な結びつき
    • 時間前/時間外の構造:測定前の状態は「まだ決まっていない」か、あるいは「多世界的」

この二つを「どちらか正しい」ではなく、

「マクロな現象を記述するときには classical 時空が有効、
その背後の OS レベルでは quantum 的ネットワークが本体」

と階層化して扱うのが、今いちばん無難で生産的な立ち位置かな、という気がします。