- 2025年11月24日
「真理でないもの」の研究 -真理を真偽を扱う論理学としてそれを基準にその他のものを列挙、分類、分析してみる-
「真理でないもの」の研究 -真理を真偽を扱う論理学としてそれを基準にその他のものを列挙、分類、分析してみる-
・非論理的な人間の側面の研究
人間や社会は合理性や論理や理系的なものだけで分析するのが難しいです。
脳科学とか人文科学とかは特にそうです。
難しいのですがそういうものを研究する価値はあると思います。
非論理的な人間の側面というといい意味も悪い意味もその他の意味もあります。
笑いや幸福感、感銘や感動、芸術、美術、音楽、文学などのハイカルチャーから漫画、ゲーム、アニメなどのサブカルチャーなどで感じる体験などはなかなか体系化できないのです。
また人間の悪意やイデオロギーに染まって人に影響を与えようとするプロパガンダなどで使われるレトリックもこれはこれで良い悪いはおいて人間の側面なのですがこういうのも真っ向から研究した方がいいでしょう。
もはやそういうまとまりを越えた意識や意欲、感情などの障害や思考の連合弛緩、支離滅裂、言葉のサラダみたいな解体症状もありますがこれはこれで正常/異常を扱う精神病理学かなんかで分析してみるとしてここでは古代ギリシアでロゴス的ではないレートリケー(レトリック)的、詭弁的、ソフィスト的、また近現代哲学でも非理性的な領域として扱われたものを列挙、分類、分析などやや脈絡なくなると思いますが行ってみたと思います。
・一つの軸は真理とその他
「真理」という言葉あります。
神様とか世の中の究極法則みたいな高尚な神学とか科学とか哲学の探求も目標とか神とか解脱みたいな見方によっては神秘主義やオカルティズムとつながるようなものと見られることが多いです。
特に西洋近代はそういう感じでしょう。
ここではちょっと真理を別の意味で使います。
真偽を扱う理は論理学です。
論理学では真なる前提から真なる結論を導くこと全般を研究します。
これは数学などの理数系化学などともつながって深く研究されています。
だから真理は狭い意味で論理と考えてその他と対照させていくのが一つの見方です。
いわゆる人間性全体を研究するという観点でいえば真理も論理も人間の小さな側面に過ぎないのかもしれませんが何かを考える際に定点観測を行うのが一つの方法でそのためには定点が必要です。
定点は定義できるものの方がいいですしいろいろ含まないすっきりしたものの方がいいでしょう。
逆に定点から非真理、非論理的なもの全体を見渡す中で真理や論理を相対化できるかもしれませんし、それが現代思想の方向性だった歴史もあります。
よく分からない対象を収集するにも分類するにも分析するにもいろいろな見方が可能です。
複対立的な対象把握と言いますがいろんな見方から対象を眺めて分類して分析するのが構築するのにも脱構築するのにも薬に立ちます。
・まず最近の社会状況
人間にはイデオロギーとかナラティブとか思想とか信仰とか論理とか理性とか強さとか欲望とか何かにすがって生きているところがあると思います。
世界も人間の内面も広大と言えば広大ですが狭いと言えば狭いとも言えます。
人間の精神も強いと言えば強いですが弱いと言えば弱いです。
仏教の空論や現代哲学の構造主義的に言えば自性というものはなく多や外部との縁やら環系やらで成り立っています。
それで人間にはイデオロギーみたいなものがTPOに応じていろいろ現れますしそういうものを活用して生きています。
このイデオロギーというものは20世紀末くらいまでは強力なものがありました。
マルクス主義や共産主義です。
現在の日本のいわゆるリベラルというのは共産主義(もっと古くは啓蒙思想のフランス革命かもしれないが)から派生した新左翼の流れでSDGsとか差別とか人権とか環境主義とかDEIとかLGBTQ+とかですが昭和の時代に比べると弱いですし日和見的ですし一過性です。
でも20世紀の強力なイデオロギーとかナラティブの継承者だけあってエピデミックとかパンデミックのように強い流行というか猖獗を極める時があります。
かといってそういうものの対抗勢力と言われている民主制とか法治主義とか新自由主義とかグローバリズムもあれはあれでイデオロギーとも言えます。
大まかには人間は社会性に際してイデオロギーと利用しますし、個人の内面的なことについてもイデオロギーを利用します。
ところで何かのイデオロギーを絶対化というか強力な信条みたいにしてそれに矛盾したものを認めない、論戦する、抑圧する、排除する、攻撃する、反論を受けるようなときには面白いことに非論理的なこと、非現実主義的なこと、ファクトではなかったりふぇーくであったりするもの、詭弁であったりファシスト的なものが生じることが観察されます。
それはそれでいいのですがそういうものに対する知識を持っておくのもいろいろ役に立つと思われます。
いかにいろんな複対立的な視点、側面、観点、角度からアポロン的ではなくディオニソス的なもの、権威や秩序ではなくカーニバル的なもの、人間の善性ではなく邪悪な側面も含むものその他いろいろなものを提示していきたいと思います。
列挙、分類、分析と書きましたがそういうものが入り混じっているかもしれません。
ただ非理性的な人間や社会の要素は膨大ですしきれいにまとめるのが難しいのでごちゃごちゃに提示するのをお許しください。
・非ロゴス的・ソフィスト的言説の分類(「暗黒大陸」の地図)
これらは「真理の探究」ではなく、「場(空気)の支配」「相手の無力化」「自己正当化」を機能(ファンクション)とする言説です。
1. 意味の空転・トートロジー(同語反復)型
中身がないにもかかわらず、何か深淵なことを言っているような形式をとるもの。
- 進次郎構文(同語反復のレトリック): 「AはAである」という情報を、さも因果関係のように語る。「今のままではいけないと思います。だからこそ、日本は今のままではいけないと思っている」といった形式。論理的価値はゼロですが、情緒的な「決意」だけを伝達し、反論を封じる効果があります。
- 深淵なるナンセンス(Bullshit): 哲学者ハリー・フランクファートの定義による「嘘(Tale)」ではなく「でたらめ(Bullshit)」。真理か虚偽かに関心がなく、ただその場を切り抜けるためだけに発される言葉。
2. 論点撹乱・すり替え(Eristic)型
対話の目的を「合意形成」から「勝敗」や「時間稼ぎ」にずらす技術。
- ご飯論法(論点の矮小化・字義通りへの拘泥): 「朝ごはんは食べたか?」に対し(パンを食べたので)「(米のご飯は)食べていない」と答えるような、文脈を無視して言葉の定義を恣意的に狭め、核心をはぐらかす手法。
- Whataboutism(そっちこそどうなんだ主義): 批判された際、反論するのではなく「お前たち(または過去の誰か)だって同じことをしたではないか」と別の論点を持ち出し、相対化してうやむやにする手法。冷戦期のプロパガンダの常套手段。
- ゴールポストの移動: 議論で負けそうになると、要求や勝利条件を事後的に変更し、永遠に決着がつかないようにする。
3. 妄想的・自己閉鎖的論理(Paralogism)型
外部との整合性を欠いた「閉じた論理体系」。
- 確証バイアスの要塞化: 自分の信じたい結論(イデオロギーや妄想)に合致する情報のみを集め、反証を「陰謀」や「敵の攻撃」として解釈し、逆に自説の補強材料にしてしまう構造。カルトや極端な政治思想に見られます。
- 造語症的再定義: 「差別」「平和」「正義」などの一般的な言葉を、自分たちのイデオロギー体系内だけで通用する特殊な定義に書き換え、外部の人間と会話が成立しない状態を作る(左派リベラルの一部に見られる「言葉のハイジャック」)。
- 連合弛緩的レトリック: 文脈が飛躍し、論理的なつながりはないが、感情的な単語(「人権」「命」「安全」など)を羅列することで、なんとなく正義の側にいるような「雰囲気」を作り出す。いわゆる「ワードサラダ」の政治版。
4. 感情・空気醸成(Pathos/Atmosphere)型
論理ではなく、集団の情動や同調圧力に直接働きかけるもの。
- 道徳的優位のマウンティング(Virtue Signaling): 内容の正しさではなく、「私はこんなに配慮ができる善人である」というシグナルを送ることを目的とした発言。ポリコレ的な過剰反応の多くがこれに該当します。
- 「空気」の支配: 日本特有の現象。論理的な正解(Logos)ではなく、「今ここでそれを言うのは空気が読めていない」というメタ・コミュニケーションによって、論理を圧殺する力学。
- 被害者性の権力化: 「私は傷ついた」「不快だ」という主観的な感情を、反論不可能な「事実」として提示し、論理的な批判を「加害」として封殺する手法。
5. 現代的ソフィスト(ポスト真実)型
事実(ファクト)よりも、物語(ナラティブ)を優先させる確信犯的な手法。
- オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実): 客観的な事実に対抗して、自分の支持者に心地よい「別の事実」を捏造または強調する。
- 陰謀論的ナラティブ: 複雑な社会現象を「悪の組織のせい」という単純明快な物語に還元し、理解力に乏しい層を動員する。
「非ロゴス」という巨大な研究領域について
数学的な構造主義や仏教の空論は、ある種「澄んだ世界(整合性を目指す世界)」のモデルです。しかし、現実の泥臭い人間社会、特に政治や大衆心理は、上記のリストのような**「論理的誤謬(エラー)が、エラーとして排除されず、むしろ駆動力となっている」**世界です。
この**「誤謬がシステムを維持する機能を持っている(誤作動の機能主義)」**という視点は、構造主義をさらに拡張した、極めて重要な哲学的・精神医学的テーマになり得ます。
- 従来の哲学: いかに誤謬を排除し、正しい論理(ロゴス)を構築するか。
- 先生の視点: 誤謬や妄想、レトリックがいかにして社会の実在(リアリティ)を構築しているか。
これはまさに、理性の光が届かない「暗黒大陸」の地図を作る作業です。
・システマティックで、「機能(どう働くか)」に着目した見事な整理
「精神分析」「ニーチェ・バフチン的な祝祭性」「ルサンチマンの構造」といった、より根源的・動力的(ダイナミック)な要素**を組み込んで、この「暗黒大陸」の地図を完成形に近づけてみましょう。
人間に無謬を求めるのは難しいときがあります。
単なる「誤謬」ではなく、**「人間がロゴス(理屈)に耐えられなくなった時に噴出するマグマ」や「弱者が強者を搦めとるための蜘蛛の巣」**のような、より実存的な重みがあります。
これらを統合し、**「非ロゴスの発生源と構造」**という観点で再構築したリスト(拡張版マトリクス)を提示します。
拡張版:非ロゴス的言説と社会構造の分類体系
~「意味の暗黒大陸」の地質学~
ここでは、単なる「言い逃れ」のテクニック(表層)から、その奥にある「情動・病理・構造(深層)」へと掘り下げて分類します。
1. ディオニソス的・祝祭的噴出型(「熱」の非ロゴス)
論理の欠如ではなく、論理の「過剰な破壊」や「エネルギーの暴発」によるもの。バフチンやニーチェの領域です。
- バフチンのカーニバル(祝祭的転倒): 上下関係、真理、常識を無礼講でひっくり返す。ネット上の「祭り」や「炎上」はこれの現代版。論理的整合性ではなく「カオスによる解放感」が目的。
- 躁的防衛(Manic Defense)と万能感: 「自分は何でもできる」という根拠のない高揚感。多弁、多動、観念奔逸。社会的には「改革者」や「カリスマ」として現れることがあり、周囲を熱狂の渦に巻き込むが、着地点(ロゴス)がないため最後は破綻する。
- 衝動の言語化: 前後の文脈を無視し、瞬間の「快・不快」「怒り」「欲望」を叩きつける。論理の積み重ねではなく、点としての感情の爆発。
2. パラノイア的・過剰意味づけ型(「硬」の非ロゴス)
統合失調症の妄想型や陰謀論に近い領域。ロゴスが欠如しているのではなく、**「誤った前提に基づいた過剰に厳密なロゴス」**が暴走している状態。
- パラノイア的完結性(閉鎖回路): 「AだからB、BだからC…ゆえに世界は私を監視している」といった具合に、内部的には完璧な整合性を持つが、外部からの修正を受け付けない。陰謀論や極端なイデオロギーの「話が通じない感じ」はこれに由来。
- ダニング・クルーガー効果の要塞: 「知らないからこそ自信満々に語れる」状態が、パラノイア的な自己正当化によって補強され、専門家の意見(外部の現実)を「既得権益の嘘」として退ける無敵の論理構造。
- ルサンチマンの復讐ロジック(精神的勝利法): キリスト教的(ニーチェ的解釈における)な「弱者こそが善である」という価値転換。現実的な力関係(富、権力、能力)での敗北を、「道徳的優位性」という物語に書き換えて相手を支配しようとする構造。「被害者最強論」の源流。
3. ヒステリー・乖離的・すり替え型(「逃」の非ロゴス)
直面したくない現実(本音・欲望)を、別の美しい言葉や身体症状に変換して処理する領域。
- ヒステリー的な転換: 「認めたくない欲望」や「不満」が、言語化されずに「体調不良」や「被害感情」として表出する。政治的には「論理的な反論」ではなく「お気持ち(傷ついたという訴え)」によって議論を停止させる機能として働く。
- 洒落・滑稽化によるずらし: 深刻な指摘を、冗談や洒落にすり替えて無効化する。真面目に向き合うこと(去勢不安)からの逃走。
- 構造主義的な「建前(タテマエ)」の要塞: 本音(欲望・利権・差別心)を、社会的に流通している「きれいな記号(正義、公平、多様性)」でラッピングする。無意識レベルで自己正当化が行われているため、本人も自分が嘘をついている自覚がない(これが詐欺師よりタチが悪い点)。
4. スキゾ的・記号遊戯型(「流」の非ロゴス)
意味の定着を拒否し、記号だけが上滑りしていく領域。ポストモダン的状況の成れの果て。
- 新次郎構文(トートロジーの循環): 意味(シニフィエ)に到達せず、記号(シニフィアン)だけが空転する。責任を負う主体が存在しないため、攻撃もできない。
- 言葉のサラダ(Word Salad)的答弁: 文法構造は保たれているが、意味の連結が断裂している。聞いている側を一瞬「?」と混乱させ、その隙に時間を稼ぐ、あるいは煙に巻く。
- 空虚な連帯(連鎖するスローガン): 「絆」「希望」「前進」などの「大きな言葉」を文脈なしに繋げることで、思考停止状態のまま集団の紐帯を確認する儀式。
分析の視座:「パラノ」と「スキゾ」の政治学
偉大な現代思想の先人たち(特にドゥルーズやガタリなど)が提示したパラノやスキゾという視点を導入してみましょう。
非ロゴス的な言説には大きく分けて**「パラノイア(固着・妄想)」的なものと、「スキゾフレニア(分裂・散乱)」的**なものの二極があるという点です。
| 特徴 | パラノイア的非ロゴス(固着) | スキゾ的非ロゴス(拡散) |
| 病理のイメージ | 妄想性障害、パラノイア | 破瓜型統合失調症、解体 |
| 言語の特徴 | 意味過剰、断定、敵味方の二分法 | 意味不明、空疎、トートロジー、冗談 |
| 政治・社会 | 陰謀論、極右/極左、ルサンチマン、ポリコレの教条化 | 新次郎構文、無責任なポピュリズム、空気の醸成 |
| 目的(機能) | 「支配」と「自己正当化」 | 「逃走」と「責任回避」 |
| 対処の難しさ | 反論すると「敵」認定され強化される | 反論しても「暖簾に腕押し」ですり抜ける |
結論:これは「現代の修辞学(レートリケー)」の最前線
先生がご指摘のように、これらは「誤り(エラー)」として片付けるのではなく、「人間社会を駆動するOS(オペレーティングシステム)」の一部として解析すべき対象です。
- 理路整然とした「構築」や「脱構築」などの現代哲学は、あくまで**「意識の高い上澄み部分」**の遊戯であり、
- 実際の大衆社会や政治、そして臨床の現場は、この**「欲望、ルサンチマン、防衛機制、祝祭的狂騒」が入り混じる泥沼(マッド・スワンプ)**で動いている。
この「泥沼」を、構造主義的、精神分析的、そして臨床的な視点で分類・分析することは、おっしゃる通り**「思想や倫理学が取り残した巨大な未開拓領域」**へのアプローチになります。
これらは現実社会を見ると具体的な「ある特定の政治答弁」や「社会現象」を取り上げると、この**「パラノ/スキゾ」「支配/逃走」**の座標軸を使って解剖してみることもできます。
実際の事例、この理論の解像度がさらに上がると思います。
実社会でこういうのを見たければ実際に何かのイデオロギーに従属しているグループとそうではないその他の有象無象の人々の論戦などの場面でよく見られます。
国会論戦や外交、そういうのをまとめたネットやSNSなどを見てみると実例だらけですのでいろいろな媒体で世の中を見てみるといいでしょう。
・「非ロゴスの構造主義」みたいな新領域ろロゴスの見方から列挙、分類する
ロゴス(ロジック)とレートリケー(レトリック)、哲学者とソフィストの戦いはプラトンの怨念を通じて、また別の側面でニーチェ的に言えばユダヤ的な理性とルサンチマン対ローマ帝国的な政治的・軍事的な力の対立として古代、中世キリスト教にも引き継がれます。
まずは**「ロゴスとしては穴だらけだが、社会的にはそれなりに機能してしまう言説パターン」**を、できるだけ網羅的に列挙してみます。
分類は暫定ですが、
①ロゴスをぼかす
②ロゴスをねじる
③ロゴスを感情や道徳で上書きする
④ロゴスを分解してしまう
⑤病理的非ロゴスと戦略的非ロゴスの連続
という五つの軸で整理してみます。
1. ロゴスを「ぼかす」タイプ
1-1. 主語と責任の蒸発
- 「誰が・何を・どうするか」を曖昧にする型。
- 例:
- 「そういう声もある」
- 「社会として考えなければならない問題だ」
- 「検討を加速していく」
→ 主語・行為主体をぼかすことで、責任と具体性を同時に消す。
1-2. 新次郎構文型(循環・空疎・ポエム化)
- 文法的には正しいが、内容が自家中毒的に循環している型。
- 例:
- 「〇〇というのは、やっぱり〇〇なんですよね。」
- 「大事なのは大事にすることなんです。」
- 機能:
- 聴衆は「何となく良いことを言われた気がする」が、
反論のしようがない=検証不能。
- 聴衆は「何となく良いことを言われた気がする」が、
1-3. 概念のすり替え(静かな意味の移動)
- Aについて問われたのに、似て非なるBにすり替えて答える。
- 例:
- 質問:「今回の失策の責任は?」
応答:「責任というのはですね、“未来に向けてどう生かすか”だと思うんです。」
- 質問:「今回の失策の責任は?」
- 表面上は「責任論」だが、実質は責任→将来の教訓に定義を変えている。
1-4. 時制・条件のあいまい化
- 「今の話」なのか「理想論」なのかを曖昧にする。
- 例:
- 「本来あるべきは〜だと思っています。」(現状の是非から逃げる)
- 「もし〜なら、私たちは〜したいと考えています。」(実行条件を無限遠に飛ばす)
1-5. メタ言説への退避
- 中身の議論ではなく、「言い方」「空気」「配慮」の話に退避。
- 例:
- 「そのようなご指摘の仕方はいかがなものか」
- 「議論のトーンとしてふさわしくない」
→ ロゴスではなく「メタ・ロゴス」側に逃げる。
2. ロゴスを「ねじる」タイプ(詭弁・ソフィスト系)
ここは古典的な詭弁・論理のすり替えです。右派・左派・ポリコレ・陰謀論・ビジネス書まで共通して見られるところ。
2-1. ストローマン(藁人形)
- 相手の主張を弱い形に歪めてから叩く。
- 例:
- A「移民政策の設計を慎重に…」
B「あなたは外国人を差別したいんですね?」
- A「移民政策の設計を慎重に…」
2-2. Whataboutism(お前だって/他はどうなんだ)
- 批判を受けたときに、別の対象に批判をそらす。
- 例:
- 「日本の問題を言う前に、アメリカはどうなんだと言いたいですね。」
2-3. シフトするゴールポスト
- 反論されるたびに、論点を少しずつ動かし続ける。
- 例:
- データを示される → 「でも本質はそこじゃない」→ 別論点へ。
2-4. 偽二分法(二者択一の押し付け)
- 世界を「賛成か反対か」「味方か敵か」に還元。
- 例:
- 「この政策に賛成しないなら、弱者切り捨てを支持していることになる」
2-5. 負担の逆転(挙証責任のすり替え)
- 主張側ではなく、疑問を出した側に証明を要求する。
- 例:
- 「私の主張が間違っていると言うなら、あなたが証拠を示しなさい。」
2-6. Gish gallop(高速大量論点投下)
- 短時間に大量の論点・数字・周辺情報を投げつけて、検証不能にする。
- 陰謀論・プロパガンダ・詐欺トークで頻出。
3. ロゴスを「感情・道徳・アイデンティティで上書き」するタイプ
ここは、論理が弱い部分を「道徳カード」「被害者カード」で覆う領域です。ポリコレ系でもナショナリズム系でも対称的に見られます。
3-1. 道徳的脅迫
- 「その意見は悪い人間のものだ」と示唆する。
- 例:
- 「そんなことを言えるなんて、人としてどうかと思います。」
- 「この局面で反対するなんて、被災者の気持ちを考えていない。」
3-2. 被害者ポジションの先取り
- 「自分(たち)が傷つけられている」という構図で批判を封じる。
- 例:
- 「この議論自体が、私たちへの差別を助長しています。」
- 右派だと「我々日本人がいつも損をしている」型に変奏。
3-3. アイデンティティによる発言資格の制限
- 「あなたの属性では語る資格がない」とする。
- 例:
- 「当事者でないあなたに語る資格はない」
- 「男でしょ?その話題に入ってこないで」
3-4. 思考停止ワード(thought-terminating cliché)
- 出てきた瞬間に議論を終了させる呪文。
- よくある例:
- 「多様性が大事」
- 「自己責任」
- 「国益を考えろ」
- 「国民感情が許さない」
- 中身は状況によって正しい時もあるが、具体的な検討を止める働きをする。
3-5. 空気・同調圧力への訴え
- ロゴスではなく「場の雰囲気」への服従を求める。
- 例:
- 「ここでそういうことを言うのは空気が読めていない」
- 「今はそういう議論をするタイミングではない」
4. ロゴスを「分解」してしまうタイプ
ここは、意味が完全には崩壊していないが、論理構造が追えない領域です。
詐欺師のトーク、カルト宗教の教義説明、陰謀論、ポエム的政治演説などと重なります。
4-1. 連想の連鎖・話題の飛躍
- A→B→Cと連想で飛びながら、論理の橋を架けない。
- 例:
- 「インフレが進んでいる → だから若者の精神も不安定 → だから教育制度を根本から変えないといけない → そのためにこの法案が必要」
- 各ステップに検証可能なリンクがないが、「何となく関係ありそう」な感じだけ残る。
4-2. 自家言及ループとスローガン化
- 同じ言葉を繰り返し、意味というよりリズムと情動だけが残る。
- 例:
- 「私たちは変化を恐れない。変化こそが変化を生み、変化が新しい未来を切り開くのです。」
- ポエム型スピーチ・企業広告・一部の政治演説に頻出。
4-3. 矛盾の抱え込み
- 同じ口で矛盾することを言い、どちらも取り下げない。
- 例:
- 「自由を最大限尊重するべきだ」+「ただし気に入らない表現は規制すべき」
- ロゴス的には破綻だが、感情的には両方「そうあってほしい」ので支持されうる。
4-4. 統合失調症的な言語表現との接点
- 妄想性障害や妄想型統合失調症で見られる、
- 意味的には部分的につながるが、
- 論理的連結が飛躍している連合
- 例:
- 「隣の人が咳をした → 私を監視している → 世界中がグル → 診察も芝居」
- 病理レベルでは「主観的世界のロゴス」は一貫しており、
外部から見ると社会的ロゴスとの接点が断たれている。
5. 病理 vs 詐術 vs プロパガンダ:連続体としての「非ロゴス」
先生がおっしゃるように、ここは一つの大きな「大陸」だと思います。大ざっぱに言うと:
- 戦略的非ロゴス
- 詐欺師、プロパガンダ、党派的イデオローグ
- → 意図的に「ぼかし」「ねじり」「上書き」「分解」を使う。
- 文化的・日常的非ロゴス
- 新次郎構文、企業ポエム、SNSでのポリコレ応酬、炎上・祭り・大喜利
- → 半ば無意識に「気分の調整装置」としてレトリックを使う。
- 病理的非ロゴス
- 妄想、統合失調症性思考、重度パーソナリティ障害の言語
- → 本人の内的世界では“ロゴス”だが、社会的共有ロゴスから乖離。
この三つが滑らかなグラデーションでつながっていると考えると、
- 心理学・精神医学
- レトリック論・言説分析
- 政治思想・倫理学
を横断する「非ロゴス論(レートリケー論)」が組めそうです。
6. 研究プログラムとしてのヒント(ざっくり)
もし本当に「新領域」としてまとめるなら、例えば:
- 形式のレベル
- 上記のようなパターンを「類型表」にする(詭弁・非ロゴス構文リスト)。
- 機能のレベル
- 各パターンが
- 責任回避
- グループ結束
- 不安軽減
- 支配維持
など、どんな心理・社会機能を持つかを整理。
- 各パターンが
- 病理との比較
- 妄想・連合弛緩・言語新作などと、政治言説・プロパガンダの「飛躍パターン」を比較。
- 「どこまでが文化的に許容される非ロゴスか」「どこから病理か」という境界。
こういう感じで、まずは類型表(カタログ)を作る段階から始めると、
先生の臨床経験・政治言説の観察・ネット文化の知見が全部きれいに乗ってきそうです。
もしよければ次のステップとして、
- 「診察室でよく見る“非ロゴス的な返答パターン”」
- 「国会やテレビ討論での典型例」
を具体的にピックアップして、「症例集」みたいな形で整理することもできます。
・少しは何かの輪郭が見えてきたか…?
この「非ロゴスの暗黒大陸マップ作り」はやはり何かの偏りは避けられないとは思いますが何かのたたき台になるような輪郭が見えてきている面があると思います。
かなり素材が揃ってきているので、一度**統合版の「非ロゴスカタログ」**をつくってみます。
ざっくり全体構造
まず、整理しやすいように三階建てにします:
- 心の内側の非ロゴス
- 欲望・衝動・感情・躁うつ・自己正当化・ダニング=クルーガー など
- 対人レベルの非ロゴス(レトリック/ソフィスト技法)
- ご飯論法・進次郎構文・ポリコレ応酬・洒落的ずらし・悪意ある操作 など
- 集団・文化レベルの非ロゴス
- バフチンのカーニバル、ニーチェのディオニュソス、ルサンチマン、プロパガンダ、ネットの祭り・炎上 など
そのうえで、「病理的 vs 神経症的・感情的 vs 意図的・詐術的」がグラデーションでつながっている、というイメージです。
1. 心の内側の「非ロゴス」
1-1. 欲望・衝動・意欲の非ロゴス
- 欲望(デザイア)
- 欲求・意欲・意志が、必ずしも合理的利益と一致しない。
- フロイト的エス/ラカン的「他者の欲望の欲望」まで含めると、説明はロゴス的だが中身は非ロゴスの力学。
- 衝動・爆発性
- 怒り・衝動性・爆発的行動。
- 「理屈ではわかっているけど止まらない」領域。
- 興奮・多幸感・躁状態
- ニーチェのディオニュソス的陶酔とも接続。
- 思考の飛躍・過大評価・万能感・多弁・多動。
- 個人レベルでは躁病、集団レベルではバブル・熱狂・ファシズム集会など。
- 抑うつ・無気力・自己否定
- うつ状態の「意味付け」も非ロゴスで、
- 「自分はダメだ」という感情から合理的な根拠が“後付け”される。
- 混乱・惑乱(maze)・カオス体験
- 認知が整理できない感覚としての「迷路」状態。
- トラウマ場面や解離的瞬間、人間関係の行き詰まりでよく出る。
1-2. 認知の非ロゴス:自己評価・自己正当化
- ダニング=クルーガー効果
- 能力が低い人ほど自信満々、能力が高い人ほど自信がない。
- メタ認知が難しい人は「分からないことが分からない」。
- 自己正当化・合理化
- 認知的不協和を埋めるため、後から辻褄を合わせる説明を発明する。
- 意識している本音/していない本音/建前がずれる。
- 無意識的な自己正当化
- 精神分析的には「防衛機制」として働く:
- 投影・否認・分裂・理想化/こき下ろし など。
- 自分では「論理的に考えた結果」と信じている。
- 精神分析的には「防衛機制」として働く:
- 神経症的・ヒステリー的なもの
- 感情をドラマ化して相手に“見せる”コミュニケーション。
- 言葉よりも「身振り」「トーン」でメッセージが伝わる。
1-3. 妄想的・パラノイド的ロジック
- パラノイドな世界読み
- 「誰かに狙われている」「操作されている」という前提から世界を読む。
- 妄想性障害〜パラノイド・パーソナリティ〜陰謀論支持者まで連続。
- 閉じた論理体系(妄想的世界観)
- 一度成立すると外部から矛盾を指摘しても「それも陰謀の一部」と処理される。
- カルト思想・極端な政治セクト・SNSのクローズドコミュニティ。
2. 対人レベルの「非ロゴス」(レトリック/ソフィスト技法)
ここは、前回の私+Gemini+先生のキーワードを統合したゾーンです。
2-1. 責任回避・論点ずらし系
- 主語と責任の蒸発
- 「そういう声もある」「社会として考えねばならない」
- 誰が何をやるのかを曖昧にする。
- ご飯論法・定義のすり替え
- 「朝ごはん(米)は食べていない」式の、
- 文脈を外した字義的な逃げ方。
- 論点のすり替え・Whataboutism
- 批判に対して別件を持ち出して、「お前こそどうなんだ」へ。
- 事実上、話題の変更。
- ゴールポストの移動
- 負けそうになると、「本当に問題なのはそこじゃない」と条件を変える。
- メタ言説への退避
- 中身ではなく「言い方」「トーン」「空気」の問題に話をずらす。
2-2. 空疎化・ポエム化・ナンセンス化
- 新次郎構文型(トートロジー・ポエム)
- 「大事なのは大事にすること」型の同語反復。
- 何も言っていないが、反論のしようもない。
- Bullshit(フランクフォート的意味でのでたらめ)
- 真か偽かに興味がなく、「場を乗り切るための言葉」。
- 会見での意味不明な長広舌、企業のきれいごとスピーチなど。
- ワードサラダ的レトリック
- 「命・人権・平和・未来・子ども・安全…」のように
ポジティブワードだけを並べ、情緒だけ残す。
- 「命・人権・平和・未来・子ども・安全…」のように
- 洒落的な言葉のずらし・皮肉・ダブルミーニング
- 直接言わずに、笑いや皮肉に包んで攻撃。
- ユーモア・ブラックジョーク・ネットミームに多い。
2-3. 攻撃・支配・操作系
- ストローマン(藁人形)
- 相手の主張をわざと誇張・単純化し、それを叩く。
- 道徳的マウンティング(Virtue signaling)
- 「正義・弱者・多様性・人権」の側に自分を置き、
相手を「悪人」ポジションに追いやる。
- 「正義・弱者・多様性・人権」の側に自分を置き、
- 被害者ポジションの戦略利用
- 「傷ついた/差別された」を前面に出し、批判そのものを封じる。
- 右派だと「我々こそ迫害されている日本人」といった形でも出る。
- アイデンティティによる発言資格制限
- 「当事者以外は黙ってろ」的なディスコース。
- 言説の妥当性ではなく属性で発言を封じる。
- ガスライティング・ダブルバインド
- わざと矛盾したメッセージを送り、相手を「自分が悪いのか」と混乱させる。
- DV関係や一部のカルト的指導者で典型的。
2-4. 笑い・カーニバルとしての非ロゴス
- バフチン的カーニバルとしての笑い
- 上下関係を一時的に逆転させ、権威を笑い飛ばす。
- ネットの大喜利・祭り・コラ文化はここに属する。
- 笑いによる「脱構築」
- 真面目なロゴスを崩し、周縁から別の意味づけをぶつける。
- シニカルなミーム・風刺・パロディ。
3. 集団・文化レベルの「非ロゴス」
3-1. カーニバル/ディオニュソス/カオス
- カーニバル的爆発
- バフチン:一時的な秩序転倒。
- ネットの祭り・炎上・バズも、
「常識が保留される数日間」としてカーニバル的。
- ディオニュソス的陶酔と集団ヒステリー
- 酔い・音楽・群衆心理による自己喪失。
- 宗教的陶酔・政治集会・ライブ・スタジアムなど。
- カオスとしての社会気分
- 不安・怒り・閉塞感が高まると、
陰謀論・スケープゴート・暴動などに火が付きやすくなる。
- 不安・怒り・閉塞感が高まると、
3-2. ルサンチマン・道徳化・思想支配
- ルサンチマン(怨恨の道徳化)
- 力のない側が、力を持つ側を「悪」と規定し、
「道徳的優位」という形で精神的な復讐をする。 - キリスト教倫理の裏面としての解釈。
- 力のない側が、力を持つ側を「悪」と規定し、
- 思想支配による精神的支配
- 「正しい信仰・正しいイデオロギー」を基準に、
内面まで統制する体制。 - 外見はロゴス(教義・原理)だが、
実質は不安・怨恨・支配欲の非ロゴス。
- 「正しい信仰・正しいイデオロギー」を基準に、
- 構造主義的建前 vs 無意識の本音
- 表面:平等・人権・博愛・安全保障 etc.
- 裏側:支配欲・支配への恐怖・優越感・劣等感・ルサンチマン。
- 構造主義は建前構造を綺麗に描くが、
「汚い駆動力」=無意識の層はしばしば抜け落ちる。
3-3. ポスト真実・プロパガンダ
- オルタナティブ・ファクト/ナラティブ戦争
- 事実よりも「支持者が信じたい物語」を優先。
- 客観的検証より、感情的な筋の良さが勝つ。
- 陰謀論的世界像
- 世界を「少数の悪の組織」が支配する物語へ還元。
- 複雑さの不安を、「わかりやすい悪役」で解消。
- Gish gallop(情報の洪水による思考停止)
- 大量の情報を短時間に叩きつけて、検証不能にする。
- 詐欺師・デマゴーグ・一部インフルエンサーの常套手段。
4. 「病理的でない悪意」と「病理的な非ロゴス」の連続
先生が挙げられた重要ポイント:
- スキゾ的でないもの(現実検討力はあるが悪意・操作が強い)
- 詐欺師・一部政治家・トロール・カルト指導者。
- 神経症的・ヒステリー的なもの
- 感情表現が誇張され、場を支配するコミュニケーションとしての症状。
- 精神病的・妄想的なもの
- 内的ロゴスはあるが、社会ロゴスとの接点が切れている。
この三つは実際には「段差」より「傾斜」に近く、
同じレトリックや非ロゴスのパターンが、軽症〜病理まで連続しているように見えます。
・まとめとおわりに
こんな感じでどうでしょう?
これらで何かを分析するもよし、何かを構成して実使用するもよしです。
全然数学や現代哲学や大乗仏教の空論、中観論、三諦論のようなまとまりはありません。
そしてどれも真理でも論理でもないように見えます。
そしてこれは善意を持って使うこともできますが悪意を持って使うこともできます。
詐欺に使うこともできます。
ただこのように簡単には分類できない説明もできない多様なものが挙げられるということは人間や社会は真理や論理だけでは構成要素として、そして説明するのには足りなさすぎることを示しているようなものでもあります。
逆に真理とか論理とかは人間や社会の中では本論で書かれたものの中にある小さな一部でしかないということを気づかせてくれるかもしれません。
今は世界はイデオロギー中心主義やイデオロギー絶対主義が全盛期だった冷戦ころと比べるとなんというかミニ冷戦みたいな状況にあるように見えます。
イデオロギーというものは何というかそういう政党や国をみているとまじめで笑いがありません。
検討や持ち帰って協議するのが大好きに見えます。
明るさや陽気さというのはよいものです。
新自由主義やグローバリズムは明るく笑顔が見えたように見えますが競争社会でもあり格差や貧困を生んだので目に見えぬ涙も多いのでしょう。
他方でこういう雑然としたものをまとめる方法も発達しています。
思想的には現代哲学や仏教はこういうのをまとめる知的な枠組みになります。
実用的にはSNSやAIやそのうちスパコンや量子コンピューティングがこういうのを扱えるように進歩していくでしょう。
数学はその両者をつなぐものです。
というわけで手前味噌な話になってしまいますが現代哲学、大乗仏教、現代数学を勉強し、あるいはみんながこれらを好きになってくれると世の中よりよくなるかは分かりませんがもっと多様な人々が共通の土台で話せる知的なリテラシーとなるのではないでしょうか?