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  • 2025年11月17日

歴史の構造主義、ヘーゲルとマルクス、歴史と弁証法と唯物史観、イデオロギーとその他の対立

歴史の構造主義、ヘーゲルとマルクス、歴史と弁証法と唯物史観、イデオロギーとその他の対立

本稿の主張はシンプルで、「歴史は『正vs反』のきれいな対立ではなく、しばしば『一つの純粋イデオロギー vs 雑多で非イデオロギー的なその他』として動いてきたのではないか」というものです。

歴史の構造主義、ヘーゲルとマルクス、歴史と弁証法と唯物史観、イデオロギーとその他の対立

本稿の主張はシンプルです。
歴史はしばしば「正vs反」のきれいなイデオロギー対立ではなく、
「一つの純粋イデオロギー vs 雑多で非イデオロギー的なその他」
という構図で動いてきたのではないか、ということです。

19世紀の歴史学は「科学」を目指し、歴史にも法則や必然性を読み取ろうとしました。
その中で最も強力なもののひとつが、マルクスが提示した唯物史観です。

唯物史観は、ヘーゲルの弁証法を歴史に適用した壮大な物語でした。
正と反が対立し、やがてそれを止揚する合が現れる――。
この図式を、支配階級と被支配階級、資本と労働、資本主義と共産主義といった対立にあてはめて、歴史の大きな流れを説明しようとしたのが、マルクス主義の歴史観です。

ただ、現実の歴史を少し細かく眺めてみると、
この「正/反/合」の物語からはみ出してしまう部分がたくさん見えてきます。
そこで本稿では、ヘーゲル/マルクス的な図式を一度横に置いて、
別の構図──「イデオロギー」対「その他大勢」──から歴史を見直してみたいと思います。

・歴史と人類の進歩(変化?)

 歴史学も科学で19世紀近代は科学の時代です。

 科学は法則を求めようとするからいろんな法則の仮説を提案します。

 その中で強力なのはマルクス主義史観でした。

 これは非常に前向きというか楽天的な史観ですが歴史の実際を見るともうちょっと違う展開をたどることが多いのではないかということで本稿で説明します。

・歴史はどう変化していくか?

 昔からいろんな歴史観や歴史を説明する理論があります。

 有名なのはイブン・ハルドゥーンの歴史序説で世界史を習った人なら聞いたことがあるかもしれません。

 ユーラシア大陸の歴史は北方の遊牧民などの軍事力が強いが南の農耕民を侵略する→南は遊牧民に支配され政情安定して軍事力が弱まる→強い北方民族が南の農耕民を侵略する→・・・以下反復みたいな繰り返しという史観です。

 これは現在でも繰り返されているようなところがありウクライナ戦争もそういう見方をすることができます。

・ヘーゲルとマルクス的な史観

 マルクスの史観は唯物史観といわれます。

 これはヘーゲルの弁証法から持ってきた考え方です。

 歴史は支配民と被支配民がいて、被支配民が力をつけて支配民をやっつけて新しい政体ができて・・・の繰り返しというものです。

 マルクスはマルサスの人口論やら当時はやりの社会主義思想やら古典派経済学やらヘーゲルの弁証法やらいろんなものを組み合わせてマルクス主義とか呼ばれる考え方を作りました。

 マルクス主義歴史観は唯物史観で大雑把に上のようなものです。

 ヘーゲルの世界観、歴史観、思想感はヘーゲルの弁証法からできていてそれは正、反、合からできています。

 正に対する反が生じてそれらを止揚する合が生じる、というように人間の観念も世界そのものもその見方で考えることができるというものです。

 このアイデアからマルクスはこれを歴史に応用しかつ当時の経済学もくっつけて、当時の資本主義経済が成熟するとプロレタリアートからブルジョアジーに対する反発が生じてプロレタリアート共産主義革命が生じてそれが歴史の終わりの世界である、という考え方です。

 マルクスはおじいさんがユダヤ教のラビだったせいか、あるいは西洋社会に根付いた聖書敵味方のせいか歴史には終末というか一つの到達点、最終形態のようなものがあると考えます。

 もしかしたらマルサスの人口論お影響かもしれません。

 ともかく歴史は世の中が共産主義になったらそれで終わりで人類社会の完成形であるかのように描かれました。

・冷戦前の日本の観察

 日本の戦後と冷戦前は共産主義革命前夜ではないかというような雰囲気がありました。

 安保闘争はすごかったですし、全共闘も元気がありました。

 しかしそれらの失敗と幻滅、世界的にもハンガリー動乱やプラハの春、アフガニスタン侵攻などでしらけ空気が広がっていきます。

 昔は世代論では1960年前後生まれは「しらけ世代」といわれていました(誰かが広めようとしただけかもしれませんが)。

 面白いのは昔を振り返ってみると共産主義や社会主義左翼などセクトは多かったですが大きく見るとマルクス主義、共産主義、社会主義など大きくマルクス主義でくくれる一枚岩のイデオロギーとその他の有象無象に分けられます。

 社会主義というのは何かという問題もありますが社会民主主義のような議会制民主主義のようなものを指す場合もありますが、当時は資本主義から共産主義に至るまでの中間的な体制という見方が強くありました。

 ですから大きく考えたら連戦前の日本は「マルクス主義のイデオロギー」VS「その他大勢」みたいなところがありました。

 その他にはリアリスト・資本主義者・ノンポリ・保守・右翼・呼び方すら当てはまらない人たちが全部入っていました。

 ですからこのその他大勢には実に様々なものが含まれていると思ってもらうとイメージが持ちやすいと思います。

 55年体制で戦後レジームの産物というか冷戦自体の生き残りみたいな自民党を見てみれば何となくわかるのではないかなと思います。

 自民党であればマルクス主義は否定ですがその他さまざまなものがごちゃごちゃに入っています。

 当時の論壇もそういう感じでした。

 マルクス主義を掲げる朝日新聞や岩波書店みたいな冷戦前は出版、メディア、学術、教育、組合など全般でマルクス主義の方が声が大きかったです。

 他方で何となくマルクス主義になじめない人たちが「その他大勢」として集まっていた感じです。

 論壇におけるその他はいわゆる保守とか右翼とか言われた人々も入っているのですが「リアリスト、自由主義、資本主義者、ノンポリ、民主主義者、保守主義、右翼、そういう呼び方すら当てはまらない何となくみたいな人々などその他大勢」からなっていました。

 そういう人々は別に連帯感を持っていたわけでもなく持っていたとしたら「共産主義革命なんか行ったら大変だ」みたいなアンチ構造主義社会みたいな雑多な思想を持ったり持たなかったりする人々、知識人、勢力、庶民、大衆の集まりでした。

 集まったというのも多分正しくなくてマルクス主義系のイデオロギストからレッテルを貼られてひとまとめにされて扱われていた存在です。

・ヘーゲル的弁証法は美しいが・・・

 ヘーゲルは哲学者です。

 ヘーゲルは哲学者ではない側面や哲学以外で有名な分野はあったのかもしれませんが人類史というか歴史的に見れば他の何かで活躍していたとしてもそっちは無視してよく哲学史の中でだけ語られるべき人物でしょう。

 ヘーゲルの理論はドイツ観念論の一つの完成形で正のイデオロギーと反のイデオロギーから合という別のイデオロギーに止揚するというものです。

 これはとてもすっきりした余計な無駄を排したきれいな見方です。

 ただ歴史がこのようにきれいにいくのかというと歴史を振り返ってみると実際に起こっていたのは以下の様な場合が多かったと思います。

・「イデオロギー」対「その他」

 非常に体系的で攻撃的で排他的でレッテルは利で布教なイデオロギーがあります。

 これをヘーゲル的な「正」とすると歴史を見るとそれに対する「反」であるのはその他大勢の有象無象であることが多いです。

 その他の中にはそのイデオロギーに対して反発する人もいましたが、特にどうでもいい、興味ない、そもそも知らないなどのなんというかいい意味でどうでもいいというかかかわりのない、あるいはかかわらない人たちも多く含まれていました。

 また中立的な人々も含まれていました。

 それは冷戦前の日本社会の様相と一緒です。

 ですから当時の「反」というより「非」あるいは「無」イデオロギー的な知識人が論壇で発表する場は今でも残っている「文春」とか当時のオピニオン雑誌と言われた「諸君!」とか「正論」(これはやや保守、右派的かもしれない)みたいな人が集まっていた感じです。

・世界史の大きなイデオロギーによる刷新が行われる出来事を見ていくと・・・

 歴史は2つの陣営がそれぞれのイデオロギーを掲げて正面衝突したり妥協点を見出したりするというきれいな形はあまりとらないように見えます。

 どちらかというと「イデオロギー絶対主義」対「その他の雑多な勢力、人々」という形をとります。

 この「対」という表現も御幣を招く場合もあります。

 表立って対立する場合もありますがどっちかからどっちかへの一方的攻撃や排除という形をとる場合も多いからです。

 いくつか礼を挙げてみましょう。

 まず列挙しましょう。

  • ローマ帝国のキリスト教化:「キリスト教」対「ローマ帝国」
  • ユダヤ教純粋主義:「比較的原理主義的なユダヤ教エリート層」対「聖書で批判されるような不敬虔な民衆」
  • 宗教改革:「プロテンタンティズム」対「旧教」
  • 中世から近代への移行:「キリスト教」対「モダニズム(科学、哲学、・・・)」
  • フランス革命:「啓蒙主義」対「アンシャンレジーム」
  • ロシア革命:「マルクス・共産主義」対「ロシア帝国」
  • 戦間期のイタリアやドイツ:「ファシズム」対「ワイマール共和国」
  • 冷戦:「共産主義勢力」対「その他の政治体制」
  • ポリコレ:「リベラル、SDGs、DEI、LGBTQ+など」対「保守や右派も含むけど興味のないその他の人々」
  • 明治維新:「尊王攘夷」対「守旧派」
  • 市民革命:イギリスの一連のどたばた

 いくらでも挙げられますがこの6つくらいを眺めるだけでも、『純粋イデオロギー vs その他雑多』という構図は繰り返し現れているように見えます。

 簡単にまとめると「純粋イデオロギー絶対主義的な勢力」と「その他で何かの主張を持つ人もあるし反イデオロギーの人もあるがそもそもリアリストだったり、ノンポリだったり、興味関心自体がなかったり、そうイデオロギーがあることすら知らない雑多な人々」に分かれることが多く見られます。

・正と反がぶつかるとどうなるか

 へーベル的に言えば正と反がぶつかって合が使用されるというきれいであたかも良いものが生まれたりよい状態になったりするというイメージがあります。

 しかし上記の①~⑨のようなパターン、つまり「イデオロギー」対「雑多」の場合には合がミゼラブルなものになる場合があります。

なぜ「合」がろくでもない合になりやすいのかというといろいろ考えられますが、雑多な側がレジリエンス/包摂力(inclusion)を持つのに対してイデオロギーが勝ると、

  • 矛盾を一気に解消しようとする暴力性
  • 現実の複雑さを単一原理に押し込めることの無理

などがあるかもしれません。

 特にイデオロギー側が完全に、あるいはある程度主張を通した場合は短期間、あるいは結構長期にわたってごちゃごちゃすることが多いようです。

 例えばフランス革命です。

 ジャコバン派の恐怖政治からナポレオンの軍事独裁と侵略から以降のフランス史を見るとどうもパッとしません。

 「自由」「平等」「博愛」とかを人類に広めた分立派かもしれませんが本国のフランス自体はどうもパッとしません。

 まあそんなパットしないフランスをわびさび好きで不完全さが好きな小生は好きではありますが。

 ロシア革命も本当にその後のロシア史でロシアは幸せになったのかなという疑問が生じます。

 この疑問はウクライナ戦争でパッとしないというか劣勢に立ちつつあるロシアを見ていると今でも思います。

 逆に「イデオロギー」より「雑多」が優勢だったり完全勝利したりした方が安定して見えます。

 ただそういう場合はあまり大きな変化を起こさないので世界史では目立たないだけかもしれません。

 また「文化の掘り返し・共鳴現象」というのが提案されたことがあります。

 まったく新しいイデオロギーではなく過去にその文化圏にもともとあったり過去にあったりしたものを掘り起こして共鳴する社会変革の方がうまくいくという説があります。

 日本の明治維新派比較的うまくいった方かもしれませんがそもそも王政復古でしたしイギリスの市民革命はいろいろごちゃごちゃした後最後は王政復古で終わっています。

 「純粋イデオロギー」より「有象無象の雑多な烏合野合」の方が包容力(inclusion)や復元力(レジリエンス)が強いのかもしれません。

・おわりに

 マルクス主義、共産主義、社会主義みたいなのは冷戦前の亡霊ではなく今もホットなトピックです。

 またイデオロギー中心主義は現代思想が強力に批判しましたが相変わらず世の中では災害のように時々世の中とか社会に吹き荒れます。

 「歴史は繰り返さないが韻を踏む」ともいいます。

 歴史に学ぶのは「巨人の肩に立って見る」ように大切というか非常に利己的にも役に立つことです。

 ですから歴史の勉強とか歴史観みたいなものは教養主義的なふわふわした意味ではなく実用に使う「歴史に学ぶ」ためのデータベースとしていろんな知識を持っておくと便利だったりなんかの時に助けになったりするかもしれません。