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  • 2025年10月19日

人類とは何か

・海底考古学が人類史を変える

人類とは何か

・海底考古学が人類史を変える

私たちが読んでいる人類史は、海底に沈んだ“主舞台”を欠いた抜粋版かもしれない。 最終氷期(約11.5万〜1.17万年前)には海面が最大で約120 m低下し、北海のドッガーランドや東南アジアのスンダランドなど広大な沿岸平野が姿を現していた。

氷期の内部は、寒冷な亜氷期と温暖な亜間氷期が交互に訪れる短周期のリズムで、人の居住適地は南↔北、沿岸↔内陸へと何度も入れ替わった。

――もしそうなら、**現存する陸上遺跡だけで人類史を語るのは、本流を見失いやすい。

**水中考古の前進は、これまで“辺境の特異例”に見えた縄文やゴベクリ・テペを、**失われた本流の縁(へり)**として再配置していくだろう。

・大切なものは全部海の中

 要点からまとめると人類文明を考えるのに一番大切な最終氷期の人類の痕跡の大切なものは全部(殆ど)海の中とか現在の砂漠(残っていれば)です。

 「お前それは言い過ぎやろ」ということをあえて言うと氷河期は住みやすい低中緯度地域に広大な陸地が広がり現在砂漠の例えばサハラ砂漠は緑に覆われグリーンサハラと言われていました。

 すなわち人類は住みやすかった時代です。

 氷河期でない時代、現在は陸地も狭いし、南北回帰線付近は砂漠が広がり高緯度地方は永久凍土という中途半端さで人類の住みにくい、人類の生存範囲の狭いとても残念な時代です、とあえて言いきらせてもらいます。

 だから現在の陸地に残っている遺跡だけを考えても人類史は(大切な部分は)分かりません。

 今後海底考古学が発展すれば人類史に対して全く違う考え方が広まるでしょう。

 たぶん昔の「恐竜は爬虫類の大きいもの」から「実は恐竜は羽根で覆われていた」以上のインパクトとパラダイムシフトがいずれ起こるでしょう。

 例えば英仏海峡(ドーバー海峡)ではそのような水中考古学が進んでいます。

 きっとパリとロンドンの間で両都市からも近く調べやすいのでしょう。

 こういうのが進むと現代の例えば日本の縄文遺跡やトルコのギョベクリ・テペ遺跡はオーパーツみたいに見られていいる面がありますがそういったものは単に海面上昇により主要な氷河期の終了や砂漠化で氷河時代の主要な人類の痕跡が隠され、あるいは消されている中で辺境や細長い丘や山のような尾根のような地形だったからこそ海面上昇せず残された特殊な例だったことが分かるようになると思われます。

・氷河期の人類史を知るには海底地図が必要

 現在の陸の形は現在だけの陸の形です。

 地球温暖化で海面上昇が叫ばれて、このまま温暖化が進むと地図はこうなるというようなのを時々見かけます。

 同じように氷河期のことを知りたければ海底地図が必要です。

 氷河期でも一番寒かった時期には海面は現在より120m以上現在より低かったわけです。

 すると現在海深120mまでの海底はその時代は陸地だったわけです。

 しかも氷河期と言えども赤道直下や低緯度、欲張って中緯度地域は別に氷におおわれていたわけでも寒すぎて全く住めないほどでもなかったわけです。

 むしろ赤道直下も現在の砂漠みたいなところも温暖で住みやすかった可能性があります。

 今は暑すぎるところも昔はちょうどいい陽気だったかもしれません。

 何事も実務的というか細かくきちんと頭の中だけではなくきちんと現実に即してみていくといろいろイメージがひっくり返ることもあります。

 歴史学でもしばしばそういうことが起こって一般にも有名なのはアナール派の研究、日本では網野善彦や阿部謹也が有名です。

 特に網野善彦は「日本史のルネサンス」「網野善彦ルネサンス」とか言われて一般的な読書界でも流行を起こしました。

・人類の文明は最終氷期の後の温暖化した1万年前~現在に凝縮されている

 人類の文明の発祥は1万年前の最終氷期が終わって温暖化による海面上昇が始まってから始まっています。

 氷河期に人類が住みやすく移動しやすく栄えていた現在の大陸棚や浅い海底は現在全て海の底です。

 現在残っているというか発見されて調べられている遺跡は氷河期の人類の主要生活地域から見れば辺境です。

 氷河期には背面低下が起こり今より広い陸地が低緯度、中緯度地方の住みやすい所にありました。

 現在不毛に見える砂漠も、例えばサハラ砂漠は緑の大地でした。

 現在は間氷期

 「大切なものは目に見えない」

「見えない構造の中に我々はいる」

 それぞれサンテ・グ・ジュペリとレヴィ=ストロースの言葉ですが本人たちの使用した意味とは違うかもしれませんが人類学や考古学、あるいは他の全部の知的活動に言えるかもしれませんが知らないことを知る謙虚さが大切です。

 

・人類史を知りたければ氷河期が大切

 近代~現代科学には弱点があって実証主義のエビデンスベースなところです。

 これは長所でもあるので同じもののコインの裏表です。

 現在は長所を良しとして短所を攻撃します。

 これは自分の体を自分で傷つけている自傷行為のように見えますがちょっと前には各領域にエビデンスバカみたいな人がいてエビデンスにないことを否定する人がいました。

 大切なのは実証できないからそれがないとは言えないところです。

 統計学なら有意差がないことは何も言えないことを意味するだけで何かを否定することにはなりません。

 ですが例えば医学のような領域は過去の人体実験の歴史や道徳的問題なので長らく実証研究が難しく科学科が遅れました。

 そこで急進的に実証主義のエビデンス・ベイスド・メディスンなるものを進めたことで医療現場が大変混乱しました。

 今でもそういう人がいるので時に大学病院で変な医師にあたると変な目に遭います。

 面白いことにこの変な医師は高偏差値だったり研究が盛んな文化の中で育ってきている場合があります。

 ヴィットゲンシュタインは「語るべきでないことは沈黙すべき」といいましたが同じように「知らないことは安易に否定したり知ってるつもりになって離さない方がいい」ということになります。

・時間のスケール:1万年のスケールで見ても人類は分からない

 古い世代は人類は数千年前の世界4大文明から歴史を習います。

 狭い意味の歴史は文字で書かれた過去のことですから当時の視野の狭さではそれがいい所だったでしょう。

 英語のヒストリーは文字で書かれたと意味はないのでヒストリーを考えてみます。

 ある程度何かをきちんと理解したければある程度対数尺で見る必要があります。

 例えば人類のヒストリーを分かりたければ十進法では百年、千年、1万年、10万年のスパンで見る必要があります。

 ここ1万年は氷河期が終わって現在の文明につながる農耕や文字が始まった時代です。

 ちなみに現生人類である新人は30万年前にアフリカで生まれ5万年前からアフリカを出て世界中に拡散を始めたとされます。

 少なくとも日本人の観点から人類とは何かと問いたければ10万年スパンでは見る必要があります。

 さらには2022年のノーベル賞受賞の示すとおりに我々現生人類である新人はネアンデルタール人やデニソワ人と混血しています。

 旧人は40年前から3万年くらい前です。

 さらにジャワで見つかったジャワ原人は旧人の前の原人で約180万年前〜20万年前です。

 これは新人や旧人と混血していたかは分かりませんが少なくとも人という種族がすでに原人の段階で世界に広がっていたことを証明しています。

・生物としての人の視点で見る

 人を何か生物の中で特別なものではなく普通の生物学の観点で見れば時代によって生息地域というものがあります。

 人の生息地域は時代によって違います。

 対数尺で考えてみると時代というより年代によって違います。

 現生人類をロマンを持って特別なものと考えるとアフリカから出てグレートジャーニーで世界に拡散していったナラティブとして一生物に過ぎないという観点は忘れられがちです。

 しかし文明のない人類は文化や言葉や多少の道具を使えたかもしれませんが一生物としてみた方がよいかもしれません。

 少なくとも我々は原人、猿人はそういう普通の生物という面で見ることが多いと思います。

 1万年前の現在の文明を作る前の人類も大きくそういう視点で見てみると違うものが見えてきます。

・気候変動と人類

 我々現生人類を考えるうえで重要なのは最終氷河期です。

 最終氷期は約7万年前から約1万年前の最新の氷期です。

 この間の気温は一律ではなく気候変動が繰り返され比較的温暖な間氷期から2万年前ごろに最も寒冷な時期「最終氷期最寒冷期(LGM)」などと6万年の間でも寒さに波があります。

この一番寒い時期、北半球の多くの地域で巨大な氷床が発達し、海水面が約120m以上低下したことで、陸地が露出して大陸間の移動が可能になりました。

また、日本の年平均気温も約7℃低くなり、照葉樹林は南限に追いやられました。

北米やユーラシア大陸北部に巨大な氷床が形成され、他方で海水面が120m以上低下により大陸棚が露出し、動物が大陸間を移動しました。

低中緯度地域でも平均で約5.8℃の気温低下があったと推定され、日本では年平均気温が現在より約7℃低かったと推定されます。

照葉樹林は、本州南岸のごく狭い地域と沖縄に分布を狭められました。

動物はナウマンゾウやヤベオオツノジカ、ヘラジカなどの哺乳類が各地で確認されており、北海道は大陸と陸続きになったためマンモスも生息していました。

日本海は最終氷期には日本海が閉鎖的になったことすなわち内海あるいは巨大な湖になったことがわかっています。

最終氷期は約1万円前に終わり地球の気候は急激に温暖化し始めました。

氷床が溶けることで海水面が急上昇し、現在の海岸線が形成されました。

温暖化の時期にあたる縄文時代中頃には、大阪平野や関東平野などの低地で内陸深くまで海が入り込みました。

・南の回廊

 氷河期は北の方を見ると何か悲惨そうに思えます。

 特に西洋的史観では現代発展している西洋やアメリカの北部は雪やら氷で覆われていたのではないかと気の毒な感じがします。

 しかし南の方は必ずしもそうではありません。

 例えばサハラ砂漠は緑豊かな大地でした。

また見方を変えれば最終氷期最寒冷期でも低中緯度地域で平均で約5.8℃、日本で年平均気温が現在より約7℃しか低くなかったのです。

これはある意味大した気温低下ではないとも言えますし、現在温帯の人から気の毒に思われている砂漠のような場所が緑地でした。

 その上海水面が下降し時代によっては現在海の底の大陸棚の深度120mの地点も陸地だったわけで現在より陸地が圧倒的に広かったのです。

 緑も生物も豊かで水も海もあり住みやすい場所がたくさんあるのにわざわざ北の寒冷地に行く必要はありません。

 むしろこの先氷河期が来るとしても高緯度地方の人類が南に移住すれば現在の地球より住みやすい可能性もあります。

・地球物理学の観点

 大切なのは7万年前から1万年前の氷河期でもその間に気候変動というより気温変動が何度もあったということです。

 ちなみに人類がアフリカを出たのが5万年前と言われていますがもしかして海底を調べてみると人類は今のアフリカの陸地の外にはもっと早いときから出ていたかもしれません。

 現在人類学にせよ考古学にせよ研究の最先端は海底の人類の痕跡を調べることにあります。

 氷河期の間も暖かい時期もあれば寒い時期もあったということになると海水面の高さが変わって陸地の形、海岸線が何度も変わっている、陸地が増えたり減ったりを繰り返していたということになります。

 それらの陸地は氷河期でない現在は海の底にあります。

 そういう今は海の底の陸地が氷河期には人類にとって一番住みやすい場所だった可能性が高いということです。

 とみるとなぜジャワ原人の骨がやや辺境のように見えるインドネシアで見つかったのかということもいろんな視点で考えてみる必要があります。

 原人は100万年以上生きていたのですからその間に氷河期も間氷期も何度も繰り返されていたでしょう。

 原人は単に住みやすい所に住んだり移動したりしてたまたまジャワ島にも住んでいただけという風に考えられます。

 そもそも東南アジアや太平洋の島しょ部やユーラシア大陸やオーストラリアの大陸棚は広大な陸地だった時代があります。

 氷河期と言っても赤道直下まで氷で覆われていたわけではないことは先ほど書いた通りです。

 南北回帰線が通る現在の地球で砂漠化しやすい地域は現在のサハラ砂漠が氷河期にはグリーンサハラとよばれていたくらいすごく住みやすい場所だった可能性があります。

・氷河期時代の気温の波

 氷河期時代にも温かい時期と寒い時期があったと書きました。

 言葉上では地球には氷河期と間氷期があります。

 現在は間氷期で氷河期でない時代です。

 そして氷河期の中にも比較的暖かい時代と比較的寒い時代があります。

 氷河期の中の比較的寒い時代を亜氷期、比較的暖かい時代を亜間氷期といいます。

 これは人間が暮らせる場所、あるいは暮らしやすい場所が氷河期の間に何度も変わったということです。

 今も昔も人類は沿岸や河川や湖沼域などの水辺が住みやすいのは容易に想像できます。

 そういうのが氷河期に繰り返される寒冷化と温暖化の交代による何度もの気候変動で生息域を変えていたのが普通に考えられます。

 地球が温かくなればより高緯度地方に住めますし寒くなれば低緯度地方の暖かい方に住み替えを行います。

 つまり人類は、人類だけでなく他の生物もそうかもしれませんが北と南を行ったり来たりしていたと考えられます。

 簡単に人類がアフリカを出て世界に拡散していったと聞くと一方行的に進んでいったようなイメージを受けます。

 しかし実際は振り子のように往復運動のように行ったり来たりしていた場合があると考えられています。

 これは南北の方向だけではありません。

 人類はアフリカから主に西の方に広がったようなイメージを持ちやすいですがこれも実際には人類は東から西に移動する場合もあったと考えられます。

 それは科学の例えば化学で見られる平衡状態のようなものですし、物理学で見られる定常状態のようなものかもしれません。

 実際には両方向の変化が振り子がスウィングするように、経済のチャートのように、モメンタムが働き往復しているわけです。

 全体としてどちらかに進んでいく場合ももちろんありますがそれも南から北だけとか西から東だけとかそんな単純なものではないでしょう。

 何せ一応人類がアフリカから出て5万年と言われているのです。

 スケールを普通の物差しではなく対数尺で考えないといけないのはこういう場合です。

 5万年というと50万年と比べれば短く思えますが5000年と比べればものすごく長い時間です。

 500年と比べても長いです。

 私たちはついこの間まで人生50年の世界を生きていて人生100年時代とか言われだしたのはつい最近のことにすぎません。

 現在の世界にだって平均寿命が50歳未満の国はたくさんあります。

 先進国と違って平均年齢50歳未満の国はもっとたくさんあります。

 まあ先進国の一部は移民を受け入れているので平均年齢は50歳未満かもしれませんが。

 世代交代はもっと短いです。

 現在はともかく昔は人類の成人式(イニシエーション)や婚姻は10代前半が普通でした。

 日本の時代劇や現在でも厳格に協議を守る例えばユダヤ教のような宗教を見ればその痕跡は分かると思います。

 今は知りませんが昭和の日本では男性の法的な婚姻可能年齢は18歳で女性の婚姻可能年齢は16歳です。

 経済的に豊かな国の人が経済的に豊かでない国に旅行すると若者は非常にアクティブです。~

 若者でなくても健康な人はアクティブです。

 多分氷河期以前の人類もアクティブだったのではないでしょうか?

 アクティブな人は移動します。

 人類の世代交代は現代が短いだけでとても早いのです。

 とるすと人類がアフリカを出て5万年とするならばそれは短いというより長いとみる視点が必要になります。

 低緯度から中緯度の居住も移動も交易もしやすい地域に爆発的に拡散していったのではないでしょうか?

 人類の拡散の地図や矢印を見ると「人類がどこどこに到達したのは何万難前年前で~」みたいな感じで書かれていますが千年だろうが万年だろうがめちゃめちゃ長い期間です。

 歴史観というか歴史の縮尺観というか物差しを普通の物差しだけではなく対数尺の感覚も持てなければ感覚が狂います。

・現在残されている氷河期の遺跡は人類の主要なものではない

 実証主義で見ると考古学やらDNAやらのエビデンスや実証が必要になります。

 しかしこれらに偏り過ぎると大切なものが見えなくなります。

 老荘的とも言えますし「見えない構造に支配されている」構造主義的な見方かもしれません。

 そもそも構造主義にせよポスト構造主義にせよ現代の科学や技術や産業や文明の基礎であるにも関わらず理解している人が少ないから妙な喜悲劇が起こるわけです。

 氷河期の人類の主要な生活域は海の中だったりします。

 では今残されている氷河時代の遺跡はというと特殊というかある種の条件を満たしたところになります。

 例えば日本には氷河期、というか縄文時代の遺跡が世界的にみてとんでもない数あります。

 縄文時代というのは磨製石器を使っていたのに農耕を行っていないという旧石器時代だか新石器時代だかよく分からない独自な文化、文明と言えば文明を発達させていた地域とされています。

 なぜ日本にこんなに遺跡が多いのかを今までの視点で見返してみる必要があります。

 人間が住みやすいのは水があって海があって緑があって生物もたくさんいる場所です。

 氷河時代の大陸の平野みたいなそういう地域は間氷期の現在海の中です。

 残るのはある程度海抜が高いのにかかわらず海に近い所です。

 そういうところは氷河期の人類の文化・文明にアクセス可能である上に間氷期や亜間氷期の海面上昇でも沈みません。

こういう丘だか山だか尾根みたいなところでかつ高低差が急峻なところは細長い島という形で残ります。

日本列島やジャワ島やアンダマン諸島みたいな形で残ります。

それに極地で住みにくそうと思われるところでも何らかの理由で住みやすかった可能性もあります。

高緯度地方もそうですし高地などもそうです。

亜間氷期と間氷期の波の中で取り残された可能性もありますが、むしろそこに住むことがメリットだった可能性もあります。

寒くなるにせよ熱くなるにせよ変化は何かを生んだり失ったりする場合があります。

メリットが生まれてデメリットが消えるような変化はむしろそこに住むことに強いインセンティブとモチベーションを与えたでしょう。

・文明:海に沈んでも痕跡は残る

 ナイル川にせよチグリス・ユーフラテス川にせよインダス川にせよ長江にせよ黄河にせよその河口部は大陸棚や深度の低い海底が広がっています。

 ということは氷河期には陸地だった、あるいは陸地だったり海だったりを繰り返していたということになります。

 人間が住みやすい所は沿岸部や河川流域です。

 氷河期の航海技術というものはよくわかりません。

 しかし縄文時代などを見ると航海していたことは確実です。

 ただ人類は水域と密接にかかわりつつ生きていたはずです。

 少なくとも間氷期である現在文明では早期から航海や水域の移動はありました。

 別に4大文明などの高度な文明に関係していなくても航海していました。

 内陸や高緯度地方は住みにくいです。

 住みにくい所で住むことになったり、住まないといけなかったりしたことはしばしばあったかもしれませんが氷河期文明のメインストリームではない可能性が高い、というかほぼ断定レベルでそういえます。

 ロシアには北極海に流れ込む大河がいくつもありますが別に大文明が発祥した形跡はありません。

 現在文明が発展している地域は文明の刷新が激しすぎて氷河期の痕跡が残りにくい、という面はあるかもしれません。

 しかし人類は氷河期にも、言い換えれば旧石器時代や新石器時代の一部でも非常に広域に拡散していました。

 そもそも陸が広かったですし住みやすい所も多かったです。

 水系のそばで生活していたのであればある程度の航海や航行などの水域を移動する技術は持っていたと思われますし、持っていたと実証される例もあります。

 人類の文明は今では四大文明というのは古いです。

 大河川の流域中心に複数の文明が知られています。

 日本に身近なところであれば長江文明というものもあります。

 人類が氷河期が終わってから初めて航海、航行技術を発明したと考えるよりは氷河期の技術をひきついだと考える方が自然です。

 世間一般で「論理的」、という言葉を使われているときに内容を見ると論理学的ではない場合がありますが。

 いわゆる世俗的な論理的も別に学問的な論理学的な厳密さを満たす必要はありませんしそれはそれで役に立ちます。

 それに学問的に厳密な論理学にも実はいろいろな種類のものがあって今もいろいろ議論されたり提案されたり新しいものが作られたりしているので学問的な「論理的」にこだわりすぎることは実証主義やエビデンスにこだわりすぎることくらいバランスが取れていないのかもしれません。

 ただまあ普通に考えても氷河期は低緯度地方では悪くなかった可能性を考えて頂けると思います。

・高緯度地方も悪いとは限らない

 ここではあえて高緯度地方下げ、低緯度地方推しを行いましたが高緯度地方だって住んだり移動したりするのに悪くないかもしれません。

 高緯度地方でしか取れない物産もあるかもしれませんし狩りやら採集やら漁撈やらメリットがあったかもしれません。

 それに寒さ対策は可能でそんなに寒さが問題にならなかったかもしれません。

 さらには人類が氷河期にすでに広範囲で交易をおこなっていたのであれば経済学の相対優位説ではありませんが動物の毛皮や北でしか取れない、北にしかいない動物のもの、鉱物資源や自然資源その他の交易で非常に豊かな生活を送っていたかもしれません。

 生物界にだって北にしかいない生き物はたくさんいます。

 北に特化してむしろ南では生きられなかったりします。

 人類もそういう風に進化することはありますし、道具を使ったりできるので環境をそのように作り変えるのに成功していたかもしれません。

 ただそういうのを強調するのはこの記事の本筋に反します。

 この記事は高緯度地方の地上の目に見えてすでに知識も持っていて想像しやすいものよりは海の下に沈んでしまったと思われる人類のメインストリームを強調するための物です。

 ただ当然メインストリームだけではなく人類の移動、拡散にはいろんなストリームがあります。

 ただ低緯度地方にも住みにくさはあります。

 自然の力は強すぎるし感染性の病検体も多いかもしれません。

 水はたくさんあっても使える水でないと仕方がなく清潔な水をためてもすぐに汚染されてしまうかもしれません。

 ジャングルの中での長期生存は難しいのは先の第二次世界大戦で南方に派遣された兵士が語るところです。

・人類は行ったり来たりしていた

 そもそも氷河期にも亜氷期と亜間氷期があったのなら人類の生存できる場所、住みやすい場所は長いスパンで動いていたはずです。

 それに合わせて人類は南北を往復していた可能性があります。

 中にはそのまま北に取り残されて亜氷期を生きていた人々もいたでしょう。

 そもそも西に一方通行でずんずん拡散していったというイメージも怪しいです。

 沿岸と内陸を繋ぐ川を見ていきましょう。

 海面上昇すれば河口が内陸に移動し、海面が低下すれば河口がかつて海だったところに移動します。

 河口は氷河期においては人口の集積地で交易がおこなわれ当時の文化や技術の最先端だった可能性があります。

 河口に港ができやすいことは現在も同じでしょう。

 いろんな川の河口を拠点として川を使った内陸部との交易がおこなわれていた他、別の川の河口にあった別の人口集積地と沿岸を陸上でか、海運を使ってか分かりませんが人と物の移動が行われていた可能性があります。

 こういうのは非常に自然で一般的な論理的な思考にも逆らいませんがいかんせんそういう河口の人口集積地で文化や技術の発展した地域があったとしても今は多分海の中です。

 資源にせよ考古学にせよ人類にとっては海の中はまだまだかなりのフロンティアです。

・複数の考え方で同じ対象を見る大切さ

 複数の考え方、情報処理方法があってそれらを使って同じ対象を見ることはそれ自体が脱構築になります。

 歴史は往々に一つの考え方、イデオロギーで物事を見る場合があります。

 実証主義、エビデンスベースだけで対象を見たり、一時文献や文字で残されていないもの軽く見たり、政治的な都合で戦前は皇国史観、戦後はマルクス主義的唯物史観で研究から教育、啓発迄行われていた時期がありましたし今もそういう方針の教育委員会はたくさんあるでしょう。

 そもそも日教組がそういう方針だったので。

 文革や大躍進政策を称賛していた人もメディアもまだ存命だったり普通にクオリティーペーパーと言って存在しています。

 相変わらず国家国民より共産党がそれらを超越する国もありますし、特に日本の周辺にはなぜかそういう国がたくさんあります。

 というか日本周辺というか東アジア周辺にしか今時そんな国々はないのかもしれません。

 結局言えることは正しい歴史なんてないということです。

 「歴史の終わり」ということをポスト構造主義のフーコーは言いました。

 フーコーは「自分は構造主義者ではない」と言っていたのでポスト構造主義者とさせていただきます。

 歴史なんてころころ変わるので人間でいうところの自己同一性や自己恒常性、それどころか単一性や唯一性もありません。

 見方によってどうとでも変わります。

 人ごとに違うというレベルでなく自分の中でさえ考え方によって変わるのでいろいろな時に相反する仕方を同時に、あるいは順番に、または散発的にいろいろな見方をします。

 これはれきしにかぎらず何でもそうです。

 とりあえずは歴史というものは非常にごちゃごちゃした世俗的なものから偏った見方から技術の限界や認知的偏りや錯覚(氷河期のイメージ、海岸線やり口の変化、気候の実体や変化がどのようなものか、氷河期や石器時代と言っても一様ではない)などによってどうとでも変わるということ、そしてこれからはいかに水中の考古学的、人類学的遺産を調査するかが人類にとっての巨大なテーマになるということで締めさせて頂きます。