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  • 2024年8月30日
  • 2024年10月24日

哲学とphilosophyの違いーphilosophyの方が哲学より広いはずだった

年季の違い

philosophyを翻訳したのが哲学です。

翻訳なので意味が同じなら良いのですが若干違います。

phylosophyの方が意味が広いことを説明します。

 


 

意味の広さ

日本語の「哲学」は欧米語の英語のphilosophyとは違いがあります。
翻訳語によくあることですが元の言葉と違いが出ます。
簡単に言えば哲学よりphilosophyの方が意味の範囲が広いようです。

2000年以上の歴史がある言葉だからでしょうか。
両方の言葉に共通の意味はあります。
その他に哲学にあってphilosophyにはない意味もあるのかもしれません。

しかしそれよりphilosophyにあって哲学にはない意味の方が多いと思われます。

 


 

字面の問題

言葉はその言葉を見て意味が分かる、あるいは類推できるととても便利です。

「哲学」、…どうでしょうか。

もし哲学の知らない人にこの言葉を見せたら意味を分かってもらえるでしょうか。
多分難しいのではないでしょうか。
そもそも「哲」という感じがあまり常用しません。

「哲」という漢字をググってみます。

やはり意味が分かりません。
または分かるような、分からないような…
だから「哲学」という言葉を知らない人が字面を見て内容にピンとこなくても仕方がありません。

多分考えてみると哲学という学問は「思弁によって真理を探究する学問」みたいなのがしっくりくるのではないでしょうか。

 


 

哲学と違ってphilosophyはわかりやすい

philosophyという言葉の語源は古典ギリシア語です。
「philo-」と「-sophy」の組み合わせです。
多分何か別のところでこれらの言葉を見たことがある人は多いのではないでしょうか。
「なんとかフィリア」というのは精神医学では何かへの嗜癖を表します。

このようにphilo-は嗜好や嗜癖、好き、好む、求めるなどの意味があり、一方「-sophy」は知るとか知恵とか知識とかの意味があります。
これだけ見ればphilosophyは「知りたいと欲する」「知ろうとする事」などの意味になります。

哲学との違いは知る対象はなんでもいい事です。
必ずしも真理でなくても構いません。
また既に明らかになっていることを学習することも、人類が知らないことを研究して新しい知識を付け加える研究もともにphilosophyです。
そうすると真理しか探究しない哲学よりphilosophyの方が意味が広いという事になります。

ですから知的な探求、研究などは全てphilosophyともいえて、大学院でも博士号のPh.D.を取るには新しい知識きを人類にもたらすような研究が必要です。

ちなみに大学卒業資格のBachelorはこれからの人を前向きに捉えた言葉が語源です。
修士のMasterはラテン語のMagisterでこれからの人がいっぱしの人になったような語です。
Ph.D.はラテン語のphilosophiae doctorの略です。

doctorは「教える」から派生した「先生」「教師」みたいな意味で、philosophiae doctorは「philosophyを教える人」という意味になります。
bachelorという半人前がmasterという一人前になって、更に修行して人を教えられるようになるというイメージでしょうか。

他方で教えるだけでなく「自分で研究して新しい知識を人類に付け足す」というイメージが医者にはあります。
医学の3本柱は臨床、教育、研究と言われています。
医者の場合は大学出るだけでM.D.というドクター資格をもらえます。この資格だけでは基本的には教員になれません。
講師、准教授、教授になりたければ更に最低4年間かけてPh.D.を取る必要があります。
ドクターというと日本では医者のイメージですが、メディカルドクターはドクターでも1番取りやすくて、philosophyのドクターを取るのと比べて簡単です。

こういう違いは多分ヨーロッパの大学の学問を中世専門4学である神学、法学、医学、philosophyの4つな事が関係あるのかもしれません。
この場合のphilosophyの意味は「神学、法学、医学以外の知的探究全般」になります。

日本の大学で言えばphilosophyの範囲は「日本の総合大学で教ている法学、医学以外の全て」という感じです。
要するに学問と同じ意味です。
日本の哲学は文学部哲学科である事が多いので「philosophyの中の1つに哲学もある」という感じになります。

 


 

昔のphilosophyの使い方の例など

ニュートンの有名な書物に「自然科学の数学的原理」という物があります。
ラテン語で書かれていたと思いますがこのタイトルの「自然哲学」を英語にすると「philosophy of nature」です。

「philosophy of nature」は自然科学と訳した方がしっくりきます。
今はどう翻訳されているのかは分かりませんが数学者ベルの「数学を作った人々」という本では昔は自然哲学と訳されていました。
また時事ネタは良くないかもしれませんが「チ。」という漫画では自然科学を自然科学と言わず自然哲学と言っています。

まとめると昔の自然哲学という言葉は今の自然科学の意味で使われていたということになります。

 


 

哲学と科学

科学、哲学、science、philosophyの関係は別のところで書きます。
結論的に哲学は日本では科学の1つと考えられているようです。
この場合科学は学問全てを総括したものです。

この意味では上で議論してきたphilosophyは学問全てを表すというのと同じです。
しかし欧米でも現在ではphilosophyを日本語のphilosophyと同じ意味で使う場合もあるように思います。
その意味ではphilosophyには広い意味と狭い意味があります。

philosophyを学問全てに表す科学と同じように使う場合を「広い意味でのphilosophy」としましょう。
そしてphilosophyを哲学と同じ意味とする場合を「狭い意味でなphilosophy」とします。

 


 

哲学は科学の1つ

「科学」という言葉は「科」「学」と書きます。
見た目からすると色んな学科を合わせた総体を「科学」と呼ぶイメージです。
その科学と哲学を比べると哲学は科学の中の学科や科目の1つに過ぎない、ということになります。
日本の場合、それが哲学の第一義でいいと思います。

この場合「思弁で真理を発見する学問」みたいな意味合いでしょうか。
「私の人生哲学」みたいな世俗的な意味で使われますが自分にとっての真理、それを弱めて譲れない大事な事といったニュアンスだと思います。

科学は英語でscience、その語源はラテン語の「知る」という意味です。
philosophyの「-sophy」はギリシア語の「知」の意味ですが上智大学のsophia university、洗練されているという意味のソフィスティケイト、ソフィストなどで有名です。
使い分けですがsophiaの知は古代的なイメージや宗教的なイメージがあるのではないでしょうか。
古代ギリシア哲学やキリスト教カソリックや中世神学のイメージです。
scienceは、わりかし綺麗に「科学」という言葉と対応して、「知識」という意味を雑学的に知っているくらいの感じではないでしょうか。

sophiaもscienceも言語は違えど「知」の意味ですが複雑に交錯した意味で使われているようです。
scienceの中にphilosophyがあります。
一方で広い意味のphilosophyは科学を含みます。
知的探究全てを含むとすればです。

ちなみに日本語の理系は英語でscienceです。
文系はhumanitiesになります。

 


 

日本への導入時期

欧米の大学ではphilosophyは段々「哲学」を指す狭い意味も持つようになっていったのかもしれません。
日本語の哲学がphilosophyの狭い意味だけを指すようになったのは明治時代に欧米から輸入された言葉と概念だったからではないでしょうか。

その頃には欧米でもphilosophyという言葉が学問全体の思弁により真理を探究する学問として狭い意味が生じていたのではないでしょうか。
それを輸入した明治時代の日本では哲学を狭い意味でのphilosophyと同じと見る方が無駄がなかったのでしょう。

日本の理系は英語でscienceと訳します。
日本の文系は英語ではhumanitiesです。
「科学」の創成期ではデカルトもパスカルも、あるいはルネサンスに遡ればダ・ヴィンチも理系も文系も両道でした。

はっきり科学が分化したのはニュートンからではないでしょうか。
彼が力学を作ることで物理学ができて、これが学問が各科に分かれるのに決定的だったのではないでしょうか。
中世の大学の専門大学の4科のうちphilosophyは対象を分化させていきますが最初で1番決定的だったのはニュートンの古典力学ではないでしょうか。
古典力学が近代の科学の初めて明快にphilosophyから分化した例なのではないかと思います。

scienceはその時期「知識」の意味が強く、最初は「物理についての知識の学問」みたいな感じが強かったのではないでしょうか。
それが各学科や各科目を表す全体の総和として使われるようになったのではないでしょうか。

そこで「science」だけで自然科学を表す使い方があるというのが私の説です。

 


 

ふわっとした哲学とphilosophyの使い方

「自分の人生の哲学」みたいな使い方はよくされると思います。
これはphilosophyも同様なのではないでしょうか。
その場合はポリシーや姿勢、信念という意味が近いと思いますがアバウトな使い方です。

狭い意味や広い意味を超えたもっと広がりのある哲学やphilosophyの使い方です。
言葉の持つ高尚で変わらない思いみたいな固い決意のイメージを利用しているのではないでしょうか。

 


 

結論

「哲学」の意味は西洋哲学です。
言葉の多様性から他にもいろいろな使われ方をしますがこれが中核だと思います。

philosophyは西洋哲学の意味もありますがもっと広い意味があります。
「philosophy」の「philo-」は「好む」みたいな感じで「-sophy」は「知」みたいな感じですから「知を好む」みたいな感じでイメージから来て研究や学問全体を意味したりします。

「学問」というのは大学の医学部などをのぞいた一般の学部学科がdoctor of philosophyを今でも謳っていることでも分かります。
研究の意味になるというのは知は知ることや知識で好むは愛する、求める、探究するなどと考えれば未知のものや新規性の探求、探検、好奇心に転嫁するからです。
また上の小節に挙げたような「信念」みたいな広い意味でも使われます。