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  • 2025年8月31日

地球感謝経済:人間中心の直線史観を超えて、返礼が価値になる未来へ

地球感謝経済:人間中心の直線史観を超えて、返礼が価値になる未来へ

序章:なぜ今、経済を根源から問い直すのか

私は普段、現代哲学を社会に広めることをライフワークとしています。専門外のことを軽々しく語るべきではないと考えているため、経済について正面から論じることはこれまで避けてきました。しかし、地球と人類が直面している気候変動、環境破壊、そして社会の分断を前に、一人の人間として深い懸念を抱かずにはいられません。

この危機は、単なる政策の失敗ではなく、私たちの文明の根底にある「経済」というオペレーティングシステムそのものに、構造的な欠陥があるからではないでしょうか。

日本の名作漫画『寄生獣』に、胸を衝くセリフがあります。 「…地球上の誰かがふと思ったのだ…。生物(みんな)の未来を守らねばと…」

この「ふと思った」という感覚こそ、今、私たちに必要なものかもしれません。本稿は、この直感を起点に、AI(ChatGPTとGemini)との対話を通じて練り上げた、まったく新しい経済モデルの試案です。それは、西洋近代が前提としてきた人間中心主義と直線的な発展史観から脱却し、地球からの恩恵に対する「感謝」と「返礼」を経済システムの中心に据えようとする挑戦です。

第1章:行き詰まりの正体──人間中心・直線史観の限界

ここ半世紀、世界は新自由主義とグローバリズムの道を突き進んできました。個人の利益追求、市場原理、株主資本主義が絶対視され、規制は緩和され、富の再分配機能は弱められました。その結果、経済指標は成長を示しても、多くの国で中間層は没落し、格差は拡大し、社会は分断されました。もはや「国民」という一つの共同体はなく、同じ国の中に富裕層と貧困層という二つの断絶した経済圏が存在するかのようです。

しかし、問題の根はさらに深いところにあります。新自由主義に限らず、西洋で生まれた近代経済学の多くは、共通の無意識的な前提の上に成り立っています。

  1. 人間中心主義:自然は人間が利用し、利益を得るための「資源」であるという思想。そこには、自然に対する畏敬や、自然が持つ内在的な価値への配慮が欠けています。
  2. 直線史観:世界には始まりと終わりがあり、歴史はひたすら発展・進歩していくという物語。この物語の中では、資源の枯渇や環境の再生可能性は軽視されがちです。

この世界観は、聖書の創世記に記された「産めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ」という言葉にも象徴されています。自然を人間のための道具と見なし、最後の審判の後は神に委ねるという発想は、ある種の無責任さを内包し、地球環境への配慮を二次的なものにしてきました。近年のSDGsやESG投資といった動きも、素晴らしい試みではありますが、どこか「人間が自然を管理してやる」という上からの目線が拭いきれないように、私には感じられます。

第2章:視点の転換──日本的感性に眠るヒント

では、人間中心主義に代わる思想はどこにあるのでしょうか。そのヒントは、私たち日本人が育んできた文化の中に眠っているかもしれません。

かつて外国人に「無宗教の日本人は、何を基盤に道徳を築くのか?」と問われたとき、私たちはこう答えることができます。「人間の本性は善であると考えるからです。なぜ、あなたは神や宗教がなければ、人は善くあれないと思うのですか?」と。これは、古代中国から受け継いだ儒教の性善説に根差しています。法で縛り付ける性悪説ではなく、人の善性を信じ、徳によって社会を治めようとする思想です。

同様に、日本人は古来、人間以外の生き物や、時には無生物にさえ心や魂を感じるアニミズム的な感性を持ち続けてきました。山や川、岩や木々に神が宿ると考え、自然の恵みに感謝し、同時にその荒々しさを畏れてきました。モノを粗末にすれば「もったいないお化けが出る」と戒められ、使い古した道具に感謝する「針供養」のような儀式さえあります。

この感性は、「所有」という概念をも相対化します。土地や資源は、本来人間が排他的に所有できるものではなく、地球や自然から一時的に「借りている」もの。私たちは、その恩恵によって生かさせてもらっている──。ネイティブ・アメリカンの思想にも通じるこの感覚は、人間を万物の霊長ではなく、**縁起(関係性)**の網の目の一つとして捉える仏教の世界観とも響き合います。

社会主義や共産主義は、所有の概念にラディカルな問いを投げかけましたが、結局は人間中心の計画主義に陥り、ソ連のアラル海消滅のような史上最悪級の環境破壊を引き起こしました。今必要なのは、イデオロギー的な所有の否定ではなく、地球への感謝と借り手としての責任を基盤とした、新しい関係性を築くことではないでしょうか。

第3章:新経済モデル「地球感謝経済(Earth Gratitude Economy)」の構想

ここから、上記の思想的背景を具体的な経済システムとして設計した**「地球感謝経済(EGE)」**の青写真を提示します。これは、単なる環境政策ではなく、経済の目的、会計、所有、制度設計そのものを「感謝と返礼」の論理で再構築する試みです。

地球感謝経済 宣言

  • 目的:私たちは、地球から受け取るあらゆる恩恵に感謝し、その価値を破壊ではなく再生という「返礼」によって循環させる経済を構築する。
  • 原則:①縁起(相互依存)、②最小破壊・最大再生、③長期・世代間公正、④ケアと修理の尊重、⑤自然の権利とコモンズ(共有財産)の回復。
  • 成果指標:GDPのような単純な成長指標ではなく、生物多様性、資源循環率、製品寿命、地域のウェルビーイング(幸福度)などを重視する。
  • 所有の再定義:排他的所有から、**用益(利用する権利と管理する責任)**へと移行する。
  • 会計:自然破壊を「費用」として、生態系の再生を「資本形成」として記帳する。
  • お金:生態系再生に貢献することで価値が生まれる**「グラティテュード・クレジット(感謝勘定)」**を導入する。
  • 統治:人間だけでなく、未来世代と自然の代弁者(ガーディアン)が意思決定に参加する。

「感謝」を実装する具体的な仕組み

  1. 地球感謝会計の導入 企業や行政の会計基準を変更し、森林伐採や土壌汚染などの環境破壊は即時の「費用」として計上。逆に、植林や湿地回復などの再生行為は、未来の富を生む「自然資本への投資」として資産計上します。これにより、破壊が割に合わず、再生こそが利益になるインセンティブ構造を作ります。
  2. 政策ツールキット:「汚染者負担」から「再生者受益」へ
    • ケアの経済の確立と「修理する権利」:メーカーに修理マニュアルの公開と部品供給を義務付け、使い捨て文化を終わらせます。そして、修理やメンテナンス、自然環境の回復といった「ケア」に関わる仕事を基幹産業として育成します。こうした仕事は、単に雇用を生み出すだけでなく、人々に生きがいや社会的な役割、他者からの承認を与え、生きる意味を実感させる貴重な機会となります。
    • 拡大生産者責任2.0:企業は製品を売り切るのではなく、**「サービスとして提供」**し、使用後の回収・再製造まで責任を負います。
    • 破壊課金と再生配当:環境破壊行為には重い税金(破壊課金)を課し、その税収を原資として、生態系再生プロジェクトに補助金(再生配当)を支払います。
    • 累積採掘キャップ:国や地域が生涯で採掘できる資源の総量に上限を設定。新たな採掘枠は、再生プロジェクトの実績と連動させます。
  3. ガバナンスの変革 議会や企業の取締役会に、現在の人間代表だけでなく、**「未来世代の代弁者」や、科学者や先住民文化の担い手からなる「自然のガーディアン」**の議席を設けます。短期的な利益だけでなく、長期的な持続可能性を意思決定に組み込むための仕組みです。

結論:返礼が価値になる経済へ

「感謝」は、単なる美しい感情ではありません。それは、**「恩恵を受け取ったなら、お返しをする」**という、制度化可能な行為です。私たちが提案する「地球感謝経済」は、この単純で普遍的な倫理を、価格、会計、所有、統治の隅々にまで翻訳しようとする壮大な社会実験です。

それは、私たちがモノを使い、直し、長く大切にするほど、地域と地球が豊かになる経済です。

さらに、自然に直接触れ、その回復に貢献する活動は、私たちの心身の健康にも計り知れない恩恵をもたらします。地球を癒す仕事に従事することは、私たち自身の魂を癒し、生きる意味を再発見するプロセスにもなるのです。

この挑戦は、AIやロボットにさえ心の気配を感じてしまう私たちの感性が、世界の経済システムをアップデートする鍵を握っている可能性を示唆しています。人間中心の歴史観に別れを告げ、地球への感謝と返礼が新たな価値を生む。そんな未来に向けた対話が、ここから始まることを願っています。