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  • 2025年8月27日

わかりやすい経済と経済学の構造主義化:実体経済と金融経済を分ける

はじめに:経済の「なぜ?」を解く哲学のメガネ

「なぜ、景気が悪いのに株価が上がるのか?」「なぜ、帳簿上は黒字なのに会社が潰れるのか?」

こうした経済ニュースが報じられるたび、私たちは現実と数字のズレに戸惑います。この現代経済の「なぜ?」を解くカギは、実は現代哲学の「構造主義」という考え方に隠されています。

本稿では、企業から個人まで誰もが使う「複式簿記」をヒントに、経済を**①モノやサービスが行き交う『実体経済』**と、**②お金がデータとして飛び交う『金融経済』**の二層構造で捉え直します。この二つの世界が、哲学でいう「実在論」と「構造主義」の見方にそれぞれ対応しているのです。

この新しいメガネをかければ、一見矛盾に満ちた経済の姿が、驚くほどクリアに見えてくるはずです。


1. 「モノ」が先か、「関係」が先か?:実在論と構造主義

世の中の分かりにくさの多くは、「実在論」と「構造主義」という二つの見方を無意識に混ぜてしまうことから生じます。

  • 実在論:まず「リンゴ」や「人」といった**モノ(点)**が個別に存在し、それらの間に後から関係が生まれる、という素朴で直感的な見方です。
  • 構造主義:個々のモノより先に、それらを規定する**関係のシステム(線)**が存在する、という見方です。「王様」という人がいるのではなく、「王と臣民」という関係性のシステムが、ある人を「王様」として成り立たせている、と考えます。

現代の数学や論理学はこの構造主義的な視点を取り入れて発展しました。そして経済、特に「金融経済」は、まさにこの構造主義で捉えることで本質が浮かび上がってくる分野なのです。


2. お金から経済へ:複式簿記という「構造」

以前の記事で、現代のお金(信用貨幣)が構造主義的であることを解説しました。それは「銀行が貸し出しを行った瞬間、借り手の『預金』と銀行の『貸付金』が同時に発生する」という、複式簿記の関係性のルールから生まれるからです。

この見方を、経済全体に拡張してみましょう。 中央銀行、民間銀行、企業、家計…。これら全ての経済主体は、複式簿記という共通のルールで帳簿をつけています。あなたがお金を誰かに支払うとき、あなたの帳簿と相手の帳簿に、同額の数字が同時に記帳されます。

つまり、金融経済とは**「無数の経済主体(点)が、複式簿記という共通ルール(線)によって相互接続された、巨大なネットワーク」**として捉えることができるのです。


3. 教科書が「お金」を後回しにする理由:古典派の二分法

面白いことに、多くのマクロ経済学の教科書は、最初の数章でお金や銀行の話に触れません。これは「古典派の二分法」という考え方に基づいています。

これは、経済を「実物部門(モノやサービスの生産・交換)」と「貨幣部門(お金の量や物価)」に分離できるとする考え方です。そして、お金の量は物価を上下させるだけで、生産量のような実物経済には(長期的には)影響しない(貨幣の中立性)と結論付けます。

これは、経済学が伝統的に**「実体経済(実在論的なモノの世界)」を主役**とし、お金や銀行をあくまで脇役の「機能」と見てきたことの表れです。では、もしこの脇役であるはずの「金融経済(構造主義的な記号の世界)」を主役として経済を記述したら、一体何が見えてくるのでしょうか。


4. 複式簿記の完璧な世界…と、その「落とし穴」

金融経済の根幹である複式簿記には、絶対的なルールがあります。それは**「必ず貸借がバランスする(資産 = 負債 + 純資産)」**というものです。

これは、火事で紙幣が燃えようが、誰かが破産しようが、世界恐慌が起きようが、絶対に揺らぎません。なぜなら、バランスするように作られた「記号のルール」だからです。極端な話、世界中の全ての貸し借りを清算すれば、帳簿上の数字は差し引きゼロになります。なんと美しく、自己完結した完璧な世界でしょうか。

しかし、ここに大きな落とし穴があります。

この完璧な「記号の世界」の調和は、私たちの生活実感である「実体経済」の豊かさや安定を、何一つ保証してはくれないのです。むしろ、この完璧さこそが、現実との間に恐ろしいほどの『乖離』を生み出す原因となります。


5. なぜ「乖離」は起きるのか?:二つの世界のズレ

帳簿の世界のルールと、現実世界のルールは違います。その「ズレ」が、経済の様々な矛盾として現れます。

  • 資産バブル
    • 実体経済:企業の利益や人々の給料は少ししか増えていない。
    • 金融経済:将来への過剰な期待から、帳簿上の数字(株価・地価)だけが自己増殖的に膨れ上がる。
  • 実体経済の成長なき株高
    • 実体経済:企業が生んだ利益が、設備投資や賃金に向かわないため景気は停滞。
    • 金融経済:行き場を失ったお金が株式市場に流れ込み、自社株買いなどで株価だけが吊り上がる。
  • 黒字倒産
    • 実体経済:支払いに必要なお金(現金)が手元になく、事業が立ち行かなくなる。
    • 金融経済:帳簿上は資産が負債を上回っており、「黒字」でバランスは取れている。

まさに、**「複式簿記は常にバランスするが、それは人々の雇用や生活の豊かさを保証しない」**のです。金融の整合性と実体の厚生は、全く別の軸で評価する必要があるのです。


まとめ:構造主義は、世界を自由に見るための「選択肢」

私たちはつい、経済を「実体」という一つの視点だけで見てしまいがちです。その結果、「不況下の株高」や「黒字倒産」といった現象が、理解不能なパラドックスに見えてしまいます。

しかし、そこに「金融」という、複式簿記で描かれる構造主義的な視点を加えることで、それらはパラドックスではなく、異なるルールで動く二つの世界の『乖離』として合理的に説明できるのです。

構造主義は、難解な哲学思想ではありません。それは、一つの見方に縛られた不自由さから私たちを解放し、**世界を多角的に分析するための『解像度の高いメガネ』**を与えてくれる、きわめて実践的な思考の道具なのです。

経済政策の是非を判断するにせよ、自身の資産を考えるにせよ、この複眼的な視点を持つことこそが、より良い未来を選ぶための「自由な選択肢」を見つけ出すための、確かな第一歩となるでしょう。