- 2025年6月1日
かんたんな仏教の解説と日本と宗教の関係
・日本は無宗教、無神論か?
日本や日本人と一言で言ってもいろいろな面があると思いますが、ときおり語られる「日本、日本人は無宗教で無神論的に見える」という見方について仏教の面から解説します。
日本で哲学や仏教を考える際には多分日本や日本人の背景について考えておいてもいいと思われるので仏教や日本思想史の一部を解説してみます。
・仏教の位置づけ
仏教は宗教ではありません。
これは大乗仏教の開祖ナーガールジュナの空論、中観論やおそらくそのあとイスラム教に滅ぼされるまでインドにあった学院で学び研究された仏教に関してはすくなくともそうです。
仏教が宗教でなくて何かというと哲学になります。
そもそも宗教とか哲学とは何かとか突っ込みたくなるかもしれませんがそれはここでは置いておきます。
一応ここでは仏教は原始仏教から龍樹の空論、中観論までをさし、それ以外の、例えば鎌倉新仏教のようなものは省いて考えることにします。
・仏教が宗教でない理由
仏教には神は存在しません。
いないと言っているわけではなく神がいようがいまいが仏教ではどっちでもいいのです。
無神論ではなく無視神論です。
問題は問題にしなければ問題になりませんが、神は仏教の対象外で神がいる・いないは仏教では扱いません。
宗教の定義に神があるならこの段階で仏教は宗教ではありません。
・仏教には神以外の超常現象も存在しない
神がいないのと同様に超越的なものは何も存在しません。
仏教に必要なのは勉強と理解と仏教の知識と考え方だけです。
神と同じく一神教にも多神教にも出てくるかもしれない精霊や霊のようなものにも関心を示しません。
聖なるものや真理や根源的なものにも関係しません。
だからキリスト教の三位一体のような精霊もありません。
一神教にも多神教にも、アミニズムやシャーマニズムやトーテミズムに見られるような人と神の中間的なもの、あるいは両者を行き来するもの、あるいは天のような特殊な世界と現実世界のどちらに属しているかもわからないようなあいまいな存在もありません。
精霊、天使、霊、霊魂、妖精、妖怪、お化け、超人、聖人、仙人みたいなものもありません。
仏というといろいろ含みますが少なくとも原始、部派、大乗仏教初期の流れに至るまでは日本や日本以外のお寺の仏像にあるような「人間ではない部分を持つ何か」、あるいは「人間ではない何か」という存在は主流ではありません。
・仏教には物語もない
仏教には神話はありません。
インドのヴェーダなどとも無関係、無関心です。
特に世界や人間の成り立ちの説明体形も根源説明も原理もありません。
神と関係ないように神などの超越現象と人間を関係づけるような神話も感動的なエピソードも存在しません。
例えば釈迦の悟りの際にブラフマンが表れたようなそれっぽいものがあるように見えてもそれが仏教の肝心の中身に関係することはありません。
仏教の肝心の中身とは勉強して理解する対象の仏教の知識と考え方です。
お釈迦様やジャータカ物語のような仏教に関係しそうな逸話や伝説はあってもそれば仏教の勉強して理解すべき知識と考え方でなければ特に仏教に関係ありません。
仏教理解には感情も感動も情熱も必要ありません。
必要なのは仏教の知識や考え方を勉強して理解することだけです。
・仏教は宗教っぽくない
仏教は上のような神やら神話やら神か人かよくわからないものやらがないため知的にも感情的にも感性的にも宗教っぽくありません。
神秘性もないし聖性もないしオカルトっぽさもありません。
仏教はただの勉強すれば理解できる知識や考え方で普通は多分だれでもそういうものを宗教とは見なさないし考えないし感じないでしょう。
・その他の宗教の構成要素
多分上のようなものが宗教の必要条件だと思います。
宗教の構成要素はその他にもたくさんあるでしょう。
儀式や儀礼や行事、倫理や道徳、共同体や組織などです。
ただそういったものは宗教の必要条件でも十分条件でもありません。
仮にそういったもの全部を持っていても宗教でないものはたくさんあります。
地方自治体だって国だって会社だって非宗教の組織だってそういうものを持ちえますし持っていることは多いでしょう。
・日本の宗教
日本人の伝統的宗教と言えるものは仏教以外には仏教の宗派、神道、道教、儒教、キリスト教、新興宗教などがあるのではないでしょうか。
儒教は怪力乱神を語らずで東北アジアのシャーマニズムや葬送の宗教性と関係しているかもしれませんが上のような意味でやはり宗教とはいいがたいでしょう。
道教は宗教かもしれませんが日本ではいろいろなところで道教の影響がみられるかもしれませんがあまり考えなくてもいいでしょう。
キリスト教や新興宗教はここでは無視します。
仏教の宗派は宗教では上の意味では宗教と言えます。
これは仏教伝来以来そうでしょう。
ただし仏教、かつ大乗仏教である以上はやはり原始仏教や部派仏教、初期大乗仏教を含んでいます。
鎌倉新仏教でも開祖は比叡山の僧院で仏教を基礎から学んだ学僧か少なくとも生徒だった時代がある人々でしょう。
・結論
結論から言うと上記が日本人が無宗教、無神論的に見える理由です。
仏教の核心に原始仏教から初期大乗仏教までの思想があるからです。
・何が理解をややこしくするか?
日本人や日本文化が非宗教的、無神論的と単純に見えないことにはいくつか理由が考えられます。
一つは仏教自身の問題です。
奈良仏教も密教も仏教を情緒的、感性的、知的なすべての部分で宗教と誤解させる要素を持っています。
また仮に日本に伝わったのが南伝仏教であったのなら神秘主義的、超越主義的な雰囲気がさらに強まっていたかもしれません。
南伝仏教は原始仏教、部派仏教はあっても大乗仏教、すなわちナーガールジュナの空論、中観論のような哲学ではないでしょう。
南伝仏教にとっては悟りは解脱であり、輪廻転生の輪を抜けた存在になること、すなわち普通からの超越であり、普通の人間と異なる特殊な存在になることです。
神秘主義的な情緒や情念が満載です。
・神道の影響
日本にある仏教以外の大きな宗教っぽいものは神道でしょう。
神道はよくわかりません。
専門の学者でもよくわからないのではないでしょうか。
あらゆる宗教や思想は時に断絶があります。
ある時点、ある期間をまたいでそれ以前とそれ以降が別のものになってしまう場合です。
例えばユダヤ教なら申命典革命とユダ王国の滅亡とバビロン捕囚、エズラとネヘミヤの改革でしょう。
それ以前とそれ以後ではユダヤ教は別物になりますし、それ以前のユダヤ教を再現も難しいでしょうし守ってきた集団もいないでしょう。
モーセ五書しか報じない宗派がディアスポラの時代でさえずっとイスラエルにありましたが前に聞いたか読んだところによると数百人とかだったのでもう消滅してしまっているかもしれません。
消滅してないにしてもその人たちが申命典革命以前のユダヤ教を本当に保持しているのかどうかは分かりません。
神道にも明治期の国家神道のようなことがありましたがユダヤ教よりは江戸時代以前の神道が保存されていると思います。
江戸時代には国学がありましたがそれもそれ以前の神道をけしされたとは思えません。
一番可能性があるのは聖徳太子の神仏習合や本地垂迹説でしょう。
これはそれ以前の神道をかなり不明なものにしてしまった可能性があるかもしれません。
しかしそれ以前の神道を保存した面もあるかもしれません。
仏教の方から見るとこれはかなり仏教を宗教っぽくしてしまったのではないでしょうか。
明治時代の廃仏毀釈と神仏分離で元に戻ったとは思えません。
流石に古代飛鳥時代と近代明治時代では開きが大きすぎます。
1000年以上続いたことが元に戻せるものか分かりません。
そもそも古代史自体が謎が多く、神仏習合や本地垂迹がどのように当時とその後に影響を与えたのか分かりません。
・最終的な結論
「なぜ日本や日本人が無宗教、あるいは無宗教的に見えるか?」の背景の一つには仏教の原始仏教の釈迦の思想、大乗仏教のナーガールジュナの影響があります。
それ以外にもいろいろあると思いますし、それぞれ正しいのでしょう。
それに比べれば「日本や日本人が無宗教、無神論に見える理由」として仏教の影響は分かりにくい方かもしれません。
ただ日本の人、思想、文化が仏教の影響を受けていないといえる人はまずいないと思います。
どういった形であれ仏教は影響を与えているでしょう。
日本人は無宗教や無神論的に見えると同時に多神教、アニミズム、宗教混交主義的に見えることがあります。
これも表裏の関係でやはり同じ理由です。
同じ理由とは繰り返しますが「日本文化の中心部には原始仏教の釈迦の思想や大乗仏教のナーガールジュナの空論や中観論の影響がある」です。
別に日本の中心にあるのはこれだけではないでしょうがこれも確実にあるでしょう。
これがないと「日本、日本人、日本文化は仏教と関係がある」とか「日本、日本人、日本文化は仏教の影響を受けた」とは明確に断言しにくくなります。
大乗仏教である以上、仏教の本質は宗教的、言い換えれば情緒的なものではなく、「勉強すれば理解できる仏教の知識や考え方」です。
これは仏教を宗教ではなく学問や哲学としてみる見方になります。
つまり日本の中心、核心の一部は哲学で出来ている部分があります。