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  • 2025年4月15日

中高生でもわかるドイツ観念論のイントロダクション

中高生でもわかるドイツ観念論のイントロダクション

・近代哲学の完成

 高校社会で倫理を習うとドイツ観念論というのが出てきます。

 これはフィヒテ、シェリング、ヘーゲルの哲学をさします。

 大体ヘーゲルを持って近代哲学の到達点で、彼より後の哲学は現代思想への移行期間になります。

 

・カントのジレンマ

 フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどのドイツ観念論はカントの後の思想です。

 カントの哲学は現代人の通念、常識と大体一緒です。

 人間にはメンタルな内面の世界とフィジカルな内面以外の世界があります。

 内面以外ということは外面、外界の世界と事物ということになります。

 この外界の物事を物自体とよびます。

 カントは物自体が事物の真のあり方だとしました。

 ここら辺はデカルトの物心二元論と同じとみてもらっていいと思います。

 カントは外界の世界から受ける刺激を内面である精神や知性が情報処理をして人間が近くするような形にするシステムが備わっていると考えました。

 現代の我々の感覚でいえばそれは脳が担っているとすれば我々はカントと同じ考え方をしていることがわかるでしょう。

 問題はこの情報処理の過程で外界からの刺激の近くから情報処理に至るまでに物自体が物自体でない形に返還されてしまうって我々人間は物自体をありのままの物自体の形で認識できないのではないかということです。

 これは現代の脳科学や認知科学では当たり前のことで別に問題にするようなことではないのですが、近代知性は真実への到達を目標にしているので真実に到達できないということは大問題でした。

 これをカントの物自体と理性のジレンマと呼びましょう。

 物自体は真実としてありのままに存在するが人間はその真実をありのままに認識できないというものです。

 現代人のように問題にしなければ問題になりませんが、近代人のように問題にしようと思えば問題になります。

・フィヒテの革命

 このジレンマを問題にしたカント以降の哲学者はそれを解決する案を考えます。

 その中で支配的になったのがドイツ観念論です。

 ジレンマの解消法はいろいろあってその後の哲学史を見ても現代思想に至るまでその問題意識と解決法の羅列の歴史みたいなところがあります。

 そもそもカント理論というか哲学の歴史全般見回しても仮定の前提だらけと言えます。

 それに振り回されず洗練して仮定の前提自体を扱えるようになったのは現代哲学からですが、哲学の歴史というのが現代哲学で終わりですので見方によっては仮定の前提をどう処理するかが哲学だったと振り返って言える可能性すらあります。

カントは結局デカルトと一緒の物心二元論です。

 カントの次の代のフィヒテは物心二元論のうち物自体という仮定の前提を捨てて唯心論、観念一元論にしてしまいました。

・なかなか知性や理性は捨てにくい

 物心二元論を一元論にするなら心の方を捨ててもよかったのかもしれませんが近代というのは知性や理性の時代です。

 知性や理性を持っている人間は人権を持って平等でも知性や理性が弱い人間には建前はともかく差別的な時代だったようなところがあります。

 例えば精神病の扱い、優性思想の流行、非西洋文化圏に対する差別、いろいろな種類のマイノリティの扱いなどです。

 そういった部分への人間の平等は現代思想を待たなければいけませんでした。

 非観念論的な考え方も哲学史上いろいろ登場しますが、近代西洋哲学では観念論が主流になり近代哲学の終着点となります。

 それ以降の哲学は現代哲学までの過渡期の哲学とまとめられます。

 フィヒテがしたのは物自体が存在するという仮定の前提をなくしてしまったことです。

 すると残るのは心だけ、観念だけ、メンタルだけということになります。

 私たちが物と思ったり世界と思ったりフィジカルと思ったものは観念の中にあるもので観念の他には何もなく、観念でないと思っている外的世界や事物も観念の産物と考えます。

 なかなか心や人間というものは除外しにくいものでそういうものを捨てて人間や心、人間の理性や知性でないものが人間の先入観を打ち負かすのはAIが人間以上に人間らしく感じられて人間らしさの面で人間がAIに負けたと思ったときでしょう。

 ドラえもんや鉄腕アトム以上に電子回路や機械が人間らしく感じられて人間がかなわないと思った時です。

 人間はあきらめるまでは負けませんし、敗北感を感じるまでは心理的に負けることはないような性質があると思われるからです。

 物心二元論における観念否定主義を仮に唯物論とまとめたとして唯物論的なものはなかなかインテリ受けしても一般には分かりにくくて理解されてこなかったとみていいのではないでしょうか。

 やはり物が心を生み出ししかも人間の心より人間らしい人間の心が生まれる実例をみないと机上の空論みたいな感じになってしまいがちだと思います。

・フィヒテだけ知っていればシェリング、ヘーゲルは必要な時にAIに聞けばよい

 多分カントまでは知っている人が多いと思いますが近代哲学のチャンピオンともいうべきヘーゲルは名前は知っていても興味がない人が多いのではないでしょうか。

 実際ヘーゲルの理論を知っていてもそれについて話を聞きたい、話し合いたいという相手を見つけられないのではないでしょうか。

 そういうわけでドイツ観念論の哲学者の個々の理論は勉強する必要がないと思います。

 でも社会の受験科目で倫理を選ぶなら多分聞かれるかもしれませんのでその時だけ勉強しておけばいいと思います。

 どちらかというと哲学理論の細かい中身よりは社会や歴史に与えた影響が大切かもしれません。

 ドイツの啓蒙主義やロマン主義、マルクス主義や共産主義はドイツ観念論を芯としています。

 19世紀以降のドイツの栄光の歴史を情緒的に支えた思想として重要かもしれません。

 また20世紀後半までのインテリを通じて社会に影響を与えた思想です。

 1990年頃の冷戦崩壊まではマルクス主義やらヘーゲル主義者と名乗る賢そうな人たちが普通にそこらへんにいました。

 高々35年前ですので2025年の現在に至るまで世論に影響を与えたり染みついたりした考え方が抜けない人がたくさんいます。

 これは意外に現在冷戦がはじまった世界を読み解くポイントの一つです。