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  • 2025年2月9日
  • 2025年2月21日

なぜ日本の宗教観は特殊か-大乗仏教の特殊さ-

世界で数少ない大乗仏教国

日本人の国民性やその要素をなしている日本人の宗教性には特殊な部分があります。

別に特殊ではないという意見もあるかもしれませんがここでは特殊性があると考えます。
特に比較しやすいのは一神教とも啓展宗教ともいわれる、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などです。これらの宗教は人口も影響力も大きいです。
これらの宗教の影響を受けた文化圏の人たちの言論が世界の考え方の主流になっているところがあると思います。
それらの文化圏の人たちから見ればやはり日本と日本は特殊だということになります。

これらの聖書と立法を絶対化した宗教はある意味大乗仏教と対極の関係にあります。
相互に独立した別の考え方というよりはむしろ背反とさえいえる面があります。


大乗仏教国は少ない

大乗仏教国はスリランカやタイ、ミャンマーなどの南アジア、東南アジアなどの南伝仏教と比較してインドのから北回りで日本に伝播した北伝仏教です。

大乗仏教の中核は中観論と空論です。

大乗仏教国と言える独立国は多分ブータンと日本だけです。チベットやモンゴルもそうかもしれませんが占領されたり共産化したりしていましたのでどの程度大乗仏教国と言えるのか分かりません。

ブータンは小さく鎖国も長かったので国際的に目立ちません。
とすると日本が大乗仏教国としてほとんど唯一無二である如くに目立ちます。

聖書文化圏以外にも中国やインドなどがあります。
それぞれ聖書文化圏とは違う特殊さがあると思いますが日本の特殊さとはまた違うものでしょう。


大乗仏教は「絶対」な何かに対する見方

大乗仏教の特殊さと比較するために聖書文化圏の特徴、特殊性を見てみましょう。

これらの文化圏は何かを絶対化することが精神性や文化の中核をなしています。
脱宗教家が進んでいる現代や一部の地域においてもその影響は残っているでしょう。

大乗仏教の特徴は何かを絶対化しないことです。

絶対を否定しているわけではなく絶対的な何かがないと言っているわけでもありません。
「絶対的な何かがあるかわからない」と言っているのとも違います。

「絶対的な何かがある」と「絶対的な何かはない」という両方の見方を同時に、あるいは時に応じてするという考え方になります。

何かを絶対化するのを否定しているわけではないというのが重要なポイントになります。


いろいろな考え方を併置します。

そのそれぞれが時に相互否定的、背反的でもどっちの見方もしようという考え方をします。

見方によっては場合分け的な見方ともいえますし、論理的、合理的な考え方ともいえるかもしれません。

併置される考え方の中には「絶対的な何かがある」や「絶対的な何かはない」だけでなく「絶対的な何かがあるかはわからない」という不可知論も併置できます。

全てを併置するのが中観、中観道、中道という考え方です。


事実上仏教とともに始まった日本史

日本の歴史は海外の文物の受容の歴史です。
特に歴史初期から中国朝鮮の影響が大きく、文字や宗教など文化の根幹となるものは大陸の影響を受けていますし受け続けてきました。

仏教や文字などとともに日本が統一国家を形成する過程で最初に受け入れたものの一つです。

仏教はいろいろな分派が出て分裂、多様化していきますが大乗仏教が根幹であることには変わりません。

浄土宗のような大乗仏教にかけ離れたように見える思想でも一応教派の第一祖はお釈迦様は当たり前でしょうが中間論を作ったナーガールジュナなどとされています。


仏教は難解だが・・・

中観論や空論は難解です。
非常に論理的な考え方ですが欧米がここに到達するには近代後期から現代の現代思想の成立までこういう見方ができなかったほどです。

歴史上の仏僧や現代の日本人でも中観論や空論をマスターして、そういう人たちが支配的であった時代はなかった可能性もあります。

しかしやはり僧侶や知識層の中には空論や中観論をマスターして時に高僧としてあがめられたりして影響力を行使することは歴史上常にあったのではないかと思います。

結局仏教の宗派やその他の思想でいかに中観論からかけ離れた宗派や思想が表れても突き詰めれば中観論に反することはできません。
きちんと議論すればあらゆる思想は中観論に論破されてしまいます。

きちんと議論する場などそうそうなかったと思いますし、特殊な思想が集団の中で支配的な空気を醸成することはあっても中観論を理解する人々がいる限り常に水を差され続け、うまく言えば加熱した空気を覚ましたり胡散霧消させてしまったりします。

よい例が現代社会です。

いろんなイデオロギーが表れますが長続きしませんし、伝統的な宗教の影響力も減退し少なくとも高級知識層では脱宗教家が進み、社会もなんだかんだと言いながらその影響を受けています。


日本化・大乗仏教化する世界

ポストモダンの世界は思想的には日本の欧米化ではなく、欧米の日本化です。
日本化というよりはっきり言えば大乗仏教化です。

この方向性は多分人類史の中では紆余曲折はあっても進んでいくのではないかと思います。

物理学のエントロピーのようなもので時に進行を阻んだり逆行させがりするエネルギーが生じることはあるかもしれませんが、大きな目で見ればエントロピーは閉鎖系では増大しかしませんし自由エネルギーは減少しかしません。


別に大乗仏教以外を否定するものではない

今回は日本及び日本人の特殊性として大乗仏教の影響を挙げてみました。

「そもそも日本、日本人は特殊なのか?」という問いは可能ですし、「日本、日本人が特殊だとしてもそれに大乗仏教の影響があるのか?」という問いもまた可能です。

たとえば日本思想史では神道がたいせつだとか、古代からの清明心や正直や誠実の倫理で説明した方がいいのではないかなどの考え方は十分あり得ます。
いろいろな高名な研究者のように個々の思想家に注目するのもいいでしょう。

しかし大乗仏教の中観論の日本の国民性や精神性に対する影響は多分完全に否定することはできないでしょう。

この分野については文献も多いと思いますし、文教は昔からグローバルで国際的なものですので外国では失われてしまった文献も多いと思いますがそれでも仏教と大乗仏教がアジアやユーラシア大陸で影響を持っていて日本にも影響を与えたことは無視しにくいことだと思います。