- 2026年2月12日
現代思想は「天才の産物」じゃない
――20世紀という地獄で、人類が正気を保つために発明した“疑いの技術”
現代思想は「天才の産物」じゃない
――20世紀という地獄で、人類が正気を保つために発明した“疑いの技術”
現代思想って聞くと、だいたいこう思われがちです。
「フランスの天才がカフェで煙草をふかしながら、難しい単語を錬成したやつでしょ?」
半分は当たりです。カフェはあった。難語もあった。
でも一番大事なところが抜けています。
現代思想は、冷房の効いた頭脳のスポーツではありません。
むしろ逆で、世界が熱すぎて脳みそが沸騰しそうだったから、冷却装置として作られたものです。
現代思想は、賢さの結晶というより――
**「悲鳴の翻訳」**です。
叫びをそのまま放置すると、次に起こるのはたいてい暴力か狂信か沈黙なので、いったん言葉にして冷ます。
そういう“救急医療”的な知恵なんですよね。
近代の約束:理性で世界は良くなる(はず)だった
19世紀までの西洋社会には、けっこう強い信仰がありました。
- 科学が進めば人間は賢くなる
- 教育が広がれば野蛮は減る
- 法と制度が整えば暴力は減る
- 人権と平等が広がれば歴史は前進する
この世界観は、テキスト中心主義と相性がいい。
理念・憲法・契約・設計図・マニュアル。
「書いてあること」が正しければ、世界はその通りに動くはずだ――という感覚です。
で、20世紀が登場して言いました。
「その綺麗な理念、兵器にも官僚制にもプロパガンダにも使えますけど?」
はい。地獄の導入です。🔥
20世紀の裏切り:悲惨が“合理化”された
20世紀の何がヤバいかというと、悲惨そのものではありません。
悲惨は昔からある。人類はずっとだいたい不幸。そこは平常運転。
20世紀の本当の恐ろしさは、悲惨が合理化されたことです。
- 殺し方が「効率化」される
- 仕分けが「事務化」される
- 嘘が「制度化」される
- 正義が「国策化」される
綺麗な言葉ほど、血の匂いを消すのが上手い。
そして、血の匂いが消えるほど、みんな平気で踏む。
これ、倫理の話じゃなくて、人間の仕様です。残念ながら。
二度の世界大戦、スペイン風邪、貧困、学徒動員、断裂した世代、騙された怒り。
「どっちに参加したか」「前線か銃後か」「子どもだったか」「ユダヤ人だったか」――体験は違っても、共通点はこれです。
“信じたもの”が、殺しの道具になった。
これを体験した世代が、世界観を歪めない方がおかしい。
歪むのが正常反応です。
現代思想は「生まれて当たり前」だった
だからあなたが感じた
現代哲学は、生まれて当たり前。生まれない方がむしろおかしい
これは大正解です。
現代思想は、天才の余技ではなく、生存のための発明でした。
“絶望・怒り・虚無・不安”を、
逃げずに言語化(理論化)して、再発防止の装置にする。
つまりこういうことです。
情動 → 理論
悲鳴 → 設計図(ただし“防災用”)
叫びを放置すると、次は「暴力」か「狂信」か「思考停止」に変換されがちなので、いったん哲学に変換して冷却する。
現代思想がクールに見えるのは、冷笑だからじゃない。
やけどの跡なんです。
難しい話はやめて、現代思想の反応パターンだけ見る
固有名詞は頭を重くするので、ここはざっくり“反応”で整理します。
現代思想は、20世紀に対して主に三方向に割れました。
①「意味なんて保証されない」方向(実存系)
神も説明も保証もない。
でも生きてる。
じゃあどう生きる?
これ、哲学というよりサバイバル日記です。
「不条理」という単語がオシャレで流行ったわけじゃない。
ただの実況です。
②「理性は暴走する」方向(批判系)
近代の理性は、解放どころか支配にもなる。
啓蒙が野蛮を生むことがある。
合理化は“人間性”を削る。
要するに「理性に免許を与えたら、理性が飲酒運転した」みたいな話です。
しかも事故の規模が惑星サイズ。
③「言葉と構造が人を作ってる」方向(構造〜ポスト構造系)
人間が言葉を使うんじゃない。
言葉(と制度と常識)が人間を作る。
権力は命令だけじゃなく、「正しさ」や「分類」や「常識」として浸透する。
これは現代思想の名物、**“見えない支配の検出器”**です。
スパイ映画みたいですが、現実はもっと地味で怖い。
スパイより「普通の人」が怖いのが、20世紀のポイントです。
この三つ、全部まとめると一行で終わります。
「もう建前(きれいごと)だけでは死ぬ」
祖父母・曾祖父母は、かわいそうだったのか?
たぶん、かなり。
「かわいそう」って言葉は軽くなりやすいですが、条件だけ見れば地獄です。
- 物理的に死にやすい(戦争・感染症・栄養・医療)
- 心理的にも死にやすい(喪失・暴力・沈黙・恥)
- 子どもが守られにくい(社会資源が薄い)
- しかも「正しいもの」が上から降ってきて毎回変わる
この環境だと、個人の性格がどうこう以前に、社会全体がトラウマ適応になります。
疑い深い、感情が凍る、怒りが溜まる、権威に従う、逆に全部ぶっ壊したくなる――全部自然です。
そして、その自然さが哲学に刻まれる。
現代思想は、ある意味で祖父母世代の沈黙の代弁です。
「戦後以降は甘ったれ」なのか?――半分正しく、半分ズレる
戦前戦中に比べれば、戦後の先進国はぬるい。これは事実。
ただし面白い逆転があります。
- 身体の危機が減ると
- 意味の危機が増える
死ななくなったぶん、
「何のために生きてるんだ?」が生活のど真ん中に来る。
情報環境も“常時プロパガンダ”みたいになって、別種の疲労が増える。
だから現代思想は今でも読める。
ただし「教養」ではなく、装置として読む方がしっくり来ます。
現代思想の一番やさしい定義(これで記事タイトルも作れる)
現代思想とは何か?
“偽善と惨禍の世紀”を通った人類が、
二度と同じ地獄に落ちないために作った、疑いの技術。
もっと俗に言うなら――
「綺麗事で人を殺す方法」を見抜く学問。
冷たく見えるのは、熱にやられた後だからです。🔥
おわりに:賢さより、生存から生まれた
あなたの言う
悲鳴や絶望を理論化したら、たまたま現代思想になってた
これは本質です。
哲学は時々、学問の顔をしてますが、
実際は **「人類が正気でいるための手当て」**として生まれる局面がある。
20世紀は、それが必要すぎる世紀だった。
だから現代思想は、生まれて当然。生まれない方が不自然。
そして、その不自然さを背負って生きたご先祖様たちには――
ちょっと(いや、かなり)優しくしたくなりますね。🕯️