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  • 2025年9月14日

「ある」と「つくれる」の往復運動——ユークリッドに学ぶ現代思想の実践ガイド

はじめに:あなたは「人形」か、それとも「人形遣い」か?


「ある」と「つくれる」の往復運動——ユークリッドに学ぶ現代思想の実践ガイド

はじめに:あなたは「人形」か、それとも「人形遣い」か?

現代思想や大乗仏教が目指すゴールは、一言でいえば**「人形」ではなく「人形遣い」になること**です。

私たちは知らず知らずのうちに、特定の考え方やイデオロギーという「人形」に操られて生きています。例えば、「世界は客観的な実体として**“ある”」という素朴な実在論も一つの人形ですし、「いや、世界は言語や社会のルールによって“つくられる”のだ」という構造主義**もまた、別の強力な人形です。

「人形遣い」とは、これらの見方が絶対的な真実ではないと自覚し、状況に応じて自在に使い分ける主体的な実践者のことです。これは現代思想ではポスト構造主義、仏教では**中観(ちゅうがん)**と呼ばれる知的な境地であり、けして難解な観念論ではなく、私たちが知的自由を獲得するための実践的なスキルなのです。

では、どうすれば「人形遣い」になれるのか?そのための最高の教材が、2000年以上も西洋の知性の土台であり続けたユークリッド幾何学です。


なぜユークリッド幾何学が最高の教材なのか?

プラトンの学園の門に「幾何学を知らざる者、入るべからず」と刻まれたように、幾何学は長らく論理的思考の基礎とされてきました。聖書の次に売れた本がユークリッドの『原論』であるという事実が、その影響力の大きさを物語っています。

その理由は、『原論』が単なる図形の教科書ではなく、「世界をどう捉え、どう論理を組み立てるか」という思考のOS(オペレーティングシステム)そのものを提示しているからです。そしてそのOSは、驚くべきことに**「“ある”と信じる実在論」「“こう作れる”と決める構造主義」**という、二つの異なる思考法を巧みに組み合わせた、見事なハイブリッド構造をしています。


ユークリッドのハイブリッド思考を分解する

ユークリッド幾何学は**「定義」「公理」「公準」**という3つのルールから成り立っています。この3つを分析すると、「ある」と「つくれる」の二つの顔がはっきりと見えてきます。

1. 「ある」と信じる——実在論の土台 🏛️

まずユークリッドは、議論の揺るぎない出発点として、いくつかの概念を「すでに、そこにある真理」として提示します。

  • 定義の一部(根源的な要素):
    • 「点は、部分をもたないものである。」
    • 「線は、幅のない長さである。」 これらは、まるでイデア界に完璧な「点」や「線」が存在するかのように、その本質を記述する実在論的な態度です。
  • 公理(共通概念):
    • 「同じものに等しいものは、互いに等しい。」
    • 「全体は、部分より大きい。」 これらは図形に限らず、全ての学問に共通する自明の真理とされます。疑う余地のない「存在のルール」です。

2. 「こう作れる」と決める——構造主義の設計図 🏗️

次にユークリッドは、その「ある」とされた要素を使って、「何を行うことが許されるか」という操作と構築のルールを定めます。

  • 定義の一部(関係性による概念):
    • 「線の端は、点である。」
    • 「角は、二つの線の傾きである。」
    • 「平行線は、どこまで延長しても交わらない直線である。」 これらは、「線の端」や「角」や「平行」という概念を、物体としてではなく、他の要素との関係性によって定義する構造主義的な態度です。
  • 公準(作図の許可):
    • 「任意の二点を結ぶ直線を引くことができる。」
    • 「与えられた点を中心とし、任意の半径の円を描くことができる。」 これは「何が存在するか」ではなく、「定規とコンパスという道具で何を作成してよいか」という操作のルールです。これは「作れるものだけが存在を保証される」という、後の数学における構築主義の思想を先取りしています。

このようにユークリッドは、「ある」という存在の真理と、「つくれる」という操作のルールを明確に分け、それらを組み合わせることで、壮大な論理体系を築き上げたのです。


近代数学の「一本化」——ハイブリッドから専門家へ

近代以降の数学は、ユークリッドが両立させたこの「二枚看板」を、それぞれの思想家が純化・徹底させていく形で発展しました。

  • 形式主義(ヒルベルト): ユークリッドの定義の曖昧さを排除し、「点・線」といった言葉の意味を問わず、全てのルールを厳密な公理に落とし込みました。「“ある”とみなす」ことを、より自覚的・形式的に行いました。
  • 構造主義(ブルバキ): 「点」や「線」といった個物そのものより、それらが構成する関係性のパターン(構造)こそが数学の本質だと考えました。
  • 直観主義(ブラウワー): ユークリッドの「つくれる」という側面を原理化し、「具体的に構成できる手順を示せるものだけが存在する」という、より厳格な立場をとりました。

彼らはそれぞれ、ユークリッドのハイブリッド思考の一側面を深く掘り下げた専門家と言えるでしょう。


人形から人形遣いへ——「使い分け」の実践哲学

ここで最初の問いに戻りましょう。「人形遣い」になるためにはどうすればよいのか?それは、「ある」という実在論的な視点と、「つくれる」という構造主義的な視点を、意図的に使い分ける訓練をすることです。

  • 人形の状態:
    • 「現実はこう“ある”のだから仕方ない」と考えるのは、実在論の人形です。
    • 「ルールや仕組みが全てを決定するのだから、個人にはどうしようもない」と考えるのは、構造主義の人形です。
  • 人形遣いの実践: 人形遣いは、状況に応じて二つの問いを使い分けます。
    1. 「“ある”とみなす勇気」: 複雑な状況でも、一旦「これはこういうものだ」と仮説を立て(実在論)、素早く全体像を掴む。臨床や研究における仮説設定がこれにあたります。
    2. 「“つくれるか”を問う慎重さ」: その仮説が本当に成り立つのか、具体的な手順(操作)に落とし込み、検証する(構造主義)。研究計画や治療プロトコルの設計がこれにあたります。

この「分けて見極め、混ぜて運用する」往復運動こそ、ポスト構造主義や仏教の中観が教える「固定的な見方からの自由」の実践です。それは、西洋と東洋の思想が共通して目指す、知的でしなやかな生き方の技術なのです。

結論

ユークリッド幾何学は、単なる古代の数学ではありません。それは、「“ある”という世界の受容」と「“つくれる”という人間による構築」という、二つの根源的な思考法をいかにして組み合わせるかを示した、人類初の偉大なテキストです。

この往復運動を意識的に実践すること。それこそが、私たちをイデオロギーの「人形」から解放し、自らの思考を自在に操る「人形遣い」へと変える、最も確かな道筋なのです。