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  • 2025年9月11日

構造主義はなぜ気づかれにくいか——医学を例にした実用的ハイブリッド思考のすすめ

構造主義はなぜ気づかれにくいか——医学を例にした実用的ハイブリッド思考のすすめ

要旨(Abstract)

構造主義は「目に見えない関係・差異・機能」を可視化する強力なレンズです。しかし、私たちの日常や多くの専門分野では、目に見える「モノ」や「形」を捉える実在論的な把握が優先され、構造的な理解はしばしば後景に退きます。この記事は、二つの問いを探求します。

  1. なぜ構造主義は“気づかれにくい”のか? その思想史的・心理的な背景は何か?
  2. 実用的な場面では、両者をどう使うべきか?

結論として、実在論と構造主義を区別しつつも、最初から“ごたまぜ”にして使うハイブリッドな思考こそが、実践において最も効率的で強力であることを、医学(形態学×生理学)という具体例を通して論じます。目指すのは、**「分けて見極め、混ぜて運用する」**という知的な往復運動です。


1. はじめに:見えないものを見る「構造主義」の壁

構造主義を説明する際、かつては「目に見えない構造」という言葉がよく使われました。この「見えにくさ」や「気づかれにくさ」こそが、構造主義が思想史の中でなかなか確立されず、また現代社会においても十分に活用されていない根源的な理由かもしれません。

物事には必ず、物体として存在する実在論的な側面と、関係性や働きといった構造主義的な側面があります。しかし私たちは、意識しない限り、前者に強く注意が向きがちです。

本稿では、この構造主義の「見えにくさ」の正体を解き明かし、その上で、あえて両者を峻別するのではなく、むしろ積極的に「まぜこぜ」にして使う方がいかに実用的であるかを、人体の理解を巡る医学を例に解き明かしていきます。

2. なぜ「構造」は見えにくいのか?——思想史と認知発達の並行関係

構造主義の確立が思想史的に遅れ、私たちがそれを習得するのにも一定の学習が必要なのはなぜでしょうか。そこには、人間の認知の特性や、学問の発展段階が関わっています。

思想史の旅路と個人の成長

生物学に「個体発生は系統発生を繰り返す」という有名な言葉があります。これは、一個の受精卵が大人になるまでの過程が、生物が進化してきた歴史的な道のりを圧縮してなぞる、という考え方です。これと同じようなアナロジーが、哲学史の発展と、一人の人間の認知発達の間にも見られるのではないでしょうか。

  • 哲学史(系統発生):哲学の歴史は、まず世界を「モノ」として捉える素朴な実在論から始まりました。プラトンのイデア論、アリストテレスの質料形相論、近代の合理論と経験論の対立などを経て、カントが人間の「認識の枠組み(構造)」に注目し、現象学を経て、ようやく20世紀に言語学や人類学で構造主義が確立されます。これは、具体的なモノから、その背後にある抽象的な関係性へと、思索のレベルが上がっていく道のりでした。
  • 個人の認知発達(個体発生):心理学者ピアジェの理論によれば、子供の認知も同様のステップを辿ります。まず目の前のモノに反応する「感覚運動期」から始まり、具体的な操作ができる「具体的操作期」を経て、ようやく思春期以降に、論理的・抽象的な思考が可能になる「形式的操作期」へと至ります。

つまり、哲学史が数千年かけて辿った「実体から構造へ」の道を、私たち一人ひとりも成長の過程でなぞっているのです。だからこそ、構造主義という抽象的な思考法は、直感的ではなく、意識的な学習を必要とするのかもしれません。

3. 実用は“混ぜて使う”が速い——医学という最強の実例

構造主義を学問の先端で使うのでなければ、日常生活や多くの実学分野では、実在論と構造主義を厳密に分けるのはかえって非効率です。両者をうまくハイブリッドさせた方が、はるかに実用的です。その最も優れた例が医学です。

医学教育では、人体を**〈形態〉〈機能〉**という二つの側面から学びます。これはまさに、実在論と構造主義のハイブリッドです。

観点形態(実在論的アプローチ)機能(構造主義的アプローチ)
何を問うかそこに「何があるか」(What is it?)それは「どう働くか」(How does it work?)
代表科目解剖学、病理学、組織学生理学、生化学、薬理学
注目対象臓器、組織、細胞の「形」「構造物」代謝、情報伝達、制御の「システム」「関係性」
典型的な処置切る、縫う、繋ぐ、取り除く調整する、抑制する、促進する

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臨床現場では、形態的な異常(例:腫瘍)と機能的な異常(例:ホルモン分泌の乱れ)を別々に考えながらも、最終的にはそれらを統合して診断・治療方針を立てます。この**「分けて見極め、混ぜて運用する」**思考こそ、本稿が提案する実用的なハイブリッド思考そのものです。

各論:人体の〈形態〉と〈機能〉

人体の各器官をこのフレームワークで見ると、ハイブリッド思考の有効性がより鮮明になります。

  • 循環器系:ポンプと配管 vs 恒常性維持システム
    • 【形態】:心臓というポンプ、動脈・静脈・毛細血管という物理的な配管から成ります。これらは解剖学で学ぶ実体です。
    • 【機能】:その目的は、全身の細胞の外部環境(細胞外液)を一定に保つホメオスタシス(恒常性)の維持というシステムです。酸素を運び、老廃物を回収するという「流れ」と「関係性」が本質です。心電図が心臓の異常を読めるのは、心筋が電気的に興奮・伝導するという**電磁気学的な法則(構造)**に基づいているからです。
  • 腎臓:フィルター装置 vs 生体の化学的制御システム
    • 【形態】:血液を濾過する糸球体と、そこから続く尿細管という精巧なフィルター装置として存在します。
    • 【機能】:単なる老廃物の排泄だけでなく、尿の再吸収・分泌の過程で、ナトリウムやカリウムなどの電解質バランス、体液の浸透圧、そして血液のpHを精密に調整する化学的な一大制御システムです。透析治療は、この「機能」を人工的に代替する試みと言えます。
  • 消化管と皮膚:物理的な境界 vs 巨大な免疫システム
    • 【形態】:口から肛門まで続く管(消化管)や、体を覆うシート(皮膚)という、内外を隔てる物理的な境界です。トポロジー的に見れば、消化管の内部は「体の外」です。
    • 【機能】:「自己」と「非自己」を識別し、異物の侵入を防ぐ人体最大の免疫システムとして働きます。栄養を「自分の一部」として取り込み、病原体を「敵」として排除するという、情報処理的な「関係性」が機能の核心です。
  • 筋肉と脂肪:運動器官と貯蔵庫 vs 代謝ネットワークのハブ
    • 【形態】:筋肉は体を動かすための運動器官であり、タンパク質の貯蔵庫です。脂肪はエネルギーの貯蔵庫です。
    • 【機能】:近年、これらは全身のエネルギー代謝をコントロールする巨大な代謝・内分泌臓器であることがわかってきました。筋肉や脂肪細胞が放出する物質(アディポカインなど)が、他の臓器と情報をやり取りし、代謝のネットワークを形成しています。

このように、人体の理解は、目に見える「形」だけでは不十分であり、その背後で働く「機能」や「システム(構造)」を理解して初めて可能になります。そして、優れた臨床医は、この二つの視点を無意識のうちに往復しながら、患者を診ているのです。the human circulatory system diagramの画像

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4. 結論:これからの時代に必要な「両利きの知性」

この記事の主張を3行にまとめます。

  1. 人は「形」に惹かれ、「関係」は見えにくい。だから構造主義は直感的に理解されにくい。
  2. 思想史の発展と道具(数学、情報技術)の成熟が、構造主義の発見を後押しした。
  3. 現場での最適解は「分けて見極め、混ぜて運用する」こと。医学の〈形態×機能〉はその最良の教科書である。

哲学の文脈では、構造主義はしばしば実在論を乗り越えるための武器として使われました。しかし、本来両者は対立するものではなく、直交する二つの独立した視点です。

実在論的な視点だけで物事を捉えること、あるいは構造主義的な視点だけで物事を分析すること。専門分野を深く探求する際には、そうした「とがった視点」も必要です。しかし、より複雑化する現代社会を生き抜き、問題を解決していくためには、両方の視点を自在に組み合わせ、使いこなす**「両利きの知性」**がますます重要になるでしょう。

医学が人体を理解するように、私たちもまた、目の前の事象の「形」をしっかりと見据えつつ、その背後で働く「関係」や「システム」を読み解く。このハイブリッドな思考法こそが、これからの時代を生きる私たちにとって、強力な武器となるはずです。