- 2025年5月27日
わかりやすい、数学、哲学、構造、関係、要素、カテゴリーとは何かの要点と概論
わかりやすい、数学、哲学、構造、関係、要素、カテゴリーとは何かの要点と概論
・世の中で一番使える記号は矢印?
字というのは記号かもしれませんが特別なものです。
古文献を読むと日本語や中国語なら句読点、西洋語ならコンマやピリオドがない場合があります。
空白、スペースも記号とするならそれもなかったりします。
段落や文章、文の切れ目がわかりにくくなれない人には往々にしてわかりにくいものです。
文字以外の記号は贅沢品であり図式などあれば超高級品でしょう。
我々は豊かで恵まれた時代に生きているわけです。
もし文字以外で何か1つだけ記号を使っていいと言われればそれはもしかしたら矢印かもしれません。
例えば段落の変化は矢印を挟めばいいかもしれません。
パソコンのエンターキーは矢印です。
数学を見るといろいろな記号に見立てて使えるかもしれません。
=(イコール)は↔、写像、変換、対応などは普通の→で表せるかもしれません。
不等号の>の記号は矢印の棒の部分(シャフト)をなくして矢じりだけを残したようにも見えます。
集合の∋や⊃も矢印に見えないこともありません。
∋は→の変形のようにも見えますし⊃は矢印の棒(シャフト)の部分を外して矢じりの部分だけを変形したもののようにも見えます。
この矢印を数学の基礎として置く学問があります。
圏論(category theory)です。
・2つの数学の基礎学問
論理学や公理主義は別として数学の基礎になれる学問が2つあります。
集合論(set theory)と圏論(category theory)です。
集合論は要素(element)の集合からなります。
要素はそれぞれ関係や時に演算を持って要素同士で構造を持ったりします。
他方で集合論では写像を習います。
2つの集合がある場合、それぞれの集合に属する元の集合を越えた関係を写像で表します。
これによってある集合を定義域としてそれに属する元をスクリーンである別の集合の要素に映すわけです。
この矢印全体によりスクリーンに映る像を写像と言ったりします。
要素間の対応関係を矢印で表してもいいですし、この矢印全体からなる集合間の対応関係を矢印で表してもいいでしょう。
これは集合間をまたぐ矢印もまた関係を示しています。
同じ集合内の元同士の関係を内部の関係というとすれば、集合をまたぐ写像や対応関係は外部との関係と言えるかもしれません。この外部との関係は矢印で表されます。
この集合間の写像を射(arrow)と言い換え、集合を対象と言い換えて射を中心に数学を構成するのが圏論です。
集合論は要素と集合が出発点ですが、圏論は矢印→(射)が出発点で議論の中心です。
要素は扱えないことはありませんが扱う中心ではありません。
集合は「対象」(object)と別の名を与えられます。
対象を結ぶ→と矢印の間にある結節点としての対象の総体からなるものが圏です。
圏論は射が第一に考えるます。
射を第一に考えるということは対象間の関係を第一に考えるということです。
関係の総体が構造をなします。
言い換えれば関係がまずあって構造を生じます。
これは要素や集合がまずある集合内の構造を重視し、集合間の関係を二次的に考える集合論と少し視点を変えた考え方になります。
集合論で関係が二次的とは言ってもその集合間の関係の総体が構造をなすとするとやはり関係が構造を作るということになります。
この場合は内部の関係や構造の話ではなく外部との関係の総体が集合を含めた全体の構造を作るというのであればやはり圏論と同じになります。
逆に圏論が射がファーストと言っても元や元同士の構造に注目するようにすればこれまた集合論と変わりません。
・関係が先か構造が先か
関係が先か、集合が先かというのは結論的にはどう考えても構いません。
後先をつけてもいいし後先つけずに両方両着で対等でも構いません。
ただし関係と構造の療法は必ずしも必要ありません。
関係が決まれば構造が決まるし、構造が決まれば関係が決まります。
そのことは圏論の基礎定理である米田の補題と米田の埋め込みというもので保障されています。
・数学とは何か?
数学は集合論的にみる見方と圏論的にみる見方があります。
他の見方もあるかもしれませんがそれはよく知りませんので置いておきます。
集合論にせよ圏論にせよ写像や射という矢印が重要になります。
何かを移したり変換したり保存したりすることを示す、すなわち関係を示しますし、関係の総体が構造の少なくとも一部をなします。
すべての関係を並べ上げて組み合わせてそれにオブジェクトという構造材をいれればそれがほとんど構造のすべてを作るかもしれません。
めちゃめちゃざっくりいうと数学とは何か?と言われればそれが数学です。
集合間の対応や写像、変換とみてもいいし、対象と射でなるネットワークの総体である数学の構造を作れるものとみてもいいです。
・哲学とは何か?
哲学の完成系は現代哲学で、これは近代哲学までの素朴な実在論的な見方に構造主義により作られた哲学とあらゆる個別の哲学、思想から人々のおもいなしレベルのものまでを俯瞰してみるポスト構造主義を組み合わせたものです。
・構造主義と関係主義
「構造とは何か?」「関係とは何か?」この2つの問いには数学はわりかし明確に答えることができます。
明確に答えることが理や論を研究する科学の女王の数学の専売特許だからです。
「数学とは何か」の上の章節のところで述べたように数学は圏論的には「対象(object)」と「射(arrow)」によって作られる構造、または圏(category)です。
集合論的には要素の集合に要素同士の関係や演算をパッケージした集合と他のパッケージの集合を結ぶ関係(写像、対応、変換)からなる総体を構造と呼べばいいでしょう。
それに比べて哲学はもうちょっとあいまいです。
哲学は人文科学ですので論は扱っても理は扱いません。
あるいは理は扱うかもしれませんが数理科学系の理とは異なります。
理に矛盾が含まれていようが不完全であろうが整合性がとれてなかろうが関係ありません。
例えば美学なら美しければいいのです。
美しさを保証するものが必ずしも数理科学系の矛盾がなく完全で生合成のある理とは限りません。
むろん学問なので論じはします。
ただ「数学とは何か?」の答えを「哲学とは何か?」の答えの参考にすることはできます。
そして「哲学とはなにか?」の答えもやはり「関係」と「構造」が重要です。
これらはモノの見方の違いで数学なら一方から他方を導き出せますしそもそも圏論の基本原理と言ってもいい米田の補題や埋め込みでは結局は同じものとみることができます。
しかし関係から構造が作られるとみるか、構造から関係が作られるとみるかでだいぶ視点が変わりますし、視点が変われば見えるものも景色も変わります。
どっちかの見方だけするのではなくまた視点の切り替えを繰り返すのでもなく、どちらの見方も同時にせよ、というのが多分いいのですがそれはそれで脳のリソースを使いすぎて疲れるかもしれないので大枠さえ知っていれば必要に応じて視点を切り替えをちょくちょく行うのが実践的かもしれません。